諸事情でこれまで出社できなかったと言い、入社して1週間経ってから俺たちと合流した旭と名乗る青年。
その彼に親近感を感じたは良いものの、オレはどう距離を詰めたらいいのか図りかねていた。
というのも、これまでオレは自分から積極的に他人と関わろうとすることはあまり無かったからだ。
そもそも常に心の何処かで怒りや疎外感を感じており、それはどれだけ他人と関わっても変わらなかったんだから仕方なかったとも思うが。
しかし今ばかりは過去のその判断が恨めしい。ファーストコンタクトは明らかに距離感をミスったのでおそらく失敗、第一印象はあまり良くないだろう。
となると次はその印象を打ち消すためにも何か普通の……それこそ趣味のような話題を振ってみようか。
ちなみに当の相手には喧嘩を売られたとして受け取られているため第一印象はあまり良くないどころか最悪に近いのだが、そんなことは露も知らずに鬼一は次の手を模索する。なお、その後に積極的に会話を試みたことでむしろ鬱陶しく思われることも彼は知らない。コミュ障ここに極まれり。
趣味などの私生活に関することから見学した奇心体についてなど、とにかく片っ端から話題を振っている間にオレは違和感を感じるようになった。
私生活に関する話は「仕事に関係ないから」とばっさり切り捨てられ、奇心体に関してもチワワのような見た目の奇心体をかわいいといった次の瞬間には「見た目で油断した奴は大抵最初に負傷する。今のうちに直しておかないと何時か痛い目を見るぞ」と、とにかく冷め切った応答が返ってくるのである。
さらに言えば、歩くさまなどの立ち居振る舞いからして油断なく周囲を警戒しているもので、思わず「お前は戦場帰りの軍人か!?」と突っ込みたくなってしまう程であった。
そんな風におおよそ新人らしからぬ旭の様子にいい加減疑念を持ち始めたころ、事態は急変した。
『収容棟より複数の奇心体が収容違反を起こしました。付近にいる職員は警戒しつつ退避してください。鎮圧部門の職員は直ちに現場へ向かい、速やかに鎮圧作業を開始してください。また、収容違反を起こした奇心体には危険度が3の対象がいるため、すべての鎮圧作業が終了するまで対応するクラスの装備の制限解除を許可します。繰り返します────』
何の前触れもなく空気を切り裂く警報音。鳴り響く放送、そして爆発音。
突然の展開と濁流のような情報量はオレたち新人を混乱させるとともに、これからのハレの日常を想像させ高揚感を与えた。
珍しく柊も冷静さを欠いて天野さんの指示に反抗しようとしている。他の連中も程度の差はあれ一様に冷静さを欠いた様子だ。
ならなぜオレがそんな風に冷静に周りを観察できているのかというと、それは偏に隣に立つ旭のおかげである。
彼はこんな状況でも動揺を覗かせずに周囲を警戒しており、その冷静さに当てられたのかオレもそこまで浮つかずにいられたのだ。
自分より動揺している人を見るとかえって冷静になる、というのはよく聞くがその逆パターンが有り得るとは、などと思いながらどこから避難するのか考えていたところ、遂に旭が動き出す。
端的に脱走した奇心体が現れたことを報告しつつ、腰に引き下げていた片手剣を鞘から引き抜いたのだ。
ついに露わになったその剣は、柄や鞘だけでなく刀身まで夜の闇を思わせる黒で構成されていた。
よく見ると僅かではあるが装飾が施されているようだが、決して華美にはならないシンプルなデザインであり、そしてそのシンプルさがより美しさを際立たせる。まさに『機能美』という言葉が似合う、そんな剣だった。
そしてそれをやけに慣れた形で構えながら旭は前方を睨みつけている。
どうやらこいつには既に敵の姿が捉えられているようで、「できれば一人の時が良かったんだが」という呟きが隣から聞こえた。
その様子から、やっぱりただの新人じゃないなと確信を得たところで、オレにもようやくその姿が見えてきた。
最初上下に伸縮しているように見えたソレは、どうやら跳ねまわりながら近付いてきているらしい。その動きはバッタや蛙を連想させた。
というか、やって来てるのは蛙そのものだった。ただし、とにかくデカい。
大きい蛙と言われても、イメージするのはこぶし大ぐらいの大きさだと思うが、あれはそんなもんじゃなさそうだ。普通にオレよりも大きそう。その時点でかなりグロテスクではあるのだが、なんとあの蛙、人の手を咥えてるのである。
そもそも蛙は肉食性の生物であり、ウシガエルなどは体長がほぼ同じネズミを捕食することもできる。そしてアレは人間とほぼ同じサイズであり、口から人間の腕が飛び出ているということは……。
なんて嫌な想像をしている間に話は纏まっていたようで、オレたち新人はエレベーターホールの方から避難することになった。ちなみに旭は残ってアレを鎮圧するようだ……やっぱコイツ新人じゃねえだろ。
人間を捕食できるような蛙にどう対処するのかは気になったが、ここで残っても邪魔になるだけなので大人しく避難を開始する。
……でもこんな状況でエレベーターは機能してるんだろうか、オレは訝しんだ。
あの蛙から逃げて十数分後、オレたちは目的地手前の大ホール、そのさらに手前で足止めを食らっていた。原因はこの先で待ち構えている3体の奇心体である。
この先は通さない、と言わんばかりに通路を塞がれているせいで思うように進めず、ここで隠れているのだ。
ちなみにここまでくる間に旭についても軽く説明された。曰く、彼は新人ではなく九州統括支部の鎮圧用特殊職員である、とか勤務歴は天野さんより長く階級も上である、とか。
明らかに現場慣れしてそうな感じだったし、オレとしてはやっぱそうだったかー、ぐらいにしか思わなかったが。
とにかくその頼れる大先輩がいない以上オレたちだけであの3体をどうにかしなければならないのだが、普通の職員一人が
さらにこのままここに隠れていてもあいつらに察知されるかもしれないし、反対側から別の奇心体が来る可能性もあるんだとか。
つまりほぼ詰み状況。
そもそも奇心体の鎮圧作業は5~6人程度で構成された部隊で行うのが通常で、彼のように一人で鎮圧作業を行うのは普通に考えれば自殺行動なんだそうだ。
あ、だから皆あいつ1人で残ることに難色示してたのね。
……でもあそこに居座ってるヤツらなら一体ぐらいならどうにかできそうな気してくるんだけど、それはオレだけ? 流石に3体同時は無理そうだけど。
なんて考えていると後ろからナニカ、違う、人が駆けてくる足音が聞こえてきた。
振り返ると、向かってきていたのは旭だった。大して消耗したようでもなく、別れる前と何も変わらない姿だ。……いや、あの剣あんなに禍々しかったか? なんかオーラみたいなの出てるし。
てか速っ、もう目の前まで来てるんだけど。オレよりも速くないか? 少なくとも全力のオレと同じ以上はスピード出てるし、やっぱすげえんだなあいつ。
そのまま部屋に入ってきた旭は天野さんと何かを話していたが…………どうやらマズイことが起こってるらしく、天野さんの顔色がみるみる悪くなっていく。
やがて旭は大ホールの方へ向かい、天野さんはその反対、つまり旭が来た方向へと向かって別れた。しかし旭の表情は硬いままだし、天野さんは天野さんで何かを決意したような表情に変わっている。
そして数秒後、旭の合図で二人は駆け出した。
オレたち新人は蚊帳の外のまま状況は進み続ける。
旭はオレの目でも捉えられない速度で大ホールの方へ飛び込み、天野さんは半透明で人型のナニカの気を引くために拳銃を発砲した。そして、その発砲に応えるように新手の奇心体は光る球を放ってくる。
あれはマズイ、と本能が警鐘を鳴らすが、天野さんは身動ぎ1つせずに立ち尽くしている。
いや、違う。動けないんだ。あの光る球の進路上にはオレたち新人もいる。だから天野さんは避けずに立っているんだ。だがこのままじゃ天野さんは死ぬ、気がする。
確証はないけれども。
助けに行くべきだろうか?
あれに当たったらタダじゃ済まないというのは直感的に伝わってくる。しかしこの状況に気付けているのはオレだけ。旭は離れているし、他の皆は混乱して眺めているだけ。
やれるか? オレにアレをどうにか────
『あなたなら大丈夫。きっと私の時みたいに救えるよ。だってあなたは、私の……………』
誰かの声。優しくて、胸が締め付けられるような声。
気が付けば駆け出していた。『どのように』や『そもそもできるのか』といった疑念を抱く間もなかった。
あるのは漠然とした『救けたい』という願いと『できる』という確信、それと喜びのような、懐かしさのような不思議な感情。ただその思いに、願いに従って走る。
どうにか着弾までに間に合わせ、そのまま本能的に腕を引き絞る。同時に自分の胸の辺りから何かが湧き出て手を包むような、感じたことのない不思議な感覚が走る。
乾坤一擲。
違和感を振り切って突き出した拳はそのまま光る球に触れ、遠くの方へ弾き飛ばした。
今のは一体……それにあの声は誰だったんだろう、初めて聞くはずなのにやけに懐かしく感じた。
しばらく呆然として手の平を眺めていたのだが、旭の「良くやった」という声でようやく意識を戻した。
危ない、さっきの間に再度攻撃されていたら対処できなかったかもしれない。とりあえず体の前で拳を構えたが……前を見るとそこには既に旭の姿が。
いつの間にあそこまで移動したんだ?
もはや黒い竜巻のように残像を振りまきながら斬撃を飛ばす旭だが、しかし口角が僅かに上がってるようにも見える。……なんか良いことでもあったのかな。
数秒後、痙攣さえしなくなった哀れな幽霊を足元にしながら剣を鞘に納め、旭はこちらへと振り向いた。
あの黒い剣からは靄のようなものは消えたはずなのに、乗り移られたかのように幽霊にはまだ黒い靄が纏わりついている。あの様子じゃ完全に無力化されてそうだな。
……でも、アレにへばり付いてる黒い靄は旭の剣とは毛色が違うようにも見えるんだが。
ううむ……。
「鬼一君!? 無事なの? てか一体何やってんの!? あれに当たったら死んでたんだよ!? てかさっきの何!?」
おっと、考え事をしてたら天野さんに心配されてしまった。しかしどう説明したものかね、まさか馬鹿正直に「できると思ったらあんな不可思議なことができました」なんて言っても信じられないだろう……し…………。
いや、目の前にもっと不可思議なことしてる奴いたわ。剣一本で人外を圧倒するやべぇ奴が。
「あー、特に何ともないんで大丈夫っす。で、さっきのは────誰かに『できる』って言われて、オレもなんかそんな気がしてやったらできたんです。ん-、でもあれ誰だったんだろ?」
という訳で一切ごまかさずに告げてみたが、オレの回答は気に召さなかったのか天野さんは呆れたような表情のまま動かなくなってしまった。
あれれ、いけると思ったんだけどな。
天野さんはそのまま動かなかったが、かわりにすごい剣幕で旭が駆け寄ってきた。
「はぁ!? お前できるか分かんねぇのに突っ込んだのか!? しくじったらどうするつもりだったんだお前、あれは普通に死ねたぞ!?」
しかもさっきまでの冷静さが嘘のように取り乱している。なんかウケるな。
てかこいつ、ぶっきらぼうな態度だったけど普通に良い奴じゃん。でも人のこと心配してここまで取り乱すのはウケる。ずっと「仕事には関係ないだろ」とかクールにキめてたせいで2割り増しぐらいでウケる。草。
思わず笑いがこぼれてしまった。
あー、最近腹から笑うこと多いなぁ。親近感とか関係なしで普通に仲良くなりてえな。揶揄うといい反応返してくれるし。
少し足早になった旭の隣に並びながらそんなことを考えつつ避難を再開する。でもエレベーターホールまではもう少しだし、ここまでくれば流石に何もないだろ。
なんて大ホール前の角を曲がり、オレは足を止めた。
それとほぼ同時に、旭も足を止めた。
オレたちは先頭にいたせいで後ろが詰まり、他の皆から怪訝な顔を向けられるが、進むわけにはいかない。原因は目に見えるほど単純なものだった。
旭が処理したらしい3体の奇心体から黒い、靄のようなナニカが出てきている。でも、あれは黒い剣のやつが残ってるとかじゃない。明らかに中から滲み出て、大ホールの方に流れ出ている。
さっきの光る球の時なんか目じゃ無いぐらいはっきりと本能が警鐘を鳴らす。あれは確実にヤバい。というかあれ、前にも見たような────
────ッ! 連想された記憶から後ろを振り向くと、そこには予想通り同じように黒い靄を出す半透明の人型が。心なしか大ホール手前のやつらよりも濃い気がする。
しかもそれも天井近くまで立ち上り、そのまま大ホールの方へ続いている。目を凝らせばさらに奥からも流れて来ているようだ。
「鬼一。どう見える?」
「確実にヤバい。それに、どうやらあの3体だけじゃなさそうだぜ」
「同感だ。天野、新人を連れてさっさと下がってくれ。……それと、応援の要請を頼む」
「っ、分かった。さっきから負担ばっかかけてゴメンね。ウチに力がないばっかりに……」
「構わん、それよりも急いでくれ」
天野さんは必ず間に合わせるから無理はしないで、と呟くと皆を連れて動き出した。だが、どうにもマズイ予感が拭えない。
「オレも残るよ。時間稼ぎぐらいなら手伝える」
「鬼一君っ!? 一体何言って……」
「……動けるのか?」
「いける」
「オーケー、なら残れ。天野、さっきのは見たろ? コイツは俺と同じ不可思議を操れるタイプだ。安心しろ、死にかけたらさっさと逃げさせる」
渋々ながらも天野さんは認めてくれたようで残りの皆を連れて走り始めた。ここまでの情報量で頭がパンクしているのか誰も文句を言わなかったのは助かったな。
「さて、どうするよ? ブラザー」
「一旦あいつらが大ホールを抜けるまでは様子見だ。あとあまり巫山戯けるようならさっさと避難してもらうぞ」
「ハッ、肝に銘じとくよ」
初めてなのに随分息の合った掛け合いをしつつ、天野さんたちが避難するのを見守る。あともう少しで大ホールを抜け切────
「「走れッ!!!!」」
叫び声はほとんど同時に上がった。
「AAAAAAAAhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!」
そしてその数秒後、寄り集まったナニカの絶叫と共に大ホールの天井は崩落した。