車に揺られる間のオレは感傷を持て余していた。さしづめ心の瘡蓋に触れるか触れまいかと言ったところ。
『銀狼隊を出せ。望月朔兎を出せ』
現在急行している街では、一人の能力者がそう叫んで暴れているらしい。オレの傷とはその者の不在である。
望月朔兎は消えた、そう告げに行くのが銀狼隊戦闘部であるはずのオレに課せられた的外れの役目だ。理由としては先ず、自衛手段を持つ隊員が前提にあるということ、加えて今の銀狼隊は以前と比べ三分の二の規模であるということ。
これは月桜学園卒業式から二日経った、新月の日のこと。
背もたれに身を預けて、重苦しい天井を仰ぐ。夜道を走る車内の重圧感に耐えかねて戦闘部を辞めるという人も何人かいた、これから待ち受ける畑違いの依頼を考えれば分からなくもない感情だ。
停車すれば、銀色の車両を背にしてオレは走る。本当は歩きですら迫る目的地に辟易するけれど、既に建物が被害に遭っている、ものぐさで目を背ける訳にはいかなかった。
奔走するオレの背中を、今になって想像してみる。
オレは三年生になる。かつての隊長が見る事のなかった最後の春へ挑むのだ。
街の警察に案内されて向かえば、都市部の中でも店や住宅が比較的少ない地形だと分かった。その人物を囲む盾持ち、そのヘルメットには畏れのような緊迫感が貼られている。半径は何十メートルそこらで、その囲いが市民を護るというただの絵面なのだと、悪く解釈してしまう。
それも仕方のないことだと思う。中心にいる人物、正確に表現するならば──半人半鬼は、決して易々と相手出来るものではないのだろうから。
目が合う。半裸の男性、その病的に赤い皮膚は攻撃的な印象を与え、切れ目な瞳が認識を助長させる。
オレが何を言うまでもなく、男は口を開いた。
「居ないと言うのか、望月朔兎は!」
「あぁ。だから、オレが代わりに来たんす」
警備部隊の作った正円へ歩み入る。リングのような空間へ半鬼と二人きり、相対した距離は既に間合と化す。
見開いた赤い瞳が目を背けたくなるほどの眩しい怒りを放ち、拳の合間から紅い血を流した。オレの前面全てが敵と錯覚させる存在感、威圧。先代隊長と似ても似つかない闘志は行き場を彷徨い、やがて、暴発した。
大地が爆破されたように破壊され、そこを中心に揺らぐ。震源は半鬼の足元だった。
音に弾かれ、迫る拳を右に避ける。奴は左足を軸に地面を薙ぎ払う回し蹴りを放ったが、後方へ飛び退く程の猶予はあった。技のキレは驚異的ではない、問題は、故の妄執だろう。
「代わりだと。彼奴の代わりに成り得るのだと。宣うのは大概にしろ」
「オレじゃあ巻き込む。皆さんは引いてくださいっす! 大丈夫。街の人には、怪我一つさせませんから」
「彼奴は背中で群衆を散らしたぞォ!」
空へ振り上げた右足が、躊躇いなくオレへ振り降ろされる。性別を乖離した異次元の柔軟さは跳躍力と相まって奇襲になり、他方を意識したオレは反応が遅れた。退避する部隊の人を意識し、前方側面を抜けようと駆ける。
踵落としは空を切り、しかし地上へ命中する。
空気もコンクリートも爆ぜ飛び散り、熱風が出遅れたオレの背を焼く。衝撃に乗り、意図せず移動には成功するが、共に並ぶコンクリートの破片が突き刺さりでもしたらと思えば背筋も忽ち冷える。
「誰もあの人自体になるなんて、言ってねえっすよ」
もしも志すのなら、爆風に追いつかれた時点で落第だ。なんならそれ以前──次期銀狼隊隊長を襲名出来なかった時から、彼になることなんて叶いもしない。
「なら消えろ」
絶対零度の声色で煮え滾る怒りが、半鬼の口から際限なく湧き出てくる。しかし、この男のことは望月先輩から一言たりとも聞いたことはない。彼の怒りの火口が一体どこなのか、近付けば焼け爛れるとしても気になってしまう。
再び爆裂的な突進が来るより先に言葉を選ぶ。きっとこの半鬼はただ暴れたいだけじゃない。理性があり、求めるものがあるのだろうから、オレの言葉には乗ってくるはずだ。
「なんで望月……さんを、もう隊から居なくなった人を呼ぶんすか」
地脈のように巡る血潮は、依然として彼の額に浮き出ている。けれどその目付きは途端に猜疑へ変わった。そうか、確かにそうだ、銀狼隊でもない者が、あの事を知る由はない。
「学生の身であるから、だと。腑抜けた事を言う、彼奴は自身が呼ばれたなら斜光のようにやってくるだろう」
「卒業じゃないっすよ。あの人は、今から一年前に隊を、学園を去った」
そう。痩せた木々を風が笑う、冷たく恐ろしい冬の日。二人の隊員が銀狼隊を去った。
大規模な戦闘の真っ只中だった。消耗戦にも近い、不毛な正義のぶつかり合い。オレと、同じ小隊の面々は撤退戦をどうにか収めて拠点に戻っていた。
医療部に施されて傷を癒しながらも、致命的な戦力の欠損をどう取り返すかで小隊は苦難していた。少し前に行動を同じくしていた望月隊長は、殿を務め、未だ合流は叶わない。
彼がただでやられる想像なんて出来ないが、攻勢に出る上での懸念が幾つも増えたのは否定しがたい事実である。
休息と作戦会議を兼ねた時間、拠点に通信が入った。高熱の反応がまっすぐ拠点へ向かっているとのことだった。炎の推進力と自身を覆う鋼化物質による、隊長十八番の高速移動とそれは合致を見せた。
「俺が出迎える。お前らは待機だ」
小隊を率いる男が告げる。これが、皆の聞く彼の最後の言葉だった。
心を侵された望月隊長は彼を殺めて帰って来た。それから間もなく、大規模戦闘は幕を降ろしたが、同時に望月朔兎の隊長という時間も終幕を見せたのだった。
今にして思えば、小隊長の見せた険しい顔はやはり不自然だった。後悔なんて何時間でも足りないくらいだ。
望月朔兎が去っていく背中を、掴むどころか、見る事もなかったのだから。
「戯言だな」
「無理もないすけど、本当の事っすよ」
「違う」
半鬼は言葉の数々を切り伏せていく。彼の秘める真意に気付こうにも、煙に巻くとは違う噛み合わなさの前には滞りが生じた。これはその人物本来の価値観からして、先ずオレとは違うのだろう。
「貴様はその言葉で俺を改めようとさせたのか? 人の行ないを説くことで、俺を変えようと?」
こめかみに力が入る。不快感に似た感情だ、このまま喋らせたくはないと感じるような、こう、触られていやな箇所を優しくさすられているような苛立ち。
「他人の行ないで他人を変えようとするから貴様は木偶なのだろうなァ!」
「お前が分かってねえから言ったんすよこの癇癪持ち!」
周囲に護るべき者は居ない。ようやく本領発揮だ、身体を巡る脈の全てが目を見開き覚醒する。
放電。語るべくもないそのままの能力なんて肩書きは、既に過去のものだ。
爆破と共にオレへ迫る半鬼、真横へ垂直飛びをするような人間離れの猛追は二歩目で軌道が変わる。左足で地を弾く際に再び爆裂し、オレの頭上を追い越すような跳躍を見せる。
瞬時に視界へ消えた男は決して逃げた訳じゃないはずだ。振り向きの時間が惜しい、後頭部一点読みでガードする。
「ぐっ」
掌が爆ぜた。確かに読みは合っていて、宙返りの過程でオレの頭部に放たれた蹴りを受け止めることは出来た。問題はその後、脚を用いた衝撃で発生した爆脚による爆発。
つまりは防御不能、二段構えの脚撃術。
仰け反った勢いのまま振り向き体勢を整える。再びオレらは睨み合った。攻勢に出ようにも掌の焼ける痛みで、満足に握り締められない。尤も攻勢に出る動機はある、なにしろ防御不能とは、オレの十八番なのだから。
鬼の力を持ってしても帯電する身体へ打撃を振り抜くのは至難だろう、事実人間の腰の入っていないガードで充分威力を抑えられている。問題も、敗北もない。
「禿げたら面子ないんすけど」
「力の介在しない面子に固執するか」
「あぁもう、話通じねえ。そうじゃなくて──!」
一層放電の勢いを強める。猛る意気に比例した能力は既に、二年前のキャパシティとは比べられない程。言うなれば、漸く能力を自分の身体のように扱えるようになったところだ。全く遅すぎるが、間に合ってよかったとも言える。
「お前程度にしてやられちゃ、次期戦闘部部長の名が汚れるってもんなんだよ!」
「──貴様程度が、頭目の右腕だと? 堕ちたな銀狼ッ!」
半鬼は三度目の猛追。今度は早い段階で左足が踏み込み、絵に描いた稲妻のように直角の蛇行でオレに向かってくる。確かに不規則的な加速とテンポは恐ろしいが、結局向かってくるなら話は単純だ。
いや、単純か?
違うそんなの、そんなのは楽観だ。舐めてかかれない理由など、望月朔兎と相対して畏れていない事実が余りある根拠だろう。
格闘戦最強を欲しいままにした攻防一体の能力にあぐらをかいて、それで何を掴み取れるというのか。攻めて勝つ、それがプライドを守り切る為の前提条件だ。
「せぁぁぁっ!」
小刻みに跳ねてから、オレも素早く地面を蹴り飛ばす。幾つかフェイントを構えた後、水切り石のように子気味よく跳ね飛ぶ半鬼の行く先を予測し、回し蹴りを置く。正面からのぶつかりあいじゃ分が悪いのは依然として変わらない、動きを先読みし、後に引かない接触部位を選んで押し付けてやる。
旋回する身体が衝撃と共に逆転するが、爆裂的な痛みは生じない。間合を違えた奴は蹴りを放てず腕が出たと言ったところか。それでも体幹を崩す程の膂力を振るうのだから末恐ろしい、勢いをいなし損ねた分は手を付いて体勢を直す。掌とコンクリの摩擦が瓦礫も巻き込み痛みが騒いだ。
痛みに途切れた集中の隙間、その蹴りは入り込んできた。
屈した姿勢に放たれた銃弾のようにまっすぐな蹴り。咄嗟に十字の腕で顔を護るが、蹴撃後の爆破に弾き飛ばされた身体を受け止めるものがない。平坦な地面を乱回転する。
「話にならなければ相手にもならん。静電気で竦むと思ったか」
「ってぇな、くそ。加減してんだよこっちはさ」
「この期に及んで見苦しい。ハリボテの立場が敗北を認められないか」
「大事な立場だから、お前をただ倒す訳にゃいかねぇんだって」
じゃなければ、オレは声を掛けるまでもなく
あの人が護ろうとしたのは意志、そして尊厳のはずだろ。
「もう、さっさと聞くよ。お前はどうして、あの人に怒ってるんだ」
起き上がる最中、見上げるように半鬼を睨む。奴は豆鉄砲に撃たれたように笑っていた。
「見当違いだ。それは。俺は、彼奴以外の全てに怒っている!」
俺の世界には力しかなかった。弱い力と強い力、その二つによる絶対的二元論に生きてきた。
俺の世界の
目につく力を全てねじ伏せてきた。一時的に敵わないことはあっても、俺の生涯で真に勝てなかった奴は一人を除いで存在しない。
それが、高校一年生の
「要するに、憧れたんすね」
「それを確かめる為に彼奴を探した。二年振りの天下で真っ先にな」
結局は望月朔兎という光に焦がれた一人なのだろう。問うべきことは聞いた、仕舞いにしてしまおうか。
息を薄く研ぎ、臨戦態勢を取る。前傾姿勢で構えた直後、半鬼の口が動く。
「貴様は」
身体が止まる。今までの何よりも不意を突かれた。
それが問いなのだと理解するのには少し時間が掛かった。
「あの人は背中で群衆を散らした。でしたっけ。……オレも望月隊長を追い駆けたんだ、行動で示すのが道理ってもんすよね」
腕は死んだ。水平に上げる事もままならない、これじゃあ照準を合わせる事が出来ない。それでも余る程、オレはあの人から力を貰った。問題なんて一つもない。
この技は、あの人から学んだ、オレを突き通す技だ。
「一瞬っすよ。だから、
全身が奮い立った。打ち倒すべき敵を見据えるとたまに武者震いが起こる、その度オレは、全身から毛皮が生まれたような錯覚を覚えるんだ。その時だけは、オレもかつての隊長のように、誰かを照らす狼になったと思い込める。
そうだ、思い出せ。名前も知らない半人半鬼、お前は、誰にどう負けたのかを。
神経の隅々、細胞の一つを探るような途方もない精神探索。皮膚の外側、無いはずものを有ると思い込む。
原点は焔。赤く猛る炎熱を手足のように振るう実像。
起源は雷。刹に奔る雷電を導線のように伸ばす空想。
常にオレの先に居る電気に、オレを引っ張らせる。
オレの身体は雷雲から離れ、はじき出された稲妻なのだと錯覚する。そうだ、オレを連れていけ、雷の速度で、オレ自身が雷のように猛る為に。
「雷速」
半鬼に溜められた電荷へ、稲妻と化した身体が一直線に放たれた。
「ッ──」
人の身が壊れて然るべき迅速で衝突された半鬼が、肺の空気を全て吐き出し吹き飛ばされる。なんてことない当身だ、文字通り、質量を兼ね備えた雷の当身。
副作用はすぐに来る。速度に基づいた衝撃は雷が緩衝材のように吸っているが、全身に弾けた痺れる痛みは代償だろう。尤も、オレですら動けなくなる電撃を、衝突と共に喰らっているのは眼前で伸びた半鬼なのだが。
「雷雲が太陽に憧れてどうするんだって話っすよ。オレは、あの人みたいに、オレ自身のプライドと意地を突き通すっす」
成りたいのは人を照らし続ける尋常ならざる陽光じゃない、見え隠れする抑止の雷雲だ。
残光があの人の明かりに屈しない悪者を咎められるように。
かの太陽じゃ届かない日陰へ、明かりが届くように。