愚かな化け物に、一筋の光が差し込む話。

※エステレラ望郷国の国民の事前知識が多少あると、もっと楽しめると思います。

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猫の逃亡録

それは、ある日の朝方のこと。

特に何か事件がある訳でもなく、いつも通り、欠伸が出るほど平和な一日であるはずだった。

 

 

 

 

……己を狂わせる不安、恐怖、捕食本能。

猫は、日々じわりじわりと自我を侵食してくる本能に怯えていた。

 

 

周りと交流する余裕は失われ、最近は、人前に出てもすぐに帰っていくようになった。

愛する祭事国家の国民の匂いでさえ、"食べ物の匂い"としてしか認識ができず、もう、匂いだけでは誰か理解することもできない。

 

そして、今日に関しては、自分の部屋から1歩も出ていない。

昨夜から今日まで、絶えず空腹に苛まれていた。

 

……猫はお守りとして持ってきたキーホルダーを握りしめ、部屋の隅でうずくまる。

今日は、乱してしまったお洋服を直してもらいに出かけるつもりだった、が……。

これでは、とても外には出られない……。

 

 

 

 

 

それから数十時間して、夜が来た。

もしかすると何日か過ぎているのかもしれないが、とにかく、かなりの時間が経ったのは間違いない。

床にうずくまり、必死で本能を落ち着かせようとしてはいるものの、一向に衝動が収まる気配はなかった。

 

このままでは……今日こそ本当に……、食べてしまうかもしれない。

 

 

もう、既に理性が欠けてきているのを感じる。

 

最終手段として、自決して転生するという手もあったが、これだけ引きこもっているのだ。

当然探索に出ている姿も見せていない。

それなのに神殿から出てくるのは、いくらなんでも不自然だろう……。

 

判断力も鈍ってしまった頭のまま、猫は外へ出るため体を起こし、武器や防具の類をとにかく全て床に置いた。

文字通り……何があっても、まともな抵抗ができないように。

 

人型から猫へ戻り、部屋から飛び出す。

 

 

……なるべく、遠くに行こう。

 

遠くて……、人のいない所に。

 

 

そうして猫は、真夜中にたった1匹で外へ出ていった。

 

 

 

 

……どれだけ走ったのだろうか?

ここは、どこだろう……?

 

そう、猫は迷子になりやすい。

景色を覚えることが苦手な上に、いつも変なルートで目的地へ向かっている為である。

 

 

息を切らしながら、周りを見渡す。

既に朝方で、レストランド大陸を抜けており、今はどこかの国の横にいることは、余裕のない猫でもわかったらしい。

 

 

……もっと遠くに行かなければ。ここは、生き物が多すぎる。

そう判断した猫は、呼吸も整えずに再び走り出した。

 

 

そして。

 

あろうことか猫は、かつて旅行し世話になった、エステレラ望郷国の領地へと足を踏み入れてしまっていた。

本猫はまだ、気付いてはいないようだが。

 

周りもろくに見ず、一心不乱に前へ前へ、人の居ない方へ、と走るうちに、猫はエステレラの深い森へ迷い込む……。

 

 

 

 

……ここは、エステレラ望郷国にある森。

猫の記憶の限りでは、住んでいるのは確か、猫を案内してくれた妖精と……、

 

 

"?"

 

不意に、猫の視界に人影が映り込む。

 

「あれ…お客猫?」

 

まずい。よりによって、喋る生き物だ。

 

それが誰かまでは、もう猫にはわからない。食べれるか、そうでないかも。

ただ1つ、確かにわかることがあった。

 

 

……私は、この声を、匂いを、知っている。

 

知っているということは、尚更傷付けてはならない。

傷を付けてしまう前に、早くここから去らなければ。

 

さもないと……、

 

「久しぶりだネ…また来てくれたの?」

 

一言も喋らず立ち尽くす猫に、彼は近づいて行く。

あと2、3歩で猫に手が届くだろうか、というところまで近づいたその時。

 

"ダメ、避けて……!!"

 

衝動を抑えられず、悲痛な叫びと共に、猫は機械の体に飛びかかる。

鋭い爪はギリギリ躱され、被害は彼の服を掠める程度に留められた。

 

「お客猫……!」

 

次の言葉も待たず、猫は腕を食いちぎろうと言わんばかりに食らいつく。

 

とはいえ、相手は機械の体。

なぜか一切抵抗されないが、さすがに猫の牙では太刀打ちできない。

 

 

…………何かいけない事をしている気がする。

 

 

多少正気を取り戻した猫は、1度離れて着地した。

 

 

「どうしちゃったの…どこか辛いの…?」

 

"ヴヴヴ……"

 

 

目の前のものが何で、誰なのかはよくわからないが。

声を知っていて、嫌な声だと思わないという事は、きっと猫に優しくしてくれた生き物のはずだ。

 

なら、ここからは逃げなければならない。

私は、何も食べたくは……、

 

……。

 

 

……おなかが……すいた……。

 

 

ああ……そんなのダメに決まってる。

とにかく、ここは多少乱暴してでも、どいてもらおう……!!

 

猫は一瞬猪サイズの大きさに姿を変え、彼に突進する。

 

普段の友好的な振る舞いを見ていると忘れそうになるかもしれないが、腐っても猫は怪異だ。

大きさを変えることなど、容易に出来るらしい。

 

彼を跳ね飛ばし、大きさを戻すと、その勢いのまま、猫は森の奥へと駆けて行った。

 

"……カロくん、ごめんね……"

 

ふと、そんな言葉が自分から零れた。

何故その名が出たのか?猫には考える余裕もなかった。

 

 

 

 

一方、彼……いや、カロは、思いっきり木に体を打ち付けられていたが、無事ではあったらしい。

カロは体を起こし、少し猫の様子を思い返す。

 

「お客猫…なんだか…苦しそうだった…」

 

あの子は、1度とはいえ国に来てくれた、大切なお客猫だ。

(何か…してあげられることはないのかな…。)

と、居ても立ってもいられなかったカロは、なるべく大勢に手を貸してもらうため、望郷国の国民たちを探し始めた。

 

 

 

 

カロが国民たちに助けを求め始めた頃、猫は森で迷っていた。

 

走っても走っても、どうも森から抜けられない。

これは、悪意があると見なされたせいなのか、はたまた方向音痴のせいなのか……。

定かではないが、猫は、自分が同じ所を走り回っている気がしてならなかった。

 

生き物を見かけないこともあって、国を飛び出した時と同じくらいの理性は取り戻せてきた。

 

と言っても、錯乱している事に変わりないので、状況が変わるわけではない。

空腹に抗う辛さに加えて、森から出られない事から来る不安も顔を出し始めた頃……猫はようやく違う景色を見る。

 

……しかし。

 

「……あっ!やっと見つけた!如月さん、大丈夫?」

 

違う景色を見れた安堵も束の間。

 

一口で食べることが出来てしまいそうな程、小さな妖精が姿を現した。

迷っているのを察知したのか、はたまた悪意を感じ取ったのか、どちらだろう。

 

聞き覚えのある声でなにか言っているが、それどころではない。

猫は、とにかくさっさと森を出たいのだ。

 

"あ、わた、し、それどころ、じゃ……、"

 

言葉を詰まらせる猫に対し、妖精は腰に両手を当て、自信ありげに言う。

「大丈夫!また私が出口まで案内してあげるよー!さぁ、私と一緒に行こうっ!」

 

妖精がこちらに寄ってきた瞬間、ふわりと美味しそうな匂いがする。

取り戻した冷静さを失うのに、時間はかからなかった。

 

……あぁ……。

 

美味しそうだ、だけど、私はだれも食べたくない。

 

……こんなにおいしそうなのに、どうしてだっけ?

 

なにか、理由があったような……そう、理由が……、

 

 

理由もまともに思い出せないほど薄れた理性の中。

 

とにかく、こんなのはダメだ……!

 

そう思った猫は、妖精を前足で思いっきりパンチした。

 

「きゃーっ!?」

 

とても小さい体なせい……いや、おかげと言うべきか。

妖精は勢いよく吹き飛ばされてしまったが、そこは草むらだった。

 

小さな妖精にとっては、草むらなどほとんど布団のようなもの。

どうやら彼女は、かすり傷と、多少の体の痛みだけで済んだようだ。

 

「いたた……ちょっとっ!なにするの……あれ?」

 

妖精は草むらから飛び出し怒ろうとしたが、そこに猫の姿はなかった。

どこに居るのか、感知することも出来ない。

 

まさか……私が動揺した隙に森から出ちゃったの?

 

早く知らせないと、大好きな国のみんなが危ないかもしれない!

と、妖精……てーらは焦って森を出た。

 

 

 

 

昼時。逃げ出した猫は、妖精の予想通り森を抜けていた。

 

この場から離れたいが、また森へ戻るのは嫌だった。

なので、猫は仕方なく、そのまま人気のなさそうな畑の方へと走る。

 

……しかし、その先には、畑で作業をしている真っ最中の守護竜がいた。

 

 

生き物がいるとも知らず、猫は畑へと駆け込む。

猫が走ってきたのに気が付くと、彼は手を止めて立ち上がり……、

 

「おや……?如月ではないか。久しいな。また旅行に来てくれたのか?」

と、こちらを向いてそう言った。

 

 

……食べてはいけないとは、わかっている。

頭ではわかっていても、食らいつこうと動く体を、止めることは出来なかった。

 

「どうした?作業の邪魔をしたかと気にしているのなら、気にする事はない。丁度休憩をしようと考えていたからな。」

彼は固まる猫に優しく微笑み、少し撫でようと手を伸ばす。

 

 

……こんなにおいしそうなものを……我慢できるはずがない!!

 

 

撫でようとするその手をすり抜け、後ろに回り込んで飛び付くのは竜の尻尾。

誰かが言っていた……竜は尻尾が美味しいんだと。

 

……どうして、これが竜だとわかったのだろうか?

 

 

鱗を剥がすのも面倒くさいと、美しい鱗ごと食べるつもりでかぶりつこうとした。

 

 

が。

もう少しでありつけるというところで、体が反射的に口を閉じてしまう。

 

 

「なっ……」

彼が僅かに目を見開く。

鱗が3枚ほど剥がれ、ポロポロと地面に落ちた。

 

「どうしたのだ、いきなり……。……ふむ、遊びたかったか?それとも、鱗が欲しかったのだろうか。」

 

"……"

 

なぜ今食べるのをやめたのだろう。

なぜ食べてはいけない気がしたのだろう……?

 

わからない。分からなかった。

 

この罪悪感は、私を急かす気持ちは、どこから……?

 

 

「どちらにしろ、今のは少し危なかっ……」

 

"ごめ、なさい……!"

 

 

言葉を絞り出して、その場から逃げ出した。

そうしなければいけない。なぜか、強くそう思った。

 

 

 

 

「む……行ってしまった……少々厳しく言いすぎたか……」

猫が走り去ってしまったのを見て少し落ち込む守護竜……ミハイル。

少し尾が垂れ下がり、落ち込んでいるのが見て取れる。

 

……そこへ、1匹のドラゴンがやってきた。

 

「ミハイルさぁ〜ん……!だ、大丈夫ですか〜っ!?」

息を切らしながら、トテトテとミハイルに近付いてくる。

 

「……む?三上?一体どうしたのだ?」

 

「はぁ……はぁ……じ、実はっ、カロさんからっ……如月さんの様子がおかしい、苦しそうだ、って……聞いたんですがお〜!それでっ、……心配だから、一緒に探して欲しい、って言われて、探しに……来たんですがお。」

三上と呼ばれたドラゴンは、焦った様子でそこまで話す。

そして、三上は1度乱れた息を整え……それから、少し落ち込んだ様子で話を続けた。

 

「でも、如月さん、ちっとも見つからなくって……困ってるんですがお……。」

 

「……ふむ……そうか。なるほど……。」

……先程の彼女を思い出す。

彼女は、苦しんでいたのだろうか。あまりそうは見えなかった、が……。

カロや三上がそう言うのなら、そうなのだろう。

 

少し思案した後、ミハイルは猫の行き先を告げる。

「如月なら、先程まではここに居たのだが……住宅街の方へと走っていってしまった。」

 

「え〜っ!?住宅街に!?今すぐ追いかけて探さないと、みんなが大変ですがお〜!!」

それを聞いた三上は、このまま今すぐにでも走って探しに行きそうな勢いで焦り出す。

 

「ならば、私も探しに行こう。」

と、ミハイルが言うと……、

 

「ありがとうございますがお〜!ミハイルさんも手伝ってくれるなら心強いですがお〜!」

三上はたちまち笑顔になり、嬉しそうにしている。

 

そして、心強いと言われて嬉しかったのだろうか。ミハイルの尾の先が揺れている。

 

喜んでいたのも束の間、三上がはっとしたような顔をする。

「あっ!でも、こんなに広いのに、どうやって探せばいいんでしょうがお〜!?」

 

悩む三上を見て、ミハイルは再び思案した後、ひとつ提案した。

「……そうだな……二手に分かれて探す、というのはどうだろうか。違う方面を探せば、見付かりやすいのではないかと思ってな。」

 

「なるほど〜!その手が!じゃあ、そうしましょうがお!」

 

「うむ、わかった。それなら、私は西の方角を探すとしよう。くれぐれも、油断しないようにな。」

三上の言葉にミハイルは頷き、住宅街の方へと歩を進め始める。

 

「わかりましたがお!なら反対の方へ、猫ちゃんを探しに行きますがお〜!ミハイルさんもお気を付けて〜!」

そうして、それを見た三上も、ミハイルの後を追って住宅街へと向かっていった。

 

 

……2人が捜索を始めた頃、カロやてーらによって、国全体への情報伝達が完了した。

一般国民たちと、猫を1人で対処できそうにない者は、家や安全な屋内へ避難し、そこから出ないようにと知らせられた。

対処の出来る者は、外へ出て猫の捜索を開始した。

 

 

徐々に徐々に、騒動の終わりが近付いている……。

 

 

 

 

 

その頃猫は、前に来た時と違って、一切人気のない住宅街を彷徨いながら、考えていた。

 

 

なぜ私は抑えることを選んだ?

なぜあれを食べずに逃げ出した?

 

食べたくて食べたくて、仕方がなかったはずなのに!

 

……あの場で食らいついていれば、この食欲を満たすができた。

 

……けれど、もしも食べたら、人間は私を生かしてはおかないだろう。

きっと、殺されてしまう。

 

そうしたら……、今みたいに……、苦しむこともなくなる?

 

……つまり……、

 

楽に、なれる……?

 

 

 

 

猫の足が、ぴたりと止まる。

 

ここで動かずにいて……抵抗しなければ、私は……?

 

 

この苦痛を、終わらせてしまうことが……、

 

 

 

「やっと見つけました……如月さん。」

 

猫が咄嗟に振り返ると、そこには……なにかがいた。人間か……。

 

「すみません……少し締め付けられて痛いかもしれませんが、どうかこれで大人しくなってください……!」

そう言うと、おそらく男の人間……魔法使い?は何かを唱える。

 

 

……嫌な予感がする。

 

この時点で猫は、逃げようかと後退りを始めていた。

だが、遅かった。

 

 

放たれたのは、拘束魔法。

複数本のロープが猫へ迫り……そのまま猫の四肢を縛り上げてしまった!

 

"ヴヴヴ……ヴヴ……!"

 

食べ物が目の前にあるというのに、動くことも叶わない。

お肉食べたさに必死に暴れるが、冷静ではないので、普段は解けるはずなのに、一向に解ける気配がない……。

 

「何とか捕まえられましたね……しばらくそのまま大人しくしていてくださいね、悪いようにはしませんから……」

そう言いながら、彼は動く気を無くした猫へ近付く。

もう逃げたり暴れたりすることもないだろう。と、思われた。

 

 

が……固く縛られていたはずのロープは、術者も猫も何もしていないにも関わらず突然緩まっていき、猫は開放された。

 

「な……拘束が勝手に……!一体、何が起きたんです……!?」

 

 

 

猫は、この世界の魔法と相性が悪い。まるで、反発しあっているかのように。

 

……これは、猫が魔法をろくに扱えない理由でもある。

何故そうなるのか、原因は未だによく分かっていない。

 

魔法を扱おうとすれば、大抵暴発するか不発かのどちらかだった。

これは、後のメテオストライクの習得を機にようやく安定した。

……とはいえ、相変わらず他の者が扱う魔法よりもずっと威力は劣っているし、気を抜けば暴発してしまう。

 

そして、本題。猫が魔法を受ける場合。

それが例え害のない回復魔法であろうと、猫に触れると5割ほど効果が落ちる。

攻撃魔法であれば、威力が落ちるのは2割程度で済むが……、

継続効果のある魔法は、やはり想定よりもずっと早く解けてしまうし、本来永続でかかるはずの魔法も、いずれ解けてしまうのだ。

 

今ロープが解けたのは、これが理由である。

 

 

 

呆然とする彼を気にも止めず、猫は未だ足元に緩く絡みついているロープを蹴って解き、彼を見つめる。

 

「今のは一体……魔法を解かれてしまったのでしょうか……?だとしても、なにかする素振りは全く……一体どうやって……」

 

"……"

 

なにがどうなったのかは全く理解できない。とりあえず、実力行使では捕えられないことは分かった。

ここはこれ以上刺激するよりも、対話で何とか落ち着かせる方が堅実か?

いや、こんなに暴れているのだから、もはや対話は通じないのでは……?

 

とにかく……、と、まとまらない思考を切り上げるように、彼は話し始めた。

「如月さん……少し手荒なことをして、すみませんでした。どうかこちらに来てください。大丈夫です、傷付けるようなことはしませんから……」

 

 

……念願の、お肉だ。これはきっと、簡単に食べられる。

 

「如月さん……?」

 

"……。"

 

1歩、また1歩と、猫は……、

 

 

 

 

……後ずさっていく。

 

 

お腹は、空いた。

だが、それと同時に、食べてはいけない、傷付ける前に逃げなければならない。

そんな真逆の感情が、まだ残っていた。

 

 

猫は向きを変え走り出す。そして……、

 

「あ……!!如月さん、待っ……」

 

追いかけようとする彼の方へ今1度振り返り、

"フシャーーーッ!!!"

 

近付くなという思いを込めて、全力で威嚇する。

 

驚き足が止まった彼が、もうこちらに来なさそうなことを確認すると、猫は走り去っていった。

 

……まだ楽になる訳にはいかない。猫はそう思った。

もう誰かは思い出せないが、誰かに……みんなに、悲しまれる気がしたのだ。

 

だから、生き物からは逃げなければならない。

 

けれど……。

 

一体どこへ行けばいい?

 

どこへ行っても生き物がいる。だからどこへ行っても逃げなければならなくなる。

 

一体どこへ行けば、逃れられる?

この衝動を鎮めるにはどうしたらいい?

 

…………誰が私を止められる……?

 

 

 

……止められないのではないか……?

誰も……??

 

 

空腹に加えて不安と心細さが入り乱れて、思考がまとまらなくなっていく。

 

不安定な心は安らぎを求め……無意識に見覚えのある道へと足を進める。

その道は……そう。

エステレラ望郷国に初めて来た時に泊めてもらい、とても世話になったとある夜魔の屋敷へと向かうのに、よく歩いた道だった。

 

 

 

 

 

夕暮れ。猫が夜魔の屋敷へと向かい出してしまった頃。

 

 

「……如月さん、驚いているうちに行ってしまいましたね……。」

そう言いながら佇む魔法使いの元へ、1匹のドラゴンがトコトコ歩いてやってきた。

 

「ヨスガラさ〜ん!!」

 

魔法使い……いや、ヨスガラが振り返ると、そこには三上の姿があった。

「おや、三上さん。……もしかして、貴方も如月さんを探しているのですか?」

 

「そうなんですがお〜!ヨスガラさんは、如月さんのこと見掛けましたがお?」

三上は答え、ヨスガラに猫の行き先を問う。

 

「ああ……、それがですね……気圧されてるうちに逃げられてしまいまして……。」

そう申し訳なさそうな声音で答えながら、

 

「つい先程、あちらへ走っていかれました。私は幸い怪我を負わずに済みましたが、くれぐれもお気を付けて……」

と、猫が走っていった方角を指し示した。

 

「あっちですね、わかりましたがお〜!教えてくれてありがとうございますがお〜!」

三上はにっこり笑ってヨスガラに礼を言うと、指し示された方向へトテトテと走っていった。

 

 

 

「……さて。私もほかの方向から如月さんを探すとしましょうか。とはいえ、先程魔法が効かなかった理由が分からないと、魔法ではどうしようもないかもしれませんね……とはいえ実力行使では敵いそうにないですし……。」

三上を見送った後、残されたヨスガラはどうしたものかと思案を始めた。

 

 

 

 

 

すっかり日も落ちて、辺りがすっかり暗くなった頃……。

猫は無意識に見知った道を選んで走り続け、その結果、夜魔の屋敷へと辿り着いた。

 

 

屋敷の主は、猫の捜索を続ける者達に広場で臨時的な炊き出しを振る舞うため、エステレラポテトを筆頭にその他の食材をいくつかと、調味料・調理器具をまとめた荷物を持って、今まさに屋敷から出る所だった。

 

夜魔が屋敷の扉を開けると、庭に駆け込んできた猫と目が合う。

 

夜魔は驚いたようだが、猫だと気付くと、にこにこしながら話しかけてきた。

「おや……誰かと思えば、君か。ふふ、ごきげんよう。」

 

「こんな時間まで外に居たのだな……。私は、今から広場で手料理を振る舞おうと思っていたところでな。君さえ良ければ、皆と共に食事でもしないかね?」

 

 

夜魔はにっこりと微笑んで、猫の返事を待っている。

 

 

一方猫は、全く話など聞いていなかった。

なぜなら、我慢の限界だったから。

 

 

「……?ど、どうしたのだ……?まさか空腹のあまり喋れなくなってしまったのか……!?」

おろおろし始める夜魔。その予想は大正解である。

 

「こう慌てているだけではどうしようもないな……まだ余力が残っているのなら、肩に乗ってはくれぬか?」

 

と言って、夜魔は肩に乗りやすいようにしゃがんだ。

 

 

 

 

さて、少し話は変わるが、この時"ほとんど"が捜索を切り上げていた。捜索隊にも、休養と食事の時間は必要である。

もちろん、夜魔が猫に話しかけている今も、彼らは休憩中。

 

 

……話を戻そう。

 

沈黙の中、猫が夜魔に飛びかかるため、少し後ろに下がり、助走を始める。

それは当然、肩に乗るためではない。

抗い難く、満たされることのない空腹と、本能を満たすため。

 

夜魔はてっきり肩に乗るものだと思い、一切身構えることも、抵抗することもしなかった。

 

猫が飛んだ、ちょうどその時。

 

 

休憩せずに捜索を続けていた2人のうち1人が、なかなか広場に来ないという夜魔の様子を見に、庭へ足を踏み入れたところだった。

 

 

「おい、シェオル…………って、ウッソだろ……!」

 

猫が夜魔……シェオルに飛かかるところを目撃した彼は、咄嗟にスピードブーストを使用し、猫とシェオルの間に割って入る。

シェオルに飛び付き思いっきり噛み付こうとしていた猫は、シェオルではなく、割って入ってきた彼の手を噛んだ。

 

ゴキッ。

 

ただの猫とは思えない力で噛まれ、彼の左手の骨が折れる音がする。ボタボタと、石畳に血が落ちていく。

 

「っぐ……クソ……!」

 

左腕を振り回し、強引に猫を振り払う。

 

 

ぽかん……としていたシェオルは、ここでようやく我に返る。

「ケヴィン!すまない、私が放心していたばかりに……!」

 

「……いいから、さっさと離れてくれ。引き付けておいてやるからよ」

ケヴィンはそう言って、剣を持つ。

 

「ああ……力になれずすまない。この恩は必ず返すとしよう。」

 

 

シェオルがそう返すと、間を開けずに猫がケヴィンへ飛びかかってきた。

肉をちぎることは出来なかったが、口の中に広がる血液の味は、猫に理性を無くさせ、化け物に変えるのには充分だった。

 

 

日頃探索でモンスターを薙ぎ払い続け、身体に染み付いたその素早い動きは、武器を持たずとも相手を翻弄する。

 

「チィッ!ちょこまかと動きやがる……」

回り込んで死角から、と見せかけて今度は頭上から、かと思えば正面から。

猫は多方面から現れ襲ってくる。

 

しかし、片手が使い物にならないとはいえ、素早さは互角。

剣で受け止める、或いは避けて反撃をする程度の反応は、ケヴィンにとって容易いことだった。

 

1人と1匹は一進一退の攻防戦を繰り広げながら、夜魔の屋敷を離れて住宅街へ。

 

 

……入り組んでいて薄暗い夜中の住宅街は、猫にとっては有利な場であった。

 

今までと比べて、僅かに速度が上がる。

暗闇へ溶け込み、突如として現れ攻撃を仕掛け、再び暗闇へ消える。

まるで奇襲攻撃を乱発するような、小賢しくて厄介なそれは、確実にケヴィンを疲弊させていった。

 

「っだァ、もうッ、いい加減大人しくなりやがれッ!」

 

今までほとんど受けてばかりだった彼が、猫へその剣を振り翳す。

しかしケヴィンは、猫に傷を付けることを躊躇っていた。

迷いの残ったその剣さばきは、猫に隙を与える迂闊な行為であった。

 

 

 

狩りにおいて重要なのは、相手を傷付ける事では無い。

"屠れる程度に弱らせる"のが肝心なのであり、例え過程で傷一つ付けれなくても問題はない。

 

疲弊し、判断が鈍った所へ致命傷を叩き込むことができれば、こちらのものだ。

 

 

 

猫はその安易な隙を産む行為を見逃さず、剣を難なくすり抜けてケヴィンの喉元へ迫る。

 

 

が、それを遮る者が居た。

住宅の屋根の上から現れた彼は、両者が反応出来ないほど驚異的な速さで屋根を飛び降り、二人を突き飛ばし、間に割って入った。

 

 

「痛ッてぇ…………」

ある程度力加減はされていたとはいえ、突き飛ばされて多少地面を転がったのだ。

喉元を食いちぎられるよりはずっとマシだが、痛みは避けられなかったようだ。

 

猫も何が起きたのかさっぱり理解出来ないまま、半ば地面に突っ込むように着地する。

 

 

間に割って入った彼と猫が睨み合うような状況の中、シェオルから何が起きたのかを聞いた複数名がその場に駆け付けた。

 

「ケヴィンさん!お怪我は…………って、手が……!」

ヨスガラはケヴィンを見るなり怪我に気が付くと、大した事……とケヴィンが言うのも構わず回復魔法をかける。

 

「如月さ〜ん!やっと見つけましたがお〜!」

「ここに居たんだね、探してたんだよ!」

散々迷っていた三上も、てーらと共に到着したようだ。

 

「ああ……そんなに泥まみれになって……」

「ふむ、みなここに居たのだな。……ケヴィン、怪我はないか?」

猫の可哀想な姿に耐えられないのかおろおろするシェオルと、消耗戦を強いられたケヴィンを気にかけるミハイルが、やや遅れて現れた。

 

どちらかと言えば、集まった彼らは、怒りというより何があったのかという疑問、或いは心配の方が上回っていた。

 

しかし、猫はそう思われているとは夢にも思っていなかった。

 

 

なぜなら、望郷国の国民に傷を付けて、散々暴れ回ってしまったのだから。

普通、ここまでやってしまったら、もうタダでは済まないし、仲良くすることも出来ないものだと、思っていた。

 

 

「…お客猫…」

最後にやって来たのは、カロ。

ゆっくりと猫へ近寄って、手を伸ばしたが……、

 

 

触れる寸前、猫はカロを気にも留めず、彼……剣帝へ飛び掛った。

 

どうせロクな目に遭わないのだから、最期に食欲くらい満たしても良いだろう。

猫は、そう思ってしまったのだ。

 

 

咄嗟に猫を止めるため動き出そうとする彼等を、剣帝は何も言わず、手で制する。

 

止められて理解が出来ず、動揺を隠せないシェオルや三上、ヨスガラ、てーら。

そして剣帝が止めるのならと止まったミハイルと、正気かよという表情をするケヴィン。

それは、一瞬の出来事。

カロはただ、何も出来ず立ち尽くすばかりだった。

 

そんな周りの様子をよそに、猫はそのまま胸辺りへ飛び付くと、容赦無く噛み付き始めた。

はじめは服が邪魔で一口も食べられなかったが、しつこくやるうちに肌へと牙が届く。

硬い胸筋に無理矢理牙を突き立て、引きちぎろうとする。

 

何度も。

何度も。

何度も、何度も。

 

ヨスガラは耐えられずに目を逸らし、三上はあわあわと慌てふためく。

シェオルも両手で口元を覆い、そっと目を伏せる。

ケヴィンは眉間に皺を寄せ、だから止めようとしたのに、とでも言いたげな顔をした。

 

 

食いちぎられようとしているにも関わらず、剣帝は何も言わず、猫を引き剥がすこともせず、ただ、黙って猫を抱き締めるだけだった。

 

抱き締められたことに気が付いた猫は、当然大暴れした。

猫は躍起になって食いちぎろうとしつつ、抜け出そうと爪を立て、後ろ足で蹴り、前足で引っ掻いた。

 

それでも、彼は決して離そうとしない。

 

 

大暴れした成果として、1口サイズ程度の肉をちぎることには成功した。

食いちぎった肉を噛みしめながら、ようやく猫は違和感を感じた。

 

 

何故、自分は一切止められず、殺されもせず、未だに生きているのだろう。

 

 

 

 

 

暴れていた猫の動きが、次第に弱々しくなっていく。

噛み付く力も子猫レベルかと思うほど弱くなり、やがて、暴れるのを一切辞めた。

 

 

 

……静寂の中、猫は顔を上げ、恐る恐る剣帝の表情を伺う。

 

彼は物悲しげな、けれど、決して傷付けないという覚悟を決めているような、そんな眼差しをしていた。

剣帝はこちらへ目を向けると、目元を若干和らげ、猫をほんの少しだけ撫でた。

 

まるで子供が悪戯をした時のような扱いに、猫は拍子抜けした。

 

 

絶対に許されないと、そう思っていた。

それなのに、こうもあっさりと許されるなんて、意味が分からなかった。

 

"…………どうして……"

 

 

彼が何を思ってそうしたのか、猫には分からなかった。

けれど、2つだけはっきりしている事があった。

 

 

 

ひとつは、自分は許されたのだということ。

もうひとつは、自分を止められる者が、少なくとも1人は存在していたのだということ。

 

 

 

それをはっきりと認識した途端、安堵と罪悪感がどっと押し寄せて。

 

"〜〜〜っ…………"

見開かれた赤い瞳が、次第に潤み、そして……、

 

堰を切ったように、ぶわっと涙が溢れ出す。

 

 

"ぅ……っ、み……みんな……ご、ごめ………、ごめん、なさ……っ……!"

 

泣きじゃくりながら、許しを乞う。

 

 

"わた、し…………ほんとは、他の子を、食べる種族で……でも、わたし、みんな大好きだから……、食べたく、なくって……っ…………、ずっと、我慢して…………でもっ……我慢っ、できなくって……っ、ぐすっ……ごめん、……ごめん、なさい゛ぃ゛…………!"

 

そう言い切るなり、猫は泣き叫ぶ。

 

「…お客猫…苦しかった、よネ…。大丈夫、大丈夫だよ…」

カロは近寄って、そっと猫を撫でる。

 

「私には想像も付かない程、辛かったのでしょうね……。」

剣帝の傷を癒しながら、ヨスガラはそう言った後……、もう夜中の3時なこともあって、流石に限界なのだろう。少し目を擦った。

 

「まァ、……その、なんだ。そんなに気にしてねぇから、安心してくれ……」

そこまで言って、ケヴィンはふぁあ、と大きめの欠伸をする。

 

「ああ……!さぞ苦しい思いをしたのだろう…………うっうっ……」

シェオルはつられ泣きしてしまっているらしく、ハンカチを取り出し、目を覆っている。

 

「はわわ……。難しい事はよく分からないけど、何かあったら必ずお手伝いしますがお……!」

未だにあわあわしつつ、三上は精一杯そう述べ、

「もちろん、私も助けるからね!安心して!」

てーらも胸に手を当ててそう言う。

……自分よりもずっと小さいけれど、猫にはとても頼もしく見えた。

 

「私も、何かあれば助けになろう。みなも手を貸してくれると言っているからな。次からは遠慮せず頼るといい。」

そう言ってミハイルも猫を撫でる。

 

 

あんまり彼らが優しいものだから、猫は余計わんわんと泣いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………それから、夜が明けた。

 

猫はどうも眠る気になれず、泊めてもらっているシェオルの屋敷の窓から、朝焼けを眺めていた。

 

憑き物が落ちたような、枷が外れたような、そんな開放感があった。

……とはいえ、本能は決して無くなった訳では無いだろう。

 

 

けれど、いざとなれば、止めてくれる存在が居る。

助けてくれる場所がある。

 

 

 

"…………だから、もう、だいじょうぶ。"

 

 

そう、自分に言い聞かせるように、猫は呟いて、微笑んだ。


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