英霊召喚
静まりかえった廃屋から、ジョエル・フリードキンは、明かりを灯さずに夜空を眺めていた。
この時期に見られる星空は、息を飲むほどに美しいのだが、今夜は墨色の重たい雲に覆われている。本来なら赤や青、黄色や緑、白や紫の星々が満天に彩られ、いつも戦場から帰ってくる度に迎えられた。
西アジアのアナトリア半島に位置する、この土地は地中海性気候の影響もあり、湿気も少なく暖かいので、このような廃墟でも割り切ってしまえば、難なく生活できる。
不意に屋内から足音が響き始め、ジョエルは手元に置いていた拳銃を手に取る。
「失礼するよ」
声がして、すぐにドアが開けられた。
そこには中性的な顔立ちの男が、部屋の前でこちらを伺っている。
見知った男ではあるが、以前に一度だけ顔を合わせた程度の間柄で、実のところ名前すら知らない。信じるに値しない相手だが、他に『魔術』絡みで頼るところもなかったのと、何よりこの男からは『嫌な感じ』がしなかった。
この男とは数日前に偶然再開し、自身の置かれている状況を説明すると、矢継ぎ早に協力を申し出てきたのだ。
「儀式の準備ができたから、こっちに来てくれ」
言われるがままジョエルは部屋を出て、男の後をついていく。
暗がりの廊下を進むと、縦横五メートルほどはあろうかという、大きな扉までやってくる。
扉はすでに開かれており、奥には地下へと通じる階段がある。その両隅には等間隔でロウソクが配置され、照明灯の役割を果たしている。
「この先は、紀元前(きげんぜん)に人の手によって、岩山を削りだして造られた住居でね。外敵から身を守りつつ、当時の生活水準を満たすというコンセプトだったようだ」
悠長に話しかけてきたので、扉をくぐったジョエルは改めて辺りを見渡した。灰色の岩肌に囲まれた空間は、ジョエルからしてみれば棺桶にしか見えなかった。
天然の山を使用している時点で、鉄骨や鉄筋を仕込んでいるようには思えない。
人の手で掘れるほど脆い岩なら、爆撃や砲撃などの対策がされていないと推察できる。
――棺桶の中で死を待っているようだ。
「霊脈の流れも『開催地』に沿って、しっかり引かれているから、召喚には申し分ない。元はここ、魔術師の工房だったのかもしれない」
ガイドのように観光名所を語るだけかと思えば、今度は魔術師としての見解を述べる。
「――ああいや、造られたのが紀元前であることを考慮すれば、工房というより祭場としての役割が強いね」
「さっきからお前が言っている、キゲンゼンとはどういう意味だ?」
「え……」
男は少し戸惑ってから、すぐに説明を入れた。
「あ――ああ、そうだね。ざっくり2000年ぐらい前って意味だよ」
するとジョエルは「そうか」と返すだけで、特に驚いた様子もなく、淡々と受け入れている様子だった。
階段を下っている最中、隣を歩くジョエルに男は儀式の段取りを説明する。
「君の『魔術回路』の最盛期が午前四時だから、あと七分後になるかな。詠唱は覚えたかい?」
「問題ない」
「そう、なら良かった」
男は微笑むと、視線をジョエルの右手へ向ける。
正確には、その手の甲に刻まれた赤い紋様に――。
「『サーヴァント』の召喚儀式には、その詠唱と君の右手に宿っている『令呪』が、最低限必要になる」
しかし……、と言い淀んでから切り出す。
「本当に『触媒』無しで、儀式を行うつもりかい? 『英霊』の遺物を用いれば、ある程度自分の望んだサーヴァントを呼び出すことができる上、儀式失敗のリスクも限りなくゼロにできる。何より『聖杯戦争』だって、まだ期間に余裕が――」
「何度も言わせるな」
ジョエルは男の言葉を遮り、これまでに散々し尽くしたであろう返答をする。
「自力で触媒を確保できない以上、無駄に時間を使う必要はない。逆にその期間をサーヴァントとの連携に費やした方が、互いの生存率が上がる。サーヴァントは意思を持った『使い魔』なんだろう?」
いつもならばこの問答になると、男から先に引き下がっていたが、今回は違った。
「君の言うことも一理ある。過去、聖杯戦争に関わった魔術師が残した言葉の中に、『召喚したサーヴァントとの良好な関係を構築しなければ生き残れない』というものがあった」
「何が言いたい?」
含みのある相槌に、ジョエルは違和感を覚え問いただすと、男は淡々と事実を口にする。
「聖杯戦争は君が考えているほど、甘くないと思うな」
「……」
ジョエルが黙るのを見るや、男はさらに踏み込んで話し始める。
「確かに、サーヴァントは意思を持っているが、それ以上に契約者である『マスター』の切り札として機能しなければならない。同じサーヴァントと呼ばれる存在でも、中身の英霊としての格が違えば、性能に大きく差が出てくる」
つまり――
「マスターは、『人類史』に記録された数多の英霊の中から、自身に見合ったものを選び、サーヴァントとして使役する。その時点で最悪、勝敗が決してしまう場合もある」
「強いサーヴァントを揃えろ、と言いたいのか?」
「聖杯戦争に自ら参加するマスターは、皆が総じてそのように努めているんだ。確実に勝利を収めるためにね」
君もそうだろ、と試すような口ぶりで男は問いかける。
しかし、ジョエルは揺るがなかった。
「方針は変えない。どのみち、強いサーヴァントを手に入れても扱いきれない」
軽く溜息を吐いて男は立ち止まる。
ジョエルの方は階段を下りきっていて、眼前には始めに入ってきた大きな扉と同じものが、閉じた状態でそびえ立っていた。
「儀式場はその先にある。あらかじめ伝えていたけど、僕が君に力を貸すのはここまでだ。仮に儀式が失敗に終わっても、これ以上の助力は『運営側』として越権行為だろうからね」
「ああ、感謝している」
唐突な感謝の言葉に虚を突かれ、男はきょとんとした顔になる。
ジョエルは両手に力を込め、扉を押し広げて中へと入っていく。
「君の前途に幸有らんことを――」
男はジョエルの背中を見送ると、踵を返して元来た階段を上がっていった。
遥か昔、人の手で岩山を掘り進めて作られた、小さな祭場。
四隅には、照明灯の役割として光る鉱石が飾られ、光の届かない岩山の中でも、内部を見渡すことができる。
扉を開けたジョエルの目に最初に入ったのは、床一面を覆い隠すほどの大きな魔法陣だった。
水銀によって描かれた不可思議な円形――その中には、さらに複数の円と中央には六芒星が配置され、それらを彩るように、今まで見たことのない文字が所々に書かれていた。
英霊を呼び出すための魔法陣。それが一体どういう仕組みで成っているのか、ジョエルには皆目見当がつかないが、そこには多くの魔術的な技術が散りばめられているのだろうと察する。
奥には、何も捧げられていない祭壇が置かれていた。本来ならば、そこに英霊の縁の品を納めるのだが、それを所持していないジョエルにとっては、無用のものになってしまった。
祭場の中へ一歩足を踏み入れた瞬間、ジョエルはずんと身の周りの空気が重くなったのを感じ、動きを止める。
周囲は、すでに霊脈から引かれた『魔力』で満ちており、あの男がサーヴァントを召喚する準備を整えてくれた賜物だ。
「――」
魔法陣の前に立つと、ジョエルは己の脆弱な魔術回路へ問いかけるように、ゆっくりと火を入れ始める。
そして通常時と比べて、身の内から生じる魔力の調子が良いことを自覚し、現在の時刻が午前四時を回っていることを確認する。
ジョエルが魔術回路を起動させたことで、それに呼応して右手に宿っている令呪が熱を帯びる。
男に教えられた手順を、繰り返し頭の中でイメージしながら、右手を魔法陣の方へと向けた。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公」
詠唱を紡ぐごとに、周囲に満ちていた魔力が魔法陣へと集まっていき、青白く輝き始める。
それと同時にジョエルの令呪も赤く光り出し、魔法陣に集められた魔力の奔流が令呪を通して、体内の魔術回路を蹂躙する。
「降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
体内に入り込んだ外界からの魔力は、例えるならば血中に入った異物に等しい。下手をすれば拒絶反応を起こして、最悪、絶命する行為である。
真の魔術師ならば、当たり前のように身を捧げるのだが、ジョエルはそうではない。可能であれば、このような死と隣り合わせの行為を是が非でも避けるのだが、もうこれしか選択肢がなかった。
「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ満たされる刻を破却する」
疑似的な臓器ともいわれる魔術回路が悲鳴を上げ続けている。すでに限界を超えているが、己の役割を全うするために、その他の『儀式が終わるまでは、どうでもいい臓器』に負荷をかけていく。
身体の至る所に、刺痛と鈍痛が交互に押し寄せても、ジョエルは詠唱を止めない。ただ一つの目的のために、己のすべてを使い切る。
「……告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
儀式も終盤に入り、周囲にも変化が生じる。外気から隔絶された場所にも関わらず、祭場内に風が吹き荒れ、稲妻を走らせ、けたたましい轟音が支配する。
「誓いを、此処に……。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」
所有者のありとあらゆる願いを叶える、という『聖杯』――その奇跡を求め、ジョエルは時間の外側に存在する『英霊の座』へと、声にならない願いを吠える。
「汝、三大の言霊を纏う七天……、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」
次の瞬間、祭場は閃光に包まれ、ジョエルの視界からは何もかも消え去り、光だけの真っ白な世界が残される。
先程まで轟いていた荒れ狂うような雑音が、今は打って変わって凪いでいる。
臨界に達した魔法陣は、境界を越え、星に蓄えられた人類の記録の結晶である英霊を呼び寄せるに至った。
「あい、あすく、ゆー」
その声は、驚くほど鮮明にジョエルの耳へ響いた。
徐々に視界から色と像が戻っていき、目の前に何者かがいるのを感じる。
「あー、ゆー、わーじー、おぶ、びーいんぐ、まいますたー?」
眩い世界から現れたのは、光の粒子を放ちながら宙に浮かぶ子供だった。