歓楽街を抜けると、辺りの雰囲気も少しずつ変わり、食事処が並ぶ屋台などが見え始めた。
それと同時に、食欲をそそる匂いも漂いだし、ジョエルの腹の虫が悲しげに鳴いている。
「ねぇ、もうここらで食べない?」
見兼ねたセナが、そう提案するも、ジョエルは頑なに断り続ける。
どうしてそこまで意地を張るのかと尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。
「ボイジャーに料理を作る約束をしている」
「あ、そうなんだ」
セナは、これまでのジョエルとボイジャーのやり取りを見て、二人は一体どういう関係なのだろうと考える。
詳しくは知らないが、二人は互いの関係をマスターとサーヴァントと呼んでいる。
言葉通りの意味なら、『主人』と『召使い』なのだろうが、どうも単純な主従ではないのは見て取れた。
曰くボイジャーは、昨夜ジョエルと戦っていた髑髏面の怪人と同様、ジョエルを含むマスターと呼ばれる人たちの切り札的な存在らしい。
はじめは、こんな小さな子供を戦わせるのかと失望するが、あの時見せた何処からともなく光の中から現れたことや、ジョエルを触れずに宙に浮かせて運んだことなど、常軌を逸した力を使っていた。
それにジョエルとボイジャーが互いに了承の上で、それぞれの願いを叶えるために『聖杯戦争』という戦いへ身を投じているのだから、止められないし責められない。
もともと無表情で言葉数が少ない奴ではあるが、ジョエルはジョエルでボイジャーを気遣っているように見える。
先程話していた料理を作ってあげる約束しかり、敵のサーヴァントに対して、物怖じせず戦況に応じてボイジャーを戦わせなかったことなど好感が持てる。
逆に、髑髏面の怪人だけに戦わせ、あまつさえ見殺しにして、自分は安全なところで観ていたという、その件(くだん)のマスターに憤りのようなものを感じた。
ボイジャーもジョエルのことが気になるようで、シュタの内乱を聞いた時には『だから、ジョエルはないていたんだね』などと心配するようなことを言っていたし、ジョエルに対して悪感情は持っていないのは分かった。
他のマスターとサーヴァントたちのことは知らないけれど、この二人は互いに良い関係なのではないだろうか。
「うん! じゃあ、ボイジャー君にいっぱいご馳走作らないとね!」
アタシも手伝うよ、と意気込むセナ。
祖父のヨセフと二人暮らしをしているため、普段から家事仕事はセナが一手に担っている。
仮にジョエルがサバイバル仕込みの粗末な料理を作るようであれば、自分がボイジャーに美味しい料理を作ってあげようと目論む。
セナからすれば、ボイジャーのような子供がこの町にいることが珍しく、仮に居たとしても、すぐさま人攫いに拐かされるだろうから、非常に庇護欲を刺激されてしまう。
しかも初めて会った時の印象もあり、あんなにキラキラでフワフワとした存在は初めてで、けっこう運命を感じていたりする。
「必要ない」
だがそんなセナの企みを知ってか知らずか、ジョエルは即答で言い放ち、
「お前は調理のできる場所を案内してくれればいい」
それが終われば家に帰れ、と続け様に辛辣な言葉を吐くと、独りで行ってしまった。
先を行くジョエルの肩には、大きなダッフルバッグがかけられていて、それはもうセナの家に戻らないことを意味している。
「……っ」
再三に渡って関わるなと言われ続けている理由は、十分に理解しているが、せめて許される間まで一緒にいたかったセナは、文句を言わずにジョエルの後をついていく。
「ん? おおー、セナちゃんじゃないか」
立ち並んでいる料理店を横目に歩いていると、またもやセナを呼ぶ者が現れる。
声のした方へジョエルとセナが顔を向けると、そこには『桜園』という看板を掲げた中華料理屋の奥から、椅子に腰かけて左手をヒラヒラと振っている男の姿があった。
黒を基調としたストライプスーツを着て、口の端を吊り上げたような笑みを浮かべる、軽薄そうな男。
サングラスを掛けているので、目の色までは分からないが、黒い髪と黄色い肌で東洋人であることはまず間違いないだろう。
髪を後ろで結ってはいるが後頭部は刈り上げており、少々奇抜な髪形をしている。
さらにこの男の後ろには、同じく黒一色で統一されたスーツを着込んだ屈強な男たちが等間隔に立ち控え、観る者皆、誰が群れのボスなのか一目で分かるようになっていた。
「あっ! 九垓(クガイ)さんだ」
セナは反射的に先程のアイシャ同様、知人へ嬉々として接しようとするが、傍らでジョエルが腹を空かせていることを思い出し踏み止まる。
そしてチラリとジョエルの方を見て確認を取ると、当人から許しを貰ったので、セナは嬉しそうに店の中へ入っていった。
「久しぶり、九垓さん!」
あとゴメンなさい、と九垓の前までやっくるなり、勢い良く頭を下げた。
「せっかく御見合い取り付けてくれたのに、台無しにしちゃって」
「構わねぇよ。俺はただこの町の『アイドル』の将来を勝手に憂(うれ)いていただけだ」
「や、やめてよアイドルなんて――」
恥ずかしそうに笑うセナを一瞥してから、九垓は体を大きく傾けて、店の前で待っているジョエルに向けて口を開いた。
「で、そこのいるあんたが、ジョエル・フリードキンで合ってるかい?」
「っ!」
突拍子もなく、且つ名乗ってもいないのに自身の名前を呼ばれ、ジョエルは即座に九垓を警戒した。
発せられた言葉と向けられている視線に悪意を感じる。その中には敵意が無かったが、こちらを詮索しようとする感情が明滅して伝わってくる。
「おいおい、睨むなよ。俺はまだ何もしちゃいないだろ」
九垓は、不敵な笑みで身の潔白を主張する。
「何でジョエルの名前知ってるの!?」
セナが尋ねると、九垓は然もありなんと言いたげに溜息を吐いて、椅子の背もたれへ大きく寄り掛かった。
「知ってるも何も、今ちょうどお前さんたちのことを調べていたところでね」
昨日は随分と派手に暴れたそうじゃないか、とニヤニヤしながらジョエルとセナを交互に見る。
「あ、あはは……さすが九垓さん、耳が早いね」
こりゃダメだ、とセナは即座に諦めてジョエルを店の中へ招くが、ジョエルはそれを拒否して一向に入ってこようとしない。その様子を見てセナが呆れるが、九垓は軽く首を横に振った。
「いや、当然の判断だ。考えてもみろ、初対面の相手が自分の名前を知っていたら、誰だって警戒するだろ?」
「え、ああうん、まあそうだよね……」
ジョエルの心情も理解できるが、少しは自分のことも信用してほしいと思うセナ。
仕方無く数メートル離れたジョエルへ語りかけるように話すことにした。
「えっとねジョエル、この人は趙九垓(チョウ クガイ)さん。この町を取り仕切ってるマフィアの一角『黒龍幇(ヘイロンパン)』のボスだよ」
「まあ正しくは、ボスの代行だけどな――」
と、九垓は自重気味に笑い、「そこの兄ちゃんに睨まれたままだと、尻(ケツ)がムズムズする」と言って、自分から経緯を語り出した。
「昨夜の12時頃だったか、町でドデカい花火が鳴ったもんだから、とりあえず状況把握のために部下を送ったが、どういうわけか『目的地に辿り着けない』と報告があってな」
町の中で魔術戦が想定される場合、魔術師は事前に一般人からの目撃を避けるために『人避けの結界』を周囲に張る。
その部下が現場に行けなかったのも無理はない。
「いつまで経っても進捗(しんちょく)が無いから、止むを得ずに俺が出向く羽目になったんだが、その道中で血相変えて人を担いでいるオルハンを見つけて声を掛けたんだよ」
オルハンの名前が出てきて、セナは合点がいったのか、納得したような表情をする。
逆にジョエルは、自己保身のために警戒を緩めない。
うまく表現できないが、この趙九垓という男から感じる悪意が、独特な雰囲気を放っていた。
この男が語る話に一貫性があり、嘘を付いていないのは解るが、話の節々に悪意がチラついている。
「そうしたら、開口一番に『この町から安全に出してくれ』って頼んできてな。今回の一件に関する情報と引き換えに、治安の良いところまで送ってやったのさ。確かセナちゃんの見合い先の町だった筈だ」
ついでに担いでいた男も関係者らしいんで一緒に買い取ったんだが……、と九垓は腕を組んで、唸りを上げる。
「色々吐かせてみたが、その男はどうやらどこぞの御貴族様に雇われた兵隊でな。詳しい内容は聞かされてないとか喚きやがる」
そして人差し指をジョエルへ向けた。
「で、お前さんだ。ジョエル・フリードキン。オルハンからは、大体の話は聞いている。連中はお前を狙ってこの町に来たそうじゃねぇか」
「そうらしいな」
酷く他人事のように相槌を打つジョエルに対して、九垓は眉を顰めた。
「――随分だな。はみ出し者の町でも、お前さんが居合わせた所為で人が死んでいるんだぞ?」
「だからどうした」
無慈悲な言動に場の空気が固まり、セナは生唾を飲み込んだ。
解っていたが、ジョエルはこういう気質の持ち主で、他者の命を歯牙にも掛けない。
幼少期から兵士をしていたのだから、無理からぬことではあるが。
「いいね――実に『こちら側』の言い分だ」
気に入ったよ、と九垓がニヤリと笑う。
「ジョエル・フリードキン、うちに来ないか?」
「は?」
突然の勧誘に悪意を感じられず、流石のジョエルも呆気を取られてしまう。
「聞くに、相当腕が立つそうじゃないか。この町じゃあ鉄火場に立てる人間は重宝されるんだよ」
「……」
胡散臭い笑みのまま、友好的に接してくる九垓を、ジョエルは図りかねていた。
ジョエルが、これまでに他者からの悪意を感知する能力で視てきた者たちは、必ずと言って良いほど『動き』によって悪意が反映されていた。
例えば、銃で相手を殺すとき、グリップを握り、銃口を向け、引き金を引く――その行動すべてに命を奪おうとする意思が伝わってくる。
ジョエルはそうした相手の動きを見て、次の行動や目論みを看破して、先手を取り優位に立ちまわっている。
だが、九垓の行動や言動から生じる悪意に、詮索の意思は伝わってきているが、同時に複数の思考も感じ取れた。
まるで数十人の趙九垓が、一斉に話しかけてくるような――そんな感覚。
――20、いや30はいるのか?
おかげで九垓の真意を読み取ることができず、対応を決めあぐねている。
「なにも、うちの組織に入れと言ってるわけじゃない。件(くだん)の戦争屋どもといい、どうも最近この町に変な奴らが増えてきてな。そいつらが消えてくれるまででいいんだ」
報酬は弾むぞ、とおちゃらけた雰囲気で親指と人差し指を擦り合わせ、ハンドジェスチャーを作る九垓。
「何を考えている?」
「理由は三つある。一つはさっきも言ったが腕が立つところ。二つ目はその白髪頭は置いておくとして、お前さんが東洋人であること。うちは中華系のマフィアで、見ての通り構成員の大体が東洋人だから、お前さんを入れてもそれほど仲違いが起こらなさそうと判断した」
人種や宗教、国家や民族、主義主張、etc……それらは時として相反するものだが、組織や部隊を編成する際に、上手く組み合わせることで運用効率は格段に高くなる。
この男は、人の上に立つ者の思考をしている。
「……三つ目は?」
「勘だ、とは言っても俺の勘じゃないがね――」
そう言うと九垓は、セナの方を見た。
「セナちゃんが入れ込んでるように見えたから、問題無いと思っただけだ」
「く、くくく九垓さんっ!?」
赤面するセナを楽しそうに眺めながら「冗談だよ」と呟く。
不思議と空気が柔らかくなり、周りにいた九垓の部下たちからも笑いが漏れる。
「彼女は、生まれも育ちもこの町だからな。悪い人間を見分けるのが上手いんだ」
でどうする、と前で手を組み、ボス然とした雰囲気で返答を待つ九垓。
しかし――
「断る」
交渉の余地など無いと言わんばかりに答えるジョエル。
それを聞いた九垓は、大して残念がる素振りも見せずに「そうかい」とだけ言って相槌を打つ。
「まあ俺としては、うちのシマに被害が出なければいい。むしろ他のマフィア共のところを荒らしてくれれば大助かりだ」
損得勘定だけで話しているように聞こえるが、届いてくる言葉の裏側から様々な思惑が木霊する。
それらはとても小さく細かいため、やはりどういう意図なのかまでは読み取れない。
「話は終わりか?」
「ああ、手間を取らせたな」
もう行っていいぞ、と左手をヒラヒラと振る九垓を見ながら、ジョエルは静かに口を開いた。
「――『右手』を怪我しているのか?」
視線を九垓の右手へ向ける。
清潔感のある真っ白な包帯が、手首から指先にかけて綺麗に巻かれていた。
ジョエル自身もそうだが、聖杯に選ばれたマスターは、その証である令呪を身体のいずれかに刻まれるが、基本的に右手に現れることが多いと聞く。
今回の聖杯戦争のルール上、勝者が二人であることは約束されているので、あのプレラーティが絡んでいることもあり、奴の息のかかったマスターが二人以上はいると踏んでいる。
また大規模な魔術儀式である、聖杯戦争を取り仕切るに当たって、『町の権力者』の助力が必要になってくる。万能の願望器という触れ込みで釣り、味方に付けていても何ら不思議じゃない。
もしかしたら、すでに魔術を用いて全員を傀儡にしているかもしれないが、こうして疑わしい条件が揃ってしまえば、確かめないわけにはいかない。
いずれにせよ、この力で真偽を見分けられる。
わずかでも動きがあれば、すぐに察知できる。
「ん、ああこれか? 誰かさんのお陰で徹夜する羽目になったからな、気付けにコーヒー入れてたら火傷したんだよ」
と、半ば八つ当たりのように、ジョエルへ負傷した右手を見せつける九垓。
「そうか」
――これまでの会話の中で、趙九垓は一度も嘘を言っていない。
確かめるものはもう無いと判断したジョエルは、くるりと踵を返して、独りでまた行ってしまった。
それを見たセナは悪態をついて、九垓に一礼してからジョエルの背中を追いかけていった。
「……正直言えば拍子抜けだ」
九垓は二人の姿を見えなくなると、自身の右手を眺めながら、ぼそりと呟く。
自身の包帯を少し捲(めく)って、火傷で薄っすら赤く腫れた手の甲に刻まれた令呪を見つめた。
「普通は直で確認するだろうに、一体何を考えているんだ?」