幽鬼の男から立ち昇る尋常ではない魔力を前に、ジョエルは即座に臨戦態勢へ入った。
念じるように背中へ意識を向け、身体の中にある『モノ』が、ゆっくりと肉を掻き分けて体外へとせり出てくる。
やがて、奇形の刃が無数に乱立する赤黒い『尻尾』が、ジョエルの背から完全に姿を現した。
「……なんだ、その醜悪なモノは」
まるで汚物でも見るかのように、幽鬼の男は表情を歪めた。
「それでアサシンを殺したのか?」
「ああ」
「アサシンも不運であったろう。そのような穢れた代物に討たれるなど、英雄として恥もいいところだ」
「恥も不運も、死ねばすべて無くなる」
「……正論ではあるが、生者の吐くセリフではないぞ」
軽く嘲笑し、一呼吸した後、
「ふん、まあいい――ならば貴様も、すべてを失いたくなければサーヴァントを呼ぶがいい!」
その言葉が終わるや否や、幽鬼の男の魔力が燃え上がり、青黒い炎となって全身を包んだ。
ジョエルの目に映るその炎は、怨恨や憤慨、報復といった人の感情が燃えているようだった。
一度触れれば、肉や骨どころか魂まで焼き尽くされるイメージが、幽鬼の男から流れ込んでくる。
「……」
己に降りかかる死を全身で感じながら、ジョエルは男の発言に言い知れぬ違和感を覚えた。
先程の出方といい、どうにも腑に落ちない。
普通なら、バーサーカーを前にしたら、すぐに自身のサーヴァントを出して戦わせるのが当然だ。
それを、あえて強要するような口振りが、胡散臭くてしょうがない。
「随分と余裕だな。たかが暗殺者を殺した程度で調子に乗っていないか?」
突如、幽鬼の男の足元で青黒い炎が爆ぜた。
「っ!」
――爆音が遅れて追いつく。
気付いた時には、大きく振り上げられた脚が眼前に迫っていた。
咄嗟に腕を前に出して防御の姿勢を取ると、背中の尻尾が主の意思を先回りするように前へ出た。
直後、軍用車両の突撃を受けたかような衝撃が、ジョエルを襲い、遥か後方に蹴り飛ばされた。
「ふうっぐぅぅぅ!!」
脳を揺さぶられながらも、尻尾を地面に叩きつけて無理やり衝撃を逃がそうとする。
それでも勢いを殺しきれず、20メートル近く吹き飛ばされた末に、ようやくジョエルは地面に着地できた。
「器用なものだ。もっとも、人間の身のこなしではないが」
幽鬼の男は皮肉を吐きつつ、間合いを一気に詰めてくる。
追撃の意思は、行動の軌跡となってジョエルの視覚に映し出される。
ジョエルは、着地の際に地中へ潜らせていた尻尾の尾先を、その軌跡へ向けて突き出した。
しかし地上から飛び出した尾先は、男の腹部を掠めるに留まり、完全に懐へ入り込まれる。
固く握られた拳が、自身の胸部に向けられていると悟り、尻尾の形態を解除し、両腕を十字に交差させて身を守る。
前に出した左腕から、ミシミシと鈍い音が鳴り、あっさりとひしゃげた。
「ぐっぎぃ――っ!」
遅れてやってきた激痛に、歯を食いしばって耐えていると、気が付けば再び宙へ放り出されていた。
向けられた敵意を手繰った先には、両手に炎を宿した幽鬼の男がいる。
全身に纏っていた炎を手に集中させているためか、青みを帯びていた炎は、今や黒一色へと変わっていた。
「片腕だけで乗り切ったようだが、これはどうだ?」
男は勢い良く右手を突き出すと、漆黒の炎が一直線に走った。
真っ直ぐ飛んでくる黒炎の熱線を前に、ジョエルは即座に尻尾を再顕現させて受け止める。
下方から叩き込まれた衝撃に身体ごとさらわれ、そのままさらに上空へと弾き飛ばされた。
一発目はかろうじて防ぎ切ったが、単発で終わるはずもない。
間髪入れずに二発目を撃ち込まれ、尻尾の守りが崩れた。
その隙を縫うように三発目が放たれ、左肩を焼き抉った。
「っぐぁああああっ!!」
猛獣に喰いちぎられたような痛みが走り、のたうち回りそうになるのを必死に堪える。
受け身も取れぬまま地面に叩きつけられ、数回バウンドしながら転がり、ようやく止まった。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
地べたに這いつくばり、ジョエルは自分の意思で動かなくなった左腕を見て、苦々しく顔を歪める。
へし折られた腕は不自然に途中でくの字に曲がり、内出血で二倍以上に腫れ上がっている。
焼かれた肩は齧り取られたような断面から血が滴り、焦げた肉の匂いを漂わせている。
まるで開いた傷口を鑢で抉られているような痛みが断続的に響く。
しかし脳内麻薬が駆け巡っているのか、不思議と意識が飛ぶほどではない。
大きく深呼吸をして、ジョエルはゆっくりと立ち上がる。
――追撃が来ない?
前方を見ると、幽鬼の男は自身の身体に絡みつく『聖杯の呪い』へ視線を落としていた。
「なるほど。これでは真っ当な英霊は耐えられまい」
「……なぜ、効いていない?」
呪いで汚染した部分が徐々に治まっていくのを見て、ジョエルは思わず呟いた。
その表情を読み取ってか、幽鬼の男が溜息しながらゆっくり近づいてくる。
「なに、簡単なことだ。俺もお前も――」
再び、幽鬼の男の姿が視界から掻き消えた。
――またか!
「同じ穴の狢ということだ!!」
横合いから、青黒い炎を纏った手が振るわれた。