人影は、身に纏っていた風を解き、自分と幽鬼の男の間にゆっくりと降り立った。
そして、そのままこちらへ歩み寄ってくる。距離が縮まるにつれ、その姿をはっきり捉えられるようになり、ようやくマスターの眼が機能する。
「ラ、ライダーの……サーヴァント……」
乱れた黒い長髪に、金色に輝く瞳。褐色肌の鍛え抜かれた兵士のような貌。二メートルを優に超す、分厚い筋肉質の体躯。
黒を基調とした機能性重視の鎧を身につけ、紫を下地とした装束に白い腰布を巻いている。その随所には、文字の彫られた金色の装飾が施されていた。
「人の子よ――」
無表情のままライダーは、ジョエルに語りかける。
「汝の内にあるモノは、次なる姿を求めているぞ」
「っ!」
――こいつ、『これ』のことが解るのか?
「さあ吠えるがいい。己が願いを」
「……」
ライダーの言葉を聞いたジョエルは、何かに突き動かされるように、覚束ない足で再び地面を踏みしめた。
「■■■■■■■■■■――っ!!!!」
全身の細胞が逆立つような感覚に囚われながら、自分の内側から吐き出すように叫ぶ。
さながら獣と区別がつかないほどの、けたたましい咆哮が辺りに響き渡った。
すると、立ち上がったジョエルの背中から伸びていた尻尾が、赤黒い煙となって霧散した。
――突如、背中のやや左肩寄りから、皮膚を突き破り、何かが露出する。
それは一見、火のように見えた。
爛々と燃え盛る赤黒い煙が、不規則な形のままジョエルの背中を漂っている。
今は特にライダーの風が吹き荒れていないのにもかかわらず、その揺らめく姿がどこか羽のようにも見えた。
「――貴様、奴に何をした?」
幽鬼の男は、異形の羽を見つめながら、ライダーへ問いただす。
対してライダーは振り返らず、さもありなんと言いたげに口を開く。
「ただ諭した。いささか面白みに欠ける戦いであったからな」
「……戯言を――んっ!?」
のらりくらりとした発言に声を荒げた幽鬼の男は、ほんの一瞬だけジョエルの存在を意識から外してしまう。
刹那、十数メートルあった距離を瞬きの間に詰められ、気付けば眼前までジョエルが迫っていた。
そして赤黒い羽を、羽ばたかせるように前へ大きく振るうと、その一部である火のような煙が幽鬼の男へと襲いかかる。
「くっ!!」
――『あれ』が先程の尻尾と同様に、呪いを帯びたモノであれば、直撃は避けねばならん。
身の危険を感じた幽鬼の男は後方へ退がりながら、右手を掬い上げるように大きく振って青黒い炎の壁を造り、ジョエルの攻撃を遮る。
赤黒い火を上回る勢いと物量の青黒い炎によって、難なく防ぎ切った。
――あれだけ痛めつけても、まだ向かってくるのか。
折れ曲がった左腕を鑑みるに、先程つけた傷が治っているようには見えない。
それどころか、先程の尻尾で戦っていた時よりも速くなっている。
呪いの火を武器に、速さを活かして攻める戦法――これではまるで……。
「ふん、俺の猿真似ではないか」
挑発をこめて嘲ると――。
「ぐぎっ!」
次の瞬間、右肩に思いもよらない痛みが走った。
「なんだ……うぐっ!?」
その直後に、得も言えぬ苦痛が全身を駆け巡る。
視線だけを向けると、そこには赤黒い金属のような破片が刺さっていた。
「ぐぅおおぉおおぉぉぉ!?!」
即座に破片を引き抜き、地面へ投げ捨てた。
しかしそれで苦痛が止むことはなく、体内に入り込んだ呪いが幽鬼の男を蝕む。
呪いを通して、脳内に見たことのない情景や人々がチカチカとフラッシュバックする。
その全てがおぞましく、吐き気を催すモノだった。さながら、人の負の感情を余さずかき集めて煮詰めたような『悪意』が、善き者だけでなく悪しき者すらも等しく飲み込んでいく。
意識が、持っていかれる……?!
「ぬぅおおおおぉぉああああぁぁ!!!」
幽鬼の男は、絶叫にも似た咆哮を上げながら、己の身の内にある『秘宝』へ意識を向ける。
全身を包んだ青黒い炎が肩の傷口から吹き出して、残留する呪いを内側から洗い流し、体外へ排出していく。
「……はぁ、はぁ、はぁ――」
あと数秒対処が遅れていれば、行動不能になっていたであろう。
己を刺した元凶に視線を落とすと、地面に転がっていた破片が、たちまち赤黒い煙となり、ジョエルの羽へと還っていった。
「これが、貴様の願いか?」
傷ついた肩を押さえながら、そう問いかけてもジョエルから返答が来ない。
代わりに折れ曲がった左腕を前へ突き出すと、それに呼応するかのように羽の先が剣山のように硬化し始めた。
ガキィン、と金属同士が擦れたような音が鳴り響き、無数の赤黒い破片が幽鬼の男に向かって発射された。
散弾銃(ショットガン)の要領で撃ち出された破片は、幽鬼の男の全身を真っ直ぐ捉えていた。
「ふんっ!」
持ち前の高速移動で難なく躱すも、拭いきれない違和感が次の攻撃を予測させる。
もう一度、身体一つ分だけ横へずれると、自身の元いた場所の後方から破片が通過していった。
――追尾もできるのか……。
先程の肩に突き刺さった破片を思い出しながら、ジョエルの方を見ると、硬質化した羽の一部を上に向かって射出していた。
破片はしばらく上がった後、今度は下にいる幽鬼の男に狙いを定めた。
「ちぃっ!」
上方から迫りくる破片と、地上から追ってくる破片を前に、幽鬼の男は舌を打つ。
そして次に取った行動は、出来うる限りジョエルに近づかないことだった。
あの形態になってから、自ら距離を縮めてきた理由は、近接戦闘に分があると踏んでのことだろう。
先程から使ってきている追尾する破片で、多角からの疑似的な時間差攻撃も可能になった。
おまけにどういう理屈かは知らないが、奴自体の敏捷性も向上しているので、半端な距離では一瞬で詰められる。
幸いにも、破片については最初に撃ち出された時が速いものの、追尾している際の速度はそれほどでもない。
ならば、こちらはアウトレンジに徹すればいい。
「さて――」
幽鬼の男は、追ってくる破片に背を向けて駆け出した。
背後を警戒しながら、この場で傍観を決め込んでいる他の陣営とかち合わないよう、路地裏の狭い道を縫うように走り抜けていく。
すると後方から、カランカランと金属が転がる音が響いた。
しかも一度きりではなく、同様の音が幾度となく木霊する。
――やはり、『あれ』自体に障害物を避ける判断力はなく、一度狙いを定めた対象へ、ただ追尾するだけのようだ。
次第に聞こえてくる音も少なくなり、振り返ると破片も残りわずかとなっていた。
道のつきあたりに差し掛かったところで、眼前の塀を足場にし、その先にある7階建ての集合住宅を飛び越えた。
そして建物の向こう側へ着地すると、上空から迫ってくる破片が直撃する寸前で、後方へ飛び退いた。
直後に、キィキィキィンと音を立てて幽鬼の男がいた場所へ破片が突き刺さった。さらにその上から後続の破片が降り注ぎ、互いにぶつかり合って相殺されていく。
ガラスが割れたような音が鳴り響き、砕けた破片が赤黒い煙に戻った。
「――っ!」
その中から、生き残った破片がこちらへ向かって飛び出してくる。
即座に浄化の炎を拳に宿し、飛来する破片の側面を殴りつけて迎撃する。
続けて十から二十を弾き落とすと、向かってくる破片がようやく途絶えた。
「……なぜ来ない?」
周囲を見渡しても、接近してくるモノはなかった。
地面に転がっていた破片たちは、次々と煙へ戻り、一定の方角へと流れていくのが見えた。
――あの先にジョエル・フリードキンがいる。