都合が悪くば黙り込む、しょうもなくも愛おしい我が弟子へ 作:すかすかのタキ
エルフの魔法使いこと、フリーレンは困惑していた。かつて勇者ヒンメル一行と、魔王討伐の旅をしていた時代。地下三十階にも及ぶ広大なダンジョン、その最深部へと、苦労の果てにようやく足を踏み込めたと思ったら、油断してマッピング魔法をリセットするトラップを踏んでしまった黒歴史。困惑しすぎて逆に表情には出ていなかったけど、今のフリーレンはあの時に勝るとも劣らないくらい『どうすればいいんだろう…』と途方に暮れまくっていた。
一級魔法使い試験二次試験担当、ゼンゼ一級魔法使い。彼女が何の前触れもなく、わたしの力を探ってきたその瞬間。正直に言えば、あれには確かに怒りを覚えた。怒りどころか、魔族に向けるそれに近い、強烈な殺意さえ反射的に彼女に浴びせた。
フェルンに知れたら、『フリーレン様、罰として今後一週間はおやつ抜きです』ってまた叱られちゃうだろうけど、これは仕方のないことだと思うんだ。
だってわたしの戦法は、自分の魔力を弱く見せて、相手の油断を誘ってそこを突くというものだもの。
あのゼーリエの弟子である以上、有り得ないことだとは思うけど。ゼンゼが万が一、魔族の残党と共謀していたらどうなるだろう。
言うまでもないけれど、わたしは昔の旅の中で、あっちこっちの魔族からあれこれ恨みを買ってるし。わたしの戦い方が知れ渡れば、奴らがそれを逆手に取っていつ何を仕掛けてくるか知れたものじゃあない。
だから、ゼンゼが繫げてきたラインを乗っ取って、行動を封じさせてもらった上で真意を探った訳だけど───うん、成程。わたしが魔力を抑えているんじゃないかと疑って、受験者達をわたしの複製体と戦わせてもいいものか迷ったと。試験をこのまま続行するか、それとも中止にすべきかを決断する為に、わたしの本来の魔力量を見定める必要があったのだと。
……うん、成程。とんでもなく正論だった。確かによく考えたら、現代レベルの魔法使いを殺意全開のわたしのコピーと戦わせようだなんて尋常な判断じゃなかったね。死ぬよね。わたしが真っ先に止めなきゃだよね。どうして戦おうなんて判断を、わたしはサラッと下してしまったのだったっけ。
───ああ。多分ヒンメル達との冒険時代、ハチャメチャすぎる無謀を何度も何度もノリと勢いで踏み越えてきたからなんだろうな。
今から八十年以上前。旅の最中に立ち寄った、辺境の名もなき小さな村。そこで、村の近辺を根城とする、凶悪な魔獣の退治を依頼されたことがある。
ヒンメルはいつも通りに快く請け負った。けれど、その張本人が、『無事魔獣を討ち取った暁に』と、村の彫刻師相手に一晩中勇者っぽいカッコいいポーズを考案し続けていて完全に寝不足だった。
ハイターはハイターで、地酒を飲みながらずーっとそれを囃し立てていて、明らかに重めの二日酔い。どう見てもダメなコンディションなんだけど、『では、村人達の平穏の為に、いざ魔獣退治に出かけよう!』というヒンメルの一声に、わたしもアイゼンも『まあいつものことか』と特に何も考えず山の奥へと突入した。ダメでしょ。今更すぎるけど、振り返ってみたらあまりにアホでダメすぎるでしょ。更に途中アイゼンが、泥に足を取られて急斜面から滑り落ち、一人完全に迷子になった(後で聞いたところ、途中から一緒になってかなり深酒していたらしい。そりゃ当然の帰結だよ)。ハイターはハイターで、『アイゼンーーーっ!』って叫んだ拍子に本格的に嘔吐するし。もはやまともに動けるのはわたしだけ。だというのに、よりにもよってそこに例の魔獣が奇襲してきた。どんなタイミング? バカと最悪が、ミルフィーユみたいに美しく重なりすぎてない? まあヒンメルが、ヘロヘロになっていながらもどうにか前衛としての働きを全うしてくれたから、ギリ撃破には成功したのだけれども。
そんなだから今回も、『ま、どうにかなるか』と当時のノリで作戦会議を始めてしまったんだ。むむむ、したくはないけど猛省しなくちゃいけないかも。ああ嫌だ。すっかりわたしの脳内に、『フリーレン様?』ってフェルンが睨み付けてくるヴィジョンが染み付いちゃってるよ。あの子身長高いから、上から光の無い目で見下ろされるとマジで震えるくらいに怖いんだ。トラウマだよ。つい十年前までは、アイゼンみたいにちびっこくて安物の杖みたいに細かったのに。フォル爺じゃないけれど、わたしも人間の成長速度には色んな意味で驚愕させられっぱなしだね。
───さて、そんなことより今は、目の前にいる拘束中のゼンゼだよ。ほんとにこの人どうしたらいいんだろう。
何がそんなに困ってるかって、この人本気で死ぬ覚悟を固めちゃってるんだよ。わたしに殺されて当然って、ゼーリエ相手に長々遺言述べ始めちゃってるんだよ。
マジで勘弁してほしい。確かに最初は本気の殺意を向けたけどさ。『ミジンコ』とか『メスガキばばあ』呼ばわりされたのは一瞬ムカってきたけどさ。だからって、そんな程度でいちいち殺したりなんてしないから。
そもそもさ、わたしも君と同じでさ、口なんて全然上手くないんだよ。弟子もしょっちゅう怒らせてばっかだし、魔道具屋でふっかけられそうになってたのをシュタルクに何度も助けてもらったし。ましてや自分が原因で死ぬつもりの相手を説得なんて、どうしたらいいかさっぱり分からないんだよ。
ああザイン。君は今、別れて以降何処で何をしてるんだい?
君さ、フェルンとシュタルクがよく分かんないことでケンカ始めたら、『青春だねえ』って更に訳分かんないこと言って苦笑しながらもわたしに代わって仲裁してくれたじゃあないか。
今まさに、かつてないほどに、君のコミュ力とか説教力を必要としてるのに。どうしてこういう肝心な時に、君はわたしと一緒にいてくれないの? 全く飲んだくれハイターといい、わたしが関わる僧侶職はろくな人間がいやしないよ。
ってあわわわわどうしよう。いよいよゼンゼが『どうしたんだいフリーレンさん? 何もしないの? さあ、これ以上慈悲などかけず、その二つ名通りにさっさとわたしを葬ってくれ』って殺意を煽ってきたのだけれど。
怖い。人間を知る旅に出て三十年。昔に比べたら少しは理解出来るようになったと思ったけれど、今日また一気に分からなくなった。
こんなイカれた人間は、千年生きても初めてだよ。今だってラインを通じ、『殺して殺して殺して殺して』って延々精神に囁きかけてきてるし。
このままじゃ、わたしの方が精神を汚染されて、わたしの複製体に戦略なしで突っ込んでいきかねない。『ひゃっはー!』って頭の悪い叫び声を上げながら、ゼンゼにも受験者達にも無差別に攻撃魔法を撃ち込んじゃう、バーサーカーエルフに堕ちかねない。
と、とにかく落ち着いて考えるんだよフリーレン。何かないか。口の足りないわたしでも、上手くゼンゼを抑えられる、都合のいい魔法は何かないか。
魔王を倒しヒンメルと別れ、魔法収集の旅に出てから八十年。役に立つかどうかだなんてくだらないことは考えず、好奇心の赴くままにあちらこちらで修得してきた民間魔法。ここのところ意外にも、それらが活躍する機会が多くあった。
隕鉄鳥を捕まえた、鳥っぽい生き物なら大体何でも捕獲する魔法とか。自分でも修得していたことすら忘れてた、底なし沼から人を引っこ抜く魔法とか。
魔法都市の大きな店舗で扱ってるような魔法より、案外そういうとこにこそ、事態を収拾する鍵が眠っている気がするんだよ。
その直感をよすがにし、フリーレンは己が脳内にある膨大な本棚を、全身全霊で検索する。
本棚から引っこ抜き、超高速で読み通し、これは違うと放り出す。何冊も何冊も、読んでは読んでは放り出す。すぐさまフリーレンの頭が激しい熱を持ち始める。それでもページを捲る手は止まらない。『殺して殺して』というおぞましい囁きを振り切るように、ひたすら検索を加速する。
フリーレンはさっきまで、ゼンゼの肉体と精神を、完全に手中に収めていた。その気になれば、指の一本すら動かさず、安全確実に一瞬で彼女の意識を絶つことが可能であった。
だが、もう出来ない。ゼンゼの狂気の逆流により、意識のみをピンポイントで刈り取るような、繊細な魔力のコントロールが不可能になってしまっていた。彼女を止めようとするならば、今のフリーレンは命ごと刈り取るより他に手段がない。
だが、当然それも実行することは不可能だ。何故ならば、ゼンゼは一級試験の試験官であると同時にゼーリエの愛弟子でもあったから。
何のかんの言おうとも───無論、悪意や敵意が欠片もなかったことも関係しているだろうけど───、フリーレンほどの達人が、自分の魔力を探りきられるまで、接触されていることに全く気付けていなかった。
つまり、ゼンゼはやはり名実ともに、現代最高域にある一級魔法使いの一人なのだ。
真の最強たるゼーリエが、今も手塩に掛けて育てている、才気溢れる魔法使いの一人なのだ。
そんな才人を手にかけたなら、一応正当な理由はあろうとも、フリーレンとゼーリエの関係は絶対に今以上に拗れきる。
千年前から変わっていない、のんびりとした探究者と、苛烈な求道者気質とのどうにも交わらない関係が、今度こそ解きようもなく複雑怪奇に拗れてしまう。
そうなれば、かつて二級試験でユーベルの起こした事故もある。フリーレンはおろか、弟子であるフェルンまでとばっちりで失格となり、最悪今後三十年は一級試験受験禁止になってもおかしくない。旅の最終目的地、オレオールへと到着するのがいつになるか、見当もつかなくなってしまう。
ならば潔く、ゼンゼを拘束から開放してあげればいいのではないか。無理である。今のゼンゼはフリーレンのせいで、狂気半歩手前にまで堕ちかけている。迂闊に開放すれば最後、どんな恐ろしい真似をし出すのか見当すらもつきはしない。
殺しては駄目。開放しても駄目。何もせず、成り行きに身を任せていてももちろんアウト。
伝説と一級。二人の魔法使いによる、誰にも気付かれることのない水面下での戦いは、本来ならば普通に伝説の勝利で終わる筈だった。
なのに今、様々な要因が重なって、魔法が全然関係ないところで謎の逆転劇が巻き起ころうとしている。
フリーレンは、神経が焼け付くような、脳細胞が蒸発していくような頭痛に見舞われながら、尚も検索の速度を緩めない。
『殺して』という囁きに、今にも暴走しそうになっている心身と魔力を押さえつけ。
諦めず、直感を疑わず、鼻や耳から煙を噴き上げそうになりつつも。
八方塞がりの状況で、広く膨大で埃を被ったアーカイブから、再度盤面をひっくり返す奇跡の一手を引き出せるのだと信じ抜く。
───もっとも、彼女をそこまでさせるのは、『一日でも早くオレオールへと辿り着き、勇者ヒンメルとまた言葉を交わしたい』などといった、狂おしくも切ない情念とかでは全くない。ヒンメルには悪いけど、パン屑ほどにも全くない。
その辺に関しては、超長寿種であるエルフらしく、『道中のんびり楽しみつつ、辿り着くのが百年後くらいになっても別にいい』と、実に悠長に考えている。
彼女を焦らせ駆り立てているものは唯一つ。もはや弟子というよりも、ほぼほぼお母さん同然と化している少女フェルン。でかくて視線が冷たくて、一度キレると極めて機嫌が戻りにくい。そんな彼女から叱られるのは絶対に嫌だというどうにもこうにも情けない千歳児マインド由来であるということは、見て見ぬ振りで指摘せぬのが華である。泣くなヒンメル、マジドンマイ。
───そうして、この戦いが始まってより一分が経過した。長く激しいようでいて、存外短くささやかな。
しかし、当人であるフリーレンにとっては、まるで一時間もの間、休まず緩まず全力疾走し続けたかのような濃密な一分間。その、果てに、
『───これだよ』
精神が焦土の如く焼け尽きそうになりながら、彼女は遂に求めていた解決の一手を引き抜いた。
次回、前半戦完結予定。10話で終わるつもりだったのにどうしてこうなった…