都合が悪くば黙り込む、しょうもなくも愛おしい我が弟子へ 作:すかすかのタキ
こんなこと、するべきじゃないって分かってる。理性的じゃない。主席らしくない。暴力的でヒステリックで、みっともないこと極まりない。
何故か手元から、か弱く小さな小動物が怯え震えてる気配が伝わってくるけれど。
それを気遣う余裕もなく、わたしはカウンターをバンバンバンバンはたきつけ、感情の荒ぶるままにヴィアベルを怒鳴りつけてしまってた。
「ねえヴィアベルあなたさあ。零落の王墓攻略中、わたしが途中で非常食のクッキーを食べ尽くして、もう少し持ってくればよかったなあって零したら、何を差し出したか覚えてる?」
普段から、大人らしい抑制した喋り方をするよう意識はしてる。それにしたって我ながら、感情の通っていない冷ややかな声が出た。彼は天井へと目を向けて、少し思い出すような仕草をしてから、
「あー、確か。軍用レーションをいくつか持ってたから、一個分けてやったっけか…?」
つい先日の、何でもない一幕のことを、事実何でもない一幕のこととして答えた。
レーションとは、見た目は手の平ですっぽり収められるくらいのコンパクトな固形物。戦士や軍人、冒険者から、戦闘中でも手早く栄養補充出来、かつ手軽に運べて保存も効く、ある種理想の糧食品が欲しいという要望の元作られた、現代栄養魔法学の粋ともいえるアイテムだ。
ただしまあ、それらの理想を叶えきった当然の代償というべきか、残念ながらレーションは食べ物としてとっても不味い。どう言い繕っても、噛むと涙目になるくらい、思わず『ゔえっ』って汚い声が出ちゃうくらい、食べ物としてすんごく不味い。パサパサしてたり苦かったり、そもそも味というものがなかったり。一部高級品を除きひたすら実用性に全振りで、食を楽しむという点には全く考慮がされていない。
そんなありがたくも残念なアイテムだけど、未踏破ダンジョン攻略の為の選出とするならば、ヴィアベルの判断は間違いどころか大正解。ましてや人に分けられるだけ持ち歩いてたというのなら、正解どころか一冒険者として非常に気が回ってる。不味いからって愚痴るとか、言語道断と言っていい。
「そうよ、あなたは慣れてたかもだけど、わたしは初めてだったのよ! あんな不味いレーションを、選択の余地のない状況で半強制的に食べさせられたのよ!」
「だっていうのにあなただけ、女の人とデートして美味しいディナーを驕ってもらおうなんて、そんなの不公平じゃない! 許しておける訳ないじゃない!」
「バカバカバカバカヴィアベルのバカ!どうしてそんなに人の心が分からないのよ!そんなんで一部隊の隊長をやってるなんて信じられないわ!」
そう、言語道断な筈なのに───。
文句や愚痴。なんて表現では生温い、聞くに堪えない怒鳴り声がわたしの口から勝手に飛び出す。内容だって明らかな言いがかり。論理も道理も欠片もない、ただひたすらに感情的で不快な批判。そんなものが、次から次へと火山そのものに噴き上がり、反論も相槌も挟ませない。
反面、心は冬空のように冷めきって、状況を高い場所から見渡している。
思考と行動が乖離したまま交わらない。ぶちまけられたパズルみたくにバラバラだ。怒声と一緒に唾が飛ぶ。ロビー内部へキンキンと、他人事のように響き渡る。ヴィアベルからだけじゃない。受付さんからもシャルフさんからも、奇異と不条理、意味不明を混ぜ合わせた困惑と憐みの目を、今のわたしは向けられている。
───ええ、自分でも三人に同意だわ。わたしは一体何をやってるんでしょうね。この一週間、自分の無能さには何度もほとほと呆れてたけれど。
今はもう、次の瞬間ヴィアベルに全力ビンタで張り倒されても甘んじて受け入れるしかないくらい、人生で最高潮に自分に失望しているわ。
───けど、仕方がないじゃない。
カウンターをはたきつける、手の勢いは加速する。「あの、器物破損になりかねないのでせめてもう少しお手柔らかに…」か弱さを演出したいらしい、受付さんのもごもごとした注意の声も、バンバンという音に掻き消される。迷い猫か、或いは森のリスなのか。天板を通じて伝わってくる、ますます怯えた小動物の気配に詫びながら、わたしはいよいよ自分の本心に向き合わざるを得なくなっていた。
───はいはいそうよそうですよ、いい加減に認めますよ、わたしはヴィアベルのことが好きなのよ。
一人の人間としての好きじゃない。魔族から助けてもらって感謝してるとか、こんな風になりたいって憧れてるだとか。そういうの全部飛び越えて、子供の頃からずーっと一人の男性として好きなのよ。
見た目だけは大人びてても、クールなエリートぶってても。
実態は、脳内お花畑で夢見がちなただのガキ。それが初代にして栄光あるレルネン一級魔法使いの孫、エーレ二級魔法使いの正体なのよ。
そしてこの想いは、叶うことなんて絶対ない。
だってわたしは知ってしまった。五日前、一次試験での、グローブ盆地での戦い。敗れたわたしはヴィアベルの背におぶわれて、会話の流れで彼の戦う理由を聞いてしまった。
それは、もう顔も名前も思い出せない幼馴染の女の子の為。
今から三十年近く前───救世の勇者ヒンメル様の死後、それを待っていたかのようにして、北部地域では魔族残党が行動を開始した。
ヴィアベルの村も加害され、決して少なくはない人々が、もうここでは暮らせないと故郷を去った。目立った娯楽も何もない、保守的でしなびた田舎。だけど 、並んで森を駆け回ったり、隣り合って同じ本を読んだりと。いつも一緒に遊んでた、大好きだった幼馴染。
その家族もまた、北部を去る選択をした一組。
ずるいという気持ち。復興を放り出して逃げるのかと、責めたくなる気持ちもあったでしょう。寂しくて哀しくて、やるせないのも当然だった。けれど、まだ幼い子供であろうも、それは一家が苦悩と葛藤の上に決断した、どうしようもない選択なのだということも十二分に分かってた。
地に落ちた瞬間溶け失せる、細やかな雪が降っている。
薙ぎ払われ、焼き払われたままの家や畑。灰に覆われたような空。木の葉が枯れて、一枚残らず地へと落ちきったクヌギ。自身の侘しい胸中を、それらが代弁してくれているかのようで───だから幼いヴィアベルは、街道を歩み去ろうとする幼馴染の手を掴み、精一杯の見栄と笑顔でこう伝えた。
『クソッタレな魔族共は、オレが全員ぶっ殺してやる。だからそん時は、この村に帰って来い』って。
───そうだ、わたしにはあの時分かった。見た目も態度も悪びれていて、如何にもたちの悪そうなあの男の本質は実は底抜けに優しくて一心で。
顔も名前も思い出せない、遠い彼方の幼馴染との約束に、三十年近く経った今も律義に囚われ続けてる。これから先、まだまだ何十年と続くでしょう魔族との戦いが終わるまで、約束という名の牢獄からは絶対に自分からは出て来ない。
だから、悔しいけれど、そこにわたしの想いが入り込む余地は栞一枚分すらありはしない。細やかな雪のように、表面だけを微かに濡らし、心の芯まで届かず消える。
無論、受付のお姉さんだって同じ。ヴィアベルには、別にお付き合いする気も結婚する気も、一夜限りの関係を持つ気すらなくて。
ただ単に、人好きでコミュニケーションが上手いから、声をかけられたからその場のノリで、火遊びみたいな会話を楽しんだだけ。
だから、怒る必要はなかった。心を乱す必要はなかった。どうせあと数分もしたならば、ヴィアベルは適当に会話を打ち切って仕事を果たしに去っていく。仕事をしている間だけ、フレッサー討伐に郊外を歩き回っている間だけ、わたしは同じパーティーとして彼の隣に寄り添える。それでいい。それだけでいい。イライラすればした分だけ、無駄に心が疲弊する。
そこまで理解しておいて、どうしてわたしはここまで激しくキレたのか。
多分、あの受付さんが、あまりに気楽にヴィアベルを口説き始めたからだと思う。
わたしの奥底の本心は、一級試験に合格したらかつてのお礼を言った後、愛の告白もしたかった。けれど、ヴィアベルの戦う理由に触れて、絶対叶わないからと心が勝手に諦めた。一方で、ヴィアベルのことなんて何にも知らない受付さんは、それゆえにお気楽に躊躇なく、欲のままにヴィアベルを口説きに行けた。魔法協会関係者同士、わたしと彼女は互いに顔を知ってる程度。見せつけてやろうだとか、煽ってからかってやろうだとか、そんなドロドロな悪意がなかったことくらい分かってる。分かってはいるけれど、本当はわたしがやりたかったことを、やりたくても諦めざるを得なかったことを、よりにもよってこのわたしの目の前でし始めて。
───だからこうして、唐突で理不尽なキレ方を未だに続けてしまってる。
恥ずかしすぎてたまらない。ロビーから走り去り遠くに消えてしまいたい。なのに身体は言うこと聞かず、暴走したまま止まらない。ああ、どうしてこんなことになったんだろう。わたしは自分が大嫌いだ。油を流された崖みたく、どん底から這い上がれる希望がない。底無しの失望に、抗う術なく落ち続けてる。せめて立派な姿をヴィアベルに見せ、お礼くらいはちゃんと言いたかったのに。
一級の孫というだけで。学園主席というだけで。在学中に二級になれたというだけで。技も心も全然未熟で、世界の広さも知らなくて。
憎悪の詰まった手の平が、カウンターの天板を一際強くはたきつけたその瞬間───。
霊的な、何かが。
手の平を通じ、わたしの脳裏にまで伝わったのは、怯える小動物の姿じゃない。
本当に、何故そうなったのかさっぱり分からないのだけれども───。とにかく脳裏に伝わったのは、小さき戦女神にして現代最高峰にある女傑が一人。
一級魔法使い試験二次試験の試験官、ゼンゼ一級魔法使いの姿だった。
ゼンゼ一級魔法使い。今回含め、一級試験官を過去五回も務めてる、超一流のベテランにして生粋の武闘派魔法使い。けれど、傍目には十代半ば───下手したら前半にしか見えない、小柄で可愛い年齢不詳な謎の女性。
そして、彼女のトレードマークといっていい、全身を覆うくらいに長く、ウェーブのかかった柔らかな髪。失礼ながら、手で梳いたならすっごく気持ちがよさそうで、子供みたいな体格も相まって思わず抱きしめたくなってしまう───色んな意味で、ちょっとだけ困った先達。
噂話でだけしか知らず、一次試験の説明会で始めて実物を目にした。それがわたしの、ゼンゼ一級魔法使いに向ける、ちょっと口には出し辛い色々アレな第一印象。説明会では一言も喋られなかったし、人前に立つのが苦手な方とも思ったのだけれども───いざ試験官として現場に立てば、ゼンゼ様は強く理知的でカッコいい、理想的な大人の女性だったのだ。
目に浮かぶ光景が遡る。一級魔法使い試験二次試験。一次試験合格者が集合後、オイサースト魔法協会から飛行して、『零落の王墓』に立った朝。
下されたのは、想定の中でも最悪の部類。長年多くの冒険者や調査隊を退けてきた、未踏派ダンジョン踏破という超困難な課題。
グローブ盆地で、隕鉄鳥を奪い合ったしがらみなら確かにあった。協調しての攻略は、最初から許可推奨されている。なのに、わたしを含め受験者達のほとんどは───誰ならば信用出来て誰と組むのが最善か。或いは己だけを頼るのか。誰が最も信用出来ず、他者を踏みつけてでも自己の利益を掠め取っていきそうか───そんなことばかり考えて、攻略へと向けた最初の一歩が踏み出せない。
こんな体たらくで本当に、魔法使いの頂へ挑む資格があるものかどうなのか。
煮え切らないわたし達をけれど、ゼンゼ一級魔法使いは静かに見守って下さっていた。
老練の達人デンケン宮廷魔法使い。ここでも相変わらずケンカしてるカンネとラヴィーネ。過去に二級試験管を殺害したというユーベル三級魔法使い。
ここにいる全ての受験者達を───試験官という立場ゆえ、試験内容の説明と質問への回答以外一切手出し出来ないなりに───、わたし達から離れた場所で、泰然とした無表情を保ちながら、優等生でも問題児でも関係なくただじっくりと観察し。
時折頭を抱えてたり、表情を不安げに歪ませたりしながらも、瞬きの間にそれを修正。『大丈夫。わたしは諸君らが、生きて合格することを心の底から信じているよ』小さな胸を、そう言わんばかりに堂々張って。
全員がダンジョン内部へと向け歩み出すのを、最後まで無心に見守ってくれていた。
───そうよ。わたしは昨日、そんなゼンゼ一級魔法使いのお姿を、思わず惚れ惚れしてしまうくらいカッコいいと思った。
強くなった姿を見せて、ヴィアベルにあの日助けられたお礼を告げる。その目的を達する為、ゼンゼ様のように小さくとも泰然とした、カッコいい大人になりたいと。
零落の王墓へと、覚悟を決めて踏み出す間際。
わたしは確かに、そんな新しい目的を抱いてた。
「───お?」
「───あ」
わたしの喉から、噴き上がる怒鳴り声が止まってた。協会ロビーに静やかな空気が戻ってくる。
ヴィアベルと受付さんからは、『あ、いきなり始まった意味不明の癇癪が、これまたいきなりだけどようやく終わりを迎えてくれた』という、安堵丸出しの小さな吐息が漏れていた。二人とも、特に受付さんはごめんなさい。完全に厄介者へ向けるそれだけど、その通りすぎて文句の一つも言えません。後日菓子折り持ってお詫びに来なきゃ。
だけどもう大丈夫。わたしの左隣にはヴィアベルが。右隣にはカウンター越しに受付さん。花の香り。磨き抜かれた白亜のロビー。ステンドグラスの神秘的な採光窓。壁越しに届く街の喧騒。空調結界による空気の流れ。離れて様子を伺っている、まだ怯え気味なシャルフさん。今はもう、周りのことがちゃんと聞こえて見えている。心も身体も、あるべき場所であるべき形に合致してる。
じゃあ、わたしはわたしの目的の為、これから何をすべきだろう?
これだけ恥を重ねた上で、もう一人のわたしが憧れた人ならば。ゼンゼ一級魔法使いならどんな言葉を紡ぐだろう?
小さな身体で、揺らがない静かな瞳で、いつでも胸を張って立っていて。
『君達は零落の王墓を攻略した。一級魔法使いに十分匹敵する。歴史に名を残す程の偉業だ』
未踏破ダンジョン最深部。ダンジョンボス・シュピーゲルを倒した先にあった、統一王朝時代の宝物庫。
無造作に積まれた黄金。繁栄の象徴であるペリドット。南国の海みたいな輝きを放つエメラルド。天へと突き抜けるかのような青を湛えたアメジスト。
目を焼き理性を奪う無数の光。そんな物には見向きもせず、春の木漏れ日みたいな微笑みで、わたし達受験者を最上の祝福と共に迎え入れた。
あのゼンゼ一級魔法使いがわたしならなら、ここでどんな振る舞いを魅せるだろう?
「───ヴィアベル、わたしさ。もしあなたと組んでなかったら、多分一次試験であっさり敗退してたと思うのよね」
「…いや、お前ならそんなことはないんじゃなねえか? こういうのは結局時の運だろ」
理想とは程遠い、ぼにょぼにょとした絶対聞き取り辛い声が出た。緊張で心臓が暴れてる。身体が熱くて汗が浮かぶ。顔は俯き目線は足元。右に左に行ったり来たり、忙しないことこの上ない。
それでもちゃんとヴィアベルは、余計な茶々とか入れることなんてなく、わたしの言葉を真面目に聞いていてくれる。───そう、だから、
「だ、だから! わたしが最終試験まで来れたのは、みんなあなたのおかげなんだから! 受かろうが受かるまいが、一級試験が終わったらお礼に食事を奢ってあげたかったんだから! だから、今その人と行かれたら、わたしがすっごく困るのよっっ!」
ああ、どうしてこうなってしまうのだろう。自分はまだまだ、一級魔法使いたる器ではないのに。口が下手で不器用で、この流れじゃもう棄権なんて出来やしない。
お礼なら合格してから言いたかったのに。せめて、もっと優雅に淑やかに。
背を伸ばして、目を合わせて。落ち着き払った言葉できちんと誘いたかったのに。何もかもが、こんなぐだぐだで中途半端な立ち位置のまませざるを得なくなるなんて。
───けれど、まあ。
「お前はしょうがねえよなあ。ありがたく馳走になるからよ、次はもうちょい素直に言いやがれよな」
精一杯に手を伸ばして、理想は爪先にすら触れられなかったのだとしても。
ヴィアベルが、朗らかな苦笑で許してくれたのだから、受験して良かったことにしておこう───。
───さて一方。
件のゼンゼ一級魔法使いが今、一体何処でどうしてるのかというと───