だがしかし、積みゲー積み本が増えていくのもまた事実。世界の供給に消費が追いつかない故、一日が24時間しかないのも原因と言える。これは情状酌量の余地がある。古事記にもそう書かれている。
ep016 まひろとカンナと中学生
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終業のチャイムは学生なら誰しもが待ちわびる福音であり、それは人生2周目である俺も例外ではない。授業自体は苦でも無いが、拘束時間からの解放というのは独特の爽快感をもたらすものだ。
放課後の雑多な喧噪の中、いそいそと教科書を鞄の中に仕舞い込む。小脇に抱えて席を立とうとしたその時だった。
「緒山さん、ちょっといい?」
呼び止める声に振り向けば、最近少し話すようになったクラスメイトの姿。
「どうした穂月」
「これから友達とパフェを食べに行こうって話になったんだけど、緒山さんもどうかなって思って」
どうやら放課後の寄り道のお誘いのようだ。
世の女学生は放課後茶店に寄ってスイーツを嗜む物。そういうイメージはあったが、まさか自分が誘われるとは……。
だがしかし、俺にはすでに放課後の予定が入っている。
「スマンが断る。今日は夕飯を俺が作ることになっていてな」
まぁ気遣いはありがたいのだが、正直そこまで甘い物を食べたい欲求もないし。女子中学生の輪の中にオッサンが一人で放り込まれても、どうすりゃいいのか見当もつかん。
ココは丁重に理由を添えて、お断りしておくに限るというもの。
「じゃあ、俺はこれで」と鞄をひっさげ帰ろうとすると「ちょっと待って」と穂月に呼び止められる。
「どうした?」
「実はその、まひろちゃんも誘おうと思ってたんだけど……」
「……まひろを?」
いやまぁ、確か穂月と兄者は友人関係になったのだから、おかしい話でもないか。
「うん。それで緒山さんの家に行こうと思うんだけど、いいかな?」
「いいかなって……まひろがOKを出したなら、別に俺に許可を取らなくても……」
「あ~それなんだけどね……」
穂月がポケットからスマホを取り出し、2,3操作した後に画面をコチラに見せてきた。メッセージアプリの会話ログ。本日の日付の下に「まひろちゃん、放課後パフェを食べに行こうと思うんだけど、一緒にどうかな?」という穂月側の発言の後「まひろちゃん、もしかして寝てる?」「返信欲しいなー」「おーい」と既読のついてないメッセージが続いていた。
「こんな感じなんだ……」
「……成る程」
「嫌われてるわけじゃないと思うから、無視されてるんじゃないと思うんだけど……」
「まひろの携帯だとたまにある事だ。家から出ないもんだから、あまり携帯を持ち歩かないし確認しないんだよ」
兄者のスマホは、ほとんど携帯ゲーム機みたいな扱いをされている。
「少し待て。今なら姉者も家に居る筈だ。ソッチ経由で聞いてみよう」
姉者のアドレスを呼び出し電話をかける。コール音が三回目辺りで『どうしたのカンナー?』と姉者が応答してくれた。流石レスポンスが早い。
「姉者か? 今学校で穂月と居るのだが、友人達と甘い物食いに行くので、まひろも一緒にどうか、と誘われてるんだ」
『おに……あーっと、まひろちゃんも?』
「あぁ。メッセージ送っても既読がつかないとの事でな。どうせまたスマホを部屋に置いたままにしてるんだろうなと思って、姉者に電話させてもらった」
『察しのよろしいことで。居間でゴロゴロしながらゲームしてるよー』
スマホは充電ケーブルに刺さったまま部屋に放置かな? まぁいい。
「姉者、そのまま兄者に確認取ってもらえるか?」
『…………』
「……姉者?」
何故返事がないのかと訝しんでいると『あーうん大丈夫。ちょっと待っててね~』と返されるが、何だ今の間は……。
言われるがまま待つこと数秒。『お待たせ』と妙に嬉しそうな声が返ってきた。
『まひろちゃん、今ちょうど暇してたし、オッケーだって!』
「…………」
ホントか? 声がやたら明るい所が嘘くさいんだが。
『カンナ? せっかくのお誘いなんだから、無下にしちゃ悪いじゃない?』
……いやまぁ、そうか。うん、そうだな。せっかくの兄者の外出のチャンスなんだ。少々強引でも、事を進めてしまうのも有りか。
「了解、穂月には伝えておくよ」
待ってるわねー。という姉者の声を通話ボタンで切る。
「どうだった?」
「大丈夫だ。家に寄っていってくれ」
俺の返事に穂月は声を弾ませながら「うん、分かった!」と笑顔を浮かべる。
そこにタイミングを見計らったかのように「もみじー!」とやたら元気に弾んだ声が駆け寄ってくる。
見れば主人を見つけた大型犬のように、助走からの飛びかかりをかまそうとする桜花が居た。
マズイ受け止めねばと思うも、片手は鞄。もう片方はスマホを握っておりガッデム状態である。鞄で殴るはNGだし、スマホを握った手で殴るのはもっと駄目だ。桜花だけじゃなく財布にもダメージが入る。
結局そんな風に迷っている間に、桜花は俺の顔面にフェイスハガーをかましてくる。10代女子の飛びかかりに倒れそうになる体をなんとか持ち直すが、マジで何しやがるこのガキ……前世の体だったら腰やってるぞ……。
「なぁなぁ、もみじの友達どうだった? 一緒に行けるのかー?」
「そ、それはOK貰えたけど……ちょっとあさひ! いきなり人に飛びかかったりしないの!」
スマホをポケットに仕舞って、空いた手で引っぺがそうとするも、腕と足でガッチリ取り付いてるらしく全然動かん……。ワハー! じゃないんだよ嬉しそうにしてんじゃねぇ。遊んでやってんじゃないんだぞ。
「ちょ、ちょっとあさひちゃん! 顔に張り付くのは駄目よ! 苦しそう!」
控えめなその声は、おそらく室崎。桜花の凶行に注意すれば「おぉ、そうか!」と元気な返事が。そしてワシャワシャと俺の体を這い回り、何故かおんぶの形へ。
「良し!」
「良くない」
現場ネコでもココでその台詞は言わんだろうよ。
しかし、さっきコイツはなんて言った? 一緒に行けるのか、だと?
「桜花と室崎も、一緒に来るのか?」
「もみじから話聞いて、会いたいなってなって!」
「私も、噂のまひろちゃんってどんな子なんだろうって、気になっちゃって」
どうやら穂月の言う友達はコイツらで、兄者は今からこの三人組の中に放り込まれるらしい。
……約束を取り付けたが、大丈夫か? 穂月はともかく、元気いっぱいに人を振り回す桜花と、まんま普通の女子って感じの室崎。どっちも引きこもり成人男性である兄者の不得手とする相手のように思えるが……。
……いやまぁ、大丈夫か。元々人見知り気味の兄者に、得意な相手なんてあまり無いだろう。ソレを思えば人格面において問題の無いこの二人は、良い選択なのかもしれない。
ただまぁ、一応姉者に同行を打診しておくべきかもしれないな。
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
最近のお兄ちゃんの改善は著しいと言っていい。
家どころか部屋から出る事も無かった頃を思えば、リビングのソファーで寝転びながらゲームをしてるリラックスした姿は、大変喜ばしい物である。
だがまぁ、三歩進んで二歩下がる。部屋からは自主的に出てくるようになったのだが、家の外には自ら出ようとしなくなってしまった。
曰くーー
「外出ぅ? なーに言ってるんだみはりぃ。この前みたいに補導員に捕まったらどうする? 身分証明書もないオレは、学校をサボった子供扱いされちまうんだぞ。だからこうやって、家の中に居るのが正解ってものなんだよ。いや~仕方ない! 外に出ようにも、成人してるって証明出来ないんだからさー。こうやってゲームしたり漫画読んだり、アニメ見たりして過ごすしかないよなー。アッハッハッハッハ」
との事であり、まぁ言っている事は一理あるので頭から否定は出来ないのが歯がゆい限りだ。
とは言っても、実はその対策はもう既に済んでいる。今私の胸ポケットに仕舞われた物があれば解決出来るのだが……はてさて、いつその話を切り出した物やら……。
そんな風に悩んでいた時に来た一報。
曰く、もみじちゃんが友達を伴って、お兄ちゃんとパフェを食べに行くのに誘っているとの事。
この顛末によっては、話を切り出す良い機会になるだろう。渡りに船なこの状況、私は少々強引な手法に出ることにした。
「帰ったぞ、姉者」
玄関の方からドアを開く音と共に、妹の帰宅の挨拶が届く。
「お帰りなさい」
「おーお帰りー」
寝っ転がったままピコピコやってるお兄ちゃんをリビングに残して玄関に迎えに行けば、帰ってきたカンナの後ろには、もみじちゃんと見知らぬ同級生ちゃんたちが居た。
「あら、もみじちゃんいらっしゃーい」
「こんにちは。まひろちゃんを迎えに来ましたー」
礼儀正しくペコリとお辞儀をするもみじちゃんを、はい「こんにちはー」と笑顔で出迎える。そんなやりとりを尻目にカンナはさっと靴を脱ぎ、リビングの方に入っていく。
「兄者、客人だぞ」
「おー聞こえてた。もみじだよなー」
よっこいせ。なんてかけ声の後にトテトテと軽い足音が玄関に飛び込んでくる。
「ほいほいほーい。何か用かーい?」
「あ、まひろちゃーん!」
お兄ちゃんの姿を見た途端に、顔がほころび、やっほー、と小さく手を振るその姿にホッコリさせられる。
対して。嬉しそうにしていたのに、もみじちゃんの後ろに居る二人の姿を見た途端に、顔が一瞬で引きつるお兄ちゃん。やっぱこうなったかー。と納得すると共に苦笑いが漏れる。
いつものグータラが何処へやら、ビックリした猫みたいな俊敏さでリビングの入り口に身を隠し、警戒するように未知の二人組へと目を向ける。
「だっ、だだっ、だだだ誰ぇ!?」
「あ、あれ? 確か緒山さんは、お姉さん経由で話してくれたって……」
もみじちゃんとお兄ちゃんが、ゆっくりと視線をコチラに向けてくる。
私は微笑みでソレをあさっての方向へ受け流した。
「お、お前っ、何を勝手に約束取り付けてるんだよ!」
「良いじゃない。ちょうど暇してたんだし~」
「ほれ、兄者」
いつの間に上がっていたのか、二階から下りてくるカンナの手にはスマートフォン。ポンとお兄ちゃんの手に渡ると、その画面を見た瞬間「うおっ!?」と驚きの声が上がる。
「気圧されるのも分かるが、折角誘ってくれているんだ。時間は空いてるんだし、行ってやってはくれないか?」
「うぅ、いや、でもなぁ……」
スマホに来ていたであろうお誘い文句と、もみじちゃんと、その後ろの二人の三つへ、視線を行ったり来たりさせている。経験的にもう一押しでお兄ちゃんは陥落するだろう。
「まぁ心細いというのも理解出来る」
故にだ。とカンナがポケットから財布を取り出し、そこからお札を数枚抜き出し、私に突き出してきた。
……ん?
「姉者、交友費としてコッチで処理しておくから、まひろについてってくれないか」
という事はコレってパフェ代? じゃなくって。
「いや、アンタは?」
「今日は俺が夕食の担当だろう。年下ばかりで少々肩身が狭くなるだろうが、ココはまひろのために一肌脱いではくれなまいか?」
ん~? えっと確か、コイツが言ってたのは……
ーー姉者か? 今学校で穂月と居るのだが、友人達と甘い物食いに行くので、まひろも一緒にどうか、と誘われてるんだーー
……あ~成る程。確かにカンナも行くとは言ってないな。いやでも、流れ的にコレはアンタも入っておいてしかるべきだろう。
うんうん、成る程成る程。
お兄ちゃんを見る。今の会話を聞いていたのだろう。私と目が合うと、お互い無言で頷いた。
「まひろちゃん、これパフェ代ね」
「おう」
カンナの取り出したお札をお兄ちゃんに流す。
「もみじちゃん、二人のこと、お願いね?」
「え?」
「へ? あ、はい」
お兄ちゃんがカンナの腕を取り、私は後ろに回って背中を押す。
「い、いや俺は夕飯の支度がーー」
「私がやっておくわよ。せっかく友達からのお誘いなんだから、そっち優先しなさい」
「ほら、オレもついてってやるから。行くぞー?」
そのまま玄関の方へ押し出す。下手に抵抗すれば引っ張ってるお兄ちゃんを転ばせかねないこの状況、カンナはなされるがままに引っ張られていく。
「よ、よく分かんないけど、とにかく行こうか?」
「ンナも一緒に行くんだな! 歓迎するぞー!」
「お、お邪魔しましたー?」
「あ、姉者?」
「ほーらカンナ~行くぞ~」
バタン、と閉められた玄関に「行ってらっしゃい」と手をヒラヒラさせながら見送る。
……行ったか? 行ったな。
ほーんと、カンナの家族以外とコミュニケーション取ろうとしないところは、どうにかならないものだろうか。
いや、家の事をするのは良いことだとは思うのよ? 立派な事よ。勉強もそつなくこなすし、資格の勉強とかもしてるらしい。実に良く頑張っているわ。
でも、どうにもこの子は自分の事を蔑ろにするきらいがある。
ーーカンナだって、友達と遊んだり勉強したり、おしゃれや恋愛とか、やりたいことがあるでしょ!
ーーないな。
今でも覚えている。両親が海外へ行く事になった時に、私がした問い。それに対しての、カンナの答え。
あの気取りも気負いもない、何の感情も乗っていない抑揚の無い返答。それがカンナにとって何でも無いただの事実なのだろうと、平坦な声音が私に悟らせる。
家族として大切にされているとは思う。でも、このままでは駄目だ。
カンナが、あの娘が自身を顧みる事も覚えて貰わねばならない。そのためには、まず現状把握が必要である。
「はてさて、上手くいきますかねっと……」
とりあえず夕飯の支度でもしながら、悪巧みを進めますかな。
白衣のポケットに手を突っ込みながら、私は家の奥へと進んでいくのだった。
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
女子中学生の集団とパフェを食べに行くという提案に、嫌だ俺は行かないぞ! と駄々をこねるには、俺は少々年を取り過ぎていた。まあ提案を断る理由も年齢なので、内心ちょっと複雑ではあるのだが。
「それじゃ、紹介するね。クラスメイトのみよちゃんとーー」
「あっさひーだぞー!」
入った喫茶店は最近出来た物なのか、今時の若者向け、みたいな感じの店。照明は明るく、店内の明度も高い。静かにゆっくりコーヒーを飲みながらくつろぐ空間というよりは、数人で集まってお茶をしながら会話に花を咲かせる場所、といった感じだ。
故に元気いっぱいに手を挙げながらの自己紹介する桜花の声も、この店の中ではそう浮いた物ではない。
「ま、まひろですぅ……よろしくねぇ……」
そしてそんな桜花の声に気圧されてか、はたまた人見知りな所が出てきたのか。兄者の自己紹介の声は震えている上に小さい。その様はとても女子中学生を前にした成人男性とは思えない程に弱々しい。
しかもソレは身振りにも出てきており、体は縮こまらせるように丸まっており、隣に座る穂月の腕を、縋るかのように抱きしめている。
「ま、まひろちゃんっ、ちょっと、当たってるよっ!」
「え? う、うわぁゴメン!」
まぁそんな抱きつき方すれば、いわゆる「当ててんのよ」状態は必然であるからして、すぐ隣で繰り広げられるラブコメ的なやりとりに、こんな事現実で起きるんだな。等とちょっと感心していたら回避が遅れた。
兄者は穂月とは反対側に座る俺の方に飛び退き、その腕が思いっきり俺の胸に伸びた。というより、姿勢を支えるためか思いっきり掴まれた。
「まひろ、掴んでるぞ」
「どわっスマン!」
いやまぁ、別に良いのだが。正直胸に関しては自分の物って感じがしないし。
だけどこんな物ぶら下げてるって思うと、気恥ずかしさはあるんだよな。
「……ほぉ~ん……」
そんなトラブルに見舞われていると、何やら熱っぽい吐息の音がした。
何だ誰だとソッチを見ると、対面に座る兄者とは初対面の二人。その片割れの室崎が両手を頬に添えながら、らんらんと輝く瞳でコチラを注視していた。
「もみじちゃんから、仲良しだって聞いてたけれど……」
成る程成る程~。等と嬉しそうに、俺、まひろ、もみじへと、視線を反復横跳びさせている。何が言いたいんだろうねこの娘は……。
様子のおかしいクラスメイトの姿に困惑していると、フッフッフ。と不敵な笑いが室崎の隣から来る。
「まひろんの情報は、すでにもみじから入手済みだぞ!」
「まひろん?」
RPGで状態異常を回復する薬みたいな名前が飛び出してきた事に兄者が困惑するが、おそらく桜花の付けた渾名だろう。相も変わらず、人間関係において踏み込みが早いことだ。
「とってもかわいくて面白いって~」
ね、もみじちゃん? と室崎に話を振られた穂月は「あ~うん、まぁ……」と照れくさそうに頬をかく。兄者も自分の知らない所でそんな風に言われていたという事に、「そ、そんな事ぉ……」ないよ~。とくすぐったそうにしている。
「そんでもって~」
ニカリと、その表情には悪意の欠片も感じられず、ただただ目の前の物を説明するようにーー
「ぐーたらで、ポンコツで、人見知り!」
一瞬音が消えたかのように、俺たち4人は言葉どころか身じろぎの音すら出せなかった。場が凍るという言葉のお手本のような瞬間だった。
い、言いやがった……言いやがったよコイツ……。なんて的確でぐうの音も出ねぇ表現なんだ……。
ところで、だ。
「……穂月?」
お前だよな。兄者の情報の出所は。
「わぁぁああああっ! わ、私そんな事言ってないよ!?」
オウお前さんそんな言葉で言い逃れ出来ると思ってんじゃねぇぞ。キリキリどんな話したかを吐きなんせ。そんなメッセージを視線に乗せて穂月へワイヤレス通信をかませば、その身をカタカタ震わせ始める。
大丈夫だ恐れることは無い。俺は社会人経験のある文明人だ。言葉でもって口をーー
「アハッ、ハハハ、アッハハハハハハハハハ!」
その時、冷たく重くなり始めた空気を吹き飛ばすような笑いが俺と穂月の間からーーつまりは、兄者から吐き出された。
「ま、まひろ?」
「まひろちゃん?」
「あーっ、いいのいいの、ホントの事だし。変に期待されるよりそれくらいの方が気楽でいいや」
本当におかしくて仕様が無い、と言わんばかり喉をクツクツと鳴らすその姿に陰りは見えない。腹の底から笑いが溢れてきているような兄者の様子に、場の空気に陽が差したような気がした。
「は~……っ。な~んか緊張溶けたかも~」
腕を机に放り出し、体をぐで~っとあずける兄者。まるで自宅と同じように力の抜けたその姿は、穂月の腕に縋り付いていた時とは大違いだ。
「そっかー。良かったな-!」
「良かったなー、じゃないよぉ……緒山さん、怖い顔で睨んでくるし……」
「なに~? カンナぁ、お前な~」
「いや、その……スマン……」
……本人が笑って済ませるなら……うん。俺の出る幕では無い、か……。
眉間を揉んで、注ぎ固められていた何かを解きほぐす。
「ゴメンねぇ、あさひに悪気はないんだけど、ちょっとおバカで……」
「あらま毒舌」
いつの間にやらテーブル席は弛緩した空気に包まれていた。呆れや安堵や無邪気さの入り交じった笑い声が踊る。
「ま、あさひとは小学校からの付き合いだし」
「なー!」
へー。幼い頃からの付き合いだったのか。仲は良いとは思っていたが、運動強者同士だからってだけじゃなかったんだな。
「あ、大丈夫よ!」
何かに気がついたかのように、室崎が兄者に向けて口を開く。
「アレはただの腐れ縁って奴だから」
ね? 分かるわよね? と言いたげな雰囲気を出してくる室崎。
ニコリと微笑みながらの言葉ではあるのだが、どことなくマジな空気を感じ取り、俺と兄者は視線を合わせる。
ーーお前、何が大丈夫なのか分かる?
ーーいや全く……。
穂月と桜花が小学校の頃からの腐れ縁で仲良しである。
だから何だというのか。室崎が何を言いたいのかが分からない。分かりはしない、がしかし、彼女の笑顔の裏に潜む圧のような物を感じ取った俺たち兄妹は、承知しました、と頷く事でその場を切り抜ける事とした。
(考えてみればーー)
兄者と中学生達でにこやかに雑談している所を横目に、お冷やでチビチビ口を濡らしながら思考にふける。
桜花の言った兄者の特徴は、実に的を射ていた。ぐうたらで、ポンコツで、人見知り。まさにその通りであり、その評価は、別の誰かを意識させるような物ではない。姉者や俺といった、妹たちと比べて、という評価ではない。その人となりを表した言葉は、兄者だけを見た言葉と言える。
褒めている言葉ではないにしろ、まっすぐと兄者を表した言葉だ。ソレを素直に受け止めるだけの度量を兄者は持っていたのだろう。
それなのに、俺はいつの間にか勘違いしていたようだ。兄者は弱く、守らなければならない存在だと。
いかんな。兄者はもう成人した一人の男だ。一人前として扱われるような立場であり、自立していてもおかしくないのだ。
過保護になっていた己を戒める。兄者がどうにもならなくなった時は、一生の面倒を見る事は覚悟している。してはいるが、ソレは兄者にとって最良とはほど遠い結末だろう。やはり一人の人間として、自立して、人と交わり、家庭を築き、良縁に囲まれる事こそが幸福であり、そうなれるようにするために、姉者は兄者をこんな身体に改造したのだから。
「おーいカンナ~?」
名前を呼ばれた事と、横から袖を引く感触で、思考の中から浮上する。
目を向けると小さく細い指で袖をちょこんとつまみ、コテンと小首をかしげた兄者が、クリクリとした大きな目で俺を見上げていた。
「どうした、まひろ」
「いや、お前が全然会話に入ってこないから、どうしたのかなって思って」
チラリと見ればテーブルの全員が俺の方に目を向けている。気を遣わせてしまっていたようだ。
「気にしないで良い。女子中学生と何を話せば良いか分からんだけだから」
「お前自分がその女子中学生だって事忘れてないか?」
忘れちゃ居ないが、中身が30代の男である事も忘れられない物でな。子供の中に放り込まれたら、基本静観しか出来んもんなんだよ。若者の話題にはついて行けないんだ。
これが高校生になれば、多少はマシになるかとも思っているが、はてさて。
「お待たせしましたー」
「おぉ来たぞ!」と声を上げはしゃぐ桜花に、小さく拍手して注文の品を迎える室崎と穂月。俺はウェイターがテーブルに下ろすパフェの群れを、注文した本人の目前へと送る。兄者は目の前を横切る品々を、目を輝かせて食い入るように眺めていた。
おぉー……。と場に溶けるような感嘆の声が複数上がる。
目の前には色彩豊かに盛り付けられたグラスの群れ。クリームの見た目に分かる柔らかさや、フルーツのみずみずしさを感じる艶。チョコクリームやウエハース等の飾り付けを、詰め込まれた末に上にまであふれ出ているかのような盛られ具合。
さしずめ甘味のモニュメントと言った所か。
「そういえば、パフェって初めて食べるかも……」
兄者の呟きに内心同意する。ファミレスなんかで見かけるけども、飯を食った後にデザートとして食うには量が多い。かといってパフェを目的に飲食店に入るほど、馴染みのある食い物でもない。
存在は知ってるし、美味いんだろうなと想像もつくけども、そのためにわざわざ足を運んで財布を開くかと聞かれると、まぁ、今回はいいかな? で済んでしまう。どうにも男にとってパフェという物は、たまに見かけるが話しかけるでもなくすれ違う、そんな距離感の食い物のように思う。
「ココは種類も多いんだ~」
示し合わせたわけではないが、パフェを注文するとき俺たちは被らないように、別々のパフェを注文した。
穂月は、白いクリームにイチゴの赤が映えるスタンダードな物。
兄者は薄茶色の山に、茶色い宝石の添えられたモンブラン
黄緑輝くシャインマスカットは室崎。桜花はスライスされたバナナにチョコレートの黒が添えられた、バナナチョコ。
そして緑のクリーム、黒い餡子。白玉のアクセントが眩しい、抹茶パフェが俺の目の前に鎮座する。
俺以外の皆が、目の前にお出しされた甘味の塔に歓喜のご様子である。
いただきます。と控えめな声と共に、金属スプーンがガラスの器に触れる音がテーブル中で鳴る。
「はい、あーん!」
さぁ最初の一口を。といったタイミングで桜花の声が響く。
茶色と白のクリームが乗った匙を、自分の口ではなく、兄者の方へと突き出していた。
「さっきのお詫びにひと口どーぞ!」
さっきのお詫びとは、あのぐうたらポンコツ人見知り発言の事だろうか。まあ、自責の念からでは無いのだろう。桜花の顔はにへら顔である事から、単なるスキンシップの一つのようだ。
そして匙を向けられた兄者はチラリと俺の方を見る。これ、食って良い奴?
まあ疑念は分かる。成人男性が女子中学生からあーんされる。ともすれば事案案件かもしれないが、まぁ桜花だし大丈夫だろう。俺は無言で頷いた。
「……あ、あぁ~………」
若干気恥ずかしそうにしながら兄者が大口を開け、桜花のスプーンをくわえようと身体を前のめりにしようとした。
だがソレを良しとしない者がいた。
「あむっ!」と勢い良くスプーンを口に入れる音。
兄者ではない。
桜花のスプーンを腕ごと自分へ向けて、あーんをかっさらっていったのは、普段常識人として振る舞っている筈の穂月であった。
「はえ?」
大口開けたあほ面のままの兄者が気の抜けた声を漏らしながら、訳が分からないと言った様子で穂月を見る。状況説明もしないまま、口の中の甘味を飲み込んだ穂月は、すかさず自分のパフェから一匙すくう。
「まひろちゃんには私のあげるね!」
そう言って開けっぱなしだった兄者の口の中に、自分のイチゴパフェを突っ込んだ。その勢いはとても「あ~ん」などと言える物では無く、喉奥まで突っ込まれたのか苦しそうに「んぐぅぅぅうううううっ!?」と口を閉じたままの悲鳴が上がる。
「美味しいでしょぉ、まひろちゃん!」
「お、おい穂月! 喉! 喉突いてるって!」
苦しそうな兄者が見えていないのか、もう一匙パフェを突っ込もうとする穂月の腕を掴んで止める。何だコイツいきなり凶行に走りやがって!
「コッチも美味しいぞぉまひろん!」
「お前もか桜花ぁ!」
穂月に食われて失敗した桜花も、再度あーんを決行しようとするも、その勢いは刺突のそれである。喉を突き破るつもりかお前。
クソっ、両手を塞がれた! ココで室崎まで参加してきたら止めようが無い! いや最悪口でなんとか受け止めるほか無いか!?
そんな焦燥を抱えて室崎を見ると、良かった、パフェを突っ込んでくる様子はない。無いのだが……何故か胸を両手で押さえてキラッキラした瞳でコチラを見ている。口から漏れ出る吐息は、溢れた幸福感が混じっているかのように「はぁ~……」という異音でもって「うっとり」と言っているようである。
「む、室崎?」
「あ、私の事はお気になさらず~」
コチラ胸が一杯なのでぇ~。なんて言うが、室崎のパフェが食われている様子は無い。
というか隣の席の桜花を止めてくれよ。常識人側の筈だろお前。
まぁ二人とも、話せば分かってくれる奴ではある。落ち着いた後はつつがなく、わきあいあいとパフェを食いながら駄弁る席となった。
さっきのような突き刺すような勢いではない、普通の食べさせあいだったり、パフェの感想だったりがテーブルの上を飛び交う。
俺もそれに倣い、パフェに手を付ける。抹茶の爽やかな甘みや、餡子のしっとりと、けれど重たい甘さ。白玉のほのかな甘みに舌鼓を打ちつつ、成る程コレがパフェの美味さかと納得する。
それと同時に一つ俺は悟り、店員を呼び出すボタンを押した。
すみません、ブレンドコーヒーのホットを一つ。
甘さ爽やかな抹茶を頼んだが、グラス一杯の甘味は俺には量が多いのだなと心に刻む事とした。
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
「ふぅ~……満足満足……」
「なー! 美味しかったなー!」
「気に入ってくれて良かったよー」
これ程までに、甘味……お菓子ではなくデザートで腹を満たしたのは、オレの人生でも初めてじゃないだろうか。あぁいや、誕生日やクリスマスの時、ケーキで腹を満たすことはあったけど……うん、あれはデザートって感じじゃない。飯だ飯。だから別の話だ。
そんな少し膨れた腹を撫でながらの帰り道。
前を歩く皆を見ていてふと気がつく。全員、地元の中学校の制服を着ている事に。
全員同じ年齢で、同じ学校に通って、同じような生活をしている、そんな集団。対して自分の服はみはりの用意した私服であり、皆とは違って家に引きこもり、家でニートをやっている。
そんなどうしようもない差異に、喉奥の、胸の辺りを紐で絞めたような息苦しさを感じた。
目の前の制服に身を包んだ娘達はーーもみじにカンナ、あさひやみよちゃんは、ちゃんと毎日学校に行って、勉強して、友達と話して、一歩一歩前に進んでいる。
対して私服の自分だけは、家でゴロゴロして、何も成長せず、話す相手といえば家族だけ。思い返せば、オレは高校を卒業してからずっと、何も成長していない。
夕日の茜に染まる、制服姿の4人。目の前に居る筈なのに、何故だろうか。ソレが画面越しの向こうの世界の出来事のように思えてくる。
オレにも夕日は差している筈なのに、照明も点けていない暗い部屋で、コントローラーを両手に座り込んでいるかのような感じがするのは、一体何故なのだろうか……。
「なんか、友達の会に混ざっちゃって、ゴメンねぇ……」
どうしようもなく自分が場違いに思えてしまったからか、気がつけば胸の中の締め付けが、そんな言葉を喉から絞り出していた。
しまったと思ったけど、吐いた弱音は飲み込む事が出来ない。聞いた目の前の制服姿の4人が、キョトンとした顔で振り返った。
「まひろんももう友達だぞ?」
当たり前の事のように……いや、あさひにとっては事実当たり前なのだろう。ニカリとした笑顔で言ってくれる心に嘘偽りは無いのだろう。
もみじも「そうだよ。一緒にご飯も食べた仲じゃない」とあさひに並んで言ってくれる。
けれど、分かってる。コレはオレが言わせたような物だ。ココで「友達じゃ無い」なんて言うような子達じゃない。
「そうだぞ兄者」
カンナがいつもの真面目くさった真顔で言う。
「多分この中で中学生組と関係性が一番薄いのは俺だぞ」
「いやお前もその中学生組の一人だろうが」
「緒山さんって何か私達と距離取りたがるよね……」
「ンナは中学生の自覚が薄いナ!」
お前の中で自分の立ち位置ってどうなってるんだよ。そりゃ見た目は中学生離れしているけれども、お前もちゃんと同級生だろうが。
後今日会ったばかりの俺より関係薄いってのはどうなんだ。お前ちゃんと学校でやっていけてるのか?
なんか、疎外感が一気に削がれたような気がする……。
「あさひはココでバイバイだぞ!」
「私もコッチ」
あさひともみじが、オレ達とは違う道の方へ別れていく。
「また遊ぼうなーまひろーん!」
トットットと駆け足で違う道へ入っていく途中、あさひは振り返ってブンブンと大きく手を振る。もみじもソレに倣い「また明日~」と小さく手を振りながら去って行った。
「……はいはい、そのうちね~」
口から出た返事は素直な物ではないし、思ったより声が小さくて、二人に届いたかは分からない。
「……まひろちゃん」
二人が見えなくなった辺りで、まだ帰り道が同じなみよちゃんが小走りで寄ってくる。何だろうと思っていると、突然オレの手を両手で包み込むようにして握ってくる。
不覚にもドキリとしてしまった。分かるだろう? 相手は中学生とはいえ、自分より身長が高い女の子に両手をしっかり握られればこうもなる。
いきなりの男女的身体的接触に赤らめている顔を、みよちゃんはキラッキラした目で見つめてきた。小さい頃新しいゲームソフトを買ってもらった時のオレみたいな、ちょっと浮かれているのが見て取れるような目だ。
「応援、してるからね!」
「……何をだ?」
横で見ていたカンナの呟きに同意するも、オレはちょっと記憶に引っかかりを感じた。
そういえばこの娘は、さっきもちょっと理解できない言動があったような気がする。
ーーアレはただの腐れ縁って奴だから。
もみじとあさひが小学校の頃の話をしていた時の台詞だ。まるであの二人の関係が深い物では無いと言うような感じだった。
さらに言うと、もみじとあさひがオレにパフェを押し込もうと……食べさせようとしていた時、やたら嬉しそうに目を細めていたように思う。
そして今の、応援している。という発言。
(……こ、この娘……)
もしやリア友で、百合カップリングしてるのか? しかも、オレともみじのカップリングなのか!?
疎外感どころじゃなかった。百合カップルの片割れになる事を望まれていると知り、オレの頬が引きつるのを感じた。
……中身で考えれば男と女だから普通なのか? いや成人男性と中学生は駄目だな。
みよちゃんゴメン。オレその期待には応えられそうにないよ……。
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
段々と冬の到来が近づいてきているのか、最近夕方から暗くなるのが早くなってきたように思う。
「ただいま~」と帰ってきた時には、もう紺色の空にポツポツと星が瞬いていた。
「お帰り二人とも♪ 女子会どうだった~?」
リビングに入れば、みはりはニヨニヨとからかっているのを隠そうともしない笑みを浮かべて待っていた。
「男が混じっても女子会って言うのかね?」
「何よ。今は女の子だから成立するでしょ?」
中身は男のままなんだが。
「まぁ女子会はともかく、パフェは美味かったよ。結構甘かったのにスイスイ入ってさ。しかも味が具材毎に違うから単調じゃないんだよ」
いや~女子が食いたがる理由を実感したね。ありゃ甘味の福袋だよ。
「そっかそっか。楽しかったようで何よりだわ」
で、アンタは? と帰宅の挨拶をしてから黙っていたカンナの方へ問いかける。問われた方はちょっと眉根を寄せ、言葉選びに悩むかのようにポツポツと語り出した。
「味は良かったが、量がちょっとな……甘味だけをアレだけ食べるのはキツイって分かったよ。コーヒーとかお茶とか、苦い物と一緒だと美味く食えた、かな……」
「ありゃりゃ、合わなかったか~」
「合わないとも違うかな……焼肉は好きだけど、白米もないとあんまり進まない、みたいな?」
確かにオレも焼き肉は好きだけど、それだけで大量に食えるかっていうと違うよな。オレは成る程なー。と深く頷くが、みはりの方はイマイチピンと来ていない……というよりは納得出来ない、って顔だろうか。
「まぁとりあえず、晩ご飯にしましょうか。準備しておくから、先にお風呂入っちゃって」
「ほいほーい」
まぁ、ちょっとパフェ食べた分あんまり腹は減ってないけど、その辺は米を控えめにすりゃいけるかな。
「あ、カンナ。ちょっと話あるから、アンタは後でいい?」
「そりゃ構わないが。というわけで、兄者、先に風呂済ませてくれ」
「あいよー」と軽い返事で風呂場へと。
服脱いで裸になり、シャワーを浴びる。目をつぶり、お湯が体に当たる感触と、その温もり。狭い個室の中を反響する、シャワーが床を打つ音に浸っていると、急に今自分が一人である事に意識が向く。
ちょっと、昔の事を思い出す。
緒山みはりのお兄さん。
緒山カンナのお兄さん。
天才と秀才のお兄さん。
さぞや立派な人なんだろう。何せ、あの天才と秀才の"上"の人なのだから。
実際にそう言われたわけではない。誰しもソレを直接オレに言わないだけの常識はあるだろう。でもだからこそ、皆心の中では思っているのだろうなと、そうずっと思っていた。
あの二人の兄なのに"コレ"なの?
シャワーを止める。風呂に備え付けられてるクシに手を伸ばす。
ぐうたらで、ポンコツで、人見知り。
今日、あさひに言われた評価だ。褒めてるとは言えた物じゃないが、全部真実だから違うなんて言えない。本当、又聞きなのにここまでオレを的確な言葉でまとめるとは。あさひの理解力がすごいのか、それほどまでにもみじがオレの事を喋っていたのか。
だが、ここまでまっすぐオレを見て、オレを表した言葉だからだろうか。ストンと、その言葉はオレの胸に自由落下で収まった。
髪にシャワーを当てていく。
何せそこには、みはりの影も、カンナの影もない。
二人の上に居なければならないのに。なんて枕詞もない。
ただオレだけを指して、ぐうたらで、ポンコツで、人見知りな奴だと言い切られて……もうバレちゃってるんだから、変に体裁とか考えなくてもいいやって……そう思うと、なんか今までずっと肩に乗っていた何かが、ズルリと滑り落ちていったような気がしたんだ。
「……また明日、か……」
そう思うと、本当、毎日のように……それこそ、同じ学校に通いでもして、同じ教室で会うのが当たり前のようであれば……。
なんてな。
オレはシャンプーに手を伸ばした。
♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀
「上がったぞー。次入れ~」
なんて気の抜けた声と共にリビングに入ったのだが、どうにも場違いな感じだったらしい。テーブルに座るみはりとカンナだが、その空気感は妙にヒリついた物となっていた。
カンナはいつも以上に眉根にシワを寄せながら、片手で頭を抱えていた。オレが入ってきたのを察してか、いつもの様子を取り繕おうとしているようだが、シワがまだ残っているし「あぁ、兄者か」という声が妙に固い。
みはりもみはりで、いつもの柔らかい表情はなりを潜め、真顔のままだ。
「……どう、したんだ?」
とりあえず現状が分からにゃなんも言えん。心当たりも無いし聞くに限る。
「……スマン、姉者に聞いてくれ……」
風呂入ってくる。と背中を丸め疲れた様子で、オレの横を通り過ぎてリビングを出て行くカンナ。
「……まぁ、ちょっと話を飲み込むのに苦労してるってだけだから、あんまり深刻に捉えなくても大丈夫よ」
ふぅ~。と張り詰めていた何かを口から吐き出すように、みはりは大きく息を吐いた。そして机をトントンと叩き「お兄ちゃん、ちょっと座って」とうながす。
いや~、この空気感と流れで着席はお兄ちゃんちょっと嫌だな~おうち帰りたいな~とか思うも、ココが家だし相手は家族。逃げる先の無いやるせなさよ。オレは何を言われるのやらと戦々恐々と着席するしかないのだった。
「まーまずは良いニュースから入りましょうか?」
「普通そういうのって、良いニュースか悪いニュースか。どっちから聞く? って問うものなんじゃね?」
「話の流れ的にって奴よ」
はいコレ。とみはりは白衣から二枚のカードを出して机に並べた。
手前の方のカードを取ると、保険証だった。
ただし誕生年度がカンナと同じ、今年十三歳の、今のオレが使える保険証。
「お兄ちゃんの身分証が出来たから、渡しておこうかなと思って」
「おー。コレでオレ、何かあっても病院に行けるんだな?」
「薬の問題もあるし、出来れば私に診せて欲しいんだけどね」
まあ、女体化と若返りを併発してるからね。そんな体見せられても、お医者さんも困るか……。
いやでも、身分証が出来たのはデカイ! マジで補導食らった時に困ったからな。
「そんでもう一枚は?」
残されたもう一枚をめくれば、ソッチは顔写真入りのカードだった。名前と生年月日は今のオレに合わされた物で、一見それまでは大丈夫だった。
だがしかし、オレはこのカードに見覚えがあった。
「学生証?」
それも、オレも、みはりも卒業し、そして今日の中学生組達が通っている地元中学の学生証だった。見覚えある筈だ。オレも持っていた物なのだから。
ただし、写真と生年月日は今のオレの物に差し替えられているが……。
「お、おいみはり……コレって……」
「うん」
花が咲くような笑顔とはこういうものを言うのだろう。点数を付けるなら花丸あげちゃいたいぐらいのスマイルで、みはりはとんでもない妄言をぬかしやがった。
「学校行こうか、お兄ちゃんっ!」
「いやいやいやいや、何言っちゃってんの!?」
妄言ココに極まれりである。オレは成人男性の引きニートだぞ。成人と未成年。男性と女子。引きこもりニートと通学している中学生。女子中学生というものはおおよそオレの対義語と言っても過言ではない物なんだぞ!?
「二十歳の生年月日で作れば良かったんじゃ無いか? 元の奴の性別だけ変えてさ」
「今のお兄ちゃんの体って中学生ぐらいなのよね。そんで身分証作るにも、生年月日をあまり見た目とかけ離れた年にしちゃうと、使えなかったりトラブルになったりするのよ。例えば今のお兄ちゃんがコンビニでお酒買おうとして、二十歳の身分証出しても絶対に疑われるでしょうね」
「た、確かに、オレもこんな二十歳居るわけねぇとは思うけど……」
「それに、かえでやもみじちゃんに見られた時、どう説明するのよ? 完全に小さい子扱いしてきたから、そこからバレるわよ?」
「うぐっ……ソレは、その、出来れば避けたいけど……」
く、くそっ! 身分証が女子の物になるのは避けられんか……っ! だがしかし、まだ防衛ラインを一つ下げただけにすぎん!
「が、学校! 学校の方はどうなる!? まさか本当に通うわけにはいくまいよ!」
「むしろ生年月日の設定から学校に通ってもらわないといけなくなったのよねぇ」
「なんでぇ!?」
「ほら、お兄ちゃん今年齢的に義務教育期間じゃない? 保護者の立場からすると、学校に通わせないといけないのよ」
お国からの強制だとぉ!?
「て、手続き、とかは……」
「あの中学、大学の付属でね。学校の方はすんなり行ったわよ」
むしろ戸籍の方が手間かかったわー。とか言ってるけど、なんか、とんでもねー事言ってない? オレ今社会の裏側見せられてない?
道理でカンナも頭抱えるわけだよこんなのまだ十二歳の子に聞かせて良い話じゃないっての!
「それに、この年齢に設定したのには、お兄ちゃんに頼みたいことがあるからなの」
みはりの声から、何処かおちゃらけた声音が消えた。
「お兄ちゃん」
居住まいを正し、引き結んでいた口を開くみはりの姿は、いつの間にか大人びた物になったように思う。
「カンナの学校の様子を見てきて貰えないかしら?」
「カンナの、学校の様子?」
ちょうど先ほど考えていた名前が出たことに、少し驚いた。
「そう。あの娘、家のためなら簡単に学校休もうとするし、家に友達を連れてこないどころか、友達の家に行くって話も聞かないでしょう?」
言われて思い出すのは、マックで飯食ってた時に出た話。
『兄者が引きこもりになった件は、言い訳に使ったーー』
『昔っから、どうにも周囲に馴染めなかったーー』
『家の事をするから、同級生達とつるまなくてもいいーー』
「前々から、ちょっとあの娘の学校で上手くやれてるのか、心配しててさ。直接聞いても『子細無い。ごくごく平凡に過ごしているよ』とかはぐらかすし」
言うだろうなぁ。声音まで想像出来る。そして多分、子細無いわけないんだよなぁ……アイツの学校生活に……。
「だから一緒に学校に通って貰って、見てきてくれたなーって」
どうかな……? とおねだりしてくるけど、この妹、とんでもない事言ってるって分かっているのか?
「……授業参観とか……」
「あの娘、授業はそつなくこなすわよ。それに気にしなきゃいけないのは授業外の姿だし」
こちとら引きこもりだったんだぞ? それを、いきなり学校に通え、だと?
鬼か? 悪魔か? 自宅警備員虐待か!
「……三者面談は……」
「学習態度は良好。教室でも自主学習している様子を見かけるって、先生達の覚えは良いみたいよ」
…………それに、そもそもだ……。
学校に通えるなら……引きこもってなんて……。
「ほら、最近は外出も出来るようになってきたし。お友達だって出来てきたんだし」
……いやそりゃ、友達も、出来たけどさぁ……。
思い浮かぶのはもみじと、あさひと、みよちゃんの三人。
あの三人と一緒に通えるなら、そりゃちょっとは楽しいかもしれない、けどさぁ……。
「……思えば、さ……」
みはりの声音が変わる。
喉に粘つきつっかえる物を、力任せに吐き出すような、そんな声の出しづらそうな物に。
「昔っから……初めから、カンナはさ。しっかりしてる感じがしてさ……」
語るみはりの顔は、見たことの無い物の筈なのに……どうしてだろう。既視感が有るような気がしてならない。
「ずっと、あぁ、この子は私が何かしてあげたりしなくても、大丈夫なんだろうなって、そう思ってたんだけど、さ……」
語る内容には覚えがある。それは、オレもずっと思っていた事だ。
アイツは、カンナは、大丈夫。オレもアイツが生まれた頃から、ずっと思っていた。
「けど最近、あの子の危なっかしさとか、頼りなさとか、そういうのが分かるようになってきてね……」
それも分かる。
女性用下着を買うのを恥ずかしがったり、銭湯で脱ぐのを躊躇ったり。さらに林間学校を平気で休もうとする。家族のためと、平気で自分を削り出すその危うさを、オレは最近思い知った。
「ホント、今更になって、私……お姉ちゃんとして、何もしてあげてなかったなって……後悔ばっかでさ……」
そう言って歪むみはりの顔を見て、あぁそうか、と深く納得する。
みはりの表情の既視感は、オレだ。
出来た妹たちに嫉妬し、現状を変えることの出来ない無力感に包まれ、そんな自分に嫌悪感を抱き、何よりも……兄という、己に課した役目を果たせぬ事への苦しみに、歪んだ顔は……オレが引きこもる前に、鏡の前で何度も見た表情だった。
だがしかし、みはりとオレとでは決定的に違う事がある。
「その結論が、お兄ちゃん頼りってのは、情けない話なんだけど……」
何が情けない物か。
「でも、もう気付かないままってのは嫌だから……」
お前は、現状を変えるために努力してきたじゃないか。
何もかもを放り投げ、部屋に引きこもったオレとは違う。
「だからお願い。あの子の現状確認だけでも、やってもらいたいの」
そのために、人に頼ることもしてきたじゃないか。
他人を拒絶して、己の中に閉じこもったオレとは違う。
「もう、気付かないままでは、居たくないからさ……」
「っ、だぁーっ、もうっ! しょーがねーなー!」
何処か重みが増してきたような感じがする空気を、声量で弾き飛ばすかのように叫んだ。
「行ってやる! 通ってやるよ、中学校! そんで、カンナの様子見てくればいいんだろ!?」
ヤケクソ気味で、勢いまかせで、言葉を投げつけるようにして、なんとかオレはその宣言を喉から引っこ抜く。
いきなり大声を出し始めたオレに呆然としていたみはりは、耳に押し込まれたオレの宣言を咀嚼し、飲み込み、意味を理解するに到り、顔に喜色が湧き上がってくる。
「やってくれるの? お兄ちゃん」
「やるしかないだろ。妹のためだ」
みはりめ……妹の一人と思っていたら、いつの間にかお姉ちゃんの顔をするようになっちゃってまぁ……。
だからまぁ、仕方ない。オレはお兄ちゃんだ。妹の成長に報いるのも、やらなきゃならん事の一つだろうよ。
今回の話はアニメや漫画で結構サラッと流されてますけど、引きこもりニートが通学を覚悟する回なわけです。内心描写的には結構重めだと思うんですよね。アニメのシャワーシーンの「また明日、か……」の所とか。
そんでお兄ちゃんの兄部分、および姉者の姉部分を出してみました。
後何はともあれ、温泉回を飛ばして単行本2巻までの話が終了。次回からは3巻の内容からになります。学校編ですね。ここからお兄ちゃんが悪い女になっていくのか……。