ゴトゴト、ゴトゴトと馬車が走る。勇者ヒンメルとその一行を乗せた馬車は、ゆっくりと王都に向かっていた。仲間たちと言葉を交わしていたヒンメルは、ふと足元の影に目を向けた。
「君とも長い付き合いになったね、ライヒ」
何の反応も無いように思えたが、フリーレンが杖で影をつつくと
のっぺりとした影が縦に伸び、徐々に厚みを増していく。最後に色を取り戻したそれは、外套を纏った長躯のエルフだった。
「……」
「相変わらず無口ですね」
せっかく出てきたというのに一言も話そうとしないライヒにハイターが軽口を飛ばす。それでも口を開かないと見て、肩をすくめた。
ライヒはしばらくそこに留まってから影に戻って行った。フリーレンは気にもしなかったが、ヒンメルは珍しそうにその姿を見送った。
「どうかした?」
「いや、なんだか寂しそうな顔をしていたから」
「そう?」
「俺にはいつも通りに見えたが」
「そうかな。じゃあ気のせいだったのかもしれないね」
他愛もない会話をする一行の足元で、影は変わらず在り続けた。
「王様が広場に僕達の彫像を作ってくれるそうだ」
自分をどれだけ再現できるかと不敵な笑みを浮かべるヒンメルの後ろで、フリーレンは買ってきた軽食を横に立つライヒに手渡した。最後だからと四人がかりで引きずり出されたライヒは、大勢の人の気配にぐっと目をつぶって耐えていた。
「……終わってしまったな」
「そうだね。僕達の冒険も、これで終わりだ」
ぽつりとアイゼンが溢した言葉で、今までの冒険が思い出される。
旅が始まる前に処刑されかけたヒンメルとアイゼン。二日酔いで使い物にならないハイター。ミミックに食われかけたフリーレンに、無断で付いてきた上ほとんど働かないライヒ。
「ろくな思い出がないぞ」
「はっはっは」
「……でも、楽しかったよ。君たちと冒険ができてよかった」
ヒンメルがそうしみじみと言った。そう、楽しかったのだ。それは四人の中で共通した感情だった。そしてフリーレンが笑って続ける。
「短い間だったけどね」
ヒンメルが訝し気にフリーレンを見つめる。十年は、短いとは言えない時間だ。現にハイターがすっかりおっさんになってしまった。
「元からでしょ」
「失礼ですよ」
その時、今まで微動だにしなかったライヒが空を見上げた。その視線を追って顔を上げると、一筋の光が空を横切って消えていく。
広場のあちこちから歓声が上がった。
「五十年に一度の流星群。平和な時代の幕開けには丁度いい」
「……街中だと見えにくいね」
「人が感動しているんだから、空気を読みたまえ」
フリーレンが漏らした本音にヒンメルが苦言を呈す。
「じゃあ次。五十年後に、もっときれいに見える場所に案内するよ」
ヒンメルはすぐには返事をせず、小さく笑みを浮かべた。その時なんと言おうとしたのかは分からない。ただ、聞き返される前に皆で見ようと約束をした。
それから数日経って、フリーレンが王都を出ると言った。途中まで見送りに来たヒンメルたちは、フリーレンの背中が見えなくなるころに足元に声を掛けた。
「ライヒ、君はどうするんだい?」
三人が見下ろす先でずるりと影が伸び上がる。たちまち人の形をとったそれは、フリーレンが去って行った方向を見つめたまま口を開いた。
「他のパーティーに」
答えはそれだけだった。そしてライヒはそのまま戻ろうとしたが、ハイターに声を掛けられて踏みとどまる。
「よければ五十年後、我々と
「…………覚えておく」
それが最後の言葉だった。ライヒは振り返りもせずに歩き出し、木立に紛れるようにして消えた。ハイターがその背中を見送ると、アイゼンが意外そうに声を掛けてきた。
「お前、あいつと話せたんだな」
「ふふふ、私が二日酔いで寝込んでいると薬を持ってきてくれたものです」
「ライヒにも迷惑かけていたのか……」
いい思い出のように語っているが、普段不干渉を貫いていたライヒに世話を焼かれるとは相当である。二人は本当にハイターを聖都に送ってもいいものか、しばし相談していた。
◆◆◆
五十年後。
暗黒竜の角と
「――暗黒竜の角?」
「そう。魔王城で拾ったやつなんだけど」
「あれなら僕の部屋にあるよ。ついておいで」
杖を突いて歩くヒンメルの後に続いて奥の部屋に入ると、頑丈そうな木の箱が目に入った。フリーレンが触れようとすると、押し返されるような感触を覚える。
「ずいぶん強力な封印だね」
「ライヒがね、タンスから邪悪なオーラが出るのを見かねて作ってくれたんだ」
「……へぇ」
会話している間にもフリーレンは封印の解析を進めていた。ヒンメルには強力だと言ったが、中身は教本通りの単純な封印だ。しかしライヒはそれをフリーレンの知らない魔法で強化しているようだった。
安楽椅子に座ったヒンメルに見守られながら、フリーレンは小一時間かけて封印を解いた。蓋を外した瞬間に邪悪なオーラが噴き出してくるかと思ったが、長く封じ込まれていた割に落ち着いていた。
「これでよし」
呼び出した鳥に角を運ばせたフリーレンは、ハイターやアイゼンとも合流した。残るはライヒ一人、となったところで木陰からするりと影が伸びる。
「おや」
ハイターの声と共に四人分の視線を浴びた影はぴたりと動きを止めて戻って行こうとする。しかし無言で杖を構えたフリーレンの姿に、ゆっくりと姿を現した。
「久しぶりだね、ライヒ」
杖を突き付けられたライヒは少し引きながら頷いた。そしてそのまま一行の足元に潜ろうとしたが、フリーレンが杖先に魔力を集め始める。
二人が何を考えているかわからない目で見つめ合っていると、ハイターが間に入って来た。
「まぁまぁ二人とも。ライヒ、これで最後になるでしょうから、全員で行きませんか」
「……」
「分かった?」
「…………ハイ」
よし、と頷いたフリーレンの横でしおれたように背中を曲げるライヒの姿はなんとも不憫なものだった。しかし、ライヒとも思い出を作りたいと思っていたので誰も止めなかった。
「ところで
「そうだよ。ここから一週間くらい歩いて――」
道のりを聞かされた四人は顔を見合わせた。
「老人を酷使しおって」
「……」
「何そっち側みたいな顔してるの」
そして勇者ヒンメル一行は、最後の旅に出た。
老年の三人に気を遣いながら、ゆっくりと自然を楽しみながら進む。初めは最後尾に立とうとしていたライヒは、いつ消えるかわからないからとアイゼンとヒンメルに挟まれている。道中魔物に遭遇することもあったが、
「終わったよ」
フリーレンがすぐに倒した。尚ライヒはアイゼンの代わりにと戦闘に駆り出され、危うく嚙みつかれそうになっていた。
「……っ」
「結構動けてたね」
「元々逃げ足は大したものだったからな。鍛えれば一端の戦士になれるかもしれん」
ライヒはぶんぶんと首を振った。そしてフリーレンとアイゼンの視線から逃げるようにハイターの背中に隠れる。
「ふ」
それを眺めていたヒンメルは息を漏らした。目の前の仲間たちを通して、これまでの冒険を懐かしむように目を細める。たくさんの苦難と後悔があり、それでも尚美しいあの日々を。
そこからの旅は穏やかなものだった。朝は寝起きの悪いフリーレンとアイゼンを叩き起こし、森の中を進む。日が暮れる前に野営の準備をして、夜は昔話に花を咲かせる。
「……ありがとう、フリーレン」
夜空を見上げながら、ヒンメルが言う。
「君のおかげで、最後にとても楽しい冒険ができた」
明かり一つない森の中で星空だけが輝いていた。
◆◆◆
王都に鐘の音が響く。
たくさんの花で彩られた棺の中で、ヒンメルは静かに眠っていた。そして墓の下に収められた棺の上に土が被せられていく。墓の前には三人の姿があった。
「……人間の寿命は短いってわかっていたのに」
フリーレンの瞳から涙がこぼれる。無邪気な笑みを浮かべた顔が、魔物の前に立ちふさがった背中が次々と脳裏に浮かぶ。
「なんで、もっと知ろうとしなかったんだろう……」
袖で涙を拭うフリーレンの頭にハイターが撫でる。背中にはアイゼンの手が添えられていた。ライヒは三人から少し離れた場所で杖を片手にその光景を見つめていた。
「では、お先に」
ハイターが乗った馬車が小さくなっていく。遠景に消えたところで、見送りに来ていたフリーレンはアイゼンに向き直った。
「私も行くよ」
「魔法収集の旅か」
「それもあるけど、私はもっと人間のことを知ろうと思う。それで……私は魔法職だから前衛がいてくれると助かるんだけど」
その言葉にアイゼンは首を振った。すっかり細くなった腕で髭を梳き、皺の増えた目元をフリーレンに向ける。
「勘弁してくれ。もう斧を振り回せるような年じゃないんだ」
「そう」
二人の視線が横に向く。見つめられたライヒは話を聞いていなかったのか、少し首を傾げた。
「ライヒはこの後どうするの」
「……さぁ」
覇気のない答えだった。また馬車が向かった先に目を向けたライヒを見て、フリーレンとアイゼンは頷き合った。あまり関わりの無い間柄とはいえ、この状態の仲間を放り出そうとは思えない。
「私についてきてよ」
「なんで?」
「珍しいものが見られるよ」
「お前、冒険好きだろ」
自分よりも小さな二人に両側から勧められて、ライヒは曖昧に頷いた。そして未練を振り切るようにフリーレンの後ろに回り、影に沈んでいく。
「じゃあまたね、アイゼン」
「あぁ、また」
フリーレンは歩き出した。
見送っていると、フリーレンの足元から手が伸びて左右に振られた。アイゼンはそれに手を振り返し、自身もまた歩き出した。
ライヒ
エルフの魔法使い。
影に溶ける魔法でパーティーに寄生し、その冒険を眺めるのが趣味。勇者ヒンメル一行の冒険は、これまで見てきた中で最高のものだった。しかし魔王討伐後、ヒンメルロスに襲われた。
これからフリーレンにこき使われる。