三分程走って、目的地の校舎裏にたどり着いた拓海は、まず周りを見渡す。
「……まだいない、と。ならそこまで急がなくて良かったな」
と、独りぐちて、そこら辺に鞄を放ってそのまま一息吐く。
今のうちに少しでもボヤけた頭のピントを合わせようと、思考を最低限止め、目を閉じて――
『おい、あれみろよ。あの前髪で顔隠してる奴』
『うっわ何アレ、いかにも根暗って感じでキモいんだけど。あれがなに?』
『ほらあの噂の……あれがそうらしいよ』
『噂の……あぁ、もしかして
『そうそう』
『あれがねぇ……』
「っ…………」
登校して、この誰の目にも付かない校舎裏までのことが頭によぎって、頭を振る。
不快、嫌悪、嫉妬、欲望の入り交じった視線は、何度受けても慣れない。
先輩や、同級生、それにいつの間に広まったのか後輩らしき生徒にまで言われれば尚更だ。
噂というものは、消えない限りどこまでも広がるのが定石。
だが、いやだからこそ、それをいちいち気にしていたらキリがない。と、拓海はそう思い返す度に自分に言い聞かせる。
「やあ、仲介くん」
ちょうどその時、呼びかけられた声に、拓海は心を覆い隠す。つけ入る隙を与えないように、機械の如く無心となる。
そこに現れたのは二人の男。
見るからに厳つい茶髪の男が
もう一人は
「遅れちゃってごめんよ、ちょっと色々立て込んでてさ。まぁ、トモダチの顔に免じて、許してよ」
外面だけは良い大企業のお坊ちゃんである吸値は親しげな口調で絶対に毛ほども思ってない事を口にする。
だがそのことに拓海は反論一つすることなく、「大丈夫です」と囁くような声量で返す。
「あっ? 声ちっせえんだよ、でけぇ声で喋りやがれぶっ飛ばすぞ!」
「まあまあ。殴ればスッキリするかもしれないけど、その痕でぼくたちの事がバレれば今までの事が水の泡となる。ぼくの家の力でも限界があるんだから、ここはグッと抑えてよ」
「……チッ!」
トモダチという名の飼い主に窘められた蛇居は、舌打ちしながら振り上げていた拳を下ろし、一人どこかへ去っていった。
「やれやれ、彼にも困ったものだよ。まぁともかく、こんなところに長居するのもなんだし、さっさと用事を済ませてしまおうか。ね、仲介くん」
「…………はい」
拓海は懐から一枚の紙を取り出し差し出すと、吸値は待ってましたと言わんばかりに強引に奪い取って、内容を確認する。
「よし、確かにぼくらが求めてた情報が書かれてるね。一応確認だけど、中身は?」
「みてないです」
「だよね、ぼく達トモダチだもんね。ぼくが嫌がる事するはずないよね! ――嘘だったらタダじゃおかねぇけど」
ドスの効いた脅しに、拓海は震える。
この状況に耐えるしかない。そうしなければならない。そう思って、服従するようにただただ俯いて黙り込む。
「じゃあ、仲介くん。今度もまた頼むよ」
その反応で満足したのか、上機嫌で去っていき、拓海は崩れ落ちるように校舎に背を任せて座り込む。
固めた心を解すように息を吸って、吐く。
「ったく、トモダチトモダチ言うんだったら、一度で良いから俺の名前を言ってみろよー、なんて」
「――ふむ。その台詞は確か、某有名な世紀末漫画作品のものだったかな? 確かに今この状況に見合っている。
まったく、とんでもない奴だ。君もそう思うだろ、同志?」
疲れ切った独り言に、どうでもいいことを羅列させたような反応が返ってくる。
いつの間にか拓海から見て正面の木の元に、真里華と同じ制服を着る、美しくこしられた人形のような美貌を持つ女学生が座っていた。
お洒落に切り揃えた短い黒髪を揺らし、黒真珠のような目は妖しげに細めて、こちらに笑みを向けている。
「……お前が言うな、とあえて突っ込んでやるよ、楓」
「その返しで私としては満足だよ」
「そりゃよかった」
満足げに言う彼女――
「しかし、表沙汰には注意する優等生とそれに反発する不良が、実はなかよしなオトモダチで、優等生の方が悪やってる親玉。なんて、漫画でしかないようなもの、慕ってる子達が知ったらどう思うだろうね?」
「知らんけど、そいつは野暮だろ、やめとけ。で、何時からいたんだ?」
「はいはい。まあ最初から、とだけ言っておこうかな。求めてきた情報の内容で大体察しはついてたからね」
「情報屋ホームズは伊達じゃないってことか」
「それは褒めてるのかい?」
「褒めてる褒めてる」
「雑だねぇ」
なんて言いながら、楓はどこか嬉しそうだ。
拓海もいつものやり取りを得て、心の靄が消えるのが分かり、うっすらと笑みが浮かぶ。
彼女は、大企業との繋がりがある程有名な情報屋。
利用したい人からすれば、顔を顰めるほど客を選ぶのが玉に瑕と言われているが、彼女の有能さがそれを帳消しにしている。
――だからこそ、近くにいる弱そうな奴に目が向く。
「まっ、お前とつるむようになって大体一年だ。雑にもなる」
彼等に目をつけられてから、半年が経った事を意味する。
楓との繋がりが欲しい連中にとって、拓海はまさに付け入る隙のように見えただろう。
「……すまないね、いつも」
「その話はもう終わったはずだろ。だからまあ、気にすんな」
反撃する事も出来ただろう、逃げる事もできただろう。
でも、それでは被害が大きく広がるかもしれない。自分の身近にいる人に手が伸びるかもしれない。
特に吸値は、平然とそういう事を、しかも自分の手を汚さずにする男だ。たとえ、必要があろうがなかろうが。
だから拓海は言いなりとなり、楓も渋々だが了承した。
と言ってもただでは終わらせたくない拓海は、互いの顔を合わせないように、自分を経由して伝達する形にした。
そうすることで全て彼の思い通りにさせないまま、言われた通りに情報の橋渡しをして数週間。
気付けば噂が流れ、仲介くん等と、呼ばれるようになっていた。
十中八九、吸値が流したのだろう。
こうすれば下手に逃げられなくなると判断されたのか……。
まあそれも、もう数ヶ月も前の話だ。理由はどうでもいいだろう。
「そうだけど、ね。いつまでも君を借りてると、赤羽氏が不信がるだろう? どうせ何の説明もしてないのだから」
「それは……」
「まあ、今回のところは引き下がっておくよ。こういうのは私じゃない。というか、そんな気力もないんでね」
と、言葉を詰まらせる拓海を問い詰めることなく、楓は脱力しながら手に持つ
「仕事終わり、いつものとこか?」
「あぁ、お得意様からの依頼でね。私としても必要とはいえ、人使いの荒い社長さんだよ」
そう言って、楓は嘆息する。
自分本意というか、快楽主義な悪友がその得意先を切り捨てないのは、少しくらい我慢してもいいと思える旨味があるからなのだろう。
……それより画面見えてるけど、良いのだろうか?
「さて、そろそろ予鈴鳴る頃だと思うけど、同志。クラス表、見てないよね?」
「え? ……そういえば」
「まったく、仕方ない人だね君は」
やれやれ、と呆れたように首を振る。ただし、その顔はにやけていて、拓海は思わずため息を一つ。
「……また貸しで良いか?」
「別に、この程度の事で借りを作ったりしないで教えてあげるさ。そんな風に疑うなんて、私は悲しいよ」
「はいはい。悪かったよ」
日頃の行いが悪い、とツッコミたいが、そうすると話が進まないのでしない。ヨヨヨ、という嘘泣きにもノータッチ。
「連れないねぇ。まあ私にとっては、それが君の良いところなんだけれど。それはともかく、君のクラスだけど、二年四組。私と同じクラスで……」
それから、と続ける。
「赤羽氏とも、同じクラスになってるよ。たしか八年ぶりだったよね?」
と、拓海にとってのビッグニュースが、さらっと告げられた。
◆
「えー、というわけで明日は午前のみで――」
黒板に書かれた事をサッとノートに写し、そのまま説明する教師の話を軽く聞き流す彼女――赤羽真里華は視線を移す。
そこには、机に向かって何かを一心不乱に書いている拓海の姿があった。
きっとまた、小説の続きを書いてるんだろう。
趣味に興じて始めた創作活動。
その影響というか、話題作りも兼ねて真里華も一つ小説……は合わなかったようなので、代わりに漫画を描いているのだが、それはともかく。
拓海の様子を見ながら、真里華は不自然に上がる口元を隠す。
(本当に、久しぶりに拓海と同じクラスなんだ!)
幼なじみという間柄でほとんど毎日一緒にいると言っても、できる限りずっと近くにいたい真里華にとって、これは待ち望んでいた展開だった。
最近、すぐ用事で何処かへ行ってしまう拓海がどう思っているかは分からないけれど、少なくとも互いのクラスでの交友関係を気遣って少なくなっていた校内での会話も増えてくれるだろう。
これを機に学校でも家と同じような会話をして、暗黙の了解。
ある種の既成事実を築くのが目的なのは、真里華だけの秘密だ。
「…………むぅ。やっぱり気になるなあ」
ぽつりと呟く。
人目も憚らず拓海が小説を書き始めるということは、気分転換。すなわち落ち着きたいと思うほどのことがあった、ということ。
拓海経由で知り合った楓と一緒に教室に入ってきたことには少なからず厶っとしたが、そういう関係になったのなら、隠す意味はない。
だから、なにかを抱え込んでいるのは明白で、心配になる。
(まあこれだけ長く、あれだけ必死に隠すほどの理由があるんだろうし……もうちょっとだけ、話してくれるのを信じて待つのが正解、かな)
と、ひとまず切り替えるように真里華は小さくため息を吐く。
――それでいいの? と言えば、もちろん良くはない。
こういう時の拓海の隠し事は今後に関わる重要なことだったり、危ない事が多い。後から楓や時亜やらに聞いて、何度怒ったことか。
――それならなおこと問いつめるべき。なのは確かだ。
自分の知らないところで秘密を作ってほしくない。教えてほしい、混ぜてほしい。とも思う。
だがそれは重いし、過保護が過ぎる。
そもそもの話、隠し事をしているのはお互いさまだ。
それで大切な人には理由があろうと全部話せというのもおかしな話だろう。
だから待つ。
今はただ、これから楽しくなるだろう学校生活の事を考えていようと、そう思った。
それはそれとして、と未だ手を止めない拓海に苦笑する。
(集中しすぎで学校の話一切聞こえてないわね、あれ)
注意したいところだが、今声をかけてはお互いに悪い注目をされてしまうこと請け合いだ。
そうならないで済む手段は……。
「――あるじゃん」
と、思い当たった真里華は早速メモを手に取った。
◇
書く。
書いて考えてまた書いて、たまに消しての繰り返し。
いつも持ち歩いているファイルブックから原稿用紙を取り出し、欠伸をかみ殺しながら、拓海は一つの物語を綴っていた。
タイトルは《トゥルーファクト・ウォー》。
ジャンルとしては、ディストピアファンタジーといったところか。
(『終わりじゃ、ないよな』違う、もっと切羽詰まった感じにしないと。なら、『これっ、で、終わり……っ、なわけ、ないか……』いやいや、ぜえぜえ言い過ぎ。なら前後変えて長引かせるか、いや流れ変えるだけで良いような……うーん)
別の紙に箇条書きされている設定をチラ見しつつ、脳内で会話させては、なにか違うような気がしてうんうんと唸る。
物語自体はそろそろ終盤。終わりも書き始めの頃からもう粗方考えついてはいるが、そのまま書いてしまおうか悩み中だ。
ある程度の話の流れは出来ているし、誰が読んでも頭に入って楽しめるように書いているつもり。
だが、所詮は趣味だ。
プロットなんてないし、時折気に入らない部分があれば書き直したりもする。
約一名以外は読むことがないであろう代物。どこかの賞に送るつもりもない。
(今更それを夢にして追いかけて、痛い目なんてみたくないし)
これくらいが、ちょうど良いのだ。
なんて思いながら、また一つ欠伸をこぼしつつ鉛筆を走らせ、
――バチッ。
「ん?」
その時、小さく弾けた音と共に、前髪がぴょん、とはねた。
(……静電気? なんで急に)
制服と紙を擦り付けたところで髪がはね上がるわけがないはず、などと不思議に思いながら執筆を再開しようと髪から目線を戻す。
「あれ、これ……?」
すると原稿用紙の上に一枚のメモ書きがあった。『拓海へ』と書かれた丸みを帯びた綺麗な文字。
真里華のものだ。
頭がハテナだらけになる前に、ひとまず開いてみる。
『集中しすぎ。今は前を見てメモしなさい まりか』
「……はーい、すいません、と」
名前だけ平仮名なのがちょっと可愛いそのメモに、思わず笑みが浮かび、胸のもやもやが吐き出されていく。
(これ以上怒られるのもあれだし、ちゃちゃっと書いてしまいましょうかね)
などと冗談交じりに思いながら片付け、妙な視線を受け流しつつ、メモを取る体勢へ移る。
……どうやってこのメモを置いたのか、等といった疑問を頭の隅に置いて。