「――撒かれた。流石に土地勘はあっちが上だったか」
一分ほど黙り込んでいた浪はため息を吐き、先程まで未来達の座っていた席に腰掛ける。
「しかし、髪からしてまさかとは思っていたが、あの娘まで創喚者になっていたとはね」
背もたれに体重をかけながら、浪は複雑そうに呟く。
ふと、なにか思い至ったのか、鋭い目をこちらに向けてくる。
「そういえば君、娘は知り合いだったようだけど、それはつまり君も創喚者、ということでいいのかな?」
「だとしたら?」
瞬間、場が張り詰める。
互いの手には創喚書があり、恐らくその頁を捲った時が合図となる。
そして楓は、柔らかに密やかに、細い指で頁に触れ――捲るその寸前に手を止めた。
「――やめておこう。こんなところでやれば、無関係な周りが巻き込まれる。無闇矢鱈と被害を広げるのは趣味じゃない」
そう言って席から離れる楓に、浪は目を細めた。
《随分と甘いことを言う。願いという極上の報酬は、君にとって無用の長物だとでも?》
確かに願い――即ち、奇跡を手にするということは、誰にとっても悲願となる。
それを得る為ならば、関係のない有象無象にかける関心など無駄と言えばそうだろう。
だが――
《そういう君こそ、随分と積極的だね。それほどまでに叶えたい願いがあると見る。
君ほどの作家なら、遊んで暮らせるお金はあるだろうに。普通なら叶えることの出来ない願いでもあるのかな?》
「――例えば、
「……………………」
戻ってきた楓の言葉に、浪の表情が無を表す。
嫌な想いを隠そうとすると、無表情を作るのは、親子らしく良く似ている。
「流石に無神経だったね、謝るよ。これはサービスだ」
と、先程取ってきたカップを彼の前に差し出す。湯気と共に濃厚な甘い匂いが漂ってきて、浪は眉間に皺を寄せる。
「……せっかくで悪いけど、遠慮するよ。甘いのは好きじゃないんだ」
「そう言わないでくれ。サービスとは言ったが、これは元々君の娘が頼んでいたものなのだから。せっかく頼んだのに、そのままにしておくのはもったいないだろう?」
「だったら君が飲めばいいだろうに」
「いやいや、私にも責任はあるが、元はと言えば君が私に依頼したのが発端じゃないか。となれば親として、責任を持って片付けるのが筋というものだ。
さて、私はこれでも忙しい。用事があるので、これにて失礼するよ」
「はっ、いや、ちょっと――」
言うだけ言って、楓はそのまま出口へと足を運ぶ。
「……あっま」
数秒後、少し吐きそうな声を上げる浪を背に、店を後にした。
――母は、よく笑う人だった。
正直、小さい頃だったからよく思い出せないけれど、でも自分たちの前でよく笑って、よく歌っていたことは鮮明に覚えている。
仏頂面の父も、その時ばかりは笑っていて、それが嬉しくて未来も一緒に唄って笑っていた。
間違いなく、この世で一番幸せな家族団欒だった。
――それから数年後。母は死んだ。
凶器はナイフで滅多刺し。
特に顔を執念深く狙っていたらしく、原形を留めていなかったという。
やったのは、父の元編集者だった。
動機は『自分を陥れた癖に大成した上、狙っていた女を取られたから』という、実に身勝手でくだらないもの。
しかも何故か父のせいだという言い草だったが、その人はその人で父の作品を私物化していたらしく、それに気づいた父が告発。
そのことがきっかけで別の文庫へ移った際、紆余曲折あって母と出会ったらしいので、完全に自業自得だ。
だがそれを知らない当時小学二年くらいだった未来は父を罵った。
父も以降、別の部屋を借りてそこに入り浸るようになった。
数年後には未来もある程度の分別がつけられるようになり、改めて詳細を知った未来は酷く後悔した。
なにか、どうにか仲直りできないか。
少なくともこんな絶縁状態から抜け出したくて、家中を探し回った。
けれど、どれだけ探しても見つからなくて……疲れ果てた未来は気分転換にテレビをつけると、昔のヒット曲を振り返る音楽番組がやっていて――
そこで未来は、久しぶりに――そして初めて、歌手としての母の歌を聴いたのだ。
「――到着、と」
アキラの言葉に、未来はハッと我に返る。
いつの間にか、目的地である中間地点・夢と現の交差点に辿り着いていた。
彼に抱えられていた未来はのっそりと立ち上がり、すぐ崩れ落ちるように草花の中へ倒れ込む。
見上げた空には相も変わらず、外とは違って異様な晴天が広がっている。
「つ、かれたぁ……」
「お疲れさん」
草臥れた体の力を抜いてだらける未来に、アキラは苦笑しながら労ってくれる。
アキラが全速力で向かってくれたおかげで振り切ることができたのだろうが、それはそれとして自分で走ったほうがよかったのではと思うくらいには過酷な時間だった。
「後は、創喚者にした神や家達さんに、ここのことを教えられて来ないことを祈るしか、ないですね……」
「まァ、大丈夫だろ。オレを創喚してから毎日ここ来てるが、白、後はシオンの坊主等と緑の以外と鉢合わせたことねェンだし」
「そうですね、そう信じたいです。……けど」
と言いながら体を起こす。
「やっぱり、このまま逃げ続けるってわけにもいかないんですよね。必ずどこかで限界が来る」
そもそも未来がこうして生活できるのも、学校に通えているのも、すべて父のおかげだ。
それを思えば、彼の言うことを聞いて普通の幸せを謳歌することが、恐らくなによりも孝行になるのだろう。
(けど、それじゃあ私の夢を叶える事ができなくなる)
それだけは、認められない。
「あンまり思いつめンのも良くねェ。とりあえず、気晴らしに一曲、歌ってから考えるのはどうよ?」
「……そう、ですね」
せっかく他人のいない落ち着ける場所にいるのだ。
焦ってドツボに嵌るより、好きなことをして心を安らげた方がいい。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……――――――――」
目を閉じ、深呼吸。
周囲を囲う自然を観客として、静かに歌い出す。
選曲は未来も大好きな、母のベストセラー曲。
伴奏はなし。代わりにビュービューと風が踊り、それに伴って草花と木々は元気に揺れ騒ぐ。
これからを思って、儚げに。
これまでを思って、楽しげに。
今の未来の心象を表現するその歌は、この交差点全体に響き、聴く人の心に染み渡っていく。
恐らく誰よりも聴いたことのあるはずのアキラですら聴き惚れており、静かに歌が終わりを告げても、数秒沈黙したまま。
しばらくして、ようやく我に返った観客は、彼女に三人分の拍手を送り……
「――えっ!?」
すぐ違和感に気が付いた未来は、咄嗟に拍手の先――入口へと振り返る。
「ごめん、植野さん。勝手に聴かせてもらってたよ」
「途中からだったけど、すっごい良かった!」
気が付けばこの数週間で仲良くなった彼――紫苑拓海と、その幼なじみである彼女――赤羽真里華が、そこにいた。
よかった。いてくれた。
亮と来珂に外の警備を頼み、交差点に入った拓海と真里華は、呆然と眺めてくる未来を見て、ホッと息を吐く。
「どうして、ここに……」
「それはこちらの台詞かな。心話も応答ないし、流石に心配したわよ」
「ぁっ。ああえと、それはその……すいません」
批難するように薄目で言う真里華に、今思い出したのか一瞬目を丸くした未来は、慌てて頭を下げる。
多分、聞きたいことは違うだろうと、拓海は苦笑して、解説を始める。
「ほら、あそこの公園ってラジオ塔あるだろ。その上を亮に登ってもらったら、ちょうど店から出る二人を見かけてね。
流石に見失ってしまったけど、ルートの通りから植野さんが行きそうなところを逆算した結果、ここに辿り着いたってわけ」
「……お手数をおかけしました。本も、後でちゃんと渡しますね」
「まあ、ちょっとしたゲームみたいで楽しかったし無問題、よね?」
「勿論。むしろこんな状況でも本の件を有耶無耶にしないでもらえただけありがたい。
ああでも、途中からだったし、もう一曲だけ聞かせてもらえたりは……」
「いや、流石に今はそんな気分になれないです」
「ですよねえ」
と言いつつも、割と本気だったので思わず肩を落とす。
まあ、流石に厚かましいお願いだったし、仕方ない。
そうすぐに割り切りながら、彼女の横に二人して座り――一瞬の目配せ。
(直接頼まれたのは俺だし、俺から)
(お願い)
心話を介さずの意思疎通。
切り口をどうするかと、秒ほどの思考を巡らせ、
「――植野浪」
「っ」
そして拓海は、単刀直入に、呟くように話を始めた。
「だからウーロン、か。単純でありながら、本名が分からないようによく凝られたペンネームだ」
「……父に、聞いたのですか。私のこと」
「いいや。ただ君のことを見つけたら教えてくれってことで、連絡先と写真を貰っただけ」
そう言いながら、受け取った写真を取り出す。
そこには、校舎前でスン、と無表情で直立する浪と未来が二人並んでいる姿が写っている。
ウーロンの名付け方については、なんか知らんけどいた楓が、去り際に語っていった。
「でもまさか、もう既に知った仲だとは思ってなかったみたいね。まあ、学校も違うし、無理もないかな」
「……それで、どうします? このまま突き出しますか?」
未来はそう言いながら全身を強張らせ、表情は癖なのか、写真と同じ無を作っている。
その手には創喚書が握られており、頷いたその瞬間、この同盟は白紙となるだろう。
そんな猫のように警戒する未来に、拓海は苦笑する。
「そんな脅迫じみたことをしなくとも、俺達は無理に突き出すつもりはないよ」
「どうして、ですか」
「どうしてって……」
そう言って怪訝そうに睨む未来に、思わず呆れる。
まさかそんな当たり前のことを聞かれるとは思わなかった。
「友達が嫌がっている事はしない。当然の話だろ?」
「――――――」
何気なく言った言葉に、未来は絶句した。
友達と思われてなかったのかな、と内心しょんぼりしながら、話を続ける。
「だから……っていうと流石に図々しいかもしれないけれど、なにがあったのか、聞かせてほしい」
それでなんとかできるわけじゃない。
でも、相談に乗ったり、手を貸すことくらいは出来る。
「たとえ、ただ話をするだけでも、きっと気が楽になるから」
それが、今の拓海がヒーローとして出来る、唯一のことだ。
「まあこういう時、本当なら一番近くにいる人がすべきなんだが……」
「オレにそんな器用なこと求めンな」
そう言いながらも笑うアキラを睨み、嘆息する。
「……こんな調子だからな。俺じゃあ心許ないかもだけど、真里華もいるし――」
「そんなこと――、っ」
遮るように声を張り上げる未来は、すぐにハッと目を見開き、膝を立てて顔をうずめる。
「……ほんと、お節介」
未来は顔を少し上げ、拗ねるように呟く。
困ったような表情をしているが、先程のような険しさはない。
信用してもらえた、と思っていいのだろう。
「まあ俺、ヒーロー目指してますから」
「なにそれ」
そう言う拓海の言葉に、未来は吹き出すように笑った。