気が付けば、拓海達は出たはずの空間の中で立っていた。
ここにきて目に見えた超常現象に、思わず息を飲む。好奇心よりも警戒心が滲みだす。
さらに、突如として真里華が足を止める。
「……真里華?」
問いかけにも応えず、真里華の肩を揺らしてみても、何も言わない。
――いや、それ以前に動いていない。
ビデオを一時停止されたみたいに、拓海以外のあらゆるものが固まっていた。
「真里華、おい真里華ッ!」
思わず声を荒げるも、案の定微動だにしない。
何がどうなっているのか、急展開過ぎて頭が思うように働かない。
ひとまず、目を閉じて余計な情報をカットし、熱を上げる思考を止めて心を落ち着かせて――
「落ち着いたかね」
「――っ!?」
突如話しかけられ、咄嗟に振り返る。
そこにいたのは、さっきまでいなかった筈の草臥れたような金髪をした隻眼の老人だった。
身を包んでいるのは見えている限りだとボロボロのローブのまで、背丈もみすぼらしく還暦はとうに迎えているように見えるが、決して弱さはない。
逆に残った片目には力があり、気を抜けば平伏してしまいそうだ。
杖突く、穂先にルーン文字らしきものが彫られている白銀の槍(かっこいい)は、彼に気高さを確固たるものにしている。
「……なあ、なんでこんなことになったのか、知ってるか?」
「ん? ああ、すまない。こうでもしないと、君の幼なじみが割り込んできて、儂の望みを果たされなかったかもしれんのでな」
気圧されないようにしつつ、まさかと思って問えば、老人は当然のように語る。
その声は聞き覚えがあり、さっきの意味不明な一言を発していた本人であることを証明していた。
「そうか、やっぱりお前が……!」
そして、この状況を生み出した張本人である、ということも。
「そう怒らないでほしいな。儂とてこのような強引な手はやりたくなかったのじゃぞ? まだ力の馴染んでいない創喚者達を止めるこの程度ですら、力が枯渇しそうになる我が身の不甲斐なさにうんざりしてしまうからな」
「意味の分からねえこと言ってんじゃねえ。さっさと元に戻せ」
「なに、心配しなくても赤羽真里華に手出しなどせんよ。人間に湧くものなんぞ欠片もないのでな。――だからそう殺気立つな、少年」
それは無理な話だ。
どちらにしても、真里華が危険なことには変わりない。
こんな不可解な事をやってのける老人相手に、なにが出来るか分からないが、それでもと真里華を庇うように前に立つ。
「……あくまでも警戒するか。まったく、せっかく儂が彼女と同じ舞台に上がらせてあげようというのに」
「どういう意味だ」
「どういう意味もなにも、それだけ彼女を想っているのだ。当然、隠しごとにも気づいておろう? それがこれだ。――君が、最後の一人に選ばれたのだ」
「……最後の、一人?」
戸惑いながら、一部復唱する。
「そう、儂が主催する《
それに老人は嬉しそうに頷いた。
「さて、申し遅れたが、儂の名はオーディン。この名を聞けば、儂がどういう存在か、わかるであろう?」
「……北欧神話の主神」
「ご名答」
答えながら、拓海は思わず目を見開く。
オーディンと言えば、北欧神話に登場する主人公的存在にして、全知全能の神とも呼ばれた神だ。
そんなオーディンが、というよりも神が実在した、ということに驚きを隠せない。
だが同時に、この場所やさっきの逆戻った理由も全て納得がいく。
理解はできないのは当然だ。神に人間の常識なんて通用するはずがない。
だからと言って、態度を改めるつもりはない。
真里華に少しでも危害を与えようとするモノは、敵以外の何者でもないのだから。
「そんな儂が主催する祭りは、数年に一度行われる催しでな。各地で転々としながら、戦場を決め、そこから適性のある者達を集めて争わせる。
決着は最後の一人になるまで。
残ったその一人には黄金の果実を与えられ、どんな願いも叶えることが出来る。といったのが、大まかな内容だ」
北欧での黄金の果実と言えば、不老不死の源だったはず。
だがそこについては所説あるし、神だって死ぬのは北欧神話の中でもある。
それで言うとオーディンは既に死んでいる筈なのだが……まあ、それこそ歴史と現実の物でも差異があったりするし、そういうものなのだろう。
(創作で考えても、わりとありきたりだ)
なんて思いながら、その祭りの概要を無理矢理飲み込んでいく。
「もし参加してくれると言うのなら、この《グリモアの種》を受け取ってほしい」
「……宝石?」
オーディンが取り出したのは、色褪せた一つの宝石だった。
宝石は仄かに点滅し、少しでも拓海に近づくだけで反応して光度が増していく。
「これが所謂、祭りへのチケットでね。それを君が書く小説か漫画、未完でも構わん。ともかく自作本に押し当てれば、君は晴れて創喚者となる。
なってくれるのなら、赤羽真里華を解放してあげよう」
その言葉に、拓海は思わず顔をしかめる。
(選択肢なんて、最初からないじゃねえか)
しかし、それを聞けたのなら、もはや迷うことはない。
嘘だった場合は老人であろうが神であろうが容赦しない。
最低でも一発は当ててみせると意気込んで――だけどその前に、気になっていた事があったと、拓海は思い出す。
「……なんで、俺なんだ。初めから俺が狙いだったような口ぶりだったが、他にも候補がいただろ」
「その問いに端的に答えるならば、君の話を聞いていたからだ。正確には話していたところを又聞きしていただけなのだが」
「ハッ、神ともあろうものが、随分と俗世にまみれた事をしてんな」
なんて皮肉を口にしてみるが、オーディンはそれに目もくれず、思わず舌打ちを一つ。
「その時から、最後の一人は君が良いと思った。本を書いているという点も実に良い。決め手はやはり、ランクが低いと言えど適性を持っている事だがね。……さて、そろそろ返答を聞かせてもらおうか?」
手の中であそばせていた宝石を差し出すオーディンの言葉に、拓海はふと少しだけ思い返す。
彼が最初の方に言っていたように、真里華が三日ほど前から隠し事をしていることに気付いていた。
でも、彼女には彼女の事情があってのことだと思ったから、触れずにいた。
それがこんなことだとは露ほども思っていなかったが、どちらにしても拓海の想いは変わらない。
(まだ、全部理解したわけじゃない。まだ色々整理がついてない。でも)
「……わかった。お前の口車に乗ってやる」
――それでも、真里華を放っておけるわけがない。
だから拓海は、躊躇うことなく差し出された宝石……オーディンの言うグリモアの種を手に取った。
「その言葉を待っていた!」
オーディンが嬉しそうに叫び、指を弾く。
すると家に置いてあったはずの拓海の原稿用紙が入っているクリアブックが拓海の手元に姿を現す。
(なんでもありだな、こりゃ)
苦笑しながら、その中身をパラパラと捲り、一から全部入っていることを確認する。
しっかり順番に納まっているクリアブックを閉じ、言われた通りにグリモアの種を表表紙に押し当てる。
「うおっ……!?」
――すると宝石はクリアブックへと根を張り、拓海の手から離れて浮かびだした。
光が迸ると、それは忽ち繭となって鼓動する。
その光景は幻想的で、魅了されたように身体が動かなくなり、
――――ノイズが走る。
「――――っ、ギッ、ぃあ!?」
その時、針で刺すような激痛が拓海の頭に襲いかかり、そこから何かが流れ込んでくる。
これは当たり前の事なのだというように、情報の濁流が脳へ叩きつけられていく。
「ふむ? おかしいな、情報が流しても頭痛が起きないように細工してあるはずだが……貴様まさか万全な状態でないのか?」
「なん、だ、そりゃ……、っ!」
原因は十中八九、寝不足だろう。
オーディンへ理不尽な怒りをぶつけそうになるが、自業自得だし頭痛でそれどころじゃないので、ドクンドクンと鈍痛のように響く激しい痛みに耐える。
数十秒ほど後、一瞬視界がぼやけたが踏み止まり、頭痛もそこで少し治まった。
「っ…………あー、これ、はー……楽になったかわりに、さっき知れたはずの、やつそこそこ抜け落ちてる、っぽい?」
「……そのようだな、全く、普段から規則正しい生活というものをしていれば、こうはならなかったろうに」
……そのかわりのデメリットが大きかったようだが。返す言葉もない。
その頃になってようやく光の繭は解けるように粒子となり、そこにはクリアブックはなく、一冊の黒い本だけが残っていた。
表表紙には見たことのない文字と紋様――魔方陣らしきものが描かれており、その中央には先ほど押し当てたグリモアの種は白く変化し、少し圧縮されて埋め込まれている。
「だが一応、問題なく創喚書にすることができたか」
(……これが、《
そんな認識を既に持っていた拓海は、未だ叩くように痛む頭を押さえながら、浮かぶ創喚書と化した自分の書く《トゥルーファクト・ウォー》を無意識に開く。
【創喚者・紫苑拓海】
【識別・黒】
【適性C】
【本銘・トゥルーファクト・ウォー】
【
ゲーム等に良くあるステータスらしき情報が脳の片隅に浮かび上がる中、まるで体が衝動に駆られたように創喚書のページをめくり、一つの名称を指でなぞる。
「……【
すると口ずさんだ知らない筈の言葉に反応して、なぞったその文字は仄かに発光する。
「【
なぞった指を伸ばしたまま、目の前で腕を振るう。
するとそこに文字が浮かび上がると、すぐに一つになって火となる。
さらに足元には魔方陣らしきものが出現し……。
「【
その名を口にすると共に、火は魔方陣の中心へ落ち、溶けるように同化し消えていく。
すると波紋が伝わり、魔方陣が浮かび始めた。
その下から形ある光が現れ、足から徐々に人間の形を取っていく。
生成されていくこの光景は異質極まりなく、現実にナニカが混じり始めているような感覚を覚える。
「……そろそろで良い頃合いか」
その時、オーディンはもう一度指を弾き――停まっていたものが動き出す。
「――っ、今の声、は………………えっ?」
当然、それは真里華も同じ。
手を引っ張っていたはずの拓海が振り向いた先にいて、彼の目の前で浮かぶ創喚書とナニカが生み出している魔方陣をみた、彼女の表情が凍りつく。
「たくみ? なんで、うそ、だめ、止まって、止めて!」
真っ青になりながら、拓海の元へと走り出すが、どうしようともそれは止められない。
もはや賽は投げられたのだから。
その事を示すように全身が形成された
同時に突風が起きて、思わず腕で顔を隠して目を閉じる。
「《
――光と風は収まり、声がする。
目を開けると、そこには一人の男が跪いていた。
短く整えられた黒い髪。
整った顔立ちにある、鋭く色褪せた双眸から、抜き身の刃を思わせる。
前ボタンがなく、前を開けたまま軍服のように『少尉』を表す階級章のある白いジャケットが風で靡き、下の黒いシャツが垣間見える。
さらにそこから下。
暗めのジーンズに隠すように、少し煤けたハンドガンを納めたホルスターという、明らかに日本には似つかわしくないものを身に着けた男。
「オレの名は、相坂亮」
それは、拓海にとっての理想。
文字の中の世界で生きるその姿を、拓海が認識することで、その存在はさらに鮮明となる。
「アンタを守る盾にして、勝利へ導く剣だ」
そして空想の、物語の主役である筈の男――相坂亮が、いま
その時、脳に染み込むように、
理解する。
全ての創喚者が出揃ったことを。
理解する。
戦闘行為を禁じていた、見えない枷が外れたことを。
――理解する。
今まさに、夢現武闘会という祭りが、幕を開けたということを。