あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~ 作:吾輩はもぐらである
(あれが蒼澄カンナか。)
鬼一法眼はカンナのことを知っていた。彼女の試合を観戦したこともあった。
あれは確か7年前のことだ。当時まだ弟子だった北見慎と共に拾生拳の大会、18歳以下の部門の決勝戦を観戦していた。
カンナの対戦相手は18歳で5段だった。拾生拳はプロの格闘家にも多くの使い手がいる、大陸で最も普及している格闘技の一つだが、6段がプロの標準と言われている。段階は最高で8段であり、昇段にあたって経験年数が一切考慮されず、技術と強さのみが求められる。従って、18歳で5段に達することは理屈の上では可能だが、一般には18歳だと2段が関の山である。彼女の昇段は間違いなく驚異的な早さと言える。
彼女にとってこの大会は特別だった。彼女は学校を出たらプロの格闘家としての進路が確定しており、プロデビュー前の最後の大会だった。しかも、当時前例がなかった3大会連続優勝がかかっていた。180cmを超える長身は、自分は強者であるという自信が満ち溢れていた。実際、彼女が強者であることは疑いようがなかった。
決勝に進んだもう一人の選手は当時12歳で大会初出場、初段のカンナだった。身長175cmなのでかなりの高身長の部類に入るが、18歳と12歳の身体の差は例えるまでもなく大人と子供の差である。鍛えてはいるものの、18歳に比べればあきらかに身体の線が細かった。
初段の12歳が5段の18歳、それもプロ入り確定の大会2連覇中の女王に挑む。あまりに非現実的な光景に観客たちは明らかに困惑していた。確かに12歳で初段に達するのは天才的と言えるが、大会にはもっと上の段の猛者が何人も出場していた。しかも、カンナは決勝に進出するまでの全ての試合で圧勝していた。周りの観客の何人かは年齢詐称や八百長を疑っていた。
試合開始のゴングが鳴る。八百長抜きのまともな試合ならば18歳が一方的に勝つ。誰もがそう予想していた。自分と北見慎以外は。
蓋を開けてみればカンナの圧勝だった。試合開始早々、18歳が得意とするラッシュであっという間にカンナを金網に追い詰めた。もう終わりかと会場の大半が思ったその瞬間、ラッシュの合間を縫うようにして放たれたカンナの左掌底のカウンターが18歳の顎を打ち抜いた。動きが止まった18歳の顔面にカンナが渾身の上段蹴りを放ち、試合終了。試合開始33秒、わずか2発での勝利に会場は静まり返った。
「怪物ですね。法眼先生。」
「そうだな。」
マグレではない。明らかに意図された試合運びだった。世に知られざる規格外の怪物を見た。少なくとも自分と北見慎はそう判断した。
だが、大衆はそう考えない者が大半だった。「初段の子供がプロ入り確定の5段を秒殺はあり得ない」「八百長に決まっている」と知ったような顔で断言する客が何人もいた。素人の下らない邪推だと気にもしなかったが。無理もない。天才を理解できるのは天才のみであり、規格外の才能が世の中に受け入れられるには時間がかかるものなのだ。
だが、知らないところで疑いの声は過激化の一途をたどった。ある日、北見慎が渋い顔をして一冊のスポーツ誌を持ってきた。
「これはまずいですよ、先生。」
スポーツ誌に掲載されている記事ではカンナが八百長の主犯として徹底的に糾弾されていた。何か証拠でも見つかったのかと驚いたが、「初段が5段に勝てるはずがない」「18歳の女王がぽっと出の12歳に負けるなんて裏があるに違いない」と憶測を並べ立てるばかりの駄文だった。
その日から間を空けず、とある人物が訪問しに来た。決勝でカンナに敗北した18歳だった。彼女はカンナが仕掛けた八百長に加担したと疑惑をかけられ、プロ格闘家としての進路に黄色信号が点っていた。18歳はカンナの実力を称え、決勝戦が正々堂々と行われた試合であることを誓い、鬼一法眼の名のもとにあの試合が八百長ではなかったことを証言してほしいと震える涙声で訴えた。
(我は判断を誤ったか。)
自分が素人の下種な憶測を放置したせいで十代の女の子が窮地に追い込まれている。己の至らなさを深く後悔した。拾生拳の創始者であり、武術会の生ける伝説とされる自分が一言「あの試合は八百長ではない」と言えば状況は違っていたはずだ。
直ちに行動した。大会の運営者に連絡してカンナを批判しているスポーツ誌に抗議文を送り、更に別のスポーツ誌に鬼一法眼の名前で決勝戦の正当性を支持する記事を寄稿した。
生ける伝説の言葉は重い。疑惑の声は落ち着き、18歳は予定通りプロ格闘家としてのキャリアを歩み始めた。カンナを名指しで叩いていたスポーツ誌は全面的に非を認め、責任者が処分されたと報じられた。
「法眼先生、蒼澄カンナさんのような天賦の才は、我々大人が守らなければならないと思います。」
北見慎に諭され、それから大会の運営にも関わることになった。
カンナは翌年の大会にも出場し、当たり前のように優勝した。名指しで攻撃された精神的なダメージを心配していたが、そのようなものを微塵も感じさせない強さだった。
優勝者へのインタビューでとある記者が八百長疑惑の件に言及した。
「去年の大会の後、一時期『蒼澄選手が八百長をしていた』と雑誌で噂されていましたが、今回の大会で精神面への影響はありませんでしたか?」
記者は心配するような口調だった。
「え?いや、無いです。素人のしょうもない妄想を載せてる雑誌なんて私は読まないですから。お父さんが新聞記者なんですけど、『読むものには気を付けろ、馬鹿な文章を読むと自分も馬鹿になるぞ』って厳しく言われています。」
「ぐふっ。」
あまりの物言いに近くで聞いていた北見慎が吹き出しそうになり、かろうじてこらえた。
「八百長疑惑のことは学校の友達から聞きました。『おい蒼澄、お前大会でズルしたって雑誌で叩かれてるぞ』って急に教えられて、びっくりして本屋で雑誌を立ち読みしたんですけど、こんな下らない雑誌を立ち読みしたってお父さんにバレたら嫌だなと思ってすぐに読むのをやめました。」
「ふふふっ……。」
北見慎はカンナのしゃべりがツボに入ったらしく、さっきからずっと腹を抱えている。
「あ、記者さん、記事にするなら『蒼澄カンナは雑誌を読まなかった』って必ず書いて下さいね。お父さんに『読んだの!?』って言われたくないので。」
「「「ぶははっ!」」」
自分も笑いをこらえきれず、思わず噴き出した。記者たちも笑っている。武の怪物は精神の強さも怪物級らしい。
カンナはその年、独立してシジョウで道場を開いた北見慎に弟子入りした。その後も実力をのばし、大会では5連覇を達成した。この記録は今でも破られていない。
(あの日見た才ですら氷山の一角であったか。)
先刻のやり取りだけでも、カンナが北見慎の元で武に磨きをかけたことは間違いないと断言できる。これほどの若き天才を目にするのは数多くの弟子を育ててきた自分にとっても稀な経験である。
それでも––
(危うい。)
何がと問われても言葉にできないほど微妙な危うさ。それがカンナに抱いた最も強い第一印象だった。
(この言いようのない、漠とした不安は何だ?)
自問しても答えは出てこない。答えの代わりに、とある昔の教え子と彼に関わる苦い記憶が想起された。
『私は先生から教わった剣術が最強であることを証明します!』
あの子のことを今でも鮮明に思い出せる。才気煥発、剣に真っ直ぐな心根、剣技を身に着ける度に浮かべる純真無垢な笑顔。歴史に名を残す剣豪になると確信していた。
ある日、あの子は何の前触れも無く姿を消した。再会した時には辻斬りに身を堕とし、人心を失っていた。
『おお、師よ。お喜びくだされ。また一人、名のある剣士を仕留めました』
今でも鮮明に思い出せる。月明かりの下、赤々と染まる血だまりの上に怪しく佇む一人の剣士。
(何故だ。何故今、我は彼奴を思い出している?)
師である自分の過ちが彼を狂わせた。そう思い、責任をとるつもりで彼を切り捨てたが、彼はマガツヒに変貌し、死してなお孤独な魔道を突き進んだ。
(何故––?)
今でも鮮明に思い出せる。マガツヒに身を堕としたあの子の最期を。マガツヒとしても滅びてようやく「最強の証明」への妄執から解き放たれたあの表情を。あの子を仕留めたのは小狐丸である。遂に自らの手ではあの子を救うことができなかったのだ。
(彼奴とカンナが同じとでも言うのか?いや、それは違う。)
身体は信号を発する。身体の主が望むか否かに関わらず。達人はあらゆる所作から信号を読み取り、相手の意思や心情を察することができる。
(あの時、我には彼奴の心が分からなかった。今になっても理解したとは言えぬだろう。)
カンナの信号は複雑で微弱だった。強い意志と卓越した技術によって意図的に信号を隠蔽し、相手に読まれることを防いでいたのだ。長く稽古を付けた教え子の心も分からない自分に、出会ったばかりのカンナの心などわかるはずもない。
(それでも––)
それでも、当時と決定的に違うことがある。今、自分は確かにカンナの危うさに気付いていることだ。ノイズまみれの微妙な信号の中に不穏な何かを感じ取ることができた。
(カンナ––)
彼女は気付いているのだろうか。自分がカンナに感じたこの危うさに。
(我はカンナに何ができるだろう。)
誰かの師となることを永遠に止めようと考えたこともある。だが、自分は武しか知らない人間だ。過ちを犯すも正しさを成すも、武によって以外はあり得ないだろう。
(この危うさの本質、必ず突き止めてみせよう。)
心中に誓った。
鬼一法眼はかつて剣術を授けた有望な弟子が、強さを追い求めるあまり辻斬りに身を堕とし、最終的にはマガツヒになってしまった暗い過去があります。(原作イベントストーリー『孤月白刃~継がれし想いを火に込めて~』より)