あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~   作:吾輩はもぐらである

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第二十話:リン#2

店を出てすぐ、リンの鼻孔を雨の匂いがくすぐる。

 

(降るな。)

 

そう思った時には激しい雨が降り始めた。

 

(天気予報では晴れだったはずなのに。)

 

リンの家までここから二十分以上かかる。

 

「私の家、この辺なんだ。リン、来る?」

 

「行く。」

 

カンナの家に連れて行かれる。

 

「入って。」

 

「お邪魔しま~す。」

 

玄関に入ると同時に雨が更に勢いを増した。

 

台所には調理用具一式。寝室を兼ねたリビングには棚、青いクロスが掛けられた座卓、仕事用のデスク、椅子、大きな姿見、懸垂器具、そして小さな本棚が置かれている。

 

「飲みものはお茶でいい?」

 

「うん。」

 

「羊羹あるけど食べる?」

 

「食べたい。」

 

「準備するからちょっと待って。」

 

カンナが台所に立ち、薬缶で湯を沸かし始める。お茶を待つ間、座布団に座って部屋を眺める。

 

本棚には本が四冊。『徹底報道 シジョウ政財界と犯罪勢力の癒着』『黒城会とラクドウ』、どちらも著者は蒼澄穣。『シジョウに法治を取り戻す』、著者は蒼澄大。そして『監獄から社会へ 犯罪者の社会復帰に必要な支援を考える』、著者は小早川南。どの本もお堅い雰囲気だ。「蒼澄」はカンナの名字だが、カンナの親族が書いた本だろうか?

 

物置棚には文房具、化粧品の収納箱、切り抜きだらけの新聞、救急箱、箱のティッシュ、カレンダー、櫛、そして髪留め。他にもこまごまとしたものが置かれているが、どれも実用品で装飾品の類は無し。

 

デスクには『社会人一年目のための仕事の教科書』という本、筆箱、大学ノート。それに––

 

(何これ?)

 

青いリボンで束ねられた真っ二つに折れた万年筆。そして真っ白の表紙の文庫本のようなもの。

 

無味乾燥な部屋だ。部屋の住人の人柄を伺わせるものがやけに少ない。引っ越してきたばかりだからだろうか?

 

「お待たせ。」

 

カンナが茶と羊羹をのせた盆を座卓に乗せる。

 

「いただきます。」

 

羊羹をほうばる。甘味が強いのに後味がすっきりしている。

 

「すごく美味しいね。」

 

「らいおん亭っていう有名なお店のやつなんだ。」

 

黙々と茶をすすり、羊羹を摘まむ。部屋にはざぁざぁと降り注ぐ雨音だけが響いている。

 

「……」

 

「……」

 

出会って初日の相手と二人きりで無言で過ごす。普通なら気まずい状況だが、不思議と気まずくない。カンナとは何年も前から知り合いで、幾度となく沈黙を分かち合ってきたような気がする。

 

「ごめんね、何もない部屋で。」

 

「ううん、気にしないで。急に来たのは私だし。」

 

何もない部屋。リンはそう思わなかった。確かにカンナの部屋は物が少ないが、濃密な何かで満たされている気がする。

 

「あっちの机にある、あれ何?」

 

仕事机に置かれている折れた万年筆と真っ白な表紙の文庫本を指す。

 

「万年筆はお父さんからのプレゼント。こっちは写真。」

 

どうやらリンが文庫本だと思ったものは実際にはフォトブックのようだ。中には家族写真と、カンナが武術仲間と一緒に映っている写真が防水フィルムに収められていた。

 

「これがお母さんで……、これが飼ってた犬と猫。この人がお父さんで、この人がお爺ちゃん。この子たちは稽古仲間で、この男の人が私の師匠の北見慎って人。」

 

ペラペラとフォトブックをめくりながらカンナが写真の登場人物について話す。

 

カンナは小さいころから目鼻がくっきりした大人びた顔立ちだったようだ。五歳くらいの時に撮られたと思われる、犬猫とじゃれ合っている写真の時点で、今目の前にいるカンナの面影がかなりある。だが、どの写真も受ける印象が今のカンナとは大きく異なる。写真のカンナは今よりもヤンチャな感じがする。

 

「顔は昔からカンナって感じだけど、結構印象違うね。」

 

「そう?……色々あったからね。一番最近の写真が北見先生と写ってるやつなんだけど、これももう四年前だからね。」

 

色々。

 

(カンナの色々って何だろう。)

 

リンは他人への関心が特別強い性格というわけではない。だが、「色々」の正体に強く気を惹かれた。

 

「『色々』って具体的に何?」

 

言ってから「しまった」と思った。

 

(ちょっと踏み込み過ぎたかも。)

 

無意識のうちに願望が口から零れ出たが、何となくカンナの繊細な部分に足を踏み入れた感触があった。

 

「嫌なら別にいいんだけど––」

 

リンがそこまで言った時、外から突然の光が部屋を照らし、その後「どごん」と腹の底に響き渡る轟音が鳴り響いた。落雷だ。結構近そうだ。

 

「ひにゃあああぁっ!?」

 

思わずみっともない悲鳴をあげていた。

 

「大丈夫?」

 

「うん。大声出してごめん。」

 

どうやら夕立はいつの間にか雷雲を伴う豪雨に変わっていたらしい。窓を大粒の雨が叩くバラバラという音、不気味な風音が室内に響く。

 

(弱ったなぁ。)

 

これから帰宅するとなると骨が折れる。リンは陰陽寮の真東の住宅街にある社宅に住んでいる。カンナの家からは三十分以上かかるが、生憎今日は傘を持っていない。いや、仮に持っていてもこの天候では傘をさすのも難しいだろう。

 

「リン、今日は泊まっていきなよ。」

 

カンナが救いの手を差し伸べてくれた。ありがたい。

 

カンナの予備の歯ブラシで歯を磨き、風呂に入って雨で冷えた身体を温める。寝間着が無いのでカンナの霊力で編まれた着物を温泉宿の浴衣のように羽織る。

 

(裏地がスベスベで気持ちいいな。)

 

リンもカンナも長風呂で、二人が風呂から上がる頃には遅い時間になっていた。

 

「私、そろそろ寝るね。リンはどうする?」

 

「私も寝る。」

 

カンナの部屋には布団が一人分しかない。リンは座布団の上で寝ようかと思ったが––

 

「リン。」

 

カンナが布団の片隅により、掛け布団を軽く持ち上げ、開いたスペースをポンポンと叩いて手招きする。

 

(!!)

 

カンナの隣は世界で一番心地が良い寝床に見えた。飛び込むようにして布団に潜り込み、カンナの隣に収まる。

 

「お休み、リン。」

 

「お休み。今日はありがとうね、カンナ。」

 

目を瞑って寝ようとするが、雷雨も風も一行に勢いが衰えない。特に雷は激しさを増すばかりで、夜の空に閃光と轟音を断続的に走らせている。雷雲がかなり近いのか、瞼越しに雷の光を感じた瞬間には轟音が響いている。

 

(怖いな……)

 

いつ鳴るか予測が付かない雷の大きな音は、リンが大の苦手とする幽霊が不意をついて飛び出てくるのと同じ類の恐怖だ。全身が緊張で強張る。眠れない夜になるかもしれない。

 

また一発、雷鳴が鳴り響いた。今までで一番大きい音に思わず身体が「びくっ」と震える。

 

「リン、眠れないの?」

 

カンナの囁く声で目を開ける。

 

「ごめんね、起こしちゃった?」

 

「気にしないで。もしかして雷苦手?」

 

「うん––」

 

応えようとした時、また雷が鳴った。今度は立て続けに三発。室内に長々と轟音が響く。怯えて思わず目をぎゅっとつむる。すると、カンナが頭頂部の猫耳を手のひらで軽く塞いだ。

 

「これでどう?」

 

カンナが耳元で小さく囁く。彼女の声は聞き手を落ち着かせる。それに、彼女には何とも言えない包容力がある。甘えたがりの心がむくむくと頭をもたげてきた。

 

「撫でて?」

 

そう言いながらカンナの大きな身体にそっと抱きつく。絶対に拒まれない自信があった。今日出会ったばかりの相手に我ながら大した甘えっぷりだと思ったのもほんの数秒だけ。気が付くと喉から「んーんー」と無意味な甘ったれた声を漏らしながら、カンナの胸元にぐりぐりと顔を押し付けていた。

 

「いいよ。」

 

リンが期待した通りのリアクション。カンナの大きな手のひらが頭を、腕を、背中を、限りない優しさで愛撫する。時折雷がなる。稲妻とほぼ同時に雷鳴が轟くので、雷雲は未だほど近くにあるはずだが、カンナに耳を塞がれているからか、はるか遠くの出来事のように聞こえる。

 

(ふわぁ~、最高。)

 

至福の時だった。カンナに抱き着くと精神が若返り、十歳にも達しない子供に戻り、多幸感に包まれる心地がする。リンは兄の顔を思い出していた。そういえば子供の頃は兄にこうやって甘え倒したものだ––

 

(あっ。)

 

その時、カンナの部屋を満たす何かの正体が何となく分かった気がした。

 

カンナに抱き着いたまま、上目づかいで彼女の顔を見上げる。いつの間にか雨も雷も止んでおり、カーテンの隙間からは月明かりが差し込んでいたが、彼女の顔はよく見えない。

 

「リン、もう大丈夫?」

 

「うん。大丈夫。」

 

無意識の内にカンナの身体に手足を絡めて抱き枕のようにしていた。さすがにやり過ぎたかなと今更ながら恥ずかしくなってきた。手足を解いて少し離れようとすると、今度は逆にカンナがリンに抱き着いてきた。

 

「……私の『色々』、知りたい?」

 

カンナが耳元でそっと囁く。歯磨き粉の香りがする暖かい息がリンの顔を撫でた。

 

「カンナの身の上話をして。」

 

「リンの話をしてくれたら何でも教えてあげる。」

 

「いいよ。」

 

二人の長い夜が始まった。

 

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