あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~ 作:吾輩はもぐらである
カンナも思春期に差し掛かり、将来の進路について自分なりの答えがほしい年頃になった。
(お父さんとお爺ちゃんの仕事のことを調べてみるか。)
正義の味方という仕事は存在しなくても、祖父や父のように正義の味方として扱われる大人は存在する。二人から学ぶことにした。
父と祖父は自身の仕事に関係する書籍を出版していた。割とお堅い書籍だったが、幸いにも著者が身近にいることで何とか読破することができ、多くの学びがあった。
治安の悪さで悪名高いシジョウだが、カンナが生まれる前はもっと酷い状況だったらしい。昔のシジョウでは政財界の権力と裏で癒着した数々の犯罪組織が跋扈し、開き直ったように蛮行を働いていた。
「犯罪組織に靡かない議員が親族もろとも犯罪組織に拉致、殺害された。」
「過激派が警官を殺害して奪った銃で役所を襲撃し、多数の死者が出た。」
この程度はよくあること。シジョウの新聞の誌面にこの手の事件が載らないことの方が珍しい。
「児童連続殺人事件の容疑者として権力者の親族を調査しようとした捜査チームが唐突に解散させられた。解散に猛抗議した捜査責任者は何者かに自宅に火を付けられ焼死した。」
「有力な議員の汚職疑惑を追っていた記者の変死体が見つかったが、警察は『事件性無し』と一蹴して黙殺した。」
これらもシジョウで実際に起きた出来事である。大陸の都市を治安で格付けすれば、最下位層にシジョウが登場しないことは無かった。
カンナの父と祖父が有名人だったのは、そんなシジョウを変えるため戦った功績のためだった。
祖父蒼澄大はシジョウの首長を三期に渡って務めた人物だった。首長になる前は数学と統計学の研究者として順風満帆なキャリアを築いていた。しかし知命を前に「余生をシジョウを良くすることに尽くしたい」と一念発起し、キャリアを捨ててシジョウの首長選に臨み、二度の落選を経て首長となった。首長の強権を振るい、組織犯罪の取り締まりの強化や活動の制限に関する数々の条例を成立させた。その結果、数多くの犯罪組織を壊滅、規模縮小に追い込んだ功績で知られている。
父蒼澄穣は新聞記者としての職業人生のほぼ全てをシジョウの犯罪組織と政財界の癒着を暴くことに費やした人物だった。父に犯罪組織との繋がりを暴かれた著名人は数多い。その中でも最大のスクープが、シジョウの名士だった美頭家の長男美頭孝と、シジョウ最悪の犯罪組織の一つとして悪名高かった黄山会の癒着の暴露だった。
美頭孝はシジョウ警察の幹部を務めた後に政界に進出した人物である。若いころから黄山会の後ろ盾として蜜月の関係を築いており、敵対者は黄山会の力を用いて攻撃、排除し、シジョウ警察が自身の派閥の者を捜査しようとすれば警察幹部時代の人脈を使って妨害した。
父に癒着と悪事の数々を暴かれ、美頭孝とその一派は続々と権力の座を追われた。黄山会も後ろ盾の消失で急速に弱体化し、残り少ないシノギを巡る内部抗争の果てに分裂、消滅した。
もちろん、祖父と父の奮闘で犯罪が完全に消滅したわけではない。今でもシジョウは大陸では比較的治安が悪い街である。しかし重犯罪の数は激減し、警察関係者、役人、議員、記者の殉職率は目に見えて改善した。犯罪の主体も権力を後ろ盾に持つ大組織から個人や零細組織に変わった。犯罪者は官憲を恐れるようになり、相当の覚悟が無ければ昔のように開き直ったような犯罪は実行不可能になった。
(これがおじいちゃんとお父さんの仕事か。)
曖昧模糊としていた「正義の味方」という存在に、骨と肉が与えられていく心地がした。悪人が生まれて暴れ回るよう社会の仕組みを明らかにし、根幹に近い部分を正すのが、正義の味方の仕事と解釈した。
(私には何ができるのかな?)
カンナは万能型の秀才で文武どちらも最高クラスの優等生だったが、やはり自分の強みは天賦の武術の才と恐れを知らない精神だろうと思った。問題はそれをどう仕事に活かすかだった。
十四歳の時、将来を考えるうえでお手本となる人物との出会いがあった。カンナの武術の師となる北見慎である。
ある日、カンナが通っていた道場に新垣修一郎というプロの格闘家がやってきた。彼は社会貢献活動の一環で道場を訪問しており、抽選で選ばれた道場の生徒と一人一分間の模擬戦に応じた。
道場の生徒は新垣の実力と迫力を前に誰一人としてまるで相手にならず、三十秒として戦い続けられなかった。しかしカンナだけは例外で、一分間しっかり新垣と打ち合った。新垣は未成年の女の子が自分と打ち合ってくるとは予想だにしなかったらしく、模擬戦が終わった後しばらく言葉を失っていたが、帰る前に声を掛けられた。
「蒼澄さん、僕の友人の凄い強いやつが弟子を探しているんですが、会っていただけませんか?」
新垣は製薬業界の雄、新垣製薬の創業者の息子である。リングでは殺し屋のような形相をしているが、平素はいかにも良家の育ちといった雰囲気の好青年だった。
「新垣さんよりも強いんですか?」
「僕なんて相手にもならないですよ。蒼澄さんなら会えばすぐにわかると思います。絶対に良い経験になると思うので三十分だけお時間を下さい。」
新垣に紹介されたのが北見慎だった。
北見慎は鬼一法眼の元で武術を修めた犬神のアヤカシである。最近師の元を離れて故郷であるシジョウへ戻ってきたらしい。
(めっちゃタイプ!)
彼はカンナの好みを全て満たす男だった。年上で、堂々としていて、雰囲気が知的で、顔立ちが男らしくて、筋肉質で、カンナよりも背が高い。三十分どころか、出会って三秒でカンナは眼福の至りであり、素晴らしい経験をさせてもらった心地だった。もちろん、新垣が言った「経験」とは完全に別物だろうが。
「北見慎です。蒼澄さんのことは二年前に拾生拳の大会に初出場した時から見知っていました。」
低く落ち着きのある声音。これも完全にカンナの好みだった。
「光栄です。蒼澄カンナです。」
北見慎と固く握手をかわす。彼の手はカンナよりも大きく、ゴツゴツして固かった。
「私は鬼一法眼先生の元で破難拳という武術を修めた者です。本業は会社経営ですが、故郷シジョウの恵まれない子供の助けになりたいと考え、孤児院への寄付や教育ボランティアの活動もしています。今度その一環で道場をやろうと思い、教え子を探しているところでした。」
「私を教え子に、ということでしょうか?」
「そういうことです。蒼澄さんが恵まれない子供とは思っていませんが、道場は才能がある子は幅広く受け入れようと思っていますので。」
(ふーん……考えてみるか。)
カンナは当時伸び悩んでいた。もともとカンナは道場で元プロ格闘家の指導を受けていたが、指導者が半年前に病気で急逝し、指導者が変わったのだ。指導者の後釜には部活動レベルの武術経験しかない指導者の親戚が就いたが、既にカンナの方が圧倒的に強かった。北見慎がより優れた指導者なら移籍しない手は無い。
「見ず知らずの人に急に『弟子になりますか?』と言われて蒼澄さんも困惑していると思います。なので……少しばかりどうでしょうか?」
そう言いながら北見慎はリングの方を指し示した。模擬戦のお誘いだ。カンナにとっても彼が師にふさわしい実力者かを見極める良い機会だった。
「お願いします。」
リングに立つ。カンナは左半身を北見慎に向け、スタンスをやや広めに取り、腕を上げて顔面のガードを固め、拳を半開きにする。北見慎も似たような姿勢で対峙した。
模擬戦は二分間。
(……)
両者、試合が始まってもすぐには動かない。
カンナは格闘家としてのあらゆる能力が高く、弱点が無い選手だった。特に傑出しているのが対戦相手の特徴とコンディションを見抜く洞察力、相手に自身の意図を読ませない隠蔽力、そして試合を自身の勝ち筋に誘導する展開力だった。カンナの戦法は識者からはよく『計算づく』『詰将棋』『後出しジャンケン』と表現された。
北見慎の闘い方は初見であることを差し引いてもかなり分かりづらかった。攻め方がわからずじりじりと時間ばかりが過ぎる。
突然、北見慎が左のジャブから右のストレートのコンビネーションを放った。容易くさばくがそれらはフェイントで、本命はカンナの胴を狙った左のミドルキックだった。
(重っ!)
腕で止めたが、鈍器で殴られたのかと錯覚するほどの衝撃だった。腕が下がったカンナの顔面を右のストレートが襲う。来ることは読めていたが、予想外に回転が早く、わずかに回避が遅れた。頭を振って衝撃を殺したが、それでも少しクラっときた。素早く体勢を立て直し、追撃を牽制したところで時間切れになった。
(すごっ。)
カンナは関心していた。新垣も自分より強かったが、自分との差がどの程度かを想像できる範囲の強さだった。だが、北見慎の強さはそれ以上で、もはやどれだけの差があるのか想像がつかなかった。
「お疲れ様です、蒼澄さん。いかがでしたか?」
北見慎は玉のような汗をかいているが、息は乱れていない。一方カンナは二分の模擬戦にも関わらず肉体と精神に疲労を感じ、息も上がりかけていた。
「ありがとうございます……。凄すぎて言葉にならないです……。」
「急かしはしませんので、弟子入りの件も検討してもらえるとありがたいです。私の元に来れば拾生拳だけでなく破難拳も学べますし、カンナさんにとても向いていると思います。知り合いの伝手でプロの格闘家と出会う機会も––」
「いえ、お時間は要りません……ぜひ北見さんに教えていただきたいです。」
腕っぷしは最強。ルックスと声は最高。それ以上の判断材料は不要だった。
「ありがとう。私にとって記念すべき初弟子です。必ず蒼澄さんを今以上の高みに導きます。」
こうして、カンナは北見慎の最初の弟子となった。
北見慎の道場の開設日。彼の道場はカンナの家から歩いて三十分ほどの場所にある。鬼一法眼の直弟子が開いた道場とあって多くの人が詰めかけていた。
初日は北見慎の自己紹介と所信表明から始まった。
「私が師である鬼一法眼から教わった破難拳は、正義や倫理では解決できない困難を、己の武勇で打破するための武術です。」
場所は学校の体育館風の稽古場。中央に坐した北見慎を来訪者たちが囲む。
「私は皆さんを強くするために道場を開きました。ですが、強さも使い方を誤れば困難の元凶にしかなりません。私はシジョウの生まれですが、幼い頃に両親を亡くし、ラクドウの叔父の元で育ちました。ラクドウは一昔前のシジョウのような街です。心無い荒くれ者たちの力が善良な人々を傷つけるのを何度も見てきました。私はみなさんを強くするだけでなく、強さを正しく活かせる人にしたい。」
北見慎が立ち上がる。
「私が信じる正しさは、千年前のとある武闘家が既に言葉にしてくれています。彼は安倍晴明と弟子たちが人々をマガツヒから守るために戦う姿に心を打たれ、己の技を磨き、多くの人を救ったと言われています。彼の言葉を紹介します。」
「ええいっ!」という雄たけびと共に右の正拳突き。
「強き者は家族を守れ。」
強く踏み込み左の肘打ち。
「より強き者は故郷を守れ。」
最小限の動作で更に右の突き。
「最も強き者は人類の未来を守れ。」
最後に一連の動作を高速で繋げる。見る目を持つ訪問者から感心のため息がこぼれた。
「自分が守りたいものを守り抜ける人を一人でも増やす。それが私の仕事です。」
強く、志がある大人。カンナは自分が歩むべき道の先を行く人の背中を垣間見た気がした。
カンナは北見慎の道場で鍛錬するようになり、伸び悩んでいたのが嘘のように強くなっていった。武術を始めたばかりの時期以来の急激な進歩だった。
北見慎は経営者であり、常に道場に居るわけではない。平日の早朝と週末の午後が稽古時間だった。
カンナは週末の午後の稽古の方が好きだった。居残り稽古で外が暗くなると北見慎に帰り道を途中まで送ってもらえるのだ。カンナは夜道の一人歩きなど全く怖くなかったが、もちろんそんなことは言わず、稽古後は毎日送ってもらっていた。
多忙な北見慎と二人きりになれるタイミングは限られている。北見慎の家は道場からカンナの家へ向かう途中にあり、見送りはいつもそこまでだった。道場から北見慎の家に着くまでの約十分は、カンナにとって最も幸せな時間だった。
北見慎は無口だが、オープンで飾らない性格で、聞けば大抵の事には答えてくれた。お陰でカンナは彼の事を色々と知ることができた。彼が警備会社を経営しつつ個人投資家として活動していること。幼いころに両親を亡くし、子供の頃は荒れた生活を送っていたこと。鬼一法眼と出会って荒んだ日々から抜け出せたことを切っ掛けに、道を外れそうな子供を救うことを志すようになったこと。収入の半分を孤児院への寄付やボランティアに投じており、カンナが赤ん坊の頃居た青風館にも継続的な寄付を行っていること。結婚経験があるが早くに妻を病で亡くしたこと。子供が居ないのでシジョウで再婚し子供を持ちたいと考えていること––
(再婚相手なら目の前に最高の女がいますよ、先生。)
何度そう言いたくなったことか。
この先、北見慎ほど理想的な男と出会える機会は無いと思っていた。彼はそれほど完璧な男だった。外見や声だけではない。犬耳をさする可愛らしい癖、落ち着き、知性、無駄口を叩かないクールな性格、敬服に値する高い志、カンナの手を包む大きく固く熱い手の感触––。
(私がこんな気持ちになるなんて。)
十四歳にして、人生で初めて恋に落ちた。
恋心はよく甘酸っぱい果実に例えられるが、初めて抱いた恋心はもっと混沌として激しく、粘着質で生々しいものだった。お互いに相手の支えとなり、欠かすことのできない存在になり合いたい。お互いに肉体と精神を捧げ、貪り合いたい。愛欲、奉仕欲、支配欲、被支配欲。どろどろの感情が内面を満たし、別人に生まれ変わった心地だった。
だが、それは禁じられた恋だった。北見慎は二十代の成人である。北見慎を求める気持ちが抑えられなくなりそうになると、そのことを思い出して自分を落ち着ける毎日だった。「北見慎が未成年淫行で捕ってもいいのか」「未成年を誑かしたと疑われるだけでも北見慎の社会的信用が傷つくぞ」が冷静になる合言葉だった。
そもそも、北見慎は至極真っ当なモラルの持ち主であり、未成年の教え子と恋仲になることは天地がひっくり返ってもあり得ない男だった。カンナの恋心に気付かれればそれだけで距離を置かれかねない。幸か不幸か、北見慎は異性に向けられる恋慕の情にはかなり鈍感だった。道場にはカンナが知る限りでも三人は北見慎に惚れている女が居たが、気付いている様子は全く無かった。
(早く大人になりたい。)
シジョウの成人年齢は十八歳である。その時北見慎が独り身でカンナの恋心が冷めていなかったら一気に勝負を仕掛けるつもりだった。不本意だが、それまではせいぜい妄想の世界で北見慎と激しく愛し合いながら悶々とし続けるしかなかった。
北見慎の指導下でカンナは武術の才を磨き、大会に出場すれば必ず圧倒的な強さで優勝した。強過ぎるカンナにとって大会での優勝はもはや当たり前で、さほど嬉しいものではなくなっていた。しかし、北見慎の名と道場を世に広め、北見慎に自分の成長を見せ、北見慎を喜ばせたい一心で大会には積極的に出場した。自身が優れていることを証明し続ければ、十八歳になった時に良いスタートダッシュが切れると思っていた。
(あと二年!)
自分で自分の一途さに驚いたが、北見慎と出会って二年が経ってもカンナの恋心は熱を失っていなかった。二年の間に北見慎には三人の恋人が出来たが、誰とも婚約には至らなかった。北見慎に新しい恋人が出来たと知る度に内心で世界を呪い、破局したと聞く度にこの世の全てを祝福した。
(かわいそうな北見先生。良い人が見つからなくて苦労してるんですね。もう少しの辛抱ですよ。)
十八歳の自分が北見慎の夢をかなえる天使となる妄想が止まらなかった。成人を迎えたカンナが彼に想いを伝える。彼はカンナが優れた大人の女であることに気付き、見る目を変える。その先はあっという間のはずだ。
世の大半の大人の女性よりも自分の方が優れている自信がカンナにはあった。カンナはシジョウ一の名門校で三本の指に入る秀才だった。武術大会に出れば常勝無敗のスーパーアスリートだった。蒼澄家では一番の家事の達人で、犬猫の世話も完璧だった。容姿にも自信がある。実家は裕福。賞金付きの武術大会で獲得した賞金を貯金しているので、結婚式の費用をまかなえるほどの個人資産もある。カンナも子供が欲しいので、北見慎の子を持つ夢には喜んで協力する。
(私が北見先生を幸せにするから、北見先生が私を幸せにして。)
北見慎がカンナの理想の男の体現者であるように、カンナも北見慎が願う理想の女でありたかった。冷静な大人の男である北見慎に対等な女として扱われたかった。願いが叶う日が待ち遠しくて仕方が無かった。