あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~ 作:吾輩はもぐらである
十六歳の夏。その日は唐突にやってきた。
その日、蒼澄家ではいくつかの祝い事が重なった。祖父が首長になる前の職場だった大学から名誉教授の称号を授与された。父が
カンナは台所に立ち、甘いものが好物の父と祖父のために高級菓子店「らいおん亭」の巨大羊羹を、ガウガウとリンリンのために牛肉を切り分けていた。足元ではガウガウが待ちきれない様子でカンナの足元をぐるぐると歩き回っている。ガウガウは十八歳に達しようかという老犬だが、今でも肉を食い、日に三十分は庭を散歩するほどに壮健である。
その時、祖父と父とリンリンが待つダイニングの方から父が「うわっ!」と驚いた声をあげるのが聞こえる。続いて響いたのは固いものが床を叩きながら転がる「ごん、ころころ」という音。
「大丈夫?何の音?」
台所を離れダイニングを覗く。ダイニングの床には異物––黒い金属質な卵型の何か––が転がっている。
(何これ?)
確認できたのはそこまでだった。
眩い閃光が走る。それと同時に「どんっ」と腹の底に響く轟音が鼓膜を振るわせる。バラバラと何かが身体に降りかかるのを感じるのと同時に吹き飛ばされ、背中から壁に叩きつけられる。
(??)
不可視の鎧でカンナは無傷である。だが、思考を再開する前に、開け放たれた窓から先ほどの異物が更に数個飛び込んでくる。
(爆だn––)
飛びつき、外に投げ返そうとするが間に合わない。異物が金属片をまき散らしながら炸裂する。家具があちこちに吹き飛び、天井の一部が崩落する。カンナは再び壁に背中から叩きつけられ、床にずるずると倒れ伏す。その上に瓦礫が降り注ぎ、身動きがとれなくなる。
(何かしなくちゃ……何か……。)
頭が上手く働かない。極度の緊張と焦燥感で何もできない。今にもパニックを起こしそうだ。
「……お父さん、おじいちゃん、大丈夫?」
か細い声でつぶやく。声は発せられた途端に中空に消えていく。声帯が強張り、脱水症状に陥ったかのように口の中が乾いている。呼吸がうまくできない。
その時、どこからか「くぅん」と弱々しい犬の声が聞こえる。
(ガウガウ!)
カンナにとって弟も同然の愛犬が不安を訴える声を聞き、身体が本来の機能を取り戻していく。
(何かしろ……何か!)
身をよじり、何とか上半身を起こす。眼前に広がるのは瓦礫、瓦礫、瓦礫。見渡す限りの瓦礫の山。この下には家族がいる。座り込んで休んでいる暇はない。
「うーん……!」
歯を食いしばり、下半身に力を込めるが、覆いかぶさった瓦礫はピクリともしない。
「誰かいませんか!助けてください!」
声を振り絞るが、すぐに無意味だと気付く。
(違う!今そんなことをして何になる。)
叫び声が届く範囲に他人の家はない。通行人が爆音に気付いている可能性はあるが、いつ来るともしれない他人の助けを当てにする余裕はない。恐らく無傷なのは自分だけで、他は皆重傷を負っているだろう。今すぐ瓦礫の下から救い出さなければ手遅れになる。
状況を打開する術を一つだけ思いつく。
(やるぞ……。)
目を閉じ、耳を塞ぐ。まずは全力で呼吸のペースを取り戻す。次に自分が今成すべきことに全意識を集中させる。緊張と焦燥感が徐々に和らいでいくのを感じる。
(いいぞ……私はやれる……やらなきゃいけないんだ!今やれ!蒼澄カンナ!)
腹をくくる。
体内を巡る霊力の流れに集中する。さらさらと身体の隅々まで循環する霊力の流れが豪雨の後の川のように勢いを増し、身体という枠に押し込められて激しい渦となる様子を想像する。全身に力を漲らせ、腕や足を一振りする度に瓦礫を粉々に粉砕する自分の姿をはっきりと脳裏に思い描いた。
(
心の中で唱えるのと同時に、霊術を発動する。体幹に渾身の力を込め、下半身にのしかかる瓦礫を落ち葉のように容易く蹴り上げる。
(上手くいった!)
「発鬼」は破難拳の奥義の一つである。身体のリミッターを霊力でこじ開けると同時に、限界を超えた運動に耐え得る頑健性を身体に付与する。最近北見慎から習い始めたばかりで、練習では一度も成功したことが無く、ぶっつけ本番だったがうまくいった。
発鬼の効果が切れる。術の反動か、全身をどっと疲労感が襲う。だが、動けるようになったのは大きい。
「お父さん!おじいちゃん!リンリン!ガウガウ!聞こえたら返事してよ、ねぇ!」
飛び交う粉塵に負けず、大きく息を吸い、腹の底から大声を出す。すると、台所からガウガウが吠える声がする。
「待ってて!」
瓦礫の山の上をたどって台所に着くと、ガウガウが身を縮こまらせている。不安げな表情でこちらを見上げているが、幸いにも軽傷だ。
ガウガウを連れて台所のドアから外に出る。庭の方にまわると、家の様子がよくわかった。
ダイニングは滅茶苦茶で、天井の一部が崩落している。だが、それ以外はほとんど無事だった。見たところ火災は発生していない。
庭には何者かに踏み荒らされた痕跡。爆発物を投げ込んだ犯人に違いない。後を追いたいが、今はそれどころではない。
突然、ガウガウが門の外へ走り去る。だが、追う余裕は無い。
(みんなはどこ?何処から探せばいいの?みんな席に着いていたはずだけど、近くで爆発が起きたから吹き飛ばされてるかも。となると壁際から探す?片っ端から瓦礫をどかしてたら非効率で時間が足りなくならない?人手を集めた方がいい?)
思考が脳内を駆け巡りまとまらない。
「蒼澄さん、どうしたのこれ!?」
後ろから女性の声。見ると、顔なじみの近隣住民がこちらを呆然とした表情で見つめている。その足元ではガウガウが彼女の服の裾をがっちり咥えている。
(ガウガウが連れてきてくれたんだ!)
欲しかった人手が向こうからやってきた。
「家に!爆弾が投げ込まれたんです!」
「ば、爆弾!?」
「すぐに人を大勢呼んで下さい!警察と救急と消防への連絡もお願いします!ガウガウ、もう放して!」
「わ……分かった!分かったから、待ってて!」
走り去る彼女を見送らず、瓦礫をどかし始める。ダイニングの中央に向けてがむしゃらに突き進む。
「おじいちゃん!お父さん!リンリン!聞こえたら返事して!」
喉が張り裂けるほど、何度も叫ぶ。叫び、瓦礫を砕き、どかし、また叫ぶ。ただひたすらそれを繰り返す。シジョウの夏は高温多湿だが、極限の緊張でハイになっているのかいくらでも身体が動く。ガウガウは人を集めるため、再び門の外に飛び出した。
(絶対に助ける。絶対、絶対、絶対……。)
夕陽が昇ってもカンナは瓦礫をどかす手を止めなかった。
▼▽▼▽
家が爆破された五日後。カンナは二階の自室でガウガウを撫でながら窓からぼーっと外を眺めていた。
「……」
結局、生存者はカンナとガウガウだけだった。
祖父、父、リンリンの遺体はカンナが瓦礫の下から掘り出した。
(死んでる。)
一目で分かった。二人と一匹は全身に深々と金属片が刺さり、肉が裂け、ところどころ骨や臓器が露出していた。鑑識の調べによると、最初の爆発で全員即死していたらしい。
カンナは二日前、病院のベッドの上で目覚めた。爆発で負傷したわけではない。遺体を発見後、カンナは家族の死のショックで錯乱状態に陥った。食事も睡眠もとらず泣き喚き、暴れ続け、ついに過呼吸と脱水症状で倒れ、病院に担ぎ込まれたのだ。鎮静剤入りの点滴を打っている途中にも暴れ、麻酔が全く効かないので、止むを得ず麻酔科の獏のアヤカシが催眠術をかけて眠らせたらしい。
錯乱中の記憶は全くない。覚醒時、記憶にある最後の光景は庭に並べられた家族の遺体を見つめている瞬間だった。点滴のお陰で体調は良く、催眠術のお陰か精神的にも落ち着いていた。
カンナの病室に入室するのは限られた病院関係者と警察だけだった。
「蒼澄さんの飼い犬は近隣住民の方が面倒を見てくださっています。ご家族の遺体は警察が安置しています。犯人はまだ分かっていません。狙いが誰だったのかも不明です。可能性は低いですが、カンナさんが標的の可能性もありますので、カンナさんは警察の保護下にあります。不審者の接近を防ぐため、お見舞いは禁止されています。自宅に戻っても構いませんが、警備チームが常駐します。」
警察はそう説明した。ガウガウが心配だったので自宅に戻ることにした。
自宅周辺では警察が厳戒態勢を敷いている。家の周囲を警官が二人一組で巡回し、門の前には重武装の警官が常駐し、たまにやってくる記者や野次馬を追い払っていた。
「カンナさん、出前が届きましたよ。」
若い婦人警官が出前の弁当を持って部屋へ入ってくる。家に届くあらゆる荷物や郵便物は警備員がチェックするので、自分で直接受け取ることはできない。この婦人警官も警備チームの一員だが、カンナの精神面をケアするためか、よく話しかけてきた。純粋な善意もあるだろうが、家族を殺されたカンナが無茶をしないよう見張る目的もあるのだろうと推測していた。
「ありがとうございます。いただきます。」
「体調はどうですか?」
「ご心配をおかけしています。意識してしっかり食べるようにしていますので、少しずつですが良くなってきています。これからは身体も動かしていこうと思います。身体の調子が悪いと精神にも悪影響ですから。」
「良かったです。辛いと思いますが、何かあればいつでも手助けしますので、声をかけてくださいね。」
「ありがとうございます。」
弁当箱を開ける。蕎麦と玉子焼き。どちらもカンナの大好物だが、味はほとんどしない。家族の死後、ストレスによる味覚の不調が続いていた。
「……」
食事を平らげると、床にごろりと仰向けに横たわる。すり寄ってきたガウガウを優しくなでる。
「もう少し我慢しようね、ガウガウ。」
ガウガウの耳元でささやく。
「犯人が分かったら、私が殺すから。」
病院のベッドで目覚めた時、最初に犯人へ報復すると誓った。次に、報復を成し遂げるためにも弱くならないことを誓った。だから味がしなくてもしっかり食事をとる。身体を鍛えるのも止めない。悲しみで塞ぎこんで何もしないなど、遠回しな敗北宣言でしかない。
胃が落ち着くと日課の筋トレを始める。
スポーツ用のマットを敷き、腕を肩幅よりやや広めに開き、五本指を立てた指立て伏せを五十回。一回あたり十秒ほど時間をかけ、負荷がかかる部位に意識を集中する。夏の暑さも相まって全身から玉のような汗が噴き出す。
(集中できない。)
家族を殺され、家を壊された。自分はそんな境遇に置かれている。犯人は未だに分からない。
気を取り直し、小指を浮かせた四本指立て伏せを五十回。一回当たり十秒の時間をかける。撥水素材のマットは早くも汗で水たまりができている。
(許さない。)
犯人は今どこにいるのだろう。何をしているのだろう。なぜ爆弾を投げ込んだのだろう。居場所さえわかればこちらから出向くのに。あるいは、また家を襲撃してくれればその時捕まえられるのに……。
薬指を抜いた一回十秒の三本指立て伏せを五十回。
(何が狙い?)
祖父や父の仕事柄、脅迫状や剃刀の刃のような危険物が届くことは過去にも何度もあった。だが、なぜ今なのだろう?
(狙いはお父さんだったの?)
祖父が首長を引退して既に十二年経つ。子供の自分が標的とは考えづらい。だとすると、消去法で現役の記者である父が標的だったことになる。
人差し指を抜いた二本指立て伏せ、人差し指も抜いた親指立て伏せを五十回ずつ。一回当たり十秒の時間をかける。更にスクワットを二千回。思考が止まらず、あまり没頭できなかった。
シャワーを浴びて汗を流す。目を閉じ、湯に潜り、亡くなった家族との思い出に浸る。カンナがふるまった夜食を食べながら書斎で書き物をする祖父。自分が書いた記事を自慢げに解説する父。カンナの布団に侵入し身を摺り寄せてくるリンリン。蒼澄家では毎年恒例のシジョウ富士の桜見。もう増えることは無いカンナの黄金の思い出。その最後は血と粉塵で汚された。
床に転がる黒い異物、壊れたダイニング、そして無惨な姿の遺体。光も音も無い湯の中で、あの日の光景が、音が、臭いが、粉塵が睫毛に触れる感覚が蘇る。今でも爆音が体内にこだまし、爆発の振動が腹の底に響いている気がする。
(犯人は必ず殺す。)
誰が、何のために家を爆破したのかは知らない。だが、代償は必ず払わせる。この手で犯人を捕え、産まれたことを後悔するほどの恐怖と苦痛を与えて殺し、死体をバラバラにして鳥の餌にしてやる。警察に逮捕される可能性も十分考えられるが、その時は裁判中にでも襲って殺してしまおう。機会はあるはずだ。
(それまで、絶対に潰れない。)
事件の傷はほとんど癒えていない。ダイニングは捜査のため事件後手つかずになっている。事件以来、お馴染みの地下室に監禁される子供の悪夢に加えて、瓦礫の下で血まみれになって喘ぎ苦しむ家族の姿を毎晩夢で見るようになった。鍛錬に集中できないのも、カンナにとってはあり得ないレベルの不調である。
だが、気力は失われていない。この大陸のどこかに、自分から大切なものを奪った犯人が生きている。そのことを思うだけでどす黒い活力がぐつぐつと湧いてくる。心に火が灯り、瞬く間にごうごうと燃え盛る炎となる。炎は意志を持ち、精神を焼き焦がす痛みでカンナが喪失に溺れることを許さず、極上の獲物が投じられその肉を焼き尽くす時を飢えた獣のように待ち受けている。