あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~   作:吾輩はもぐらである

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注意:過激な表現あり


第二十六話:紅連会本部襲撃事件#2

大広間は三階のフロアの大半を占め、百人近い紅連会の構成員が集っても混雑を感じさせない。礼服姿の構成員たちが床に敷かれた深紅の絨毯の上に円を描くように正座し、円の中心を見つめている。

 

構成員たちは突如として会場に乱入したカンナをぎょっとした様子で見つめていた。だが、カンナはそんな連中には目もくれず、標的を探していた。

 

円の中央に一対の深紅のソファー。片方のソファーには深紅のスーツに身を包んだ目つきが鋭い痩せた老人。もう片方のソファーには同じく深紅のスーツに身を包んだ四十歳前後の凶相、巨漢の鬼のアヤカシ。紅栄吉と紅馨だ。

 

(見つけた!)

 

カンナが円の中央へ進もうとすると——

 

「何の真似だゴラァ!」

 

当然、構成員たちが行く手を塞ぐ。会場が一瞬にして怒号に包まれる。

 

殴りかかってきた構成員を体当たりで弾きとばす。抱き着いてきた動きを止めようとした構成員を手足を振るうだけで難なく吹き飛ばす。消音器付の銃や刃物で襲い掛かってくる者も居たが、不可視の鎧を前にカンナに傷一つつけることはできない。

 

「どけやぁ!」

 

二メートル近い力士体系の猫又のアヤカシが人混みを弾き飛ばしながら突進してくる。猫又の大男の大振りの一撃を避けずに受け止める。体重七十キロ超のカンナが十メートル近く吹っ飛び、会場の壁に強く叩きつけられ、壁にひびが入る。

 

「があっ!?いてぇ!?」

 

だが、ダメージを受けたのは猫又の大男だけだ。不可視の鎧を殴りつけたせいで手を解放骨折している。一方、カンナは僅かな痛みすら感じていない。

 

拳を抑えてうずくまる猫又の大男を片手で持ち上げ、密集した構成員に思い切り投げつける。発鬼で警備の会話を盗み聞きした経験が活きているのか、術が切れる気配は無いが、時間をかける理由も無い。目の前に立ちふさがる何人もの構成員を吹き飛ばし、円の中央へ急ぐ。

 

「時間をかせげ!」

 

「やべぇぞ!」

 

「会長と若を守れ!」

 

なおも構成員が立ちふさがるが、人智を超えた膂力のカンナの前に明らかに及び腰である。まだ多くの構成員は無傷だが、カンナと円の中央の間に立ちふさがるのは一部だけで、他は遠巻きにカンナを見送るだけだ。

 

(やれる!)

 

紅栄吉はソファから立ち上がり、逃げ道を決めかねている。標的になるのが怖いのだろう。一方、紅馨はソファの上に立ちあがりカンナの方を見つめている。懐から不穏な存在感を放つ脇差を取り出し、それに向けて何かをぶつぶつと呟いている。

 

(何?何かしようとしている?)

 

発鬼で研ぎ澄まされた聴覚をもってしても、怒号が飛び交う会場内で、聞いたことが無い紅馨の声を聞き分けることはできない。だが、紅馨の行動を見たカンナの脳は警報を発していた。

 

(あの脇差、霊具だ。何か霊術を使おうとしてる!)

 

紅馨が脇差を抜刀した瞬間——

 

「うっ……!?ごぼぉっ!」

 

首元に強烈な痛みを感じ、大量に吐血する。絨毯の深紅にカンナの血がしみこんでいく。

 

(何……何これ?)

 

足が止まる。痛みを感じる箇所をさするが、服にも肌にも傷はない。だが、鎮痛効果もある発鬼が発動しているのに痛みが消えない。不可視の鎧を貫通する術を喰らったとしか考えられなかった。

 

(何の術か考える時間は無い!行け、蒼澄カンナ!)

 

雄たけびを上げて痛みをごまかし、動きを止めたカンナに警棒や刃物を振り下ろしていた構成員たちを力任せに蹴散らし、中央へ走る。紅馨は一度抜いた脇差を鞘に納め、再び何かをぶつぶつ呟き始めた。

 

(やらせるか!)

 

構成員の一人を持ち上げてボールのように紅馨に投げつける。だが、紅馨の周囲の者が身を盾にして庇う。紅馨が口元にニヤッと嫌な笑みを浮かべ––

 

「斬り裂け、弟切草!」

 

怒号とは異質な発声をカンナの耳が捉える。紅馨が鞘から脇差を一気に抜き放つ。

 

「ぐぅ……ぉぼっ!」

 

今度は胸元に激痛。床に倒れそうになるのを何とかこらえる。内臓が口から出てきたかと思うほどの大量の吐血が絨毯を打ち、びちゃびちゃと音を立てる。

 

「おらぁ!」

 

いつの間にか駆け寄ってきた紅馨が特殊警棒でカンナの顔面を強打する。だが、不可視の鎧に弾かれて警棒を取り落とす。

 

「ちっ。見たか!こいつは妙な霊術で身を護る!俺の『弟切草』の呪術以外は効かないから注意しろ!」

 

紅馨が脇差を鞘に戻そうとするが、刃の一部が錆びていて手こずっている。

 

「残念ながら弟切草は乱発できない。だが見ろ、この出血だ。こいつはその内限界を迎える。護りが消えたら死ぬ寸前までボコって捕えろ。ただし絶対に殺すな。こいつには聞きたいことがある。……誰か会長を避難させろ。俺もすぐに行く。」

 

紅栄吉が部下に連れられて行く。紅馨も続くかと思ったが、急にカンナの口元を真正面からわしづかみにし、顔を近づけてきた。

 

「お前、蒼澄の娘だろ?蒼澄のクソ野郎の家を吹っ飛ばした時に台所で料理をしている女が居たが、お前にそっくりだった。まさか生きていたとはな。」

 

紅馨はタバコのにおいがする息を吐きかけながら、低く唸るような声で、言い聞かせるように語りかけてくる。手からわずかに金属臭がする。

 

「復讐のつもりだろうが、ただで済むと思うなよ。俺たちはな、お前の親には随分苦労させられたんだ。会長は俺に『蒼澄穣を殺して家をぶっ壊せ』と命じられたが、それだけじゃ俺の怒りは収まらねぇんだわ。不足分はお前の体にたっぷり返してやる。部下に輪姦させて、爪と歯を金槌で砕いて、家畜の糞を食わせてやる。死体は刻んでドブにまき散らす。いいか、脅しじゃねぇぞ。俺はあらゆる敵をそうやって始末してきた。お前も同じ目に合わせてやるから楽しみに––痛ってぇ!」

 

苦悶の叫びをあげ、紅馨が後ずさる。カンナに思い切り手を噛まれたのだ。手の骨の一部が露出し、どす黒い血が流れている。

 

「息と手が臭い。ぷっ。」

 

カンナが噛みちぎったものを口内の血と共に紅馨の顔に吐きかける。紅馨は避けず、額で受け止める。

 

「お前も、そこの爺さんも、絶対に許さない。」

 

紅馨の顔が一瞬憎悪に歪むが、それはすぐに哄笑に変わる。

 

「そうか、そうか!いつまで元気でいられるか楽しみだな。手の肉のお礼は俺が直々にやってやるよ。せいぜい、しっかり泣きわめいて楽しませてくれや。『斬り裂け、弟切草』!」

 

叫びながら脇差を抜く。

 

「がはぁっ!」

 

またしても腹部に激痛。だばだばと大量に吐血し、目からも血が流れ、視界が赤く染まっていく。

 

「女を捕えたら鎖で縛って薬を飲ませて便所に閉じ込めろ。必ず三人以上で見張れ。夜になったら牧場に運んで嬲るから何人か残れ。それと会場を掃除しておけ。清掃が済んだら就任式の続きをする。あと、誰か今すぐ闇医者を呼んできてくれないか?俺は綺麗好きだからな、クソ女に噛まれたばい菌を消毒しないと落ち着かないんだ。」

 

構成員たちが笑い声を上げる。

 

「俺たちは応接室で待つ。会長、行きましょう。ここはうるさ過ぎます。」

 

「ああ。良い手際だったぞ。」

 

「ありがとうございます。」

 

紅栄吉と紅馨が去っていく。「待て」と叫ぼうとしたが、喉に血が溜まってうまく声が出せない。

 

(……発鬼が切れたな。)

 

異常な力、異常な高揚感、異常な集中力がプツンと切れた。発鬼で痛みを消せないと思っていたが、実はある程度緩和することはできていたらしく、術が切れた瞬間に今までと比べ物にならない激痛が全身を襲う。

 

「んうっ。」

 

喉から出かけた悲鳴を意志の力でこらえ、床にうずくまる。

 

構成員の一人が警棒をカンナの後頭部に振り下ろすが、またしても不可視の鎧に防がれる。

 

「まだ護りが消えていない。」

 

「慎重に行くぞ。若の命令を忘れるな。」

 

「誰か頑丈な鎖と薬を準備しろ。一回の倉庫から取ってこい。」

 

カンナが動けなくなり、構成員たちの口調には余裕が戻っている。

 

(逃げられる……)

 

一方、カンナは紅栄吉と紅馨を取り逃がしかけている事態に焦っていた。

 

(この後どうなろうと構わない……あいつらさえ殺せれば!)

 

カンナが愛する者に理不尽を強いた者には、自身が強いた以上の理不尽が与えられなければならない。単なる願望だが、カンナの尊厳の根幹に関わる願いだった。家族を理不尽に殺した者が相応の報いを受けないことは、カンナの愛が、カンナが価値があると信じる全てが否定され、この世の何もかもが無意味になるも同然の苦しみだった。為すべき理を為せないまま死ぬなど、到底受け入れられない。

 

(何してる、蒼澄カンナ!瓦礫から掘り返した家族の姿をもう忘れた!?)

 

激痛に苛まれ、罵声を浴び、銃で撃たれ、警棒で滅多打ちにされながら「あの日」を思い出す。

 

爆発の轟音と振動。崩壊した家族の憩いの場。瓦礫の下から漂う血と臓物の臭い。鉄片でズタズタにされ、瓦礫で押しつぶされ、血と砂塵に塗れた家族の姿。二度と語る事の無い口元。何も映さない乾いた瞳。二度とカンナに触れることの無い手––。

 

「うう……」

 

家族の死後、カンナの精神を焦がしながら気力を保たせ続けてきたどす黒い衝動が、危機に陥った今になって最も激しくざわめきだした。怨敵への憎悪と殺意がありとあらゆる感情、思考に割り込む。自分の内側から何かが燃え盛るごうごうという幻聴が聞こえてくる。音は次第に大きくなり、周囲の音がかき消された時––

 

「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁ––」

 

カンナの口から濁った雄たけびが迸る。カンナの内側を塗りつぶしていた衝動がそのまま声となり、熱となり、獲物を求めて現実の世界に顕現する。黒い炎。それはごうごうと猛る炎の(かたち)をしていた。

 

「火だ!」

 

「離れろ!」

 

カンナを囲んでいた構成員たちが慌てて逃げ出す。だが、黒い炎はカンナから放射されるだけでなく、構成員たちの身体からも生じていた。

 

「ああっ!何だこりゃぁ!?」

 

「熱い!助けてくれぇ!」

 

構成員たちが床の上を転がって炎を消そうとするが、炎は一行に衰える気配を見せない。ある者は部屋の隅にあった消火器をあちこちに噴霧しているが、黒い炎は何の影響も受けない。

 

「紅っ、栄吉ぃ!馨ぅ!どこだ!出てこい!殺してやる……殺してやるううぅぅぅ!」

 

血涙を流しながら怨嗟の怒号をあげると、黒い炎の勢いが増す。その時、何かを察知する。

 

(捕えた……捕えたぞ。紅栄吉と紅馨。真下だ。今私がいるこの場所の、真下にいる。)

 

何故かは分からないが、カンナは怨敵が真下に居て、今まさに黒い炎に巻かれてのたうち回っていることを把握した。

 

カンナの近くにいる者も遠くにいる者も、次々と黒い炎に巻かれ、もがき苦しんで倒れていく。倒れた者から順に黒い炎は消えていく。床、壁、天井、ありとあらゆるものが炎上している。

 

(行かなきゃ。)

 

激痛を押して立ち上がり、よろめきながら歩き出す。

 

(紅馨は鬼のアヤカシ。ヒトとは比べ物にならないくらいタフだ。生きているかもしれない。確実に止めを刺さないと。)

 

向かうは二階。紅栄吉と紅馨が居るであろう真下の部屋だった。

 

「……」

 

警戒しながら進む。廊下にも、階段にも、構成員が大勢倒れている。立っている者は一人もいない。全員が苦悶の表情を浮かべ、衰弱し、か細い呼吸を繰り返すばかりだ。

 

(あの黒い炎は何だったんだろう。)

 

あたり一面を覆っていた黒い炎はいつの間にか消えている。自分の霊術で生じたことを直感していたが、何が起きたのかはカンナ自身にもよくわからない。

 

(炎なのは見た目だけか。どこも焼けてないし、全然熱くない。それに、よく考えたら本物の火だったら私も酸欠になっていたはず。あんなもの見たことが無い……いや、見たことはあるな。夢の中で。)

 

カンナが毎晩見る殺人鬼の悪夢。その最後に必ず現れる全てを焼き尽くす黒い炎。それが先ほどの黒い炎と酷似していた。

 

(気になるけど、今考えることじゃない。)

 

二階へ向かう。

 

(霊力が残り少ないな。)

 

紅栄吉と紅馨はどうなっているだろう。黒い炎が二人を飲み込むのを第六感とか超感覚としか呼びようがない感覚で察知したが、実際に見たわけではない。紅馨はまだ動けて、最後の抵抗を試みる可能性がある。だが、例え全身を激痛に襲われ、霊力が残り少なくても、自分の方が有利とカンナは考えていた。

 

(多分、紅馨はあの弟切草とかいう脇差をもう使えない。)

 

カンナは会場で痛みにうずくまりながらも周囲を観察していた。

 

部屋を去る時、紅馨は弟切草を鞘に納めていなかった。だが、それまでの紅馨の行動を見るに、弟切草は「納刀する」「『斬り裂け、弟切草』と発声しながら抜刀する」という手順で術を発動する霊具で間違いない。納刀しないのは明らかに不自然なわけだが、理由は分かっていた。

 

(刃が錆びていた。)

 

カンナは術を使うたびに弟切草の刃に錆が広がっていくのを見逃していなかった。二度目の術を放つ時には一部が錆びているだけだったが、三発目の後は刃のほとんどが錆びていた。錆のせいで刃が鞘に納まらなくなっていたのだ。

 

そもそも、紅馨が部下に後を任せて会場を去ったのも不自然だ。弟切草が使えるならカンナが戦闘不能になるまで連発すればよかったはずだ。もはや弟切草が使えず、カンナに対抗する手段が無かったのだろう。

 

(今警戒するべきは……紅馨が弟切草以外にも強力な霊具を持っていること?いや、これはほぼ可能性ゼロ。あればあの場で使えばいいのに使わなかったから。あとは……弟切草の錆を落とす何らかの手段が用意されていること?……無くはないな。この可能性が当たりなら待ち伏せされているかもしれない。)

 

危険が無いわけではない。だが、意志は決まっている。

 

(行くべきだ。待っても痛みと出血で私が消耗するだけだ。錆を落とされる前に息の根を止めてやればいい。もう錆を落とされていたとしても、一発喰らう覚悟で襲って、反撃の一撃で殺すしかない。時間は向こうの味方だ。)

 

興奮のあまり身震いする。激痛で意識が朦朧とするが、報復への欲求が倒れることを許さず、身体を突き動かす。

 

二階の廊下の最奥、「応接室」の看板がかかった立派な作りの扉。中から男の悲鳴、のたうち回る物音が聞こえてくる。

 

「助けて!誰か、誰かぁ……。」

 

広い応接室はどこもかしこも黒い炎で覆われている。紅栄吉は黒い炎に覆われ、ぐったりして動かない。紅馨はあちこちに身体を打ち付けながら床の上でもがき苦しんでいる。床には砕け散った弟切草がゴミのように放置されている。

 

二人を一瞥して部屋に入り、扉の鍵を閉め、ソファに深々と腰掛けて二人を見下ろす。

 

「そこ……誰か居る……?火、消して……お願い……。」

 

弱々しい涙声で紅馨が懇願する。どうやらカンナが来ていることに気付いていないらしい。三階で見せた威勢の良さは見る影もない。

 

「紅さん、私です。分かりますか?蒼澄カンナです。あなたの部下は全員倒れてます。助けは来ませんよ。」

 

「熱い……痛い……。」

 

「その炎、やったのは私です。消してほしいですか?」

 

「消して……消して下さい。」

 

紅馨はナメクジのように床を這い、カンナが座るソファの足に縋りつく。

 

「……」

 

カンナは反応しない。

 

(良かった……。)

 

血に染まる視界で、家族を殺した者たちが惨い仕打ちを受けている。安心感にも似た奇妙な感慨があった。心にわずかな慰めを感じる。

 

だが、まだ足りない。鉄片でズタズタになり、瓦礫に押しつぶされた家族の姿が脳裏をよぎる。家族が味わった苦しみに比べれば、こんなのは序の口に過ぎない。

 

「聞こえますか?」

 

つま先で紅馨を軽く小突く。

 

「紅さん、私を犯して、爪と歯を金槌で砕いて、家畜の糞を食べさせるって言ってましたよね?今すぐやって下さいよ。そうしたら火を消してあげます。」

 

「……申し訳、ありません。」

 

「謝っても火は消えませんよ。」

 

「……出来ません。」

 

「そうですか。紅さん、ご家族はどちらにお住まいですか?あなたが私にしたことを、私があなたの家族にしてやります。それでもいいなら火を消してあげますよ。」

 

「やめて……下さい。自首、する……許して。」

 

「嘘ですよ。私が恨んでるのはあなたと会長さんだけです。言っておきますが、この火はあなたの霊力を消費して燃え続けています。初めて使う霊術なので私にも詳しくは分かりませんが、多分あなたが死ぬまで消えないです。何分かかりますかね?」

 

「助けて……お願い。」

 

「家族を殺されて本当に辛かったですが、あなたが苦しむ様子を見て少しは救われた気持ちです。謝罪は要りません。反省も自首もしなくて結構です。会長さんは気を失ったみたいですが、あなたは最期までしっかり苦しみぬいて死んで下さ––」

 

「わん!」

 

「えっ!?」

 

心臓が飛び出るかと思った。応接室の扉の向こうからガウガウの声がしたのだ。

 

「嘘でしょ?」

 

まさかという心地で扉を開けると、待ってましたとばかりガウガウが乱入してくる。

 

「ガウガウ!何で!?」

 

ガウガウはしばらく部屋の様子を見つめていたが、カンナの足元で立ち止まり、全身の毛を逆立て、低い唸り声を上げながら着物の裾を引っ張り始めた。

 

「ウルルゥ!」

 

「……どうしたの、ガウガウ?」

 

ガウガウに引かれ、ソファに腰を落とす。するとガウガウが膝の上に飛び乗り、優しく身体を摺り寄せてきた。

 

「クゥーン。」

 

「……」

 

何かを必死で訴えるような表情。カンナが蒼澄家の養子になる前から家にいた大先輩で、今や実の弟のような存在。

 

「これ以上はよせ。」

 

そう言われている気がしてならない。

 

「……わかった。そうだね、もう十分だね。」

 

カンナの精神を満たしていたどす黒い活力が急速に鎮静化していく。家族の死後、ひと時として途絶えることは無かったのに。気が付くと黒い炎も消えていた。

 

(あれだけ殺してやりたかったのに、何でだろう。)

 

黒い炎の責め苦から解放された紅馨が死んだように気を失う。今なら容易く息の根を止められるが、どうにもそれをする気になれない。

 

「キューン。」

 

ガウガウが子犬のような甘え声をあげ、カンナの手をペロッと舐めると、安心したような表情で身を寄せてくる。

 

「心配して追いかけてきてくれたんだよね?」

 

「キュゥ、キュゥ。」

 

「ごめんね、私はもう大丈夫だから。もうこの人たちを殺そうなんて思ってないから。」

 

急速に脱力する。ガウガウの身体に身を寄せて暖かな体温を感じていると、何故か涙が押し寄せてくる。

 

「ぐすっ……。」

 

最初はすすり泣き。泣き声は次第に大きくなり、遂に感情が爆発し、「うわーん」と幼子のように腹の底から声を出してカンナは泣いた。だが、家族の遺体に直面した時のような錯乱状態には陥っていない。むしろ、泣くほど精神が落ち着いていく。カンナの内側を満たし、カンナそのものになっていた黒い衝動の代わりに、より本来のカンナに近い穏やかな何者かがすっと帰ってくる心地がした。

 

目元の血を熱い涙が押し流し、赤く染まった視界が晴れていく。目から流血し出したのはほんの少し前からなのに、家族を喪って以来初めて澄んだ目で世界を見た気がした。応接室の窓から見えた夕焼け空のあまりの美しさにまた泣いた。

 

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