あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~   作:吾輩はもぐらである

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第三十話:穴

カンナが助けた男たちは南区の自警団員だった。彼らに連れられ南区区民会館へ向かう。道中、靄のマガツヒの群れに数回遭遇したが、難なく片付けた。

 

「姉さん凄いねえ。シジョウにまだこんな強いアヤカシが居たなんて知らなかったよ。」

 

「あんたは命の恩人だよ。ささ、区民会館に入ればもう安全だ。ここは陰陽師の方々が特別な結界を貼ってくれてるからね、多少のことではマガツヒに見つからないんだ。」

 

「自警団に入りたてなら、まずは代表の南谷さんに挨拶だな。今の時間なら多分詰め所にいるよ。」

 

南区区民会館は、平時であれば美術品の展示会や地元の劇団の劇が開催される小規模な文化施設である。収容人数はたかがしれており避難民の寝泊まりには向かないが、陰陽寮がマガツヒの探知から人間を隠す特殊な結界を展開し、自警団と陰陽寮の部隊の詰め所として活用している。

 

「さっき自警団に入った蒼澄カンナです。シジョウ北区の出身です。アヤカシです。危険でも構わないので、人手が足りてない場所に回して下さい。」

 

南区自警団代表南谷との開口一番、挨拶ついでにさっそく要望を伝える。

 

「人手が足りない場所と言うと中央区なのですが……蒼澄さんは中央区の状況はご存じで?」

 

南谷は40歳前後の人の良さそうな雰囲気の男性である。彼の人となりは助けた自警団員たちから聞いている。彼は普段は家具屋を経営しつつ、南区の町内会で副会長をしている。それなりの能力と責任感があり、しかもお人好しでもあるという理由で、この危機的な状況で急遽自警団代表の地位を押し付けられた少し気の毒な人物である。

 

(ごり押しが効くな。)

 

カンナは確信した。

 

「マガツヒと犯罪者がうようよしている、ですよね?得意分野です。中央区への配属を希望します。」

 

「本当に危ないですよ?陰陽寮の方々も大分苦労していると聞いています。お気を悪くなさらないでほしいのですが、若い女性を向かわせるのはあまりにも……。」

 

「みなさん、私はそんなに頼りないですか?私の戦いぶりを見ていかがでしたか?」

 

助けた自警団の男たちに問いかける。

 

「いや、頼りないなんてとんでもない。めちゃくちゃな強さだった。」

 

「南谷君、俺たち帰ってくる途中、いっぱいマガツヒに襲われたのよ。あの紫色のもやもやしたやつとか、でっかい鬼のやつとか。」

 

「もうね、あっという間よ。もやもやのマガツヒなんて一発で倒しちゃうし、鬼のマガツヒなんて棍棒をぶんどってボコボコにしちゃうんだもん。」

 

「南谷君、信じられる?あの馬鹿でかい棍棒を片手で振り回してね、最後はぶん投げて顔面に命中させちゃうんだから!」

 

男たちは興奮した口調でカンナの実力を称える。

 

(ナイスリアクション。)

 

事前に仕込んだわけではないが、見事な褒めっぷりだ。南谷の顔にも悩みの色が出始めた。

 

「南谷さん、必要なら私が中央区の状況を知った上で中央区への配属を希望したと一筆書きます。私が中央区で死んでも南谷さんの責任には絶対にしません。」

 

「……。」

 

「私、シジョウが大変だと聞いて、ラクドウから走って帰って来たんです。どんな危険な目にあっても故郷を助けたい、その一心です。私の力不足なら仕方ないですが、そうでなければ思いを汲んでいただきたいです。」

 

「そこまで言うならわかりました。中央区3丁目の旧中央区立第一中学校へ向かって下さい。自警団と陰陽寮の方々が詰め所にしています。野中という者から指示をもらってください。」

 

「難しい決断を強いて申し訳ないです。ありがとうございます。」

 

さっそく中央区の詰め所へ走る。

 

シジョウは北区、東区、南区、西区、中央区の5区からなる。その中で、最も繁栄しているのが中央区である。中央区の中心から他の4区に向けて伸びる大通りは、シジョウの人と物の流れを司る大動脈とでも言うべきものである。大通りに面して数多くの民家、店、商業施設が立ち並ぶ。4本の大通りの合流点にはシジョウの統治機構の中枢たる議事堂、中央庁舎、裁判所、警察本部が設置されている。

 

南区と中央区を結ぶ大通りを北上する。あちこちに遺体が散乱している。

 

(酷いな。)

 

どの遺体も虫刺されのような跡がある。それ以外の外傷は少ない。

 

(新聞に書いてあった昆虫型のマガツヒの仕業かな。)

 

一瞬、遺体だらけの北区のイメージが脳裏をよぎる。少年院のカンナに励ましの手紙を送り続けてくれた友人たちが、虫刺されまみれになって息絶える光景––

 

「……。」

 

被害は中央区に近づくほど悲惨さを増していく。遺体ばかりでなく、高い建物に瓦礫を投げつけられた破壊跡が散見されるようになる。例の靄のマガツヒの数も南区とは比べ物にならないほど多い。

 

靄のマガツヒの相手をしながら進むのに難航し、旧中央区立第一中学校に到着する頃には夕方になっていた。とりあえず職員室の扉を開ける。

 

「避難されてきた方ですか?」

 

初老の男性がカンナに気付き、声をかけてくる。

 

「いいえ、自警団に入団した蒼澄カンナと言います。」

 

自警団の腕章を見せる。

 

「あっ、新しい方ですね。私、中央区の自警団代表を務めている野中と申します。普段は医者をしております。お一人で来られましたか?」

 

「そうです。」

 

「おお!ここまで一人で来られたということは、アヤカシ?」

 

「はい。」

 

「すばらしい!来て早々こんなことを聞いて申し訳ないのですが、体力仕事はお得意でしょうか?それと、大変心苦しいですが、場合によっては危険なお仕事をお任せするかもしれないのですが––」

 

「野中さん、女だからといってお気遣いは不要です。私はマガツヒとも犯罪者とも戦えます。危険な仕事、大歓迎です。シジョウのためなら何でもする覚悟でいます。」

 

「ありがたい限りです。よろしくお願いします。この詰め所は自警団だけでなく警察官や陰陽寮の方にも使用してもらってます。みなさんもうすぐ帰ってくるはずなので、その時に現状共有を兼ねたミーティングをしますから、参加してください。」

 

「分かりました。」

 

野中は明るく、利発そうな男である。初老だが、体格はたくましく、穏やかな知性と覇気が感じられる。南谷よりよほどリーダーに向いてそうだ。

 

10分ほどすると、自警団、警察官、そして陰陽寮の部隊が帰ってくる。

 

「みなさん、お疲れ様です。暑かったですよね。冷たいお茶を用意しましたので、飲みながら話しましょう。その前に、みなさんに紹介したい人がいます。蒼澄カンナさんです。本日から自警団の仲間入りです。アヤカシで、力仕事と戦いも任せられるとのことです。」

 

「みなさん、よろしくお願いします。」

 

野中が用意した麦茶を飲みながらミーティングが行われる。

 

「初めての方がいるようなのでまずは自己紹介から。陰陽寮西部第三支部所属、陰陽師の中田原洋二と申します。こちらは式神の橡礼美です。」

 

「橡です。ども。」

 

「本当はあと5人式神を連れてきているのですが、人手が必要そうな別の避難所に詰めさせています。」

 

中田原は中性的な顔立ちのイケメン。長身で引き締まった体格をしている。さぞや女にモテるだろう。恐らく年齢は30前後。

 

橡は夜叉のアヤカシの女性。無愛想で不良少女っぽい雰囲気だが、小動物系の可愛らしい顔立ちをしている。銀色に輝く細長い槍で武装している。恐らく年齢は20代半ば。

 

(この2人、付き合ってるな。)

 

出会って一瞬だが、橡から漂うオーラが「中田原は私の男だ」と雄弁に語っており、そう察せられる。

 

「中田原さん、現状を共有いただけますか?」

 

野中が話を促す。

 

「はい。陰陽寮の方針と、確認できた現状をみなさんに共有させていただきます。」

 

昆虫型のマガツヒと未知の巨大マガツヒの襲撃から丸2日が経とうとしている。

 

陰陽寮は現在「防護結界の再展開」と「中央区と北区の住民の救助」を最優先に現場に部隊を展開している。どちらの作戦も苦戦している。

 

今、シジョウは大量のマガツヒに四方を包囲されている。街の防護結界が破壊されたことで、住民の気配に付近のマガツヒが引き寄せられたためだ。既に何度か防護結界の再展開が試みられたが、展開が済む前にマガツヒの総攻撃に晒され、悉く破壊されている。現状、陰陽寮の部隊が防衛線を敷いてマガツヒが市街地に侵入するのを食い止めている状況である。

 

中央区では中田原が指揮する部隊が展開されている。部隊には5名の陰陽師、30名の式神、20名の支援要員の計55名が所属する。部隊の目標は中央区のマガツヒが他区へ侵攻することを防ぎ、その大半を掃討して逃げ遅れた住民の安全を確保すること。

 

マガツヒの巣窟と化した北区では別の陰陽師が指揮する部隊が展開されている。部隊には8名の陰陽師、48名の式神、20名の支援要員の計76名が所属する。部隊の目標は北区のマガツヒを区内に封鎖し、シジョウを襲ったマガツヒの逃走先を突き止め、撃破すること。

 

どの区も状況は良くない。良くない点をあげればキリが無いが、最も深刻なのが治安の悪化と物資の不足である。

 

陰陽寮はこの先、シジョウ全域で治安が大きく悪化すると見込んでいる。どの区も治安維持の人手が全く足りていない。特に北区と中央区は警察の機能がほぼ消滅している。

 

物資にも不安がある。各区には自然災害に備えた備蓄品の倉庫がいくつかあるが、倉庫を空にしてもシジョウの人口を支えられる期間はせいぜい1ヶ月強。マガツヒに四方を包囲されているので外部からの補給は望めない。水道施設が無事なので水は潤沢に確保できる見通しだが、北区と中央区への配水方法は確立されていない。

 

どこも失敗は許されない。防護結界の再展開部隊が敗北すれば、シジョウ全域に大量のマガツヒがなだれ込んでくる。北区と中央区のマガツヒ封じ込めが失敗すれば、連鎖的に他地区もマガツヒで満たされ、防護結界の再展開部隊も内と外から挟み撃ちを受ける。状況が膠着すれば極度のストレスで住民の負の感情が増し、新たなマガツヒが生じる元となるので、早さも求められる。状況は極めて厳しいと言わざるを得ないが、各部隊が困難な任務をやり遂げる以外に打破する術は無い。

 

このような状況下で、中田原と中央区の自警団は現在、住民の救助と物資の収集に尽力している。

 

逃げ遅れた住民は見つけ次第中央区で無事な避難所に誘導する。本当は南区、東区、西区のいずれかに誘導したいが、55人の部隊で、何人いるかもわからない逃げ遅れた住民を他区へ護送することはできない。他地区への大規模な移動はマガツヒの掃討を済ませ、安全な道を確保してからだ。

 

また、付近の店や区の備蓄倉庫から物資や食料を集めている。治安が悪化すれば備蓄倉庫は略奪にあうので、今のうちに備蓄を避難所に移しているのである。

 

「ここは安全なのでしょうか?区が指定する避難所ではないようなのですが。」

 

野中が質問する。

 

「今のところ、中央区では一番安全かと。ここにはマガツヒの探知から隠れられる特殊な結界を張っていますので。」

 

「他所はどうなんですか?」

 

「通常の防御用の結界を張っています。これには理由がありまして、少し専門的な話になりますが、自然界には膨大な霊力の流れ、『龍脈』が存在します。マガツヒから隠れられる結界は、龍脈の条件が揃う場所にしか張れないです。中央区で条件を満たすのはここだけです。」

 

「私たちは何をすれば良いですか?」

 

「第一に自分の安全を確保すること。まずはこれを徹底して下さい。その上で、余裕がある方は避難されてきた方の面倒や物資の管理をお願いします。1人で避難されてきた方に声掛けを行っていただけるだけでも非常にありがたいです。それと、この中にアヤカシはいますか?いたら自己紹介をお願いします。」

 

カンナともう一人、14歳くらいの可愛らしい女の子が手をあげる。

 

「じゃあまずは私から。蒼澄カンナです。シジョウの住民で、今日自警団に入りました。」

 

「今日救助した中央区の住民にはいなかったですよね?」

 

「今朝までラクドウに居ました。南区で自警団になって、ここまで1人で来ました。」

 

「1人で、ですか。道中マガツヒに遭遇しましたか?」

 

「紫色の靄のようなマガツヒが述べ140体ほど、それと鬼のマガツヒが1体いたので倒しました。」

 

「やるじゃん。」

 

橡がぼそっと呟く。

 

「どんな危険なこともやる覚悟で来ています。使ってください。」

 

「いいね。中田原さん、多分この子は強いよ。」

 

「橡さんがそういうなら、私たちの仕事の手伝いをしてもらうかもしれません。」

 

「任せてください。」

 

「ありがとうございます。後で少し話しましょう。では、もう1人の方も自己紹介をお願いできますか?」

 

中田原が手を挙げたもう1人の女の子に柔らかい口調で声をかける。

 

「中田原さん、その子は私の患者です。喉の治療中で声が出せないので私の方から。滑石さんよろしいですか?」

 

滑石さんと呼ばれた女の子はこくこくと頷くと、懐から取り出したノートに鉛筆でささっと文章を書く。ものすごい達筆だ。

 

「では、私が読ませていただきますね。『滑石赤音です。あかなめという種族のアヤカシです。固形物の表面についた汚れを一瞬で落とすことができます。キコクという街から喉の治療のためにシジョウに来ました。今は野中先生の病院に入院しています。力仕事やマガツヒとの戦いではあまり役に立てないですが、何かを綺麗にしたい時は呼んでください。』とのことです。」

 

「なるほど。衛生面が心配なので非常にありがたいです。お手伝いしてもらう時がきっと来ると思いますので、その時はよろしくお願いします。」

 

赤音が儚い印象の整った顔に小さな笑みを浮かべる。そのまま額縁に入れて飾りたくなる美少女ぶりだ。

 

「警官の皆さんから何かありますか?」

 

野中が警察官たちに話を振ると、背が高い屈強な体格の中年の警官が挙手する。

 

「田井中と申します。皆さんに注意したいことが。マガツヒの襲撃で多数の警官が殉職しましたから、今中央区にはほとんど警官が居ません。他地区も自分の区の治安維持で精一杯で、応援は期待できません。こういう時に怖いのが治安の悪化です。恐れるべきはマガツヒだけではないということを、どうかみなさん、肝に命じて下さい。厳しい状況では、普段は普通の人も生き延びるために豹変することがあります。決して単独行動はせず、常に3人以上で行動してください。性別も、年齢も関係ありません。」

 

田井中の話が終わり、明日の予定が共有され、その日は解散となる。

 

「蒼澄さん、橡さん、少し話をさせてください。」

 

中田原が声をかけてくる。

 

「明日、作戦のため外出します。蒼澄さんも来られますか?」

 

「やります。やらせてください。」

 

「ありがとうございます。明日の午前、学校の周辺のマガツヒが減ったタイミングで出発するので、朝になったら職員室に来てください。」

 

「はーい。」「分かりました。」

 

カンナと橡が同時に返答する。

 

気になっていたことを中田原に聞く。

 

「ところで、北区の様子を詳しく教えてもらえますか?北区に自宅があるんです。」

 

「残念ですが、北区はマガツヒだらけです。北別府という陰陽師が指揮する部隊がマガツヒを押し込みつつ北上しています。ちょうどこれから北別府と連絡を取ります。発言は許可しませんが、聞くだけなら問題ありません。」

 

「聞かせてください。お願いします。」

 

中田原が例の通信用の符を取り出し、霊力を流して話し始める。

 

「怜子さん、聞こえる?俺、中田原洋二。現状の共有、お願いできる?」

 

「はーい、こちら北別府です。洋二くん、久しぶり!」

 

符から女性の明るい声が響いてくる。

 

「こっちの今日の成果だけど、防衛線をちょうど1区画分前進させられました。マガツヒだらけで、案の定住民の姿は無し。部隊76名、明日も全員戦えます。装備や食料の消費は予定通り。初日から結構激戦だったんで、今日は結界を張ったらすぐ寝ます。」

 

「もう1区画か。かなり予定を巻いてるね。」

 

「この先はこんなハイペースで進めなくなるだろうけどね。今、どの区も楽じゃないでしょ?しばらくしたら住民のストレスで新型のマガツヒが発生するだろうし、部隊にも疲れが溜まるから、徐々にきつくなると思う。今のうちに無理してでも進んでおかないと詰むと思う。」

 

「完全に同意。」

 

「そういえばね、今も結界の向こう側に靄のマガツヒがうじゃうじゃしてるんだけど、こいつら夜になると様子が変わるみたい。全員子供に変身してる。」

 

「子供?」

 

「そう、小さい子供。昼間は中年や年寄り変身する個体も居たのに、今私たちの前にいるのは全部子供。なんかめそめそ泣いてて気が萎えるわ。そっちは何か分かった?」

 

「靄のマガツヒは何かに統率されてると思う。」

 

「根拠は?」

 

「知能が低そうなのに常に群れで行動すること、獲物を見つけると一斉に襲い掛かってくること。」

 

「なるほど。」

 

「お互いに意思疎通というより、どこかに司令塔が居て、指示を出してる感じかな。」

 

「司令塔ねぇ。居るとしたら多分『笑い女』だよね?」

 

「そうだと思う。『黒蝗』にそんなことできないし。」

 

「ここから例の穴が見えるんだけどね、昼でも中は全く見えない。付近には靄のマガツヒがこれでもかってくらい沢山いる。黒蝗と笑い女の姿は無し。霧が晴れてきたから、今なら中央区からでも見えるんじゃない?」

 

「こっちも例の中学校を拠点にする準備ができたから、屋上から見てみるよ。他に何か報告はある?」

 

「無い。もう寝る。お休み。」

 

「お疲れさん。」

 

会話が終了する。

 

「中田原さんって北別府さんとすごい仲良いですよね。」

 

橡が嫉妬交じりの口調で当てつけのように言い放つ。

 

「ただの同期だよ。」

 

中田原が苦笑しながら答える。

 

「報告に出てきた『黒蝗』と『笑い女』ってシジョウを襲ったマガツヒのことですか?」

 

「そうです。黒蝗は過去にも何度か観測されている、群れで行動するマガツヒです。とにかく群れの数が多くて、防護結界も一瞬で食い破ってしまいます。人間を見つけると一斉に襲い掛かり、毒を注入して衰弱死させてしまうマガツヒです。」

 

「本当に蝗みたいですね。そういえば、木製の家に歯形が沢山ついているのを何度も見かけました。」

 

「黒蝗に襲われた跡でしょうね。木や布を齧る性質があるので。」

 

「笑い女はどんなマガツヒですか?」

 

「詳しくは不明です。新種だと思います。黒い羽根を生やした巨大な骸骨のマガツヒで、絶えず女性の笑い声をあげていたと聞いています。これは仮説ですが、街を壊滅させ、霧のマガツヒを率いているのは笑い女です。過去に黒蝗が出現した時にそのような行動は見られなかったので。」

 

「なるほど。それと、お二人の会話に出てきた『穴』ってなんのことですか?」

 

「穴は……口で説明するより見せた方が早いですね。屋上へ行きましょう。衝撃的な光景なので気を付けてください。」

 

3人で屋上へ向かう。

 

「あれが『穴』です。」

 

中田原が指す北の方を見る。

 

(何あれ?)

 

あまりの光景に言葉を失う。

 

シジョウは北に行くほど標高が高いので、霧が晴れると中央区からでも北区の遠景を望むことができる。本来ならば名勝シジョウ富士を背景に、北区の豊かな自然や住宅街が見えるはずである。

 

だが、今や北区の眺望はカンナの記憶とは様変わりしている。建物がほとんど無い。わずかに残っているのは、大通りからは死角になっている場所の建物ばかりである。

 

だが、それ以上に衝撃的なのが北区北部の様子である。

 

(穴だ。)

 

穴。北部の斜面を抉るように、黒く、途方もなく巨大な穴が真っ黒な口を開いている。穴はシジョウ富士の麓から北区北部の市街地にかけて、そこにあった人工物はもちろん、池、林、丘といった自然の地形をも丸ごと飲み込んでいる。歪んだ長方形状だが、長辺は20km近いだろう。

 

(私の家……。)

 

カンナの家と家族の墓があるはずの小さな里山。そこも当然と言わんばかりに穴に飲まれ、影も形も無い。

 

ショックで思わず息を飲む。

 

「大丈夫ですか?」

 

「私の、私の家が……。」

 

息が乱れ、上手く声が出せない。身体のあちこちが一時的に不具合を起こしているようだ。

 

「私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……。」

 

沈黙の後、やっとのことでかすれた声で言葉を振り絞る。

 

「うわぁーん」

 

「エーン……」

 

北の方から子供の泣き声が聞こえる。正確な位置は不明だがかなり遠い。大勢の子供の泣き声が混ざっている。

 

「痛いよぉ……」

 

(これは……人間の声じゃないな。)

 

風が吹いているのに、単語の一言一言まで不自然なほど明瞭に聞こえる。それも、常に一定の音量で。恐らくは北別府が言っていた靄のマガツヒの鳴き声だろう。声は暗く不気味で、疲労と絶望に満ちている。

 

『霧のマガツヒを率いているのは笑い女です。』

 

中田原の言葉を思い出し、直感する。

 

(誘ってるんだ。)

 

靄のマガツヒがこちらを見つけた時に浮かべる、狂喜の笑みを思い出す。あれは獲物を見つけた残忍な捕食者の笑みだったのではないか。靄のマガツヒと、それらを統率する笑い女はまだ満足していない。シジョウにこれだけの破壊をもたらしてなお悪意は尽きず、さらなる餌食を求め、憐れみと同情を誘う声で人々を誘惑しているのだ。

 




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