あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~ 作:吾輩はもぐらである
カンナは既にマガツヒから救った恩の対価は受け取ったつもりだったが、藤野親子はそう考えていなかったらしい。
「親子そろって命を救われた恩返しを道案内と人の紹介だけで済ませてしまっては、一生の恥になります。ナクサで住むところが決まっていなければ、ぜひ私にお手伝いさせてください。」
藤野真はナクサに到着するやいなや、彼が経営する会社の社員寮に荷馬車を直行させた。
「本当は駄目なんですが、蒼澄さんは特別です。206号室を使ってください。家賃は取りあえず向こう1年は無料で結構です。ここから陰陽寮までは歩いて20分くらいですね。ほら、陰陽寮はここから見て東の高台にあるんですが、見えますかね?家の前の道をひたすらまっすぐ行けば着きますよ。」
「ありがとうございます。」
招かれた部屋は広さ約25平米、風呂トイレ別、キッチンと洗面台がついた角部屋だった。新しい家ではないらしいがリノベーションされていて古臭さは感じられない。ナクサでは住み込みの仕事が見つかるまでは野宿するつもりでいたカンナには贅沢すぎるほどの部屋だった。
「それとこれ、お小遣いです。当面の生活費にどうぞ。」
「ど、どうも。」
手厚すぎる報恩にうろたえ気味のカンナにポンと藤野真が渡した巾着袋には、カンナの全財産の100倍を超える額の銭貨が詰まっていた。
(どうしよう。「俺の愛人になれ」とか言われないかな。)
一瞬心配したが、そういうつもりなら社員寮などあてがわないだろう。それに、恐らく藤野真は出会ったばかりの若い女にそういう接し方をする男ではない。
「それでは、私は今日中にすませたい用事があるのでお暇します。大黒天様とスクナビコナ様には明日までには話を通しておきます。2人から手紙が届くかもしれないので、郵便受けの確認だけは忘れずにお願いします。」
「蒼澄さん、僕にもお礼をさせてください。」
藤野正一が去り際にカンナに即席の手書き名刺を手渡す。たぶん彼は書道の経験があるのだろう、走り書きとは思えない達筆だ。
「再来月から鉄板焼きの店をナクサで始めるんです。その名刺を持ってきてくれたら100食まで無料にするので、食費を浮かせたくなったらいつでもきてください。」
「……ありがとうございます!」
感激のあまり涙を流しながら2人の手を堅く握り、深々と礼をした。
「受けた恩の半分でも返せていれば幸いです。それではまた。」
荷馬車に乗って去っていく藤野親子が見えなくなるまでお辞儀で見送り、部屋に戻る。
(取りあえず荷物を片付けて、最低限の身の回り品を揃えるか。)
リュックサックを開けて荷物を床に並べる。
替えの下着と靴下、寝袋、防寒具、手ぬぐい、歯磨きセット、生理用品、カミソリ、消毒用アルコール、登山用のカトラリー、小刀、ライター、予備の靴ひも、食べられる木の実と山菜、ごく少量の食用油、地図、方位磁石、チリ紙、メモ帳、ペン、真っ二つに折れた万年筆、数枚の古い写真、そして僅かな銭貨。他にリュックサックと靴。ナクサに持ち込んだ全財産。
いくらかの銭貨を握りしめ部屋を出る。
日も暮れようとしているが、ナクサの人通りはまだ多い。シジョウも大陸西部では有数の大都市だが、ナクサの繁栄ぶりは恐らくそれ以上だ。街全体に清潔感があり、おしゃれな店が多く、何よりも街に漂う平和な雰囲気がシジョウとは大違いだった。
沈み行く夕暮れを背景に、若い母親と小さな子供が巡回中の若い女性同心と穏やかな表情で会話をしている。
「同心さん、みて!お金拾った!」
「お嬢ちゃん!このチヨミ様が許可する!猫ばばしちゃいなさい!」
「こら、お姉さんの仕事の邪魔しないの。」
「猫ばば!ママ、猫ばばって何?」
シジョウではまずお目にかかれない牧歌的な光景だ。
シジョウではまともな婦女子はこんな時間に男の連れも無しで出歩いたりしない。そんな無謀な真似をするのは、よっぽど特殊な事情がある人か、さもなければ愚か者、犯罪者、売春婦のどれかで十中八九間違いない。同心の方も、シジョウでは同心ではなく警察が治安維持の役割を担っているが、女性の警官が夜間ひとりで街を巡回するなど危険すぎてあり得ない。夜のシジョウを巡回するのは屈強な男か、もしくは女性なら強力な力を持つアヤカシであり、重武装し、最低でも3人1組で行動する。常に緊張でピリピリしており、気安く話しかけても無視されるのが落ちだ。
(良い街だな。)
家の周りを散策した後、最低限の生活必需品と食料を買って帰宅する。
山菜と木の実に下味を付けてフライパンで軽く炒めただけの粗末なおかずを平らげ、生卵を落とした牛乳を飲み、トマトを齧って夕飯を済ませる。荷物の汚れを軽く落とし、筋トレと柔軟運動を終え、風呂に入る。
「はぁ~。」
時間をかけて心行くまで全身を洗ってから湯船につかると思わず声がでた。
シジョウからナクサに着くまでの約3週間は毎日野宿だった。当然風呂はないので、冬の冷たい川水で湿らせた手拭いで身体をふくことを「お風呂」と呼んで自分をごまかしていたが、あれに比べると湯船の温もりは堕落と錯覚させられるほどの快楽だった。
(私もまだツキに見放されてないな。)
ここ数年、カンナの人生は最悪な出来事ばかりだったが、藤野親子のような実力ある善人に出会えたのは本当に大きな救いだった。自分の人生に久しぶりに追い風が吹いているのを感じる。
「……私が助ける。……私が勝つ。」
目を閉じ、自分にしか聞こえないような小声で唱える。必ずそうする。そのためにナクサへ来たのだから。