あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~   作:吾輩はもぐらである

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R-15: 暴力的な描写が含まれます


第三十九話:生存者たち

惨劇から約3ヵ月が経ち、シジョウは冬に入っていた。

 

中央区ではインフラの復興が本格的に始まった。最初にやることは瓦礫の撤去、そして大型の建設用からくりを通すための道の整備。毎日中央区のあちこちで何某かの作業が行われている。

 

中央区のマガツヒの出現数は掃討作戦の完遂時に底を打って以降、市民のストレスで増加傾向にある。陰陽寮は危険を理由に復興着手に強硬に反対したが、多くの市民が警告を無視し、工事用具を携えて中央区へ侵入した。犠牲者が出るのもお構いなしに中央区の復興を進める市民に陰陽寮も折れ、掌を返して協力するようになった。今では復興に関わる市民の数、班分け、作業場所は行政と陰陽寮に管理され、現場には護衛の式神が数人同行する。

 

復興の強行は危険だが意義は大きい。結局、シジョウの中枢である中央区がいつまでも瓦礫の山では、マガツヒの根絶など到底不可能なのだ。都市機能を回復し人の営みを取り戻さなければ、現状の停滞が集団心理を悪化させ、マガツヒ発生の原因となる。危険を顧みず復興に乗り出すべき時が来ることは陰陽寮も当然予想していたし、その時を市民が無理やり早めたのだ。

 

夕暮れ時、中央区某所。カンナはがれき撤去作業からの帰り道の途中、若い女を追い回していた男を見付け、締め上げていた。

 

「あなたに見覚えがあります。前にテント村で女の人を襲っていましたよね?」

 

「は?何のことだよ?」

 

「たしかあの時、この辺りの骨をへし折ってやったはずですね。」

 

「やめろ!」

 

男の上着の袖を力任せに引き千切ると、そこには骨折の痕跡が。

 

「やっぱり。性懲りもなくまた女の人の尻を追いかけていたんですね。」

 

「う、うるせぇ!」

 

男は言い逃れは無理だと悟ったらしい。

 

「俺はなぁ、このクソ寒い中、毎日瓦礫を撤去してるんだよ!」

 

「で?」

 

「あの女はな!怪我で力作業では使い物にならないんだよ!」

 

「だから?」

 

「はぁっ!?察し悪すぎ!復興作業は重労働なのに無報酬。マガツヒも出る。なのに身体を休める家も無ければ、店もやってねぇ。こっちもストレスが溜まってるんだよ!どうせ警官なんか来やしねぇんだ、役立たずの女で一発抜いてスッキリするくらい大目に見ろよ、この正義の味方気取りのクソアマが。殺すぞ。」

 

男がカンナの足元に唾を飛ばし、ニヤッと笑う。

 

「言いたいことはわかりました。」

 

この男のように、あれこれ屁理屈を並べ立てて蛮行を正当化する輩を何人も見てきた。もはや何も感じない。

 

(前よりきつめにシメておくか。)

 

男を足払いで転倒させ、マウントポジションを取る。

 

「何しやがる!」

 

男が脱出しようとするが、カンナに膝で肩を抑えられもがくことしかできない。

 

「お忘れのようですが、私は前にあなたに言ったんですよ?次、悪さをしているのを見かけたらもっと酷い目に遭わせるって。」

 

「どけ!このクソア––」

 

男が言い終わる前に鼻っ面に掌底を打ち込む。

 

「ぶぅっ!」

 

男の鼻の骨が「ぶちゃっ」と嫌な音を立てて折れる。

 

「下品な言葉遣いは止めて下さい。」

 

苦痛を与えるため、もう一発鼻っ面に掌底を打ち込む。地面に薄く積もった雪が赤く染まる。

 

「んぐっ!」

 

「私はあなたの何倍も復興の役に立ちます。」

 

もう一発、鼻っ面に掌底を打ち込む。

 

「あなたが一生かけても運べない大きな瓦礫も1人で運べるんです。」

 

鼻っ面に掌底を打ち込む。

 

「犯罪者にもマガツヒにも負けません。」

 

鼻っ面に掌底。

 

「ぶふぅ……。」

 

「私もストレスが溜まってます。だから、あなたに暴力を振るってスッキリしたいです。」

 

鼻っ面に掌底、鼻っ面に掌底、鼻っ面に掌底。

 

「ごぼっ、ごほっ、ず、び、すみま––」

 

「みなさんの役に立つ私が、役立たずの性犯罪者でスッキリするくらい、大目に見て下さいね?」

 

男の前歯にゲンコツを振り下ろす。

 

「あっ、がぁ!」

 

「警官が来なくて好き勝手できるのが自分だけだと思ってましたか?」

 

ぐらついた前歯に指を引っかけ、勢いよく数本引き抜く。

 

「ぶふっ、うう!」

 

カンナの指に男が思い切り噛み付くが、不可視の鎧に阻まれ、口腔内の傷を深くするに終わる。

 

「ふっ!」

 

男の顔すれすれの地面に思い切り拳を打ち込む。「ごん」と鈍い音を立てて地面にひびが走る。

 

「えっ?あっ、ああっ!」

 

「今度同じことをしたら目と睾丸を潰します。」

 

もう1発、今度は男の頬をかすらせながら地面に拳を打ち込む。

 

「私が言ったこと、もう忘れないで下さいね?」

 

手に付着した雪と土埃を払い、男の顔にふりかける。

 

「あっあっ」

 

男が泣きながら失禁する。

 

(まあ、これくらい脅せば十分かな?)

 

立ち上がり、男の方を一瞥もせず、少し離れた物陰で待っている女性の元に駆け寄る。

 

「待たせてすみません。あの男にはきつめにお灸を据えておきました。」

 

「ありがとうございます。」

 

「どうしてこんなところに1人で?」

 

「返す言葉もありません。でも、どうしても家に帰りたくて……。」

 

すすり泣く女性を優しく抱きしめる。

 

「気持ちは分かります。でも、今は堪えてください。この辺は女性が1人で出歩けるような場所じゃないんです。犯罪者もマガツヒも出ますので。」

 

「そうですね。勝手なことをしてご迷惑をおかけしました。」

 

「迷惑なんて思ってないですよ。私も家に帰りたい気持ちはよくわかります。さあ、南区までお連れします––静かに。」

 

「どうかされましたか?」

 

「マガツヒの気配がします。」

 

北の方角から約10体、こちらへまっすぐ向かってくる。

 

(小鬼のマガツヒだな。)

 

果たして、北の方から群れが押し寄せる。ほんの数日前から目撃され始めた新種、通称「小鬼のマガツヒ」だ。

 

そのマガツヒは人のような姿かたちをしている。だが、頭頂部には獣耳、顔の中心には天狗のような長鼻を生やし、顔には目が無く、牙が生えた三日月形の口は頬まで裂けている。肌の色と質感が鬼のマガツヒに似ているが、体格はより小柄なので「小鬼」。それでも身長は2m近い。10体前後の群れで行動し、どの個体も必ず鞭のような武器を携行している。

 

「ひっ……。」

 

女性が腰を抜かす。

 

「落ち着いて下さい。」

 

「逃げないと……足に、力が……。」

 

「大丈夫。大丈夫ですから、私の言うことをよく聞いて下さい。」

 

女性の顔を手のひらで優しく包み、腰を落とし、目線を合わせる。

 

「あのマガツヒとは何度か戦ったことがあります。足が速いので走って逃げるのはどうせ無理です。私が倒しますから、ここで待っていて下さい。あのマガツヒは目が見えません。大きな物音に反応するので、声を出さないようにお願いします。」

 

上着を脱いで女性の頭に被せ、袖を噛ませる。

 

「見ててください。私と一緒にいれば何が出てきても大丈夫ですよ。」

 

物陰から小鬼のマガツヒの群れの進路に飛び出し、足踏みで音を立てる。

 

「ギャッ、ギャッ!」

 

耳障りな雄たけびと共に、小鬼のマガツヒが突っ込んでくる。

 

「ギャッ!」

 

振るわれた鞭を避けずに受け止め、強引に距離を詰め、群れのど真ん中に飛び込む。

 

「ゲェッ!」

 

「ギャッ、ギャッ!」

 

群れがカンナを目掛けて一斉に鞭を振るうが、互いの身体を打ち合うに終わる。小鬼のマガツヒに高度な連携を行う知能は無い。すばしっこいが、目の前の獲物に執着する傾向が強く、真っ先に自分が標的になれば周囲に被害が及ぶことは少ない。

 

「ふっ!」

 

互いの身体に絡まった鞭をほどこうとバタつく小鬼の頭部を1つずつ潰していく。拳を振るい、踵落としを叩き込み、最後の一体は背負い投げで頭から地面に叩きつける。

 

(ん?おかしいな、もう一体いたはず。)

 

物陰から声を殺してこちらを見つめている女性は襲われていない。

 

(とすると、あっちか。)

 

女性を襲っていた男の方へ行くと、一体の小鬼のマガツヒに鞭で滅多打ちにされている。

 

「誰か、ごほっ、誰かぁ!」

 

助けを呼ぼうと必死で叫んでいる。鼻と口から出血しているので声を出しづらそうだ。

 

(おっ、やってるな。)

 

小鬼のマガツヒはまず鞭で獲物を弱らせ、抵抗できないほど衰弱すると急所を食い破り失血死させにくる。鞭で叩かれて悲鳴を挙げている間はまだ死なない。

 

(女の尻を追った先でマガツヒに襲われて惨死。性犯罪者のクズにはお似合いの末路だな。そのまま死ね。)

 

男と目を合わせて思いっきりあざ笑ってやろうかと意地悪なアイデアが思い浮かんだ時––

 

「わん!」

 

どこからか、犬の鳴き声が聞こえた。

 

(またか。)

 

本当に犬が近くにいるわけではない。ガウガウの鳴き声を空耳しただけだ。

 

(仕方ないな、もう。)

 

男をぶちのめすのに夢中の小鬼のマガツヒに背後から近づき、手刀で首をへし折る。

 

「大丈夫ですか?」

 

「うぅ……。」

 

男は鞭打ち跡だらけだが、上着で急所を庇っていたので命に別状は無さそうだ。

 

「私たちは南区へ向かいます。あなたがどうするかは勝手に決めてください。」

 

「た……立てません。」

 

「じゃあ、そこで寝てて下さい。あなたがピーピー大声で泣きわめいていたので、さっきのマガツヒがまた寄ってくるかもしれませんが。」

 

「そ、そんなの––」

 

「南区に着くまでの間、100m以内に近づいて来ないこと。話しかけたり注意を引こうとしないこと。着いたらすぐ、私と一緒に南区の警察署に行って自首してもらいます。遅れたら放って行きます。少しでも反抗したら問答無用で実力を行使します。分かりましたか?」

 

「……」

 

「無視しないで下さい。早速反抗ですか?」

 

「……分かりました。」

 

「指示に従っている間は守ってあげます。どう行動すれば最悪の事態を避けられるか、よく考えて下さいね。」

 

我ながらなんと慈悲深いのだろう。一昔前の自分なら、小鬼のマガツヒがこの男を殺害するのを放置していたはずだ。罵声と哄笑を浴びせすらしたかもしれない。この心境の変化は、やはり少年院での内省の日々が活きているとしか思えない。

 

マガツヒに襲われている犯罪者を助けたのは、この男で3人目だ。マガツヒの餌食にした方が世のためになりそうな犯罪者も、いざ襲われているのを目にすると助けてしまう。見捨てようとすると、ガウガウのことを思い出すのだ。老体を押してカンナの元に駆け付け殺人を思いとどまらせたガウガウの顔、鳴き声、ぺろりと手を撫でる舌と柔らかい肌の感触––

 

(おっと、思い出に浸ってる場合じゃないぞ。)

 

女性の元へ駆け戻る。

 

「あの男を南区の警察署に突き出します。」

 

「分かりました。」

 

「きつく脅したので何もしてこないはずですが、万一があっても私が対処するので怖がらないで下さい。」

 

「怖くはありません。あなたを信じてますから。」

 

女性がカンナに体重を預ける。

 

「あなた、私より若そうなのにすごいですね。」

 

「22歳です。」

 

機械的にサバを読む。腕章はもうボロボロだが、カンナは今も自警団員である。

 

「私なんて何の役にも立たなくて。ラクドウに親戚がいて、いつでも来て良いって言ってくれてるんです。でも、『復興をやりたいから』って言って残っちゃったんです。それなのに、転んで手首と足首を痛めてしまって……。」

 

「こんな状況で復興の役に立つために行動できるだけでご立派ですよ。怪我はただの不運ですから、気にしなくて良いと思います。早く治るといいですね。」

 

「……ありがとう。」

 

女性がほろりと涙を流す。

 

男が着いてきていることを確認しながら南区へ歩き続ける。南区へ着いた時には日が暮れかかっていた。

 

南区に着くと、すぐに男を警察に突き出し、女性と別れ、乗合馬車で更に南へ向かう。目的地はテント村。ここは惨劇で住処を失った住人向けのテント村の1つで、カンナも2週間ほど前からここで寝泊まりしている。住民は中央区の出身者が多い。

 

「蒼澄さん、お帰り。」

 

「カンナさん、お疲れ様!」

 

「お姉ちゃん!お帰り!」

 

「ただいま。遅くなってすみません。」

 

テント村で知り合った人々の挨拶に応じる。安堵の表情を浮かべている者が多い。みな、カンナの近くのテントに住むことで危険から身を守っているのだ。

 

知り合いが取っておいてくれた配給の夕飯をテントに仕舞う。白米、乾燥野菜のスープ、サバ味噌の缶詰、缶詰の果物。空腹だが、食べるのはまだだ。

 

(見回り行くか。)

 

カンナの庇護を必要とする者たちが今日も無事か、怪しい輩がいないかチェックする。今日は比較的平和な日で、軽い小競り合いが数件発生した以外は何事もなかったらしい。

 

テント村は設立当初から治安が悪く、回復する気配も無い。体感だが、犯罪のほとんどは窃盗と性犯罪だ。狙われやすいのは婦女子、老人、外国人。警官が絶対的に足りないのを良いことに、ゴロツキ共が汚らわしい欲望を満たそうと張り切っているのだ。

 

カンナもテント村に移り住んで早々、強姦目的の悪漢に襲われた。寝ていたら急にテントの入口が開き、いきり立った下半身を露出した男が鈍器を持って押し入ってきた。テントが汚損しないよう、男を外に引きずり出し、惨い私刑を加えたが、この時の騒ぎがきっかけでテント村にカンナの実力が知れ渡った。お陰でカンナの周りはテントの密度が高く、女性や子供連れが他所より明らかに多い。こちらとしても庇護が必要な人たちが近くに寄ってくるのは守りやすくてありがたい。喜んで獰猛な番犬役を果たす所存だ。

 

テントに戻り、入口から北区を眺めながら冷え切った夕食をとる。

 

(美味しいな。このサバ味噌の缶詰なんて、普通の時でも食べたいかも。)

 

陰陽寮は十分な人手を集められているとはお世辞にも言い難いが、支援物資、特に衛生用品と食料は良品を届けてくれる。治安が悪いテント村に人が多いのも、支援物資が優先的に配布されるためだ。

 

「……」

 

黙々と食事を平らげる。

 

惨劇から3ヵ月と少し経ったが、戦いは終わりが見えない。

 

北別府の部隊は1ヵ月ほど前、ついにシジョウ富士の麓にたどり着き、北区を掌握した。だが、肝心の異界への突入方法が未だに見つかっていない。穴に人が飛び込んでも、物を投げ込んでも、5mと侵入しないうちに穴の外に瞬間移動させられてしまい、異界へは到達できない。突入は無期限延期となっている。

 

現在、遠く東方の大都市「ナクサ」にある陰陽寮本部から派遣された調査チームに穴の調査は引き継がれている。穴周辺は特殊な結界で封印され、調査チーム以外は立ち入ることはできない。

 

「痛いよぉ。」

 

「助けてぇ。」

 

遠くから子供の泣き声。夜になると靄のマガツヒが子供に化けて発する鳴き声だ。

 

市民は靄のマガツヒを「泣き子」と呼ぶ事が多い。大半の市民は靄のマガツヒを実際に見たことがなく、鳴き声でしか存在を知らないためだ。

 

泣き子は北区、特に穴の周辺には常に大量発生している。泣き子の鳴き声は活舌が良すぎるので本物の子供の声と聞き間違う恐れはなく、そもそもマガツヒは結界で区内に閉じ込められ他区へは移動できないのだが、それでも気味が悪い。見張られている気分だ。

 

胃が落ち着いてきたところで、歯を磨き、筋トレを開始する。今日は指立て伏せの日。5本指立て伏せから初めて、指の数を1本ずつ減らし、最後は親指立て伏せ。1セット50回ずつで、1回あたり1秒未満の高速で行う。

 

テントに入り、濡れた手拭いで身体を拭き、泣き子の嘆きを聞きながら就寝する。このテントは中学校の避難所で寝床に使っていたものだ。気に入ったのでテント村に持ってきた。

 

唇を舐めると、夕飯に出てきた缶詰の果物の甘味がほのかに感じられ、赤音とのキスを思い出す。いつだったか、確か当時まだ大中を名乗っていた竹崎が真中と口論した日のことだ。不安を感じた赤音にせがまれ、このテントの中でキスをした。

 

「……」

 

これまで、いつも傍らに誰かがいた。赤音の身体を拭き、筋肉を触らせてやり、それが終わると互いに抱きしめ合って過ごした。中田原、橡、杉、そして北別府と央元と肩を並べてマガツヒと戦い続けてきた。いつも北見慎のことを思い、孤独を恐れていた気がする。だが、今は違う。

 

北別府も央元も、もう傍にいない。北区の作戦中に重傷を負い、前線を退いたのだ。医者によると、2人とも助からない可能性が高いらしい。

 

央元には婚約者がいる。美しい婚約者とのツーショットを自慢げに取り出し見せびらかすあの笑顔が忘れられない。

 

北別府には5歳の一人娘と弟の忘れ形見である1歳半の甥がいる。彼女は過去に夫を亡くしており、北別府家は女手一つである。両親は存命だが高齢で持病があり老い先短い。それに、北別府はまだ弟が残した遺言書を読んでいない。彼女はまだ30歳である。夭折するにしても、今ほど死ねないタイミングは無いだろうが、マガツヒはそんな事情を斟酌しない。

 

(2人は大丈夫かな。)

 

2人のことを思い浮かべたその時––

 

「ぐぁっ。」

 

不協和音交じりの低い声がする。それと同時に、僅かな頭痛が数秒間続く。音の発生源と思わしきものは周囲にない。

 

(またか。本当に何なんだろう、これ。)

 

北区の戦いに参戦した日に初体験した幻聴と頭痛だ。あれ以来、3日1回程度の頻度で繰り返し再発し続けた。幻聴と頭痛は毎回セットである。テント村に移動してから頻度は下がったが、今でも週に1回程度の頻度で再発する。医者に診断してもらったが、原因は分からなかった。

 

(昔から見てる悪夢のことも医者は何もわからないっていうし、多分脳か神経に今の医学ではどうしようもない病が潜んでいるんだろうな。)

 

薄気味悪いが、幻聴と頭痛は症状は軽く数秒でおさまるため、気にしなければそれまでである。

 

1日が終わる。

 

(明日も今日と似たような日になる気がする。朝から中央区に行って、瓦礫を片付けて……)

 

予想通り、翌日も似たような日になる。テント村に避難している海向こうからの留学生の男に絡んでいる輩がいた。彼が旅券と大学の学生証を見せても聞く耳を持たない。「シジョウの混乱に乗じて海向こうからやってきたテロリストに違いない」と根拠のない妄想を垂れ流し始めたので、ボディブローを叩き込んでお引き取り願う。

 

その次の日も変化はない。復興作業からの帰り道に若い女性を物陰へ引きずり込もうとしていた変質者を、テント村で窃盗犯を捕える。それにしても、世にこれほど盗人と性犯罪者が多いとは知らなかった。連中は何を考えているのだろう?警官がいないから好き放題できると思っているのだろうが、無法の狼藉には無法の私刑で応じるだけである。その程度の想像も働かない輩がどうやって生きてこられたのか不思議だ。

 

次の日もやはり変わらない日。テント村を見回り中、14歳くらいの少年がカンナの夕飯を盗もうとしていたのを捕まえる。少年は「腹を空かせた妹に食わせてやりたい」と怯えた表情で必死の弁明を繰り返した。真偽はさておき、確かに食料以外には一切手を出していなかった。優しめのデコピン一発で許して夕飯はプレゼントしてやった。

 

次の日も、そのまた次の日も、同じような日々が続く。朝6時に起きて鍛錬。配給の朝食を胃に詰め込み、身支度を整えて乗合馬車で中央区へ向かい、復興作業に従事する。瓦礫の山とその上に降り積もった雪を無心で撤去し、たまに現れる犯罪者やマガツヒを退治する。夕方になったら乗合馬車でテント村に戻り、見回りと食事を済ませ、鍛錬をし、泣き子の嘆き声を聞きながら就寝。こんな日々でも例の殺人鬼の悪夢は毎晩欠かさず見るし、定期的な「ぐあっ」という幻聴と頭痛も欠かさない。

 

異界への侵入方法は見つからない。犯罪は減らない。瓦礫はいくらでもある。復興作業は汚い・キツイ・危険の3拍子が勢ぞろい。中央区にはカンナの不可視の鎧を貫通する呪術を操る「人面樹のマガツヒ」や「玻璃猿のマガツヒ」が出現し、常に無傷とはいかない。特に瑠璃猿のマガツヒは恐ろしく強く、年明けに一度戦ったが手も足も出ずに敗北し、殺されかけ、奇跡的な幸運で一命をとりとめた。

 

毎日、黙々とタスクを消化する。他人と会話をすることは少ない。毎晩テント村の見回りをするので、周りより夕食をとるのが遅く、食事はいつも独りで食べる。当然ながら、テントで誰かと抱きしめ合うことなど全くない。

 

(独り、だな。)

 

これが孤独というものかと、しみじみと思う。だが、辛いかと言われると微妙だ。誰かと一緒にいたいという欲求は間違いなくある。友人に会いたいし、北見慎のことも気になって仕方がない。相変わらず、家族写真や親からの最後の贈り物である万年筆を見ると目が離せなくなる。だが、堪えがたいほどの苦痛ではない。

 

「強き者は家族を守れ。より強き者は故郷を守れ。最も強き者は人類の未来を守れ。」

 

北見慎の言葉を呟くと、苦悩など消えてなくなる。家族写真からも、万年筆からも、目を離すことができる。

 

少年院で強くなることを誓った。今でも忘れてない。何せ、強くなるべき理由は掃いて捨てるほどある。どんな困難も、最後に自分を救うのは自分自身なのだ。自分すら救えない弱者は、他者を救うこともできない。自らを、そして同じ苦しみにあえぐ故郷の人々を救うために、強くならなくて良いはずがないのだ。

 

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