あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~ 作:吾輩はもぐらである
冷たく暗い部屋。ユメは固い何かの上に座っていた。
「……?」
何が起きたのか分からない。通常夢の世界へは扉を使って移動するのだが扉を通った記憶が全くない。
(ここはどこでしょう?)
周辺を観察するために立ち上がろうとするが、立てない。
「えっ?」
その時「じじっ」と音がして部屋に明かりが灯る。どうやら頭上にいくつか照明があるらしい。
首を回して周りを見る。石造りの小部屋にいるようだ。装飾品はおろか窓すらついていない。壁や床にはところどころ赤黒い液体が飛び散っていてお世辞にも清潔感があるとは言い難い。それを誤魔化すかのように消臭剤のような強い薬品臭が漂っている。そして異常なまでの静けさ。
膝に目を落とすと立つことができない理由が分かった。拘束具だ。椅子に座らされベルトで座面に膝を縛り付けられている。いや、膝だけではなく上半身も椅子の背もたれに固定されているようだ。
(何でしょう、これは……?)
意味がわからない。カンナが言っていた悪夢とは内容が違う。悪夢では独房に囚われた子供が殺人鬼に襲われるのを独房の外から見ることになるはずだが、これも例の悪夢ではないのだろうか?
(そういえばカンナさんは?)
すぐに探しに行った方が良さそうだ。
(外れてください。)
拘束具に向かって念じる。外れない。
「えっ!?」
おかしい。獏のアヤカシは夢の世界では何物にも縛られない。念じるだけで扉の鍵を開け、水上を歩いて移動し、凪いだ海に高波を発生させることができる。それなのになぜこの拘束具は外れないのか。
「外れてください!」
無意味とはわかっているが、思わず声を出していた。拘束具はやはりビクともしない。
その時、椅子の角度がわずかに変わる。動かせるつま先で地面を蹴ると椅子が回転した。椅子を180度回転させると、反対側の壁には覗き窓が付いた木製の扉がついていた。
(えっ、これって……。)
カンナの悪夢では独房に囚われた子供が殺人鬼に襲われるのを独房の外から見ることになるはずだが――
(囚われてるのは……私?)
じじっ。照明が点滅し始める。
じじっ。照明が消える。
じじっ。照明がまた点く。
その後も不規則に点いては消えてを繰り返す。恐らく製品寿命が尽き欠けているのだろう。
じじっ。照明が最後にひと際強い光を放って消える。その瞬間、ユメは気付いた。
覗き窓から誰かがこちらを見ている。
「ひぃっ……。」
情けない声が口から零れる。
おかしい。夢の世界に誰かがいるとすれば第一候補はカンナだが、拘束され困っている自分を助けもせず眺めているなど、あのカンナがそんなことをするはずがない。だとすれば、あそこにいるのは――
がちゃっ。唐突に解錠音が響き、木製の扉がゆっくりと開く。
「あ……嫌っ、来ないで下さい……。」
恐怖に震えるユメの声。
こちらを眺めていた何者かが部屋に入ってくる。いや、もはや殺人鬼が独房に入ってきたとしか考えられない。鍵を締め、一歩一歩時間をかけてこちらに近づいてくる。こちらが怯えているのを楽しんでいるようだ。部屋は暗く殺人鬼の風貌はうかがえない。
「ほひひ……。」
少し甲高い笑い声。何かに囚われる直前に聞いたあの笑い声だ――
「熱っ!?」
わき腹に熱を感じる。わき腹から吹き出た液体が腰と太ももを濡らし椅子に滴った時、わき腹に感じたのは熱ではなく痛みで、何か鋭いものが腹部に突き立てられていることを理解した。
「え?い、痛い……刺してるのはあなたですか?止めて下さい……。」
「ほひひ……」
殺人鬼は凶器を引き抜いたかと思うと、今度はより深く差し込んできた。
「痛い……痛い!止めて、もう止めて!もうこれ以上は……」
獏のアヤカシは夢の世界でそう簡単には傷を負わない。そのはずなのに、今の自分は拘束具を外すことも、出血を止めることも、夢から抜け出すことすらできない。
「ほひひ……」
殺人鬼が凶器を引き抜く。
「はぁ、はぁ……。」
「ほひひ……。」
息も絶え絶えのこちらを見て心底楽しそうな様子で笑っている。その時、殺人鬼からレディース向けと思われるミント系の香水がふわっとただよってきた。
(お、女の人?)
殺人鬼が今度はわき腹ではなく首筋に凶器を押し当ててくる。
「いっ、嫌!止めて!死んじゃう!助けて!カンナさん!カンナさん!」
必死で身じろぎして凶器から逃れようとするが、上半身も下半身も固定されていてはほとんど動けない。抵抗する際に触れた感触からして殺人鬼が持っているのはアイスピックのような細長い突起物だ。その先端が首に触れる。
「駄目っ!カンナさん、助けて!助けてえ!助けてええぇぇぇ――」
じじっ。消えていた照明がまた光を放ち殺人鬼の顔を照らす。
そこにいたのはカンナだった。
「えっ?」
カンナの顔。悪意むき出しの醜悪な笑みがべったりと張り付いている。右手に持ったアイスピックに付着したユメの血を嬉しそうにこちらに見せつけ「ほひひ」とまた笑う。
「カンナさん……何で……?」
思考が停止する。分かったのは、この夢の世界に自分の味方は誰一人としていなくて、自分はそんな中でアヤカシとしての能力を失い無力と化したことだけ。
じじっ。また照明が消える。アイスピックがゆっくりと時間をかけて首筋に沈み込んでいく。
「あっ!?駄目っ!どうしてっ、どうしてですか、カンナさん!?嫌ぁっ!止めて止めて止めて止めて、お母さん!お母さああぁぁん――」
獏のアヤカシが夢の世界で死ぬとどうなるのかは知らない。確かなのは現実世界で死が迫った時と同じ、未知への本能的恐怖を今自分が感じていることだけ。
(やだやだやだやだ死んじゃう死んじゃう死んじゃう死んじゃう死んじゃう――)
その時、独房の扉を外からがんがんと叩く音が聞こえた。誰か扉の向こうにいる。
「助けて!ここから出して!」
必死で叫んでいた。もう扉の向こうの誰かに救いを求める以外に自分にできることは無い。救われなければ終わる。
「ああっ!?」
突然、カンナが燃え始める。黒い炎だ。
黒い炎が独房内を照らす。カンナは慌てて黒い炎を消そうとするが、次はカンナが右手に持っていたアイスピックからも黒い炎が生じた。黒い炎の勢いは収まらず、カンナの衣服から、椅子から、床から、天井から、とにかくありとあらゆる場所と物体から黒い炎が生じた。
そして自分の身体も黒い炎を吹き出し始めた。
「熱っ!?待って、助けて、助けてよぉ!……ん?」
全く熱くない。黒い炎が吹き出た瞬間に皮膚の表面に電流が流れるような感触が走って驚いたが、それだけだ。炎に巻かれているのに痛みも熱も感じておらず、肌も焼けておらず、呼吸にも支障ない。
夢の世界が徐々に形を失っていく。どうやらこの夢は間もなくお終いらしい。
カンナは苦悶の叫び声をあげ、黒い炎を消そうと必死で床をのたうち回っている。あの様子では自分にこれ以上危害を加える余裕は無いだろう。
(助かった……?)
その時、独房の扉が黒い炎を吹き出しながら崩れ落ちる。夢の世界が完全に崩壊する寸前、扉の向こうにいた誰か、恐らくは黒い炎で自分を救った者の姿が見えた。
骸骨。青い襤褸を身にまとった骸骨がそこにいた。
「あなたは――」
問いかける間もなく夢の世界は完全に消滅した。
▼▽▼▽
「うわぁぁぁっ!?」
悪夢から飛び起きる。
(生きてる!)
殺人鬼に、いや、カンナに傷つけられたわき腹と首筋に触れる。そこには傷一つない。だが、この恐怖心は悪夢の世界からそのまま持ち帰ったものだ。
精神が落ち着くのに実に20分近くを要した。時刻は深夜のようだ。悪夢を見終えたカンナは今はすやすやと穏やかな寝息を立てている。
(何だったんでしょう、あの夢は……?)
カンナの悪夢に対する認識と自分の体験の食い違いをどう解釈するべきか見当がつかない。そもそも、なぜ急に能力が使えなくなったのだろう?夢の世界であれほどの危機に陥ったのは初めてだ。
ふと、カンナの枕元に畳んでおいてある濃紺の着物が目につく。カンナの霊力で編まれたもので、彼女は仕事の日はいつもこれを着ている。
(あの骸骨さんも青い着物を着ていましたが、もっと色が薄かったですね。それに、骸骨さんの着物はボロボロでした。)
違いを確認しても、まだ何となく着物が気になる。
(そういえば。)
勘に従い、着物を手に取り匂いを嗅いで気付いた。
(同じ……間違いなく同じです。あの殺人鬼の香水と同じ匂いがします……。)