あやかしランブル!~蒼澄カンナ伝:私の家がなんかデカい穴に呑み込まれてるんですけど……~ 作:吾輩はもぐらである
蒼澄カンナの朝は早い。朝日が昇りきらないうちに起床し行動を開始するのが日課だった。今日も早朝未明から生卵を落とした牛乳とバナナを胃に流し込み、洗顔と歯磨きを済ませ、トレーニングを開始した。
軽い柔軟運動を済ませ、昨日見つけた運動公園へ向かう。この公園の外周は約1kmである。決まった距離を走るトレーニングにはうってつけだ。まずは5周ジョギングして身体を温め、その後に10周の全力疾走に近いランを行う。非常にハードなトレーニングだが、これくらいの強度の運動でなければなかなか心拍数が上がらないのだ。
公園には他にも何人かランナーが居たが、自分以上の速度で走っているのは犬神とか猫又のような運動能力に長けたアヤカシばかりだった。
カンナは自分が何の種族のアヤカシかを知らない。通常、アヤカシの子は両親と同じ種族になるが、生みの親を知らないからだ。カンナには角、羽根、頭頂部の獣耳、尻尾といった、種族に特有の身体的特徴が見られないため、自分の種族を推測することは困難だった。産まれてから一度も病気になったことがなく、身体能力がヒトの限界を明らかに凌駕しているので、肉体派の種族なのは間違いないだろうが。
心拍数をキープしたまま部屋に戻る。形稽古をしようかと考えていたその時、部屋の扉をノックする控えめな音がした。
「蒼澄さん、藤野です。朝からすみません、少しだけお時間よろしいでしょうか。」
「どうぞ。」
扉を開けると藤野真が立っていた。灰色の冬物の着物の上に彼が経営する『藤野生薬』の社名が縫い付けられた黒い法被を着ている。地味ないでたちだが全体的に高級感があり、年の割に細く引き締まった彼の体型にフィットしていておしゃれだ。
「昨日大黒天様とスクナビコナ様に蒼澄さんのことをお話したらですね、お二人とも蒼澄さんにとても興味を持たれたようです。大黒天様がなるべく早く蒼澄さんと会って直接お話がしたいと仰っているのですが、今日のお昼のご都合はいかがでしょうか?」
「お昼、大丈夫です。私もぜひ大黒天様に会ってみたいです。」
「では、お昼前に迎えに来ますのでお部屋でお待ちくださいね。朝早くに失礼しました。」
要件を済ませると藤野真はさっさと帰っていった。
(こんな早くに式神に会えるなんて。)
怖いほど物事がとんとん拍子に進んでいく。ここ数年の最悪な日々とは打って変わってのツイてる日々に違和感すら覚えた。
室内でひたすら形稽古と筋トレに励んだ後、乾かしていた布団を片付け、シャワーを浴びて汗を流し、櫛で髪を整える。10分ほど待っていると部屋の扉を叩く音がした。
「蒼澄さん、突然の訪問失礼いたします。大黒天と申します!」
扉の外から元気な声がする。扉を開けると背の高い女が1人で立っていた。カンナとあまり目線の位置が変わらない。グラマラスな肉体にまとった露出の激しい衣装、その上にごてごてした派手な上着を羽織り、馬鹿でかい鎚を片手て持ち歩いている。彼女とは初対面だが、有名人なので顔と名前は知っている。大黒天だ。写真で見るよりちょっと童顔で目がクリクリしている。小さな熊のようだった。
「蒼澄カンナさん?式神志望の?」
「はい、そうです。お会いできて光栄です、大黒天さん。」
「よろしくね、カンナさん!藤野さんから私のことはもう聞いてると思っていい?」
「はい。西賀亮さんと式神契約を結ばれていると伺っています。」
「じゃあその辺のお店で何か飲みながらお話しましょうか。カンナさんのこと、色々きかせて下さい!」
「分かりました。私はすぐにでも出られます。」
大黒天はカンナを歩いて10分ほどの場所にあるカフェに案内した。カンナはカフェに来るのは初めてだったが、嗅いだことのない良い香りがした。
「まずは藤野さんからの伝言なんだけど、お父様が倒れられたとかで今日は来れないそうです。なので2人で始めちゃいましょうか。」
「分かりました。」
初対面の大黒天といきなり2人きりになったが、特に気にしていなかった。もともとカンナは人見知りをしない性格だったし、大黒天も同じように見えた。
大黒天は数々の凶暴な難事を解決した業績で知られる「七福」に名を連ねる英雄であり、大陸有数の大商人ギルドである大國商会を設立した経済界の大物でもあるが、傲慢さや威圧感は全く感じられない。自信に溢れ、生命力とでも呼ぶべき陽性のエネルギーを全身からみなぎらせている。こういう人が苦手な人はいるだろうが、彼女のような人は嫌いではない。
「カンナさんもコーヒーでいい?ここ、コーヒーがめっちゃ美味しいお店なの。」
「そうなんですね、では私もコーヒーでお願いします。」
コーヒーを飲んだことは無いが、とりあえず合わせる。
「店員さん、ブレンドコーヒー2杯お願いします。」
「かしこまりました。」
店員が立ち去る。
「カンナさんは式神になりたくてシジョウからナクサに来たということで間違いないでしょうか?」
「はい、間違いありません。」
「ナクサに来る途中で藤野さんをマガツヒから助けたとお聞きしました。この資料の中にカンナさんが倒したマガツヒがいたら教えていただけます?」
「拝見いたします。」
大黒天に手渡された資料に目を通す。図鑑のような資料にたくさんのマガツヒの絵が載っている。どのマガツヒにも16桁の識別番号が割り振られ、一部のマガツヒは固有名称も与えられている。あの黒熊のマガツヒも固有名称と共に載っていた。
「このマガツヒです。妖熊鬼……ヨウユウキって読むんですかね?このマガツヒで間違いありません。」
「戦ってみた感想はどうでしたか?」
「強いマガツヒだったと思いますが、相性は悪くなかったのであまり苦戦はしませんでした。」
「なるほど。」
大黒天が笑顔でうなずく。
「ところで、カンナさんはどんな陰陽師と契約したいとか希望はありますか?」
「特に無いですね。どういう陰陽師がいるのかを全く知らないですし。私はシジョウを救うために式神を目指しているので、目的が達成できれば他は特にこだわりません。」
「なるほど。」
大黒天がこちらの目を見つめ、ごくりと一口水を飲む。
「良い答えですね。」
好印象だったらしい。大黒天が少しノッてきたのが感じられた。
「カンナさん。ずばりお聞きしますが、私が契約してる西賀亮の面接を受けてみませんか?カンナさんに自信をもってお勧めできると考えています。」
「どういった理由でお勧めですか?」
「西賀亮は若手の陰陽師なのですが、私は彼を”未完の大器”と信じています。陰陽師としての高い志と、志を現実にする才覚と縁の持ち主です。」
「ご立派な方なんですね。」
「そうです、本当に立派な方なんです!それにとても奉仕精神の強い方で、配下の式神にとても尽くして下さるんですよ。カンナさんが実力を示せばシジョウを救う任務にも参加できるよう絶対に引き上げてくれると思います。」
「どういうことですか?」
「つまりですね、シジョウの任務に参加するのって簡単ではないと思うんですよね。陰陽寮にもシジョウに縁がある人は結構いるから、そういう人たちは『我こそは』と思ってるわけですし。それに……有り体に言うと、ああいう大事件を解決に導くのが陰陽寮で出世する早道なわけですから、シジョウに縁が無い人でもやりたい仕事なんですよね。」
なるほど、そう説明されると分かりやすい。
「あまり考えてなかったです。任務に参加するにもライバルは多いわけですね。」
「そうですね。陰陽寮もやっぱり組織ですから、やりたい仕事をするには実力と縁と運が不可欠なんですよ。カンナさんは自分がシジョウを救うんだって気持ちでナクサに来たんですよね?」
「もちろんです。誰かが救ってくれるのを待っても仕方が無いと思ってナクサに来ました。」
率直に応える。
「良いと思いますよ、そういう気持ち。西賀亮はそういう志を汲んでくれる人なので、必ずカンナさんの力になってくれると思います。陰陽師が部下の式神がやりたい仕事に就けるように必死で頑張ってくれる職場って、カンナさんが求めてる『目的が達成できる職場』にすごく近くないですか?」
「確かに、そういう陰陽師と契約出来たら有難いですね。」
「でしょう?というわけで……西賀亮の面接、どうですか?普通の会社の採用と同じで、受かってもすぐ式神契約を結ぶ義務が発生するわけではないですし、取り合えず試しに受けてみるくらいの感覚でも全然問題ないですよ。」
「ありがとうございます。ぜひ面接を受けさせていただきたいです。」
「良かった!では応募に必要な書類を渡しますね。選考過程についても中に案内があります。」
「頂戴します。」
大黒天から書類が詰まった封筒を受け取る。
「書き終えたら中に入ってる封筒で陰陽寮に郵送するか、直接陰陽寮の外来窓口に提出して下さい。書き方についても陰陽寮の外来窓口に行けばめっちゃ丁寧に教えてくれると思いますので、安心して下さい。」
「分かりました。」
「お待たせしました。ブレンドコーヒーをお持ちしました。」
店員が湯気を立てる真っ黒な液体で満たされた洒落たカップを静かに卓に置く。
「お砂糖とミルクはお付けしますか?」
「私はブラックで。カンナさんは?」
「私もブラックで。」
ブラックの意味は分からないが、とりあえず合わせる。
コーヒーはいい香りだが、なかなかインパクトのある見た目だ。どす黒くてカップの底が全く見えない。熱々を飲むのが美味しいらしい、なるほど……。勇気を出し、熱く黒い液体を口に含む。
(……美味しい。)
最高だ。素晴らしい香りが鼻孔を駆け抜け、舌がぎゅっと縮こまるような強い苦みを感じ、後味に豆の風味と僅かな酸味を感じた。こういう刺激もたまには悪くない。
「美味しいですね。実はコーヒーは初めてです。」
「あら、そうなの?」
既に本題は話し終えている。カンナと大黒天はコーヒーのお代わりをしながら陰陽寮の仕事について色々と会話し、2杯のコーヒーを飲んで解散した。
▽▼▽▼
部屋に戻ったカンナは早速履歴書を書いていた。
氏名:蒼澄カンナ
年齢:19歳
性別:女性
種族:不明。
アヤカシとしての技能:不可視の鎧による物理攻撃や熱攻撃への防御、肉体の強化、衣服の生成、半径1500m程度のマガツヒの方角検知、半径500mほどのマガツヒの位置検知が誤差10m未満の精度で可能––
帰りに立ち寄った陰陽寮の事務員からは色々なことを聞けた。履歴書の『アヤカシとしての技能』の欄はささいな技能でも片っ端から書くべきであること。技能を面接の場で披露する機会があるかもしれないので可能ならお披露目の準備をした方が良いこと。式神の仕事––マガツヒと戦うことはもちろん、一般の治安組織では手が出せないアヤカシの犯罪者や霊獣の鎮圧、霊具や霊術の研究開発、龍脈の調査、それらに付随する事務作業––に関連する経験は陰陽師に受けが良いから可能な限り書いた方が良いこと。陰陽師は配下の式神に大して絶対的な人事権を持つので、合わないと思った陰陽師と契約するくらいなら他の陰陽師を探すか、あるいは講術所の養成課程を受けた方がキャリアが長続きすること––
(早くこいつを書き上げて面接を受けたい。)
選考過程の資料を読んだが、陰陽師による面接と履歴書の評価のみで採用が決まるらしい。つまり、最初の面接が一般の会社でいうところの最終面接である。陰陽師の判断一つでいきなり採用されるかどうかが決まるのだ。
履歴書の項目を一つ埋める度に目的地に一歩前進している気がした。事務員が重視している技能も経験も枠に収まらないほど書けることがある。どうやって無駄を省き文章を洗練させるのかが問題だ。カンナは久しぶりにイキイキしていた。
▽▼▽▼
大黒天はカンナと会った帰りに陰陽寮の執務室に立ち寄った。
「ただいま!」
執務室では彼女の契約相手である陰陽師の西賀亮と、西賀亮付の陰陽師補佐であるイズナが難しい顔をして書類を眺めていた。
「お帰り、大黒天。」
西賀亮が書類から目を上げてニコッと笑う。飼い主の帰宅を喜ぶ子犬のようだ。さて、土産代わりに自分の仕事ぶりをアピールしよう。さぞや喜ぶに違いない。
「亮くん、実はいい感じの式神候補の子を見つけちゃったんだけど。」
「講術所の子?」
「ううん、陰陽寮の子じゃない。つい最近シジョウからナクサに引っ越してきた子。」
「シジョウの子か……どんな子?」
「蒼澄カンナさんって子。シジョウを救うためにナクサに来ましたって。妖熊鬼ってマガツヒ、分かる?気持ち悪〜い熊の化け物みたいなやつ。カンナさん、ここに来る途中で私の仕事仲間が妖熊鬼に襲われてるところに出くわして、一人で妖熊鬼を倒しちゃったって。」
「妖熊鬼がどのマガツヒかはパッと思い出せないけど、名前付きを一人で倒したの?すごいじゃん。」
陰陽寮に固有名を割り当てられているマガツヒ、通称「名前付き」は強力な個体が多い。その他大勢とは区別する必要があると判断されたからこそ名前付きなのだ。陰陽寮の正式な任務では式神を名前付きと一対一で戦わせることは少ない。あるとすれば、マガツヒの能力の大部分が明らかになっていて式神の方が相性的に圧倒的有利と判断できる場合か、一人でも戦わざるを得ないほど急を要する場合くらいだ。
「腕っぷしも期待大だけど、それ以上にあの子のシジョウを救いたいって覚悟は本物だと思う。あと、すごいしっかりものでまともな子だと思う。」
大黒天は「まとも」「しっかりもの」の部分を強調した。すると––
「ほぅ、それは逸材のようだな。」
イズナが書類から目を上げ獣耳をぴくぴくさせて興味を示した。彼女にとって「しっかりもの」とか「まとも」という属性の価値はかなり高い。陰陽師補佐である彼女は頭脳を武器とする班のブレーンの一人であると同時に、素行に難ありの式神たちの尻ぬぐいに忙殺される苦労人でもあるのだ。
「そう。私も逸材だなってびびっときたから、その場で口説いちゃいました!カンナさん、亮くんの面接受けたいって言ってたから履歴書渡しておいたけど、良かった?」
「もうそこまで話進んでるの?完璧!俺も今すぐ面接したい。」
「確かに、腕利きの常識人なら拒む理由は見当たらんな。」
(計画通り。)
二人とも大黒天が予想した通りのリアクションだ。
「カンナさんは無口だし愛想が良いタイプではないけど、受け答えはしっかりしてるし、意志がめっちゃ強い子だと思う。」
「最高じゃん。」
「……あとめっちゃ美形。」
大黒天がくすっと笑いながら付け加える。西賀亮は何とも言えない苦笑いを浮かべた。一方、イズナは何かを思い出そうとうんうん唸っていた。
「シジョウ……蒼澄……?亮、おぬし蒼澄という名字に何か聞き覚えは無いか?」
西賀亮は初めて聞く名字だったが、イズナは聞き覚えがあるらしい。
「蒼澄
大黒天が助け舟を出す。
「それだ!」
イズナはピンと来たようだが、西賀亮は思い当たるふしが無さそうだ。
「もしかして有名人?」
「ああ、蒼澄大はシジョウの腐敗行政を改革した元首長、蒼澄穣は蒼澄大の息子でシジョウの政財界の大物と犯罪組織の癒着を数多くスクープした新聞記者だ。」
「ご名答!さすがイズナさん。カンナさんは蒼澄さん家の子なんだって。」
西賀亮は聞いても分からなかったが、要は蒼澄家はシジョウの名士なのだろうと理解した。
「確か、蒼澄大も蒼澄穣も故人だったな。」
「そうね。カンナさんはお母様も小さいころに亡くなられてて、今シジョウで一人暮らししてるって言ってた。」
「やっぱり例のシジョウの惨劇で亡くなったの?」
西賀亮が疑問を口にする。シジョウ出身で身内を亡くしていると聞けば誰もが連想することだ。
「いや、違うな。蒼澄大と蒼澄穣はシジョウの惨劇の1年ほど前に既に亡くなっていたはずだ。2人とも腐敗権力に真っ向から立ち向かう身だったので、その手の勢力の恨みを買って自宅に爆発物を投げ込まれたらしい。」
「そうなんだ……面接で変な事言わないようにしておかないと。」
「そうするべきだな。まあ、普通にやれば問題ないと思うぞ。」
その2日後の夕方。西賀亮の元に蒼澄カンナの履歴書が届いた。
早速履歴書に目を通す。数多くの武術の大会で輝かしい成果をあげてきたことや、シジョウの惨劇で壊滅した街で生存者をマガツヒや犯罪者から守ってきたことが、びっしりと書かれていた。文章はシンプルで洗練されており、読み手への配慮が伺われた。
(仲間が増えるのか。良いな。)
西賀亮は既にかなりの数の式神と契約していたが、仕事の人手が足りていると感じたことはほとんどない。優れたアヤカシは常に歓迎だ。多忙極まるスケジュールを調整して何とか3日後に2時間の空きを用意した。
(面接が楽しみだ。)
激務続きの日々に久々の涼風が吹き込む予感。西賀亮は久しぶりにイキイキしていた。