鬼神としての修行を始め、宵月や琴葉、伊之助と過ごし、極楽教に集まる信者達を相手に厄祓いを行うようになって半月。
1日に3人ずつと言う決まりの中厄祓いをこなす日々にちょうど慣れてきた時のことだった。
かつては眠気を感じることはなかったが、鬼神の身となり、昼夜逆転の生活から人間達と同じ昼に動くようになってからは、眠気を感じるようになった童磨は、その日の夜、妙な息苦しさを覚えていた。
それにより目を開けてみれば、真っ暗闇の不気味な世界。誰かがいるわけでもなく、ただ黒だけが広がる景色に、彼は首を傾げる。
「え?ここどこ?極楽教の室内ではないね……。宵月ちゃんもいないみたいだけど……」
不思議に思いながら暗闇の中を歩く。一面が黒で塗り潰されているため、方向感覚は少しだけおかしいが、足を止めるよりはどこにいるかを把握する方がいいと辺りを見渡しながら。
その時だった……
「うわ!?」
何かに足を掴まれて、まるで深い水の中へと引き摺り込まれるような感覚に陥ったのは。
─────……え、何?何が起こったの……?
不愉快と思えるような浮遊感……水がまとわりつくような感覚に、童磨は一時的に混乱する。
だが、このままここにいるのはよくないと、どこか本能的な思考は回っており、急いで上の方に行こうと体を動かした。
しかし、その体は上がるどころかどんどん下の方へと引きずりごれていくようで、何が起こっているのかがわからない。
─────……これ、上がってる?沈んでる?待って……本当に何が起こっているの?
脳裏を過る焦燥感。急いでその場を離れようにも、全てが黒い闇の中。
方向感覚がわからなくなっている状況もあり、嫌な汗が噴き出てくる。
………て………
「え?」
不意に、何か声が聞こえたような気がして、童磨は一時的に固まる。誰かいるのかと思いながら、振り向いてみるが、人影は一つも見当たらない。
いったい何が……?疑問を浮かべながら動きを止める童磨。しかし、それはすぐにその疑問は塗り潰されることになる。
どうして?騙したの?助かりたかっただけなのに?なんでわたしは殺されたの?なんで自分は苦しいの?痛い。痛いいたいイタイ痛い!!なんで!?どうして!?死にたくなかったのに!!なんで殺されたの!?憎いにくいニクイニクイ許さない赦さないユルサナイユルサナイ!!人殺し!!人殺し!!何が極楽だ!!何が楽になるだ!!苦しいだけ!!辛いだけ!!痛いだけ!!憎いだけ!!地獄に堕ちろ!!お前が死ね!!人殺し!!人殺し!!嘘つき!!嘘つき!!生きたかったのに!!死にたくなかったのに!!ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ!!
オ マ エ ヲ ゼ ッ タ イ ニ ユ ル サ ナ イ ! ! ! !
❀
「っっっっ!?!?!?!?」
首を絞められ、刃物で刺され、何かで削られ、四肢を切り裂かれ、腕を引きちぎられるかのような痛みと衝撃が一斉に降りかかり、思わず童磨は飛び起きる。
視界に映り込むのは見慣れた自室。静寂が降りるそこで、童磨は浅く呼吸する。
「………あ……はは……悪夢を見る……って、こう言うことか……。」
不快感しか覚えない嫌な汗に、血の気が引いたかのような寒さ、降りかかった怨嗟の声や慟哭が、聞こえていないはずなのに今も耳元で聞こえてくるかのような錯覚に陥り、童磨はわずかに体を震わせる。
これまで周りからどのような感情を向けられても気にならなかったと言うのに、まるで、直接恐怖と言う感情の津波を流し込まれてしまったかのように、彼は恐怖を覚えていた。
思わず自身の腕をさする。先程は無理やり引きちぎられてしまったような感覚があったが、自身の腕は失われておらず、しっかりと体に繋がっていた。
何度も刃物で貫かれたり、何かで体を削ぎ落とされたり、臓腑から肉体が抉られたりと、散々な目に遭った気がするが、童磨の肉体には損傷は一つもなく、健康体そのものだ。
「……そうだよね……。あれが、俺がやっていたことだもんね……。俺はただ、夢の中で自分がやったことと同じことをされただけだ。」
“所詮は夢、現実ではない”……そう思っていても、先程の痛みや苦しみを、童磨はしっかりと覚えていた。
まだ夢で返ってきただけであり、現実ではそのようなことはされていない……そのはずだと言うのに、刻み込まれたかかのように残る感覚に、思わず呻き声をあげる。
“眠りたくない”……頭を抱えながら童磨は望む。
「……よいづきちゃん…………」
そして、彼は小さく1人の少女の名を呼んだ。
どうか寄り添ってほしいと……そんな願いを込めながら。
❀
万世極楽教の寺院の上……ちょうど、童磨が寝室として使っている教祖の間の真上に位置する場所の屋根にて、半龍半鬼の鬼神、宵月こと伊吹弥宵は月光を静かに浴びていた。
そんな中聞こえてきた童磨の声に、彼女は無言で反応を示したのち、自身の神眼を発動させる。
「……童磨様が眠る部屋に、多重の結界が施されていますね。」
その目に映ったのは重なり合って発動している複数の結界。童磨が寝ている部屋だけに仕掛けられているそれは、神格への道を歩む者であれば、誰であっても使用者がわかる程強力なものだった。
同時に弥宵は、自身のすぐ側に現れた気配に気づき、静かに視線をそちらへと向ける。
そして、隣に現れた気配の持ち主を視界に入れたのち、静かにその場で跪いた。
「……常世より現世へ、ようこそおいでくださいました、大王様。」
「畏まらなくてもいい。お前は私にとっても大切な娘のようなものだからな。いつものように楽にしろ。」
「……わかりました。」
隣に現れた存在から許可を受けた弥宵は、静かにその場で立ち上がり、しっかりと隣の存在を盈月の瞳に写し込む。
そこにいたのは1人の青年。赤黒い髪を持つ、ガタイの良い男だった。
彼女はその姿を少しだけ見つめたのち、自身の真下にある寝室へと視線を落とす。
「……この結界、現世と常世を繋げるものですね。同時に悪夢によりかつて自身が行ってきた過ちと同じものを夢で浴びせ、しかし、一切その苦悶を外には出させることがない檻となるもの。
ある種の持ち運べる地獄とでも申しましょうか……。お父様から話は聞いておりましたが、まさか、お父様が口にした悪夢がこのような形で生まれるとは思いもよりませんでした。」
淡々とした声音で、部屋に広がる結界を分析する弥宵を見て、青年は小さく笑みを浮かべる。
「……流石は伊吹童子に育てられた娘だ。この結界の効能を見抜いたか。」
穏やかな声音で青年は言葉を紡ぎ、隣にある小さな頭を優しく撫でる。
弥宵はそれを静かに受け取りながら、再び視線を男へと向けた。
「お父様とお兄様、それと、常世の女王と天照様から様々なことをお教えいただいているので。」
「ほう……あの女王がなぁ……。最近、常世にいない時が増えたかと思えば、お前のところに足を運んでいたのか。
全く……こうも気軽に現世と常世を行き来されると困るのだがな……。余程の異能を持ち合わせていなければ、視えないとはいえ、少しは大人しくしてほしいものだ。
まぁ、言ったところで、あのお転婆女王が話を聞いてくれるとは思わぬがな。」
やれやれと溜め息を吐きながら、その場であぐらをかいて座った男……常世に腰を据える十王が1人、閻魔大王は、屋根の下で苦悶する童磨がいる位置へと目を向け、静かに口を開いた。
「これは、あの男には当然の報いだ。人の命を奪い続けていた100年……それを確りと償わなくては、正式に神格を与えることはできん。
罪を持つ神格は、必ず解脱し、堕落し、再びその身を穢すことになる。
そうなると今度は、どれだけの厄災が発生し、多くを奪うことになるか想像もつかないのでな。
ゆえに、私は贖罪として悪夢という形で地獄を再現する。そうしなくては、命を奪われた御霊達は浮かばれないからな。」
閻魔の淡々とした説明を聞き、弥宵は何度か瞬きをする。しかし、すぐに彼の隣に座り込み、童磨がいる場所へと目を向けた。
「……これが必要なことであるのは理解できますが、やはり少しばかり懸念はありますね。
大王様がおっしゃることはもっともですが、このまま童磨様に悪夢を見せ続けた場合、精神に異常が発生してしまいそうです。
他にも、寝不足に陥った場合、必ず信者の方が異常に気がつき、わたしの方に飛び火してしまいそうな気もします。
お父様から聞いてますからね。人々の信仰により神格は左右され、善神にも悪神にもなりかねないと。
それにより悪神に特性が寄ってしまった場合、悪神に寄ってしまった神格は、暴走することも、堕ちることもあり得るため、良き信仰は必要不可欠だと。」
「ふむ……まぁ。確かにそれはよくないな。私としても、弥宵が悪神に堕ちてしまうというのは避けたいことだ。
……ならば、丑三つ時になっても、童磨の小僧が悪夢により眠れない場合、側に駆けつけてやれ。
それと、亡者共の声をどのように拾い上げ、どのように亡者の許しを得ればいいのかの説明もいずれ行うことだな。」
「……わかりました、大王様。」
「では、私はこれにて失礼する。この結界は、あれが許しを得ることができるまで、永続的に地獄を見せると頭に入れておくといい。」
“一つの目安にもなろうさ”……と告げ、閻魔大王は寺院の屋根から飛び降りる。
それを見送るために、屋根の上に座り込んだ弥宵が見たのは、地面に発生した巨大な方陣が赤く輝き、それに触れた閻魔大王を炎へと変えて消してしまう様子だった。
「……相変わらず地獄へと移動できる方陣は熱そうですね。まぁ、地獄はそれ以上に熱いのでしょうけど。」
“地獄の業火は触れるものではない”……と顔を青くして説明していた酒呑童子を思い浮かべながら、弥宵は月の位置を確かめる。
それにより、閻魔大王が口にした丑三つ時になったことを把握した彼女は、一瞬にして童磨がいる部屋へと姿を現した。
「童磨様。」
「!」
待ち望んでいた声に顔を上げ、目を丸くする童磨。彼は、目の前に現れた美しき龍鬼に静かに手を伸ばす。
助けて欲しいと伝えるように、極彩色からは雫をこぼして。
「……童磨様。もう時刻は丑三つ時となっています。さぁ、眠りましょう。わたしも側にいますから。」
伸ばされた手を静かに握りしめ、穏やかな声音で言葉を紡ぐ弥宵に、童磨は静かに頷いたあと、彼女の手を静かに引き寄せ、その腕の中に閉じ込める。
彼の腕の中におさまった弥宵は、数回の深呼吸を行ったあと、自身が持ち合わせている変化の術を使い、その姿を幼子から肉付きの良い女のものへと変えた。
そして、自身の変化に驚いた様子の童磨を優しく抱きしめ返し、その背中を緩やかに叩き始める。
「……昔、お母さんがよくしてくださったんです。怖い夢を見た時、震えるわたしの体を優しく抱いて、背中を叩いてくれました。
……今回の悪夢は仕方のないこと。それが、あなたがこれまで行ってきた業の証であり、罪の結晶ですからね。
なので、こればかりはわたしでもどうにもできません。童磨様は、これから先も、罪が許されるまで苦しまなくてはならないでしょう。
ですが、それと向き合うこともあなたには必要なことなんです。しかし、あまりにも精神に異常が発生するようでは、人を助けることはできなくなりますし、わたしも童磨様を苦しめた悪神と見做されて、信仰を得ることができなくなる可能性がありますから、せめてもの助けとして、ある程度時間が経てば、このように馳せ参じましょう。」
穏やかな声音と優しい温もりに、童磨は少しずつうとうとし始める。
それに気づいた弥宵は、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、童磨をぎゅっと抱きしめた。
「おやすみなさい、童磨様。長く辛い道となるでしょうが、あなたが様々なことに向き合えるように、わたしも尽力いたしますので、一緒に頑張っていきましょうね。」
「…………うん……。おやすみ……宵月ちゃん……。」
弥宵の温もりに包まれながら、童磨は意識を静かに手放す。
不思議と、弥宵に抱きしめられて眠った彼は、悪夢を見ることはなかった。
伊吹 弥宵(宵月)
悪夢を見始めた童磨を見て、優しく寄り添って眠った半龍の鬼神。
実は地獄の王である閻魔大王と知り合いで、彼と言葉を交わすことがある。
童磨
宵月が口にした悪夢の意味をようやく理解した鬼神見習い。
自身がやってきたことを考えれば当然の報いだと考えながらも、あまりにも恐ろしい夢だったため、宵月を求めた。
一緒に頑張ろうと言ってくる彼女に頷き返しながら、再び眠りに落ちる。
閻魔大王
普段は8尺はあるであろう巨体を持ち、恐ろしい人相と燃えるかのような赤ら顔をしている巨漢の姿をしているが、現世にいる時は現世を生きる人の姿に合わせた姿で現れる地獄の裁判官。
宵月の本来の名を知っているため、彼女の上司の1人でもある。
人に紛れる場合、赤黒い髪と深紅の瞳を持ち、腕に炎を模した刺青がある美丈夫の姿をしている。