悪夢を見るようになり、数日後のこと。
童磨はいつものように暗闇の中にて責苦を浴びていたが、この日はどこか違うことが起こっていた。
罵詈雑言が響く中、一つだけ泣いているような声が聞こえてきたのである。
そのことに気づいた童磨は、息苦しい暗闇の中を歩きながら、その泣き声の方へと向かった。
辿り着いた先には、1人の女が泣いていた。何も見えない暗闇のはずだと言うのに、その女だけはハッキリとした姿を持っており、その場で涙を流している。
童磨はすぐに、その女が何者であるかを思い出した。駆け込み寺があると聞き、伴侶の男や家族の男から性的な虐待を受けていた女だった。
その名を寿江子と言い、琴葉と同じく、美しい娘だった。
「……えっと……寿江子ちゃんだよね?どうしたの、こんなところで泣いて。」
何度か瞬きをしたのち、童磨はしゃがんで涙を流す寿江子に声をかけるが、寿栄子は涙を流すばかりで、その答えを口にしようとしない。
どうしたものかと首を傾げる童磨。そんな中、彼の隣に美しき龍鬼が降り立った。
「どうやら、未練により常世へと行けなかった女性のようですね。まぁ、この暗闇はいわば大王様が用意した現世と常世を繋げる狭間……夢ではなく、現実と言える場所なので、かつての亡者達がいるのも当然ですがね。」
「うわ!?って宵月ちゃん!?」
「こんばんは、童磨様。ようやく贖罪の条件が整ったようで何よりです。」
「え?贖罪の条件……?」
「はい。贖罪の条件です。」
突如現れた宵月の姿に、童磨は一瞬驚いてしまう。しかし、彼女が口にした、聞き慣れない単語に気づいては、首を傾げる。
そんな童磨に、宵月は丁寧に説明した。今いる場所がどのような場所で、何がこの場にいるのかを。
「……ここが、現世と常世の狭間……つまり、ここから行こうと思えば常世……つまり、死んだ人が向かう場所に行けるってこと?」
「ええ。行こうと思えば行けますよ。ですが、その技術を持ち合わせているのは、今のところ、常世の女王たる伊邪那美命と、わたしのお父様である八雲……そして、かつて、童磨様より先に鬼神へと至るための修行を行った夜月に、お父様の力の影響を強く受け、尚且つイザナミ様より加護を賜ったわたしのみです。
先日、地獄の王こと閻魔大王様がいらっしゃっておりましたが、彼はイザナミ様のお力を借りることにより現世へ一時的に足を運んでいただけであるため、使えませんしね。」
「……待って。今宵月ちゃん、サラッととんでもないこと言ってるけど、気づいてる?」
「ようやく童磨様に贖罪の説明ができそうですね。安心しました。」
「話を聞いて?」
自身の主導権を手放すことなく我が道を行く宵月に、童磨は困惑の表情を見せる。
もはや、かつての感情がわからない彼の姿は跡形もないが、彼はそれに気づいていない。
「善行を繰り返すこと……これもまた贖罪ではありますが、効果としてはほんの少し程度にしかなりません。
そこで、童磨様には贖罪の一つとして、かつてご自身で命を奪ってしまった方々の魂の声を拾い、その望みを叶えていただこうかと思っていたんです。
ですが、それを行うには、この闇の中にある亡者達の声を正確に聞き届ける必要がありました。
しかし、童磨様に降りかかるのは罵詈雑言と報復ばかり……それに覆われて、本当に求めているものがある魂の声が聞こえていなかった……。
何度かやり方を教えていましたが、ようやく魂の声を聞く感覚を捉えることができたようですね。」
宵月の言葉を聞き、童磨は小さく声を漏らす。言われてみれば、自身は宵月からしっかりと耳を澄ませるように告げられていたと思い出したのだ。
「これからも今の感覚を忘れずに、魂の声に耳を傾けてください。童磨様が声を拾い上げることにより、ようやくわたしも本格的に修行をお手伝い出来るようになるので。」
「修行の手伝い……?」
宵月の言葉を繰り返すように口にして首を傾げる童磨に、宵月は小さく頷く。
そして、目の前で泣いている女性の魂に近寄り、その魂に手を翳した。
それにより、暗闇の中に眩しい光が一気に広がり、一つの景色が現れる。
その景色の中には、幼い頃の目の前の女性と思わしき少女が、笑顔で走り回る姿があった。
「これって……」
「この方の記憶です。本当の望みと言うものは、記憶の中に含まれているものなんですよ。」
流れゆく景色を見つめる中、宵月から告げられる景色の正体。
彼女はその言葉を発する間も、広がる景色をジッと見つめて、女性の望みをかいつまんでいく。
「……すごく、楽しそうだね。おまけになんだか長閑な景色だ。見たことはない景色のはずなのに、ひどく懐かしく感じるよ。」
「それは、この景色が彼女の故郷の景色だからですよ。」
「故郷……?」
「はい。暴力的な旦那様や、義父が暮らしていた場所に嫁ぐ前に、ずっと暮らしていた穏やかな場所です。」
「……そっか。」
これがこの子の故郷なんだ……と流れゆく景色を見つめながら考える童磨。
すると、景色に映る幼い頃の女性が、穏やかな男女の元に駆け寄って、その腕の中に収まる姿が映り込む。
それを見た童磨は、極彩色の目を丸くして、静かに言葉を口にした。
「……寿江子ちゃん……もしかして、故郷に帰りたいの?」
「!」
呟かれた言葉に、しゃがんで涙を流していた女性が弾かれたように顔を上げる。
そして、宵月の隣でしゃがみ込みながら、自身に視線を向けて来ている己が命の終わりの原因となった童磨を見ては、綺麗な顔をくしゃりと歪め、力強く頷いた。
「私は……ずっと故郷に帰りたかった……っ……父さんと母さんの腕の中で終わりを迎えたかったのです………っ
あなたが作った楽園は、確かに穏やかな場所でした……。苦しくもなく、信者の方々も優しくて、とても過ごしやすい場所でした……っ
そのような場所で、助けてくださったことは感謝しています……っ
ですが……!!わたしはあそこで最期を迎えたくはなかった!!父さんと母さんの元で、穏やかな生活を送りたかったのです……!!」
確かな感謝を込めながら……しかし、それでいて童磨の手により命を終えることはしたくなかったのだと訴えてくる女性の姿を見て、童磨は端正な表情を歪める。
その表情は、どこか申し訳なさそうで、彼女の心からの訴えは、確かに彼に響いていた。
「……ごめんね、寿江子ちゃん。あの時の俺は、君を喰らうことで永遠にすることが最善だと思っていたんだ。
でも、ここで何度も様々な思いや罵詈雑言を聞いて、流れ込むような感情の波に浸かり続けて、ようやく違うんだってわかったよ。
……君をうちで保護したのはかなり前だったし、もしかしたら、もう君の親はいないかもしれないけど、君の帰る場所を教えてもらえるかな?
俺が喰ってきた信者達が身につけていたものは、他の信者達の提案から保管しているし、故郷に届けることはできると思うから。」
童磨の言葉を聞き、寿江子と呼ばれた女性は、一度だけ驚いたように目を丸くする。
しかし、すぐにどこか嬉しそうに、だけどやはり辛そうな表情で涙を流して頷いた。
同時に童磨と宵月の記憶に、彼女の故郷とされる場所が刻み込まれる。
「もしも、父さんと母さんの所以がある場所を見つけたら、そこで眠らせてください……っ……童磨様……っ」
彼女が望みを口にした瞬間、暗闇の世界には光が溢れ、童磨と宵月は固く目を閉じる。
次に目を開けた時、視界いっぱいに広がるのは……童磨が寝室として使っている部屋の景色だった。
「……宵月ちゃん。朝餉を食べたら、さっきの場所に一緒に来てくれる?俺だけじゃ、どうしたらいいかわからないから。」
目を覚ました童磨は、何度か瞬きをしたあと、美しき龍鬼に一つのお願いを口にする。
彼のお願いを聞いた宵月は、穏やかな笑みを浮かべたあと、静かに彼のお願いを聞くように頷いた。
❀
……寿江子の故郷とされている場所は、今の寺院がある場所からかなり離れた場所だった。
しかし、龍神と言う自然神としての側面を持ち合わせている宵月にとっては、対して離れた場所と言うわけでもなく、寿江子が身につけていた装飾を預かった瞬間、一瞬にしてその場所にたどり着いた。
たどり着いたそこは、かなり荒廃した場所となっており、人が1人もいなかった。
……いや、いるにはいる。だが、その全てはいわゆる肉体を持たぬ者ばかり……つまりは魂だけの状態であった。
「……これは……いったい、どうなって………?」
まさかの景色に愕然として言葉を紡ぐ宵月。そんな彼女の隣にいた童磨は、辺りを見渡すように視線を巡らして、静かに口を開いた。
「……多分だけど、ここを根城にしていた鬼がいたんじゃないかな?ちらほらと血鬼術の痕跡があるみたいだし。」
「血鬼術?」
「うん。無惨様から血を分け与えられ、人喰いの鬼になった存在が身につけることができる異能だよ。
とは言え、すぐに血鬼術は身につかない。基本的に血鬼術は、無惨様から大量の血を与えられて適応した場合か、人を喰らい続けて力を身につけた鬼しか使えないからね。
上弦ノ弐……そう呼ばれていた俺も、血鬼術は使えたよ。自分の血液を凍らせて、小さな粉状にして辺りに散布したり、氷の欠片を相手に飛ばして切りつけたり、他にも様々な氷の力を使っていたんだ。」
そう言って童磨は、静かに腰に差していた鉄扇を引き抜き、その場で広げる。
そして、ほんの僅かに鉄扇を振って、自身の血鬼術を発動させた。
「“血鬼術 粉凍り”」
辺りに発生する粉状の氷による霞。その場に立っていた宵月は、凍てつくような寒さに一瞬体をびくりと跳ねさせたが、すぐにそれを冷静に見つめ始める。
「……かなり冷たいですね、これ。霞状になっているせいで吸い込んでしまいましたが、肺胞が凍りついて呼吸がし辛く……まぁ、すぐに治すことができるのですが。」
「まぁ、そうだよねぇ。それがわかっていたから、俺も宵月ちゃんに使ったわけだし。
でも、これって人間相手に使うとかなりの力になるんだぜ?」
「でしょうね。わたしのような人外でなければ治すことはできそうにありません。」
「うん。だから結構重宝していたんだよね。前、鬼狩りの話をしたでしょ?
その鬼狩り達ってね。剣技の中に呼吸と呼ばれるものを組みわせて鬼の頚を狙うって戦い方をする子達なんだよ。」
「となると、童磨様のこの力は鬼狩りの天敵になりそうですね。肺胞が凍てつき、壊死し始めるまでの時間はかなり短いようですし、これをまともに食らうとなると、戦いの長期化は避けたいでしょう。」
「むしろ長期化できないよね。だって肺胞が壊死するんだぜ?戦いの継続すら怪しくなると思うよ。」
「確かに。」
童磨の丁寧な説明を聞き、納得したように頷いたあと、宵月はその場に炎を発生させることで粉凍りを打ち消す。
氷と言うだけあり、やはり炎には弱いのか、一瞬にしてそれは消え失せた。
「……わー……宵月ちゃんの炎、すっごく熱ーい……。」
「地獄の業火を引き出したようなものですから当然ですよ。知ってます?閻魔大王様って地獄の主神扱いをされている大王様なんですよ。
伊邪那美命様は常世の女王ですし、出雲にはこの二柱もいらっしゃいました。
つまり、わたしには常世や地獄の加護も与えられているわけでして……神々はわたしを何にするつもりなのでしょうね……。」
溜め息を吐きながら炎を消し去る宵月に、童磨は苦笑いをこぼしてしまう。
彼女の話を聞いたところ、どうやら目の前の龍鬼は常世にも精通してしまった存在だったらしい。
確かに、彼女が会ってきた神様達は、いったい彼女をどうしたいのか……童磨も同じ疑問を脳裏に思い描き、宵月を労わるように優しく撫でる。
「とりあえず、この場に残された魂達は常世へと送らなくてはなりませんね。普段はあちらの姿は取らないのですが、今回ばかりは仕方なし……でしょうか。
もしも童磨様が言った通り、ここを根城にしていた鬼に喰い散らかされてしまったのであれば、鬼神としてのわたしだと、心傷を抉りかねません。」
「心傷を抉るようなことになったらどうなるの?」
「最悪の場合、鬼という存在に対する憎悪等により呪いや悪霊と化して、多くの犠牲者が出てしまうでしょうね。
鬼だけにとどまらず生き物憎しとなってしまったら、この地は不作の地となり、同時に呪われた土地と化すでしょう。
憎悪は仇となる存在を喰らい尽くせど尽きぬことがない湧水のようなものですから、次第に仇以外の生き物すらも、見境なく苦しめ始めるものとなります。」
淡々と童磨の質問に答えた宵月は、静かに目を閉じて自身の中にある力を鬼から神のものへと切り替える。
その瞬間、彼女の体は舞い上がる桜吹雪の嵐に包まれ、全てを覆い尽くされる。
桜吹雪の嵐はどんどん巨大なものとなり、次第に薄紅色の竜巻へ……そして、その竜巻が一際大きく膨らみ、破裂するように弾けると、その場には月白の鱗と青みがかった銀色の鬣を持つ、盈月の瞳の美しき東洋龍が佇んでいた。
「ぁ………………。」
その姿を見て、童磨は言葉を奪われたかのように失う。極彩色の瞳は、その龍だけを捉えており、縫い止められてしまったかのように目が離せなくなった。
「……童磨様。いかがなさいましたか?」
そんな童磨に気づいた龍は、穏やかな声音で話しかける。
その声は宵月のものと全く同じもので、童磨は目を見開いた。
「宵月……ちゃんなの……?」
「ええ。もう一つのわたしの姿です。言ったでしょう?わたしは鬼神であると同時に、龍神としての側面もあると。
まぁ、正確には、龍神としての側面を八百万の神々から与えられた有り余る程の加護により、引き出されてしまったのですがね。
しかも主神とされている神々が次々と与えてくるものですから、龍神としての側面の方が強いんですよ。
一応、お父様も龍神ではありましたけど、そのお父様の姿はどちらかと言うと妖に近いものでした。
対するわたしは、どう言うわけかこのような東洋龍の姿に……まぁ、こちらの姿だとバケモノではなく、龍神として見られるので、悪くはないですけどね。」
自身の姿の説明をした宵月は、ふわりとその場で舞い上がる。
荒廃した村に残されている未練を持った魂達は、そんな彼女の姿を見るなり驚いたように目を丸くしたあと、まるで祈りを捧げるように跪いた。
「ざっと見て15はいる感じですかね。とりあえず、ここにいる魂のうち、未練が少ないもの達は全て常世へと送り出しましょうか。」
それを見た宵月は、荒廃した村の上空で飛びながら、美しい咆哮を響かせるのだった。
宵月
龍神としての側面を出すと、美しい東洋龍の姿に容姿が変化する半龍の鬼神。
体は何倍にも大きくなり、人形も失われるのだが、声音は普段の宵月と変わらないもののため、その咆哮は美しい女性の声のままである。(東洋龍と書いてますが、見た目は千と千尋に出ているハクの本来の姿のようなイメージです。)
童磨
龍神としての側面を見せた宵月にかなり驚いていた鬼神見習い。ようやく死者の声を聞くことができたため、本格的な贖罪が始まった。