宝石のような不思議な瞳を持っていた人喰い鬼の青年……彼にたまたま出会してしまった日の翌日。
鬼神の力を使いこなすために修行を行っていた弥宵は、その日の夕方、山に流れている美しい川のある場所で、山の中に実っていた桃をもぎ取り、酒呑童子から木の実を採って食べる時にでも使えと言われて渡された、美しい装飾が施されている小太刀で皮を丁寧に剥いていた。
「あ!見つけたー!」
「ほわぁ!?」
特に旋律が決まっているわけでもない、適当な鼻歌をフンフン歌い、桃の皮を剥いていた弥宵。
しかし、彼女は突然背後から聞こえて来た青年の声に驚き、手にしていた桃を川に落としてしまう。
「うあ!?わたしの桃─────!!」
バタバタと慌てて川に入り、皮を剥き切った桃をなんとか拾った彼女は、すぐに川の砂利がついていないかを確認し、少しの汚れをささっと洗い流しては、ほっと息を吐く。
しかし、すぐにその安堵の表情は拗ねたものへと塗り変わり、弥宵は静かに背後へと目を向けた。
「いきなりなんなんですかあなた!?こっちは刃物持っていたんですよ!?手が滑って大怪我したらどうしてくれるのですか!?」
「え゛!?ごめん!?」
背後にいた昨夜出会した人喰い鬼に、弥宵は思いきり怒鳴り声を浴びせる。
その瞳は若干涙目になっており、かなり深刻な出来事になっていたことを把握した鬼、童磨は、あまりの彼女の剣幕に思わず謝罪の言葉を口にしてしまう。
いや、こっちから刃物持ってるなんてわかんなかったし、謝る必要は……あるのか……?と脳裏に過った疑問はあったが、それを口にしたら目の前の少女は絶対また怒ると妙な確信があったため、口は噤んだ。
「もう……」
童磨の謝罪を聞き、弥宵はようやく落ち着きを取り戻したのか、拗ねたような表情をしながら手にしている桃に齧り付く。
そんな彼女の小さな口の中に、明らかに人間と言うには鋭過ぎる牙が存在していたことを、童磨は見逃さなかった。
「ごめんよー……。君の背中しか見えなかったから、刃物を持ってることに気づかなかったんだ。」
「もういいです。」
「あはは……ものすごく拗ねてる……」
ぶっきらぼうに言葉を返してくる弥宵に、童磨は思わず苦笑いをこぼした。
なんだろう、少しだけ怒ってる無惨様に似てる……と少しだけ思ってしまったが、すぐに頭を切り替えては、桃を食べ勧めている弥宵の側にしゃがみ込んだ。
「桃が好きなの?」
「桃というか、果物全般が好きなんです。酸っぱいものもあれば、甘いものもあって、間食として食べるならちょうどいいんですよ。
あとは、花の蜜とかも美味しいです。食べ過ぎはよくないですが。」
「……見た目の割には随分と野生的な生活してるね。楽しい?」
「他の人がどうかはわかりませんが、わたしはそれなりに楽しんでますよ。夏場とかは湖に飛び込んでお魚獲ってますし。」
「へぇ……。俺はそんなことしたことないから、よくわからないけど、君はそれを楽しんでるんだねぇ……」
一目見ただけだとどこかの姫君なのではないかと思う程の整った容姿をしているというのに、その生活はあまりにも野生的なもので、童磨は少しだけ驚く。
こんな広い山の中で、全力で動き回るのはどんな感覚なんだろうと、自身が腰を据える寺院の中では聞くことがない未知の世界に思いを馳せながら。
「……ねぇ、君。少しだけ俺にも桃を分けてくれないかな?」
「?構いませんよ。ちょっと待ってくださいね。」
夢中で桃を丸齧りしている弥宵を見つめながら、しばらくの間思案した童磨。
そんな中、ふと、彼女が夢中で頬張っている桃の味が気になり、思わず少しだけわけてほしいと口にしてしまった。
自身の口から溢れでた言葉に、驚いて固まってしまう中、桃を分けて欲しいと告げられた弥宵は、一旦その場から素早く立ち去り、すぐに童磨の元へと戻ってくる。
どう考えても人間の動きではないと、その姿に目を丸くする童磨は、彼女が昨晩口にした、自身も人間ではないという言葉に対する答えを感じ取っていた。
「どうぞ。わたしの食べかけはどうかと思ったので、わたしが食べていた桃と同じくらい美味しい桃を採ってきました。」
手慣れた様子で桃の皮を剥き、弥宵は童磨にそれを手渡す。
彼女の小さな手元から、皮が剥かれた桃を受け取った童磨は、先程彼女がしていたように、手元にある桃を口にした。
かつて食べた時の桃に比べたら、かなり硬めの果実……桃ってこんな硬かったっけ?と少しだけ不思議に思いながら、何度か桃を咀嚼する。
しかし、果汁が喉を通ったり、噛み砕いた果肉が喉を通ったりしていることはわかるのに、桃の味だけはわからなかった。
「……味しないや。」
「え?そんなはずは……」
ポツリと紡がれた言葉を聞き、弥宵は驚いた様子を見せる。確かに甘い桃を採ってきたはずなのに……と言わんばかりの表情をしながら、童磨の手元にある桃に齧り付いた。
「……やっぱり、確りと甘味があって美味しい桃です。本当に味がしないのですか?」
困惑したように言葉を紡ぎ、本当に味がしないのかと問いかけてくる弥宵に、童磨は静かに頷いた。
もう一度確かめるように桃を喰らうが、やはり味は全くしない。
「……うーん……やっぱり駄目だね。全く味がわからない。多分、体質によるものかな?ほら、俺って人喰いをしてる鬼だから……」
「人肉や血液以外の味がわからなくなった……ってことですか?」
「恐らくだけどね。稀血の子はすごく美味しいし、人間の血肉とかもしっかりと味がわかるんだけど、本来、人間が食べているものは、ちょっとわからなくなっちゃってる。
人間の時はちゃんと味がしたんだけど……なんか、ごめんね。せっかく採ってきてくれたのに……。」
「……いいえ。人喰いの鬼の特徴を、把握しきれていなかったわたしにも落ち度はあります。
すみません……。美味しくないものを食べさせてしまって……」
そう言って弥宵は、童磨の手元から桃を取り上げ、綺麗な川の中で彼が齧っていた場所を洗う。
そして、彼が食べかけたそれに、彼女は静かに齧り付き、川を見つめながら食べ始めた。
その背中を見て、童磨は申し訳なさを感じる。これまで抱いたことがない感情に、少しの戸惑いを抱きながら。
─────……この娘、なんだか少しだけ悲しそうだし、すごく寂しげだな。彼女に悪気があったわけじゃないし、そもそもが俺が桃の味を気にしたからあれを採ってきてくれたんだよね……。
少しの間、無言で考え込んだ童磨は、すぐに弥宵の隣に並び、彼女が食べ進めていた自身の食べかけの桃を横から掻っ攫う。
急なことに弥宵は驚くが、童磨はそんな彼女のことなど気にすることなく、味のしない桃に齧り付いた。
「あの……味がしないものを無理に食べなくても……!」
「ううん。せっかく俺のためにとって来てくれたのに、それを味がしないからって突き返すのもよくないからね。
だからいいよ。確かに味はしないけど、勿体無いしね。ありがとう、俺のために採ってきてくれて。皮も剥いてくれて助かったよ。」
慌てて食べなくていいと言ってくる弥宵に、童磨は首を振って制したあと、桃を採って来てくれた上、皮まで綺麗に剥いてくれたことに関しての感謝を述べたあと、手にしていた桃を食べ進める。
その姿を見た弥宵は、何度か瞬きをしたのち、童磨の隣にちょこんと座る。
隣に座って来た弥宵に、童磨は一度目を向けた。
先程のどこか悲しげで寂しげな様とは違い、少しだけ嬉しそうな様子に、不思議とほっとしている自分がいた。
─────……こんな風に誰かに対して感情が左右されたのは初めてかもしれない。
寂しげで悲しげな弥宵を見た時は、どこか自分も気分が沈み、嬉しげな弥宵を見た今は、どこか気分が晴れやかになる。
これまで感じたことがない不思議な感覚に、童磨は驚き、同時に少しの気分の良さを感じた。
これまで長く感情と呼ばれるものを知るために、鬼にまでなって探った日々……100年単位で生きて来た今でも、それは未だにわからない。
─────……この娘と話続ければ、感情って何かわかるかも。
少しの期待を胸に秘め、童磨は味のしない桃を食べ切る。
すると、隣で彼が桃を完食した姿を見つめていた弥宵は、彼の手元から芯を回収して、川でささっとそれを洗う。
そして、手にしていた芯をぱしんと叩き潰し、手元には種だけを残した。
「え、すご!?」
隣で行われた出来事に、童磨は目を丸くする。両の手で果物の芯を叩き潰した瞬間、種だけが残るなど、これまで彼は見たことがなかったのだ。
「どうやったの?」
「?ああ、これですか。ただ、少しだけ自分の力を使って、種だけを残しただけですよ。
時間はかかりますが、新しく手に入ったこの桃の種を山の土に植えて、新しい桃の木を作ってるんです。
そうすれば、わたしもまた沢山桃が食べれますし、動物達もお腹を空かせませんから。」
よいしょ、と小さく呟き、立ち上がった弥宵。
童磨はそれに釣られるように立ち上がり、彼女の行動を見つめる。
「じゃあ、わたしはこれを植えて帰りますね。」
「え?帰っちゃうの?」
「はい。お父様とお兄様が心配するので。」
まさかの帰宅発言に、童磨は目を丸くする。
同時に感じたのはもう少し話していたかったのにという少しの落胆だった。
「もうちょっと話さない?」
引き止めるように告げた言葉。しかし、弥宵はそれに関して頷くことはせず、首を左右に振って断りを入れる。
「すみません。お話はまた今度に。」
「じゃあ、せめて名前を教えてよ。俺の名前は童磨って言うんだ。」
「……わたしは宵月です。お父様にそう名付けていただきました。
まぁ、宵月はわたしの字名であり、本来の名は違うのですが、こちらにも都合がありまして。
本来の名前の方に関しては割愛させていただきます。」
淡々と紡がれた言葉に、童磨は何度か瞬きをする。
しかし、彼女の名前を聞けたことに、不思議な胸の高鳴りを感じながら、極彩色の瞳を皿のように丸くした。
「……?何か?」
「あ……ううん。なんでもないよ。名前を教えてくれてありがとう、宵月ちゃん。また明日も来るよ。」
「来るのは構いませんが、今回みたいに驚かさないでくださいよ。」
「はーい。」
弥宵から告げられた言葉に童磨は間延びした返事をする。
それを聞いた弥宵は、童磨を一度見つめたあと、その場から立ち去るために足に力を加えた。
だが、すぐに脳裏に明日がどんな日かを思い浮かべては、加えていた力を一旦緩める。
「宵月ちゃん?どうかしたのかい?あ、もしかして、やっぱりまだもう少しお話ししてくれるとか!?」
「残念ながら、お話は致しません。ただ、一つだけ伝えたいことがありまして。」
「伝えたいこと?」
弥宵の言葉に首を傾げ、伝えたいことは何かと問うように、童磨は言葉を繰り返す。
弥宵は小さく頷いたあと、ふわりと童磨の方へと振り向いた。その瞳は黒曜石のような黒から、月のような金色へと変わっている。
「え……?」
「……明日は満月です。満月の夜は、わたしってかなり姿が変わってしまうので、会いに来るのであればご理解の程を。」
「姿が変わる……?それって、宵月ちゃんが言ってた、自分は人じゃない……って言葉の答えかな?」
「はい。まぁ、そういうことなので、来るのは勝手ですが、こっちの姿ではないことを、頭に入れておいてくださいね?」
そう言って弥宵は童磨に背を向け、軽く地面を蹴り飛ばす。
軽い身のこなしで山の木々を飛び移りながらいなくなってしまった弥宵に、童磨は呆気に取られて動きを止めてしまった。
「……姿が変わってるってどういうことだろう?無惨様がたまに女の姿をしてることがあるけど、そんな感じかな?」
人喰い鬼の始祖……鬼舞辻無惨が女性の姿をしている時を思い浮かべながら、童磨は静かに踵を返す。
「……フフ……!あの子、宵月ちゃんっていう名前なんだ!可愛い名前だなぁ……!」
しかし、すぐに教えてもらった弥宵の名前……本人は字名と言っていたが、例えそうであっても、彼女を呼ぶための言葉であることに変わらないため、童磨は特に気にしなかった。
「そうだ!俺じゃ食べれないし、信者の子達が持ってくる果物を明日は持ってこよう。
山の中になってる桃を食べてるくらいだし、きっと宵月ちゃんなら食べてくれるよね!」
自身が普段腰を据えている拠点、万世極楽教の寺院へと戻るために、移動をしながら、明日は寺院の果物を持ってこようと口にして、上機嫌に山の中から立ち去っていく童磨。
自身が弥宵の言動一つ一つに一喜一憂していることに気づくことなく、歩いていく彼は、教えてもらった名前を忘れないように、反芻しながら小さく笑った。
宵月
やってきた童磨に、なんかまた来てる……と思いながらも、自身の字名を教えた鬼神の娘。
自身の言動により、感情が欠落しているはずの童磨に変化をもたらしていることに気づいておらず、また遊びに来ると言って来た彼に、勝手にしたらいいと返して立ち去った。
桃の種はしっかりとある場所に植えて帰宅した。
童磨
宵月の名前を知ることができただけで上機嫌になっていたが、それが宵月がもたらした影響とは知らずに寺院へと戻る道を辿る。
満月の日は容姿が変わると告げて来た彼女の言葉に、疑問はあるが、明日になったらわかることかと考えて、深く考えたりはしていない。