帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

10 / 295
オニヤンマ

「うへぇ、疲れたよぉ…………それに顎と左肩がまだちょっと痛ーい……」

 

 沈みかけの夕日が見守る街路に、光一郎(こういちろう)の情けない声。

 

「……なんで、助けに来たあんたがあたしに介抱されてんのよ…………」

 

 そんな光一郎に左肩を貸して歩くエカテリーナは呆れた感じにぼやくが、内心では嬉し恥ずかしといった感じだった。

 

 ——助けに来てくれた。

 

 まるで、お伽話に出てくる、王子様みたいに。

 

 もう見捨てられたと思ってたのに、助けに来てくれた。

 

 それがとても嬉しかった。

 

 それでいて……この密着した距離感は、なかなかに恥ずかしい。

 

(コウの体温とか、匂いとか…………)

 

 小さい体ながら、体のあちこちにつき始めている筋肉の感触とか。

 

 それらを認識し、やっぱり男の子なんだなと再認識する。

 

 光一郎を「男」と明確に意識してしまい、恥ずかしい。

 

 ——いや、全然嫌じゃないんだけど。

 

 しばらく無言で歩いて、小さな公園へとたどり着く。

 

 二人でベンチにどっかり腰を下ろすと、大きくため息をついた。

 

「大変だったねぇー……」

 

「そうねー……」

 

 さっきまでの激戦を思い出してそう言い合ってから、再び無言の時間が続いた。

 

 すでに日中の暑気は引っ込んで、空気が涼しさを帯びている。夕日はビルの輪郭に隠れかけ、薄闇が公園に差している。車の通る音とカラスの鳴き声が、ときどき耳に入る。

 

 しばらくしてから、エカテリーナはぽつりと言った。

 

「コウ……ごめんね」

 

「何が?」

 

「いろいろと。……あんたに、心にも無い酷い事言っちゃったこともそうだし、助けさせちゃったこともそうだし、あと…………あんたがくれたトンボの絵、破かれちゃったこと」

 

 トンボの絵のことを思い出すと、エカテリーナは自身の心にぽっかり開いた隙間を再び実感した。

 

 光一郎は、望月螢(もちづきほたる)のことが好きだ。

 

 である以上、エカテリーナの好意は叶わない。

 

 だからせめて、彼のくれたトンボの絵だけでも、一緒にいたかったのに。

 

 その絵も、もう無い。

 

 唯一の命綱だった蜘蛛の糸を、断ち切られた気分だった。

 

「…………あ、そうだ!」

 

 光一郎は急に何か閃いたようで、自分の鞄をゴソゴソと漁りだした。

 

 取り出したのは、一冊のスケッチブック。

 

 それを開き、紙を一枚()じリングから破り取ると、それをエカテリーナに差し出してきた。

 

「——はい、これ」

 

 それは。

 

「これって……!」

 

 精緻(せいち)なタッチで描かれた、オニヤンマの鉛筆画だった。

 

 光一郎は得意げに笑う。

 

「そだよ。昨日描いたんだ。自信作。エカっぺにあげるよ」

 

「え、でも……いいの?」

 

「うん。——()()()()()()()()()()()()()()()()。破られてブチ切れるくらい大切にしててくれた、君に」

 

 それを聞いた途端、目頭が一気に熱を帯びた。

 

 ——破かれてしまった方のトンボ絵は、きっと、彼の気まぐれでくれたのだろう。

 

 でも、この絵は違う。

 

 ()()()()()()()と、そうはっきり言って、差し出してくれた。

 

 それが、とても、どうしようもないくらい、嬉しかった。

 

 エカテリーナはそっと、壊れ物を扱うようにゆっくりと絵を受け取り、胸の中に抱きしめた。

 

「ありがとう、コウ。…………一生、大切にするね」

 

 大袈裟ではない。

 

 自分はこの日のことを、多分、一生忘れない。

 

 一生。

 

「————コウッ!!」

 

「わっ」

 

 嬉しいもので胸がいっぱいになったエカテリーナは、たまらなくなって、光一郎を抱きしめた。

 

 感じる。光一郎の、匂いと、体温と、体の感触。

 

 光一郎はびっくりしたようだが、乱暴に払い除けたりせず、されるがままでいてくれる。

 

 ——コウ、やっぱりあたし、あんたが好き。

 

 声に出さず、心の中で恋を告げる。

 

 叶わない恋を。

 

 ——この人は、これからも、剣の道を突き進んでいくことだろう。

 

 憧れの女性を、こうやって抱き寄せるために。

 

 自分ではない、違う女性を。

 

 それは仕方のないことだ。彼の気持ちは、彼自身が決めるものだから。

 

 ——でも、それはこちらも同じことだ。

 

 この人が別の女性に懸想(けそう)していても、自分はやっぱり、この人のことが好きだ。

 

 愛してる。

 

 それもまた、仕方のないことだ。

 

 簡単には覆らない。

 

 そんなヤワい気持ちじゃないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————ねぇ、コウ。

 

 ————あんたが望月さんを好きなように、あたしもあんたのことが好き。

 

 ————残念だけど、これは、数年程度じゃきっと変わりそうもない。

 

 ————あんたのせいだよ。それくらい、あんたが素敵だから。

 

 ————だからね。

 

 ————もしも望月さんが、別の誰かに先越されちゃったら……その時は、あたしがワンワン泣いてるあんたをずっと慰めてあげるから。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。