帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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長いです。


未来(いま)

 

 ——望月(もちづき)(ほたる)は、無表情の仮面の下に、震えんばかりの感動を覚えていた。

 

 藤林(ふじばやし)千鶴(ちづる)の口から語られた、『玄堀(くろほり)の首斬り小天狗』の武勇の片鱗。

 

 光一郎(こういちろう)も、(きょう)も、その血生臭い内容に戦慄の表情を浮かべていた。

 

 しかし、螢は微塵もそんな風には思わなかった。

 

 ——なんという、誉れ高き武勇なのだろうか。

 

 侵略者に対して恭順せず、一歩も退かず、生まれ故郷を守らんと武器を取って立ち向かい、そして見事に食い止めた、村人達の武勇。

 

 その武勇を支えたのは『玄堀の首斬り小天狗』の、英雄的活躍。

 

 刀という時代遅れの武器で、現代兵器で身を固めた数多の兵隊に立ち向かい、斬り殺してきた、伝説の剣豪。

 

 剣士としての望月螢が目指した理想が、そこにはあった。

 

 千鶴による語りから、居間がしんと静まり返る。

 

 そこへ再び音を投じたのは、玄関のドアの鍵が開く音だった。

 

 ただいま、という声。

 

 比較的若い、男性の声だ。

 

 この家に帰ってくる男性といえば、一人しか思い浮かばない。

 

 音は無い。しかしその気配は、自分達が先ほど通ってきた廊下を通ってこちらへ近づいてきている。

 

 やがて、その人物は姿を現した。

 

「——ただいま、チィちゃん」

 

 優しさを表現するパーツだけで構成されたような、優男の顔立ち。

 長身でもなければ短身でもない中肉中背と言っていい体格を、ややルーズに着こなされたスーツが包んでいる。

 その歩き姿にはいささかの揺らぎも無い。まるで底面の広いピラミッドが滑って移動する光景を想起させる歩容。……一歩一歩がそのまま技になり得る、生きた武芸の歩き方。

 

 螢はそれ見て確信する。

 

 ……この人物こそが、『玄堀の首斬り小天狗』であると。

 

「おかえりなさい、あなた。お仕事ご苦労様」

 

 千鶴は微笑みで労いながら、彼の持っていた手提げ鞄を受け取る。

 

「お腹は空いてない? 何なら、今からお昼ご飯にしましょうか?」

 

「そうだね……もうそろそろ十二時だし、お願いしようかな。あ、簡単なものでいいよ」

 

「分かったわ。ちょっと待っていてね」

 

 千鶴はゆっくり立ち上がり、台所へと向かった。

 

 何気ない、短いやり取りだが、螢はそれを見ただけで、この夫婦の仲が極めて良好であることを確信した。まだ三十を超えていないほど年若いのに、何十年と連れ添った老夫婦のような、落ち着いた(むつ)まじさ。

 

 ……若くして、そのような老境じみた物腰にさせたのは、やはり十一年前の戦争の経験だろうか。

 

 死線をくぐり抜けた人間の行き着く先は、主に二種類だ。 

 ——戦いそのものに嫌気が差し、底抜けに温厚になるか。

 ——さらなる力と死線を求め、激しい気性になるか。

 大半の者は、前者となる。螢の義父である望月源悟郎もその一人だ。この夫婦も、そうなのだろう。

 

「——さて、待たせてしまって済まないね。京ちゃん」 

 

 彼は居間に腰を下ろすと、愛弟子である氷山(ひやま)京へ向いてそう告げる。

 

 京は「いえ、お仕事なので仕方がありません」と告げてから、光一郎と螢を手で示した。

 

「藤林先生、紹介いたします。——この二人が、件の客人です」

 

 それに合わせて、螢は間髪入れず「望月螢です。はじめまして」と自己紹介を告げた。

 

 光一郎も慌ててそれに続き「あ、秋津(あきつ)光一郎です。氷山部長の後輩で、螢さんの弟弟子やってます。はじめまして」と告げる。

 

 目の前の古強者(ふるつわもの)は、そんな螢と光一郎を同時に見て、知性と温厚さを濃く感じさせる微笑を浮かべた。

 

「——初めまして。僕は藤林静馬。帝都大学で植物の研究をしている、しがない研究者さ」

 

 しがない研究者。

 

 彼——藤林静馬は、確かにそう名乗った。

 

 玄堀村で活躍したことは、全く自己紹介には含ませなかった。

 

 含ませるだけの価値など無い……そんな感情が表れているように感じた。

 

 そのことに、螢はほんの少しだけ苛立った。

 

 ——あなたは、あれほど英雄的な活躍をされているというのに。それをなぜ誇らないのか。

 

 その内なる苛立ちを微かに滲ませた言葉を、螢は次に発した。

 

田岡(たおか)……いえ、藤林さん、あなたがかの有名な『玄堀の首斬り小天狗』であるということは承知しております。そんなあなたが帝都にいると知り、わたしはあなたにお会いしたく思い、門弟の方の助力を得て(まか)り越しました」

 

 静馬の表情は一見穏やかだが、『玄堀の首斬り小天狗』という名を口にした途端、その瞳の奥に暗いモノが宿るのを螢は視認した。

 

「わたしは、あなたに一度お会いしたかった。『玄堀村の戦い』にて、英雄的な活躍をされた、あなたと」

 

 嘘偽りの無い思いを、螢はそのまま口に出した。

 

 静馬は眼を閉じ少し無言になってから、眼を開き、再び穏やかな微笑みを浮かべた。

 

「——望月螢さん、だったね。君の噂はかねてよりうかがっているよ。元帝国陸軍大将、望月源悟郎閣下の義理のご子息。その閣下より至剣流剣術を学び、たった十一歳で至剣を開眼させて免許皆伝を果たした天才少女。数多くの剣術達者と試合を繰り返し、その一度にも遅れを取ったことが無いという」

 

「光栄です。あと、わたしの事はどうか螢と。義父とかぶりますので」

 

「分かったよ、螢ちゃん。——それで、まずは一つ聞きたい。どうして僕に、そこまで会いたかったんだい? 僕の話を本にしたい……というわけでは無さそうだ。単なる興味本位であるとも考えにくい。そこまで僕に……ううん、『玄堀の首斬り小天狗』に拘る理由を、よかったら教えてもらえないかな?」

 

 柔らかい口調で紡がれたその問いに、螢はまず告げた。

 

「——わたしは、昔住んでいた村を、ソ連軍によって焼かれました」

 

 その告白に息を呑む声。京であった。彼女はこの話を知らなかっただろうから、驚くのも無理はなかろう。

 

 静馬は、瞬きを素早く二回したものの、驚きをはっきり現したりはしなかった。

 

 その態度に安心感を覚えた螢は、続きを滑らかに口にできた。

 

「わたしの村の大人達は、愚かでした。

 非戦闘員に対する人道的な扱いを、こともあろうに侵略者に対して期待し、そのために蹂躙されました。わたしの実の両親も、その愚かな大人達の一部でした。

 ……けれど、玄堀村(あなた達)は違った。そのような愚昧(ぐまい)な選択はせず、自分達の故郷である村を守るために武器を取り、超大国の軍隊に立ち向かった。そして、見事に故郷を守り抜いたのです。

 ——わたしは、あの戦火を直接経験した者の一人として、あなた達と、そしてあなたを心より尊敬しています。ゆえに、一度お会いしたかった」

 

 静馬は察したような笑みになった。

 

「……なるほど。君と望月閣下は、()()()()()()()()をしていたんだね」

 

 彼は、ある一点を一瞥した。……戸棚の上に飾られた、集合写真。

 

 戦火に見舞われる前の、平和だった頃の写真。

 

「螢ちゃん、君は黒堀村を、屈強で勇敢な武士団か何かであると思っているのかもしれないけれど……そうじゃないんだ。僕達は、そう大層なものではないよ」

 

 静馬は笑った。

 

 懐かしむような、(いた)むような、そんな笑み。

 

「僕達はただ、運が良かっただけだ。

 ……確かに僕達は、ソ連の進軍を食い止めることができた。だけど、それはソ連軍が僕達を見くびっていたからだよ。その証拠に、世界最強といわれていたソ連の空挺部隊は、玄堀村には来なかった。あの村を重要視していなかった証拠さ。もしも空挺が来ていたら——僕達は間違いなく鏖殺(おうさつ)されていただろう」

 

 ソ連軍が空挺部隊に重きを置いているのは、元陸軍大将である義父から聞いたことがあった。

 

 ソ連の空挺部隊は、長距離ミサイルが主役となりつつある現代戦に対応した部隊だ。

 

 戦時の早い段階から敵基地へ潜入、制圧することで、地対空ミサイルなどの迎撃能力や、中距離弾道ミサイルなどの長距離攻撃能力を機能不全に陥らせるための部隊。

 

 ソ連軍には五つの軍種が存在するが、空挺部隊はそのどれからも独立している。その点からも、部隊の特異性と重要性が垣間見られる。

 

 事実、日本軍の北方島嶼の駐屯地は、空挺部隊の制圧によって迎撃能力をマヒさせられた。そのせいで、ソ連軍を電撃的は速さで北海道まで踏み込ませてしまったのである。

 

 そう。玄堀村など、ソ連軍全体から見れば、蟻の群れがうごめく小さな巣穴と変わらなかったのだ。

 

 だけど。

 

「それでも、あなた達は勝った。戦い抜いて、守り抜いて、生き残った。これは厳然たる事実。たとえ見くびられていても、敵は敵。もしも無抵抗で敵の良心に期待するという愚かな選択をしていたら、玄堀村もわたしの村と同じ末路を辿っていたはず」

 

 静馬は、少し悲しそうな眼を螢へ向けてきた。

 

「……君は、よほどかつての村が嫌いみたいだね」

 

「——嫌いです。()()はなりたくありません」

 

 今の世界には、国際法なるものが存在する。

 

 それが作られたきっかけは、欧州で起こった第一次世界大戦であるという。筆舌に尽くし難いほどの惨禍を引き起こしたその大戦争は、強い厭戦(えんせん)感情を人々に植え付け、二度とその惨禍を起こすまいと戦争規制の法を作らせた。

 

 しかし、どれだけ人道的な法があろうとも、それを守らない者は必ず存在する。

 

 事実、ソ連は侵略という最大の国際法違反を犯した。

 

 まともな相手でないことは明白。

 

 にもかかわらず、螢の周りの大人達はこの期に及んでなお、人道的な振る舞いを侵略者に期待していた。戦うどころか、逃げることすらしなかった。そのくせ「村が大事」などという寝言を起きたままのたまっていた。

 

 そして、あのていたらく。

 

 まさしく犬死に。

 

 今そこにある危機から目を背け、まやかしの安寧に耽溺(たんでき)した末路がソレだ。

 

 あんな惨めな生物にはなりたくない。

 

 だから螢は「牙」を求めた。

 

 どういう形であれ、自分を侵さんと欲する敵の喉笛を喰いちぎることのできる、鋭利な「牙」を。

 

「だからわたしは、剣を取ったのです。あんな惨めな存在にはなりたくないから。そして……あなた達のような存在になりたいから」

 

 螢にとって、玄堀村は憧れであり、理想であり、そして目標だった。

 

 その玄堀村で英雄と呼ばれた静馬は、その最たる存在だった。

 

 静馬はまさしく、目指すべき目標であった。

 

 そして——()()()()()()()()()()()()

 

「藤林さん。もう一つ、あなたにお願いがあります」

 

「なんだい?」

 

「——わたしと、()()()()()()()()()()()()

 

 光一郎と京が、驚愕を露わにした。

 

「ちょ、ちょっと螢さん!? いきなり何を言っているんですか!?」

 

 さっそく光一郎が泡を食った様子で詰め寄ってきたが、それを完全に無視。

 

 今回ばかりは、彼にも口出し無用だ。

 

 自分が求めるのは、静馬の答えのみ。

 

 その静馬は、やや低まった声で次のように言った。

 

「……理由を訊いても?」

 

「あなたはわたしの尊敬の対象であり、目標。ゆえに、あなたを剣で倒すことで、わたしは自分の理想とするわたしに達することができる。それが理由です」

 

「理想の自分……そんなものになってどうする?」

 

「強靭な「牙」を手に入れる。自分を侵そうとする(あまね)く存在を食い殺せる、最強の「牙」を。かつてのわたしと、その周りの大人達が持っていなかったモノを、手にいれるため」

 

 静馬は、大きくため息をついた。

 

「……申し訳ないけど、お断りさせていただくよ」

 

「なぜ」

 

「戦いたくないからだよ。……僕はもう、可能な限り、「戦い」というものに縁を持ちたくはないんだ。武術だって、京ちゃんに教えを請われる前までは、捨てたつもりだったんだから」

 

 そう消沈気味に訴える静馬は、その見た目の若さに反して、老いさらばえたようだった。

 

 ……理不尽であると自覚しつつも、螢はそれに、内心で苛立ちを覚えた。

 

 自分の理想像が、このような有り様であることに。

 

 自分の武勇を自分で軽んじる、卑屈寄りの謙虚さに。

 

 螢は食い下がった。

 

「お願いです。どうかわたしと手合わせを願います」

 

「僕をわざわざ倒さなくても、僕を超えることはできるはずだよ。他のやり方を模索して、強くなる道を選んだらどうなんだい」

 

「そんなものはない。あなたを超えるには、あなたを倒す以外に方法は無い。きっと、この国であなたを超える剣士はいないから」

 

「そのために——君は僕を傷つけようとするのか? それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「違う」

 

 自分の声が意思とは反して鋭くなるのを、螢は実感した。

 

 光一郎がそれを聞いてびくっと震えるが、静馬の様子は全く変わらない。感情の読めない深淵めいた瞳で螢を見つめ、淡々と言うべき言葉を述べるだけだった。

 

「違わないよ。何かが欲しいから誰かを害する。それを究極的に実現させたものが、十一年前のソ連による軍事侵攻だ。不凍港になる領土が欲しいから、米国と同盟を結ばれる前にこの国から力づくで奪おうとした。……どうかな? 理想的な自分が欲しいから僕を斬ろうとしている君と何が違うんだい?」

 

「——いっしょにしないで!」

 

 螢は思わず立ち上がった。

 

 久しく、語気が強まった。

 

 ——そう。どこが一緒だというのか。

 

 ——「牙」を磨くのは、剣士として、否、人として当たり前の事だろう?

 

 どれだけ、戦争や、殺しを禁ずる、人道的な法が生まれたとしても。

 

 人は容易に鬼に堕ちる。

 

 螢はそれを我が身で知っている。

 

 ならば——そんな鬼を迎え討つための「牙」は、誰しもが持っていて然るべきではないのか?

 

 その「牙」を研げるだけ研いでおくのが、人間としての在るべき姿ではないのか?

 

 なぜなら、人が人に対して働く暴虐は、いつの時代も力の不均衡がもたらすものなのだから。

 

「もう一度言います。——わたしと、剣を交えてください。あなたを超えて、わたしはもっと強い「牙」を手に入れる」

 

 深淵のような静馬の眼と、真っ向から睨み合った。

 

 その深淵に、体ごと引きずり込まれるような錯覚に陥り、体がふらつきそうになる。

 

 しばらくして、その深淵の眼がそっと閉じられる。

 

「……いいだろう。そこまで闘いたいというのなら、受けて立つよ」

 

「では——」

 

「ただし条件がある。——その勝負には、()()()()()使()()()()()()。それ以外は認めない」

 

 この条件には、光一郎達だけでなく、螢も驚愕を禁じ得なかった。

 

「だって、君がやりたいのは、竹刀で打ち合う「競技」でも、木刀で打ち合う「喧嘩」でもないんだろう? 真剣で斬り合う「殺し合い」だ。違うかい? ……少なくとも、僕は勝負というものをそういう風に考えている。君もそれを目指していたんだろう? 食い殺す「牙」を持つとは、()()()()()()だよ」

 

 再び深淵じみた瞳が開き、厳しく細められる。

 

「それを踏まえた上で、自分の今の実力と、目の前にいる僕という敵の実力を計れ。君ほどの剣士に出来ないとは言わせない。さぁ、どうする?」

 

 注視などせずとも、螢にはすぐに分かった。

 

 ——強い。

 

 自分と同等か、あるいは上回るほどに。

 

 彼の挙動を数回見ただけで、螢はそれを確信していた。

 

 間違いなく、今まで自分が見てきた中で、最強と呼べる剣客だった。

 

 螢の額に、久しく冷や汗が伝う。

 

 もしも戦えば、自分が負けるかもしれない。その確率がかなり高い。……静馬もきっと、それを分かっているはずだ。その上で勝負を受けた。

 

 いや、「負ける」なんていう甘っちょろい表現はやめよう。

 

 戦うとすれば真剣でなのだ。つまり「死ぬ」ということ。

 

 今まで自分に言い寄ってきた男達とやってきた竹刀試合や木刀試合とは訳が違う。

 

 流石の螢でも、心中に一抹の迷いが生じる。

 

 だけど、たった一抹だ。

 

 こんなちっぽけな迷いなど、すぐにねじ伏せて——

 

 

 

「——もうやめてください!!」

 

 

 

 腕を掴まれた。

 

「僕は、そんなことをさせるために、あなたをここへ連れてきたわけじゃありませんよ!! これ以上続けるなら、もうここには用はありません!! 二度と連れて来ません!! 帰りますよ!!」

 

 ……光一郎だった。

 

 彼の顔を見て、螢は思わず震えた。

 

 いつも緩んだ笑みしか見せてこないはずの光一郎が、どうだろう。

 

 今は怒った顔で自分を睨んでいる。

 

 こんな光一郎、初めて見た。

 

 とくん、と胸が熱く高鳴った。

 

「それで指南役を引き受けてくださらないというのであれば、僕はそれでも全然構いません。そんなものより、僕はあなたの身の方が億倍も大事だ。……僕は、大切なモノの順番を、間違えたりはしない。()()()()()()()()()

 

 螢がそんな怒った弟弟子を見つめながら言葉を失っていると、

 

「いやはや。これは一本取られたね、螢ちゃん」

 

 静馬が、先ほどまでとは打って変わった、柔和な苦笑を見せて言った。

 

「大切なモノの順番を間違えない——か。同じような殺し文句を僕も用意しておいたのに、先を越されてしまったよ。ありがとう秋津君。やはり赤の他人の僕より、螢ちゃんと近しい君が言った方が効果があったみたいだ」

 

 ……そうだ。

 

 光一郎は、いつもそうだった。

 

 この少年はいつだって、こちらのことを優先して考えてくれている。

 

 嘉戸宗家と行った「三本勝負」の時も、螢にとって大切であった望月派のために、体を張って戦ってくれた。そして、奇跡を起こした。

 

 光一郎の行動原理には、いつだって望月螢が中心にある。

 

 螢のためなら、良い顔ばかりではなく、こうして叱責することもできる。

 

 ……彼は、自分にとっての大切なモノを見失わない。

 

「どうかな螢ちゃん、この勝負、やめという事にしないかい? 君がもしも僕に勝負を挑めば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。——君は、悲しみをもたらしたいがために「牙」を磨くのか? それとも、悲しみを見たくないから「牙」を磨くのか?」

 

 翻って、自分はどうであろうか。

 

 「牙」を磨くことにばかり固執し、忘我(ぼうが)し、その「目的」を我知らず忘却しかけていた。

 

 人が「牙」を持つべきだと、自分が思ったのはなぜだ?

 

 自分にとって大切なモノを、それを侵さんとする存在から守るためだ。

 

 「牙」は、あくまでその手段。

 

 なのに自分は、いつの間にかその「手段」を「目的」にしてしまっていた。

 

 守るための「牙」で、自分を慕ってくれている人を傷つけようとしてしまった。

 

 ——なんて、愚かなのか。

 

 螢は思わず崩れ落ちる。

 

 かつての故郷の人達を「愚か」と断じていた自分もまた、愚か者だった。

 

「————ごめん、なさい」

 

 か細い声で、そう言った。

 

 本当に、恥ずかしさと、申し訳なさでいっぱいだった。

 

 静馬はそんな自分の頭へそっと手を触れた。

 

「螢ちゃん。君は確かに、全てを失ったのかもしれない。不当に奪われたのかもしれない。だけど……君だって、僕らと「同じ」なんだ」

 

「同じ……?」

 

「ああ。——だって、どういう形であれ、君は()()()()()()()()()

 

 螢は大きく息を呑んだ。

 

「生き残ったからこそ、未来(いま)がある。生き残ったからこそ、望月閣下という素晴らしい父君と剣師を得て、剣を学べて、君を本気で想ってくれる人に出会えたんだ。……たとえ、敵と戦っていなかったとしても、君は必死に生き延びて、この未来(いま)を勝ち取ったんだ」

 

 言って、静馬は戸棚に飾られている、集合写真を見つめる。

 

「僕がちっぽけながら剣を取って戦ったのも、ソ連軍が憎いからでも、人を殺したいからでも、相手から何かを奪いたかったからでもない。——この未来(いま)を、勝ち取るためだ。その思いを同じくする人達が集まって、一つになり、巨大な敵を討った。それこそが玄堀村なんだよ」

 

 そこで、がたん、がたん、という音が聞こえてきた。

 

 自分達の今いる居間の手前にある引き戸からだ。内側から叩くような音。

 

「あ、ウチの木芽(このめ)が起きちゃったみたいだ。ちょっと待っててね」

 

 静馬は一瞬にして優しい父親の顔になり、引き戸をそっと開く。

 

 中から、一歳ほどの女児が、よちよち歩きで居間へ歩み出てきた。……彼の娘の木芽とはこの子のことだろう。

 

 静馬の横を通り過ぎたあたりで転びそうな気配を察知したので、螢は素早く先回りし、案の定転んだ木芽を柔らかく抱き留めた。

 

「ごめんね螢ちゃん、ありがとう。……ほら木芽、螢お姉ちゃんありがとう、って」

 

 螢の腕の中にいる女児は、採れたての果実のようにみずみずしく膨らんだ顔で見上げて、

 

「ほたうおねえちゃん、あいがとお」

 

 舌足らずでたどたどしい口調で、そう言った。

 

 さらに、その小さな手で、こちらの頬を摘んでくる。

 

 ぺたぺた、ぺたぺたと触ってから。

 

 やがて……嬉しそうに笑った。

 

「————っ」

 

 それを見て、螢の目頭が急激に熱くなった。

 

 初々しい体温。生命力にあふれた柔らかさ。ほのかに香る牛乳のような香り。

 

 新しく芽吹いた、命の気配。

 

「——それが、僕らの勝ち取った未来(いま)だよ、螢ちゃん」

 

 限界だった。

 

 腕の中にある木芽の小さな体を、螢は抱きしめた。

 

 儚くも強い命の温度をさらに濃厚に感じ、涙腺が刺激される。

 

 こらえていたモノが目からぼろぼろと溢れ出す。

 

 止まらない。

 

 感情と涙が、決壊した。

 

「うあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、螢たちは藤林家で時を過ごした。

 

 先ほどのやり取りでは重々しい態度を崩さなかった静馬であったが、あの戦争の話にさえかかわらなければ、とても穏やかな青年だった。さらには部屋からも分かる通り大の植物好きで、部屋の植物一つ一つを指差してその蘊蓄(うんちく)を披露した。

 

 さらに、千鶴の作ってくれた昼食まで一緒に食べさせてもらった。

 

 それから、いろんな話に花を咲かせた。

 静馬の植物関連のミニ講義、天覧比剣関連の話題、螢の義父である望月源悟郎の人物像など。

 さらには、光一郎が螢に惚れていて、その延長線上で源悟郎へ師事したことなど。

 あまり他人とのコミュニケーションに関心を持ちにくい螢も、それなりに楽しめた。

 

 あと、二人の娘である木芽と遊んだりした。

 木芽は、三人いるお兄ちゃんお姉ちゃんの中で、螢に最も懐いた。

 特に、螢の頬っぺたをむにむにするのが大層気に入ったようで、抱っこするたびにむにむにされた。螢も悪い気は全くしなかったので、されるがままでいた。

 ……羨ましそうに木芽を見つめている光一郎のことは、とりあえず見ないフリをした。

 

 そして、気がつくと夕方になっていた。

 

 藤林夫妻にいろんな事への感謝を告げてから、螢達はマンションを後にした。

 

「またいつでも来てね、ですって。よかったですね、螢さん」

 

 最寄りの地下鉄を目指して春日通りの坂道を下りながら、光一郎がそう嬉しそうに言ってきた。

 

 ……帰り際に、千鶴が言った言葉である。

 

 自分の夫に剣を向けようとした愚かな自分に、あの慈しみ深い穏やかな笑みでそう言ってくれたのだ。

 

 いや、そもそも自分が勝負を挑もうとした時にすら、あの(ひと)は少しも取り乱さず静観していた。夫の実力を疑っていなかったのか、あるいは勝負など起きようはずもないと確信していたのか、どういう理由かは知らないが。

 

 いずれにせよ、あれほどの器量の女性は、そういまい。

 

「——今日は、本当にごめんなさい。わたしは……完全に我を忘れていた」

 

 螢はそのように、光一郎と京に謝罪した。

 

 京は苦笑を浮かべながら、

 

「構わないさ。確かにあの時は少し胆が冷えたし、あなたを連れて来たことを後悔したが、どうにか事なきを得たわけだしな。だが、あのようなことはこれっきりにして欲しいがね」

 

「……ん。ありがとう、氷山さん」

 

 螢は京に小さく頭を下げると、次に光一郎の方を見て、

 

「コウ君も、ごめんね。それと……ありがとう」

 

「いいんですよ。むしろ、ブチ切れた螢さんに投げ飛ばされる可能性も視野に入れていたので、穏便に済んで良かったです。それに……螢さんの貴重な大泣きも見られましたし」

 

「……忘れて」

 

「どうしようかなぁ」

 

「わすれなさい」

 

「えー」

 

「…………コウ君、なんか、ちょっと生意気になった」

 

「今回は螢さんが悪いんですから、大目に見てください」

 

 ……そう言われてしまうと、弱い。

 

 そんなやり取りをしながら、三人は坂を下っていた。後ろからの夕日によって、下向きに影が伸びている。

 

 地形が坂から平らになったところで、螢は二人に切り出した。

 

「約束通り——あなた達の指南役、引き受ける」

 

 二人は勢いよく振り向く。

 

 京が嬉々とした態度で、

 

「ありがとう! あなたが力を貸してくれるなら、非常に心強い! 歓迎するよ」

 

「ん。だけど、やるからには半端は駄目。厳しく指導するから、覚悟していて欲しい」

 

「構わないさ。そうでなくては、天覧比剣で優勝など出来ないだろうからな」

 

 二人は握手を交わした。

 

 それから程なくして地下鉄駅にたどり着いた。

 

 来て早々到着していた電車に滑り込み、座席を確保。三人並んで座る。

 

 地下の暗い風景が、高速で窓を流れる。

 

 左隣の光一郎は、疲れたのか、船を漕いでいる様子。

 

 そんな彼の手を、螢は気づかれないようそっと取り、握る。

 

 小柄で線が細いが、やっぱり男の子だ。剣術をやっている影響もあるのだろう。その手は硬かった。

 

 そして——暖かい。

 

「……これが、未来(いま)

 




 今回の連投はここまで。
 また書き溜め開始します。

 天覧比剣都予選の前に、もう一つだけ重要なイベントがあります。
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