帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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トーシャ

 トーシャが生まれて初めて帝都東京に訪れた時の最初の感想は「混沌」であった。

 

 欧米諸国が黄禍論をこじらせ発狂したほどのかつての経済発展を基軸とし、二十三区ではその至るところに開発の手が伸びている。背の高いビルディングが林立し、各種インフラが整い、高い防空能力も備えている。

 

 それでいて、少し探せば、江戸時代に建てられた神社仏閣や家屋などがなおも生き残っている。

 

 古い時代と新たな時代が、水と油のように、混じらずも侵食し合わず共存している。

 

「——薄汚ぇ街だぜ」

 

 そんな「混沌」を呈する帝都へ、唾を吐きかけるように呟く。

 

 トーシャの風貌は、日本人と全く変わらない。ショーウィンドウに映る日本人達の往来の中に、違和感無く溶け込んでいた。

 

 これがトーシャの持つ「強み」だ。

 日本人と全く違わぬ外見。

 ロシア語だけでなく、英語、日本語に堪能なマルチリンガル。

 同族であると誤認させる巧みな演技力。

 KGB(カーゲーベー)時代、日本における「積極(アクチブヌィエ)()措置(メロプリャーチャ)」に大変役立った「強み」。

 老若男女あらゆる日本人を信じさせ、騙し、果てには水面下にて行われていた日米同盟計画の情報を掴んでモスクワのルビャンカへ流すに至った。……十一年前の戦争の火種を作り、その火種でソ連自身を焼死させるに至った原因となったのも、そんなトーシャのもたらした情報だが。

 

 ——ソ連が崩壊してもなお、現ロシアと協力関係を秘めた地下組織の仕事に、この「強み」は役立っていた。

 

 六月十日、午前十一時。そのように往来に溶け込みながら歩いていたその場所は、千代田区の有楽町(ゆうらくちょう)であった。この辺りはかつては新聞社が集中していたが、今ではそのほとんどが社屋を移転しており、ショッピング街とビジネス街へ変貌している。

 

 そんな有楽町の中を、迷いの無い足取りで進んでいく。

 

 やがて訪れたのは、林立したビルディングの外壁に四方を囲まれた、汚い路地裏であった。

 

 喧嘩好きな不良どもの溜まり場になっているのか、そこかしこに古い木刀が落ちていた。

 

 壁にはスプレーや墨で書いたのであろう落書き。「喧嘩上等」「天下布武」「尽忠報国」「神武東()」「帝国万歳」「露助に死を」「北狄の帝王ヴォロトには八百万の神罰が下った」…………自国の建国神話に関わる漢字を間違えている分際で息巻くもんだ、とトーシャは冷笑する。

 

 さらには、どこから手に入れたのか、ソ連最後の最高指導者であるヴィークトル・ウラジミロヴィチ・ヴォロトニコフのバストアップ写真が入ったソ連共産党宣伝ポスターが貼られていた。そのポスターはあちこちに、硬いモノで打ちつけたような跡があった。……おおかた、ここを溜まり場にしている連中が『ヴォロト討ち』でもやっていたのだろう。それなりに歳のいっている人間のやることかと再度冷笑した。

 

 そしてトーシャは、そんな汚らしい壁の中から、ソレを見つけた。

 

 口紅のように赤黒い、雫の跡……血痕。

 

 ——ここか。

 

 トーシャはそこを起点に、視線を地面へ向けて走らせた。

 

 土晒しの地面にはいくつも足跡があるが、その中でも一番新しく、なおかつ大きく荒れている箇所を見つけ、それを辿っていき、やがてトーシャが入ってきた一本道へと到達。

 

 それらを総合的に見て、情報として吸収し、明らかでない部分には己の経験と知識を基軸とした補正を加えていき、やがて導き出した結論は——

 

「いきなりここへ引きずり込まれて、木刀を振るわれる。それをどうにか防ぎながら自分も落ちている木刀で武装して応戦。あとは純粋な剣の腕の勝負。……負けたのは、()()()()()()()()()()()。やられた側は怒りで我を忘れ、そいつを木刀で滅多打ち。そこで警官が駆け込んできて拘束——こんなところかね」

 

 そう自分自身に聞かせるように、ひとりごちた。

 

 ——ここは、一昨日の六月八日、暴行事件が起こった場所だ。

 

 トーシャの飼っている「雌犬(スーカ)」がもたらした情報によると、その事件のあらましは以下のとおり。

 

 一昨日の夜、この有楽町の企業に勤務している三十代のサラリーマンが、十九歳の若い男にいきなり掴み掛かった。その流れでこの路地裏に転がり込み、大喧嘩になったそう。

 

 先に喧嘩を売ったのはサラリーマンだが、売られた側の若い男の怪我は少し腕を打撲した程度。逆にサラリーマンの方が酷い返り討ちにあって全治一ヶ月の重傷だそう。

 

 サラリーマンは運び込まれた病院にて警察から事情を聞かれたが、その答えは「胸の内の「黒いモノ」に突き動かされた」という不明瞭なものであった。

 

 さらにサラリーマンは病院でもたびたび暴れ出して看護師相手に暴力を振るい、手が付けにくい状態であるとのこと。事情聴取での供述の意味不明さも含めて、精神病棟へ送ることもさっそく検討されているらしい。

 

 ……以上である。

 

 普通の人間なら、意味が分からない事件と一蹴し、いつもの日常へと意識を戻す程度の話であろう。死人も出ていないのだから。

 

 けれど、トーシャにとってこの情報は、鉱脈への在処(ありか)となり得る情報であった。

 

 ——現在、この帝都の水面下にて動いている、人の理解を超えた「怪異」の存在の。

 

 聞くところによると、サラリーマンが喧嘩を売った若い男は、見るからにガラの悪そうな、いわゆる「不良」と呼ばれていそうな男だったという。

 

 そんな相手に、家族やローンのために粉骨砕身しているサラリーマンが、わざわざ喧嘩を売りに行くとは考えにくい。……自らの意思ではなく、本人以外の「何者か」の強制による可能性が高いだろう。

 

 その「何者か」こそが、トーシャの知っている「怪異」だった。

 

 トーシャの口端が、吊り上がりそうになるが、

 

「——お前、ここで何してるですか」

 

 路地裏へ入ってきた気配と、その気配が投じてきた声に、トーシャは脊髄反射的に「善良な日本人」へと自らを変じさせた。

 

 見ると、白い詰襟の中華服に身を包んだ、中年ほどの男が路地裏へ進み入っていた。

 

 中華服を膨らませているその体格は一見するとずんぐり太っているように見えるが、その足取りは重鈍ではない。確かな質量感があるが、非常に軽快で無音な歩き方。あの恰幅の良い体格は脂肪ではなく、密度の濃い筋肉なのだとすぐに分かった。筋肉で出来た球体。

 

 髪がオールバックになっているため、岩を削ったように厳しい顔つきがあらわになっている。その顔に一対穿たれた眼差しはスリットのように細い。しかしそのスリットの奥底には、針のように鋭い眼光が見える。

 

 素人じゃねぇな、こいつ——トーシャはすぐにそれを察した。

 

 その巨漢は、やがてトーシャの目の前で止まった。背丈はトーシャと同じ175センチより少し高いくらいだが、その威容は山のように大きく見えた。

 

「え、えーっと……今日、この有楽町に買い物に来たんですけど……この間、ここで暴力事件があったと聞いたので、つい立ち寄ってたんですよ」

 

 トーシャは「善良な日本人」然とした、笑みを取り繕いながらの返答をした。

 

「立ち寄った? お前、警察ますか」

 

 巨漢がそう再び訊いてくる。その日本語は少し変で、妙に鈍っていた。日本語がネイティブではないのだろう。その風貌や顔つき、振る舞いから察するに、中国人(キタイェツ)か。

 

「いえ。僕は無職です。恥ずかしながら恋人に食べさせてもらっている、いわばヒモというやつです。今日はその恋人に頼まれて、買い物に出たんですよ。ここに来たのはそのついでです。単なる好奇心ですよ」

 

 ヘラヘラ笑いながらそう告げると、巨漢は「ふん」と鼻を鳴らした。

 

「危ないから、こういう所うろうろする、良くないです。早く立ち去るます」

 

「そうですね。お気遣いありがとうございます」

 

 トーシャはそう言って愛想笑いを浮かべる。

 

 巨漢の横を通り過ぎ、そのまま路地裏の出入り口へと向かおうとした時だった。

 

「——お前、血の匂いするます」

 

 そのように言われた。

 

 しかし、トーシャは聞こえていないフリをしながら、その場を後にした。

 

 有楽町の街中へ出て、日本人の往来にまた溶け込む。

 

 歩きながら、トーシャは一枚のコインをポケットから取り出す。

 

 ——日ソ戦勝利記念に製造された記念コインだ。

 

 ()()()()()()()、と思いながら、トーシャはそれを指で弾いた。

 

 コインは宙を何度も回転し、上昇し、自由落下に移り——別の路地裏へと落ちた。

 

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