帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

106 / 295
ゆっくりとした休日、そしてゴリゴリ君

 思えば、四月下旬に撃剣部に入ってからというもの、僕の毎日は剣一色だった。

 

 平日の放課後は全て撃剣部の稽古。

 

 土曜日と日曜日は望月家で至剣流の稽古。

 

 休む日といえば、土曜日か日曜日に時々お母さんに頼まれる店番の日くらい。

 

 それ以外の日は、全て剣術が関わっている。

 

 おそらくこれは、僕がまだ中学生だからこそ出来る過密スケジュールなのだろう。

 

 望月先生曰く、僕くらいの年頃は鍛えれば鍛えるほどどこまでも体が強くなるのだという。まさしく若さの特権だ。

 

 ——とはいえ、どんなに若く気力体力に溢れていようと、たまには休みたい時もある。

 

 剣一色な日々に、ほんの微かなゆとりが欲しくなった。

 

 撃剣部の稽古があった土曜日の翌日。……つまり六月十六日、日曜日。

 

 この日も望月家での稽古があるのだが、僕は今日はそれをお休みさせてもらった。

 

 店番を頼まれたわけではない。

 

 ただ、たまには休日をゆっくり過ごしたいと思ったのである。

 

 そういうわけで、僕は自室でごろんと寝転がっていた。

 

 六条ほどの畳部屋の真ん中で仰臥(ぎょうが)しながら、両手でスケッチブックを開き、そこに鉛筆で描かれた自信作を自画自賛していた。

 

 ——英国風女中服に身を包んだ、(ほたる)さんの姿。

 

 眺めているだけで、幸せな気分になってくるのを実感する。

 

 これは葦野女学院(ヨシ女)の創設祭の日、螢さんに頼んで模写させてもらった一枚だ。

 

 スツールにちょこんと上品に腰掛け、美しくも無表情な人形めいた美貌をこちらへ向けた、螢さんの女中服姿。

 

 ああ、可愛い。お美しい。

 特にこの黒髪の質感とか、パフスリーブの柔かそうな感じとか、フリルとか、めちゃくちゃ気合い入れて写実的に描いた。

 最高級の素材に、最高級の衣装。

 

 さらにスケッチブックのページをめくる。

 そこには、さまざまなポーズを取った女中服の螢さんが描かれている。

 「口付けをください」とばかりに唇に指を可愛らしく当てたポーズ、

 髪を耳に掛ける仕草、

 くるりと翻って長いスカートにかぼちゃのような躍動感を持たせたポーズ、

 スカートの端を両手でつまんで綺麗に一礼したポーズ、

 お(ぼん)で恥ずかしそうに口元を覆い隠したポーズ、

 正座して耳かきを持った姿(膝枕されてる側の視点で)、

 エトセトラエトセトラエトセトラ。

 

 僕が螢さんの実際のポーズを模写したのは、最初の座り姿勢の一枚のみ。

 その他のポーズは、僕の想像と計算と補完を用いて描いた産物だ。

 女中服の構造と質感をよく観察し、把握すれば、自分オリジナルのポーズを考えて描くのはそれほど難しくはない。

 螢さんのスタイルも把握済みだ。……いやちょっと待って欲しい。決してすけべな目的で把握したわけではない。彼女と至剣流の稽古を行う際、その動きを観察した時の副産物として把握できてしまっただけなのだ。ちなみに胸はかなり控えめだけど全体的に見てバランス良くスリムな体型である。胸なんて飾りです。

 

 特にお気に入りなのは、膝枕視点で耳かきを持った螢さんの姿だ。

 いいよね。膝枕されながら耳掃除されるのって。螢さんの太もも気持ちよさそうだし。耳掃除を終わった後「ふー」って耳の中を吹き払ってもらいたい。

 あと、スカートが躍動している絵も自信作だ。彼女の美しい髪も一緒に生き生きと動いている。スカートの風圧と一緒に螢さんの良い匂いも漂って来そう。

 

 自信作の数々を文字通り自画自賛しながら、右へ左へごろんごろんする。

 

「こんなの螢さんには絶対見せられないよなぁ……口きいてくれなくなりそうだし」

 

 あと、エカっぺにもバレてはいけない。あの綺麗なブルーアイズで蔑む眼差しをされるのは地味にキツイ。

 

 でも、もし螢さんに勝利して、めでたく交際、結婚となれたら、僕は気兼ねなく彼女の絵を描けるだろう。

 そうしたら、いろんな螢さんを描きたい。

 今より大人になった螢さんも。年季を経てくたびれた色気を放つ螢さんも。シワを帯びた螢さんも。

 それから晩年期に「愛する妻」というタイトルの個展を開くのだ。そうして、望月螢という女性の魅力を多くの人々に伝える。

 どうだろう? 良いアイデアではあるまいか?

 

 ——でもまあ、その妄想を具現化するには、まず螢さんに剣で勝つという(くも)()くほどに高い壁を越えないといけないんだけど。

 

 それだけの実力を、今の僕はまだ備えてはいない。……昨日の撃剣部稽古でのコテンパンぶりを思い出し、僕は改めてそう痛感した。

 

 考えた途端、無性に全身がうずうずしてきた。こんなところでゴロ寝していても良いのだろうか、と。

 

「いやいや、今日はゆっくりするって決めたじゃないか」

 

 僕はかぶりを振ってそう自分に言い聞かせる。

 

 そうだ、エカっぺでも誘ってどこかに遊びに行こうか。そう一瞬思ったが、彼女は今日望月家にて稽古中のはずだ。なので諦める。

 

 新しい女中服螢さんでも描こうかな……と思うが、被写体無し想像オンリーで描くのはかなり気力と集中力が要る。それではゆっくりなんてできない。

 

 自室でごろごろしているだけというのも、流石に飽きてくるものだ。

 

 ちりちりん、という甲高い音色。風鈴が網戸から入ってきた風を受けて鳴った音だ。

 

「……外、行くか」

 

 僕はポロシャツとジーンズに着替えてから、財布を持って家を出た。その直前に確認した時刻は午前十時半。

 

 徐々に夏へと近づいているようで、外の空気は暖かいと呼ぶにはいささか温度が高く感じた。太陽も五月に比べて肌を焼く力が強まっている。

 

「……あ」

 

 ふと、左腰に微かな重みを実感したので視線を向けると、ベルトに木刀が差してあった。

 

 いつの間に差していたんだろう……一年生の頃に起きたエカっぺ事件以降、いざという時のために携帯するようになった木刀。いつしかそれが癖になっていたようで、改めて自分の生活に剣術が浸透しきっていることを自覚して苦笑する。

 

 ——本当に、螢さんとの出会いは、僕という人間を百八十度変えた。

 

 前は剣よりもお絵描き専門な文化系もやしっ子だったのが、今ではすっかり剣一色の日々を送っている。意識しなくても、体が剣を求めてしまっている。

 

 それもこれも……望月螢という「初恋」に出会ったからだ。

 

 恋は人を変えるというのは本当みたいだ。

 

 「傾国」という言葉がある。王様がその色香に惑わされ、一国すらも傾けてしまうほどの美しい女性を指す言葉だ。

 

 国すら傾けてしまうのだから、僕のようなちっぽけな子供の人生を変えるくらい、極端な美女にとってはわけないことなのだろう。

 

 自分がたった一人の女性にここまで入れ込んでいることを、去年の今頃の僕に話したら、どんな顔をするだろう?

 

 そんなことを考えながらやがてたどり着いたのは、一軒の小さな駄菓子屋さんだ。小学生の頃からよく来ている店で、かつては休日におけるエカっぺとの溜まり場であった。

 

 やや気温が高めなためか、年季の入った引き戸は開かれたままになっている。時折風鈴が微風を受けてちりんちりんと心地いい音色をもたらす。

 

 アイスでも食べて時間でも潰そうかと思い、店の中に入った。

 

 広いとは言えない店内には、先客が一人いた。

 

「あの……やはり、これでは購入は出来ないのでしょうか……?」

 

「残念だけど……うちじゃあコレは扱ってなくてねぇ」

 

「そう、ですか……」

 

 その先客は、カウンターで店主のお婆さんと何やら話をしており、意気消沈している様子。

 

「こんにちわー」

 

 僕はとりあえずそう声をかけると、お婆さんはこちらに気がついて、

 

「あら、光一郎(こういちろう)ちゃん。いらっしゃい。久しぶりねぇ」

 

 そう親しげに挨拶してくれた。

 

 すると、その先客も、僕へと振り向いた。

 

 ——僕は一瞬、その先客の容姿に、目を奪われた。

 

 とても雅びやかな雰囲気を持った美少女だった。

 太い一束の三つ編みになった、長くツヤの強い黒髪。純和風と形容できそうな気品のある美貌と、それとはあまりにも不釣り合いな丸眼鏡。

 かぶっているキャップと着ているTシャツは、ともに国民的人気特撮シリーズ『ベクターシリーズ』のアパレルもの。履いているのはハーフのカーゴパンツ。

 非常にありふれた子供服だが、そんな庶民的な衣装であっても、彼女の見せる仕草や振る舞いからは、隠しきれない品の良さが感じられた。

 

 ……一眼見ただけで、彼女が「庶民ではない」と分かった。

 

 それを裏付けるように、彼女の手には、見るに高級感漂う金色のクレジットカード。

 

 カウンターの上には、子供達から長年愛され続ける棒アイス「ゴリゴリ君」。

 

 ——まさか、カードで買う気だったのか?

 

「えっと……このお店、多分カードは取り扱ってないですよ?」

 

 僕は失礼ながら、思わずそう口を挟んでしまった。

 

 お婆さんも僕の言葉に同調して、

 

「そうなのよぉ。ごめんねぇ。使えなくて」

 

「……分かりました。こちらこそ、無理を言って申し訳ありませんでした」

 

 彼女はその気品ある美貌をしょぼんとさせ、少し項垂れた。

 

 僕は少し気後れしながらも、少女に話しかけた。

 

「普通のお金は、持ってないんですか?」

 

「持って、おりません……」

 

 まあ、そうしたらカードを使わずに小銭を出しているか。

 

 女の子の落ち込みようったら、結構なものに見えた。

 

「そんなに、そのアイスが欲しかったんですか?」

 

「はい……私、このようなものを食べたことがなかったもので」

 

 なんと、ゴリゴリ君を食べたことがないのか。ほんまもんのお嬢様か。

 

「えっと……じゃあ、奢りましょうか?」

 

「へっ? よ……よろしいのですか?」

 

「はい。余裕で出せる金額なので」

 

「あ、ありがとうございます! 秋津(あきつ)光一郎様!」

 

 ——えっ?

 

 なんでこの子、僕の名前を知ってるんだ?

 

「あの、なんで……」

 

 その理由を尋ねようとしたが、

 

「光一郎ちゃん、このアイス、少し溶けてきてるかもだから、戻して新しいのと交換しなさいな」

 

 お婆さんのその発言によって、意識を購入モードに変えざるを得なくなった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。