帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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謝罪、そして休日

 エカっぺの「先輩ぶっ飛ばし事件」から、すでに一週間が過ぎようとしていた。

 

 

 

 僕が夏村(なつむら)先輩に「謝れ」と言った翌日、先輩は朝のホームルーム直前の時間に一年三組の教室を訪れ、エカっぺに謝罪してくれた。……殴られる前、自分がエカっぺに対して行なった蛮行をハッキリ宣言した上で。

 

 クラスメイトが全員集合している時間帯だったので、その謝罪はクラスメイト全員が知るところとなった。

 

 そうやってみんなの前で謝らせたのは、ひとえに、今回の騒動の「善悪」を周りに対してハッキリさせるためだ。

 

 僕らの間だけで騒動の決着をつけたとしても、周囲の生徒のエカっぺに対する悪印象は払拭されない。

 いや、今回の騒動で完全に印象最悪になったであろうエカっぺのことをいじめる輩が現れないかも分からない。……いや、多分現れてた。

 

 だから、今回の騒動の真相を明らかにし、なおかつ騒動の火種を作った先輩に謝罪させることで、そんな最悪の印象を少しでも良くしようと試みたのだ。

 

 ——さらに、ここからはエカっぺのアイデアなのだが。

 

 先輩の謝罪だけでは、周囲に善悪を示す「証拠」がまだ足りない。

 

 「あーこれは殴られても仕方ないわな」って思わせるだけの「証拠」が。

 

 侵略者の民族という理由で偏見を抱かれているエカっぺに対し、周囲は隙あらば邪推するだろう。……「証拠」が足りないと、たとえば「卑劣なロシア人が仲間を呼んで夏村先輩を脅して、無理やり謝らせたに違いない」と邪推する輩が現れるかもしれない。

 

 なので、その「証拠」として夏村先輩に要求したのは、()()()()()()()()()()()()()

 

 完全に修復しなくてもいいので、絵の欠片を拾い集めさせ、可能な限り修復させてから、謝罪と同時に手渡させる。……物的証拠を交えての謝罪は、それが無いよりもずっと説得力が高い。

 

 セロテープで不恰好に修復されたトンボ絵は、やはりパーツを全ては拾いきれなかったようで、ところどころ欠けていた。さらには修復者の腕が悪いためもっと不細工に見え、見る影も無かった。

 

 でも、エカっぺはそれを受け取り、謝罪を了承した。

 

 先輩を許したからではない。というか、今でも許せないとのこと。

 

 不恰好になった絵を受け取った理由は、

 

「あんたがあたしにくれた絵だから」

 

 だそうだ。

 

 そう言ってはにかんだ笑みを浮かべたエカっぺを見て、僕は、その…………とても可愛いと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 まあ何にせよ、これで周囲に、騒動の善悪を示すことができたと思う。

 

 みんな、この事件に関して、口にする人や槍玉に挙げる人はいなくなったから。

 

 相変わらず露助だなんだと陰口を言う人はいるものの、事件から一週間経った今のところ、それ以上のことはされていない。

 

 とりあえず、事件は解決したと見ていいだろう。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 二〇〇一年九月八日。土曜日。午前。

 

 僕は、家の手伝いをしていた。

 

 より厳密に言えば、家業の手伝いだ。

 

 ——僕の実家は「秋津書肆(あきつしょし)」という古書店を営んでいる。

 

 その歴史は結構古く、明治時代初期に端を発している。

 

 明治時代、日本が近代国家への道を歩み始めたことで、旧支配者であった武士階級はその権威を失い、没落していった。

 

 僕のご先祖さまも、そんな武士の一人だった。

 

 侍としての権威を失ってしまったわけだけど、ご先祖さまはそれ以上に、古いモノからソッポを向いて舶来品(はくらいひん)ばかりありがたがるようになってしまった明治の人々の心変わりに心を痛めた。

 

 アメリカのボストン美術館には日本刀や浮世絵がたくさんあるが、それは明治時代、自国の美術品を二足三文で海外に売りさばいてしまったせいなのだ。

 

 そういう、自国の文化をないがしろにしてまで西洋文明の後追いをしたがっていた当時の人心を憂いていた。

 

 どんな民族も、過去があるから今がある。過去にこそ、今の自分達の「在り方」の理由が存在する。もしもその過去に目を(つぶ)れば、国難にぶつかった時、自分達がどういう「在り方」をしてそれを乗り越えていけばいいのか分からなくなり、やがて民族としての「自分達」までも喪失してしまうだろう——

 

 ならば、自分が「過去との架け橋」になろう。それが、侍でなくなった今の自分に出来る、精一杯の護国なのだから——

 

 その思いから、ご先祖さまは古い書を売る書肆(しょし)を開いた。

 

 ご先祖さまはたいそうな勉強家だったそうで、たくさんの書物を持っていた。それらを売りだした。

 

 幸いにも、ご先祖さまと同じ考え方の人は少なからずいたようで、ご先祖さまの考え方に賛同して協力し、またお店の常連となった。

 

 さらに日本史の研究者も、過去の書物を求めてお得意様となることが多くなり、店は細く長く続いていった。

 

 そうした歴史の積み重ねの果てに、この「秋津書肆」は存在しているのだ。

 

 ——閑話休題。

 

 僕の手伝いは、買い取った古書の品出しだ。

 

 ただ出すだけではない。本のジャンルごとに棚を選んでそこに並べるのだ。

 

 「秋津書肆」が扱うジャンルは、主に文化や芸術、歴史などだ。

 

 ワゴンに乗ったダンボールの中から取り出し、ジャンル通りの場所へと並べていく。新品同然の本から、かなり昔のものであろう(ひも)()じの本まで、様々な本を。

 

 慣れ親しんだ作業だ。体が勝手に動くまま、品出しをこなしていた時だった。

 

「ん?」

 

 ちょうど今取り出した一冊の本を目にした途端、僕の動きが止まった。

 

 随分と色褪せて年季の入った、紐綴じの本だ。

 

 その表紙には『至剣流剣術概論』。

 

 至剣流(しけんりゅう)、という単語に反応して、僕は仕事中であるにもかかわらずその本を開いた。

 

 巻末を見ると、明治時代に書かれた本だと分かった。

 

 表紙に戻り、筆者の名前を見てみる。

 

 嘉戸(かど)久太郎(きゅうたろう)美嗣(よしつぐ)——やはり至剣流の家元である、嘉戸宗家の姓。

 

 まあ当然だろう。至剣流の書籍出版や宣伝活動を行えるのは嘉戸宗家のみであり、それ以外の者は宗家の許可無しでは不可能だ。昔からそうなのだ。それが伝承の完全統一を是とした家元制度の厳格さというものである。

 

 ちなみに「嘉戸久太郎美嗣」という氏名にある「美嗣」という名前は、いわゆる「(いみな)」だ。

 

 「諱」とは、死んだ人の生前の功績を讃えてつける称号みたいな名前だ。しかし武芸の世界における諱とは「武名」のことで、免許皆伝と同時につけられることが多い。

 

 至剣流でも免許皆伝者は諱を自分につける権利があるが、それは嘉戸宗家の人間に限られる。至剣流の諱には、必ず「美」という一文字を用いるのがルールだそうだ。

 

 とりあえず、その『至剣流剣術概論』を開いてみる。至剣流のテキストは現在でも宗家監修のもと出版されているが、明治時代のテキストはどんな感じなのか、興味があった。

 

 まずは目次を見る。

 

 開祖。歴史。そして型一覧。

 

 やはり型の数が多い。

 

 確か至剣流の型は、全部で五十はあったと聞いているが……

 

「……あれ?」

 

 だが、目次にある型の数を見て、僕は目をしばたたかせた。

 

 経年で茶色く変色した紙面に表示されている型の数。

 

 ひぃ、ふぅ、みぃ…………

 

「……()()()?」

 

 少ない。

 

 現在出版されている至剣流テキストよりも、型の数が明らかに少ない。半分以下だ。

 

 なんだろう。紙面の都合で、掲載しきれなかったのかな。

 

 僕は読み進めようとしたが、

 

光一郎(こういちろう)、ちょっとこっち来て手伝ってー!」

 

 母さんの呼び声が本棚の向こうから聞こえた。

 

「あ、はーい! 今行くねー!」

 

 僕は古いテキストを閉じ、母さんのもとへ向かった。

 

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