帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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蜻蛉と烏の別れ

「……んんっ、ううん……?」

 

 深い海の底からゆっくりと浮かび上がるような気分で、僕は目を覚ました。

 

 ぼんやりした視界が、まばたきを繰り返すことではっきりしてきて、見覚えの薄い天井と——そして太郎くんの綺麗な顔が見えた。

 心なしか、どこか嬉し恥ずかしといった微笑で僕を俯瞰(ふかん)している。

 

「んぅぇ……? たろぉくん……?」

 

 僕が寝ぼけた声でそう呼びかけると、彼は苦笑しながら、

 

「おはようございます、コウ様。——と言いましても、()()()()()()()()

 

「ゆぅがた……」

 

 その発言を聞いて一気に意識が覚醒した僕は、状況を速やかに把握した。

 

 この見覚えの薄い天井は、駄菓子屋さんの(のき)だ。その軒の向こうに見える空は、すでに日差しが弱まって、空色が白く薄まってきている。夕空だった。

 

 僕はいま、軒下のベンチで仰向けになっていた。

 

 さらに、ベンチの端っこでちょこんと座る太郎くんの太腿を枕代わりにしていた。

 

 ゆっくりと起き上がり、目元を擦る。あくびする。

 

「えっと……なんで僕、寝てたんだろう」

 

 当然の疑問を呟きながら、頭を働かせた。

 

 確か、太郎くんとの稽古の時に『劣化(れっか)蜻蛉剣(せいれいけん)』を習得して、それを使って彼と打ち合いを続けていた途中で、意識が薄れていって…………

 

「至剣を使い過ぎたのでしょう」

 

 太郎くんが、そう断言する。

 

「至剣というのは、妖術でも神通力でも無く、()()()()の一つです。体の働きである以上、酷使すれば自ずと疲労します。ましてコウ様のように、至剣を開眼させたばかりであるならば、なおのことでございます」

 

「至剣の、使い過ぎ……」

 

 言いながら、僕は自身の体調をチェックする。まだちょっと怠いけど、それ以外は何ともない。あと汗が乾いている。随分と寝ていたみたいだ。

 

「——至剣の開眼、おめでとうございます。コウ様」

 

 太郎くんは、ねぎらうようにそう言ってくれた。

 

 僕は目をぱちぱちさせてから、ベンチを立ち、自販機に立て掛けてあった僕の木刀を手に取る。

 

 ()()()

 

 ——太郎くんの眉間の前に「金の蜻蛉」が金色の発光とともに現れて、そしてすぐ消えた。

 

 ……やっぱり、夢じゃない。

 

 僕は『劣化・蜻蛉剣』を習得した。

 

 偶然の奇跡としてではなく、自分の意思の力で、自分の望む時に「金の蜻蛉」を召喚できるようになったのだ。

 

 これは確かに、とてつもなく大きな収穫である。

 

「……ごめん、太郎くん。実は僕、至剣には目覚めていないんだ」

 

 だけど、これは至剣ではない。

 

 至剣が中途半端に目覚めた、言うなれば「半至剣」。

 

 『蜻蛉剣』ではなく『劣化・蜻蛉剣』だ。

 

「えっ? しかし、先ほどのコウ様の動きは間違いなく、『蜻蛉剣』を使っている時のものでしたよ?」

 

「かもね。でも……さっきのは違うんだ」

 

 僕は、『劣化・蜻蛉剣』のことを説明した。

 

 すると、太郎くんはおとがいに手を当てて考える仕草を見せた。

 

「それは……またしても奇妙な話ですね。全ての型を練り終えていない段階で至剣に目覚めただけでも前代未聞であるというのに、使えなくなった至剣をそのような中途半端な形で思い出すなど……」

 

「だよねぇ」

 

 僕がしみじみ同意すると、太郎くんは申し訳なさそうにしょぼんとしながら言った。

 

「……申し訳ありません、コウ様。私の力が及ばないばかりに」

 

「そ……そんな! そんなことないよっ!」

 

 僕は思わず声を荒げ、ベンチに身を乗り出して、太郎くんと同じ高さに顔を合わせた。

 

「確かに『蜻蛉剣』を完璧には覚えられなかったけど、この『劣化・蜻蛉剣』だけでもすごく大きな収穫だよ! だって自分の意思で使えるんだから! 太郎くんがしょぼくれる必要なんか無いんだ! むしろ感謝したいくらいだよ!」

 

「コウ様……」

 

「ありがとう、太郎くん。僕に新しい力をくれて。……僕と今日、出会ってくれて」

 

 僕は混じりっ気なしの本心を、真っ直ぐ伝える。

 

 そう、これは本心だ。気遣いではない。

 

 『劣化・蜻蛉剣』を得たことで、僕は確実に強くなれた。

 

 それも全て、目の前にいる美少年のおかげだ。

 

 彼に対しては、感謝の言葉も無い。

 

「…………あ、ありがとう、ございます。コウ様」

 

 太郎くんはさっと顔を真っ赤にしたかと思うと、ぷいっとソッポを向いて俯き、そう呟いた。

 

 それ以降、彼は黙りこくってしまった。

 

 さあこれからどう会話を繋ごうかと思った時だった。

 

 ぴりりりりりり! と、耳によく響く電子音が聞こえてきた。

 

 思わずビクッとしつつも、音源を見繕った。……太郎くんのカーゴパンツのポケットである。

 

「いけません……!」

 

 太郎くんが慌てたようにそのポケットから取り出したのは、折りたたみ式の携帯電話だった。しかも最新機種。

 

 携帯を開き、キーをかこかこと操作し、画面をしばらく見つめると、太郎くんは勢いよく立ち上がった。

 

「申し訳ありませんコウ様! そろそろ門限が迫っておりますので、私はここでお(いとま)させていただきます!」

 

「も、門限?」

 

「はい! 遅れれば、もう帝都を一人で歩かせてもらえなくなるかもしれませんので! そういうわけで、ここでお別れです! さようなら、コウ様!」

 

 急いで立ち去ろうとする太郎くんを、僕は思わず「待って!」と呼び止めた。

 

 太郎くんは振り向く。

 

 僕は言うべき言葉を自分の中で必死に探り、どうにか見つけて、それを口にした。

 

「また……会えるよねっ?」

 

 太郎くんはきょとんとしたが、すぐにとても嬉しそうな満面の笑みを返してくれた。

 

「——もちろんです! またいつか、お会いしましょう! その日を楽しみに待っております!」

 

 そう告げてくれた後、太郎くんは駆け出した。

 

 太い三つ編みの目立つ後ろ姿がどんどん遠ざかっていくのを見送りながら……ふと、少し()()()()()()()()()を思い出す。

 

 何か理由があるのかな、と思って、あえて突っ込まなかったこと。

 

「あの眼鏡——度が入ってない。()()()()だ」

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 田中太郎——光一郎に()()()()()()()()少年は、虚空を悠々と舞う三本足の烏『八咫烏(やたがらす)』を追いかけて、神田の街路を走っていた。

 

 『八咫烏』がやがて止まり木としたのは、道路沿いの標識だった。……この道が、最も危険の少ない場所であるということを示しているのだ。

 

 少年は、携帯メールを宛先に送信。

 

 およそ三分後——目の前の道路に、一台の黒塗りの大型高級車(リムジン)が停車した。

 

 後部ドアが開き、中から黒服の男性が一人出てきた。

 

「——お迎えにあがりました」

 

 歳は四十前半ほど。

 180センチに達する長身。整然とした姿勢。坊主頭の一歩手前ほどの短さの髪。静謐(せいひつ)な気骨を秘めた造作の細面(ほそおもて)

 

 少年はその黒服の男に、ねぎらうように(みやび)な笑みを見せた。

 

「ありがとう、春川(はるかわ)さん。私はそろそろ帰りたく思います。出していただけますか」

 

「御意」

 

 黒服の男——春川はそう頷くと、後部ドアを全開にし「こちらへ」と示した。

 

 少年はそこから車内へ入り、広々としたシートに座る。

 

 春川も後から入りつつ後部ドアを閉めると、太郎の隣へと座る。

 

 リムジンは走り出した。

 

 窓の向こう側の景色が、急速に後方へ流れていく。

 

 その中には、狙撃に向いていそうな場所も時々見られるが、たとえ狙撃を受けたとしても、この車を撃ち抜くことは敵わないだろう。

 

 このリムジンは防弾車だ。

 それも並の防弾車とは違う。軍用レベルの装甲強度と多機能性を誇る。

 特殊鋼材を多種織り交ぜた複合装甲と、厚さ10センチを超える防弾ガラスの前では、小銃弾も手榴弾の破片も意味をなさない。ロケットランチャーや爆弾にも耐えられる。

 BC兵器も通さない完全密閉仕様。

 底面の装甲も厚く、さらにはパンクしても変形を抑えたまま数十キロの走行継続が可能なランフラットタイヤを装備しているため、地雷も通用しない。

 血液製材をはじめとした医療用品、応戦用の銃火器や刀、酸素ボンベなど、あらゆる備えが詰まっている。

 ……上記以外にも、多数の機能を持っている。

 アメリカ大統領専用車と同等の性能を誇る、まさしく走る要塞。

 ただし装甲の分厚さゆえにドアが重く、少年の細腕では開け閉めも一苦労。なので春川に代わりにやってもらった。

 

 ……その走る要塞から、少年は外を見つめていた。

 

 流れゆく景色の中の、光一郎と楽しい時間を過ごした駄菓子屋のある方角を見つめ、少し名残惜しい気持ちになった。

 

「……そのようなお顔をなさるほどに、今日は楽しい時間をお過ごしであらせられたようですね」

 

「はい。とても……楽しいひと時でした」

 

 少年は、光一郎と過ごした時間について、滔々(とうとう)と語って聞かせた。

 

 けれど、剣を交えた、という言葉を聞いた途端、春川は少し悩ましげに目頭を揉んだ。

 

「……剣がお好きであるのは結構ですが、どうか御身(おんみ)を弁えてください」

 

「大丈夫ですよ、春川さん。私の『八咫烏』のことはご存知でしょう?」

 

「至剣などという不可解な力に頼ることを、私は手放しに喜べません」

 

「確か春川さんの剣は、至剣流ではありませんでしたね。何をやっていらっしゃるのですか?」

 

鹿島(かしま)新当流(しんとうりゅう)を、いささか」

 

「今度、私に見せてはいただけませんか?」

 

「機会があれば」

 

 曖昧な返事に、少年は静かな微笑を浮かべてひとまず納得を示した。

 

 少年は、ベクターアパレルものの帽子と、丸い伊達眼鏡を外す。

 

 そこには、つい先ほどまで光一郎と戯れていた、無邪気な子供の「田中太郎」の姿は無かった。

 

 可憐でありつつも静謐。

 柔和でありつつも荘厳。

 痩身でありつつも剛健。 

 

 座っているだけで、その場の空気を清らかでかつ神聖なものとしているような、そんな少年だった。

 

 しかし、窓からあの駄菓子屋の方角を見つめる時、少年の表情に「田中太郎」が戻る。

 

(コウ様。私も貴方にお会いできて、光栄でございました。——ですので、またいつか。必ず)

 

 リムジンは千代田通りを抜け、内堀通りへと入った。

 




 途中で修正の必要に駆られて手間取りましたが、どうにか連投終了。
 また書き溜め開始します。

 次は、ようやっと天覧比剣都予選が始まります。
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