帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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黒と黒の喰い合い《下》

 

「ガァァァァァァァ!!」

 

 猛虎じみた気迫と勢いを帯び、翠剣(ツイジェン)村正(むらまさ)の薙いできた刀を()()()受け止め、そのまま押し返していた。

 関節部分を(くさり)帷子(かたびら)で覆い、それ以外を分厚い鋼でコーティングして出来た特製のグローブは、刃を通すことなく、村正の刀身を押し返し、なおかつ掴み取ろうとした。

 

 次の瞬間、村正の姿と剣と質量が消え——たと思ったその時、うなじに太刀風を感じた。

 

 背後へ回り込んでの首狩り『颶風(ぐふう)』を、翠剣は尻が付きそうな深さまで腰を沈下させて回避。頭上スレスレで村正の刃が通過。

 

()ッ!!」

 

 さらに次の一瞬には、右脇に構えていた右拳を、爆発的な勢いで発した。伏龍(ふくりゅう)翻打(ほんだ)という拳技だ。

 

 人を殺して釣りが出るほどの(ジン)が込められた鉄の拳は、しかし村正の刀の刃によって受けられた。

 しかも手応えが柔らかい。

 足の力を抜いて、拳の威力に逆らわず我が身を後方へ流したようだ。

 

 距離が大きく離れる。村正が着地する。——その大きな間隔を翠剣は爆速で埋めた。再び剣と拳が生死を支配する間合いへ。

 

 拳、掌、肘を用い、虎が山岳を駆け上がるような猛烈な連打を数珠繋ぎに発する。いずれも鋼の防具で身を固めている部位だ。

 

 それらの連打を、村正は円弧を描く太刀筋で的確に受け流している。

 至剣流の『綿中針(めんちゅうしん)』。

 しかし村正のソレは、極限まで練り上げられた皆伝者の技巧。

 

(私の、『鴻家拳(こうかけん)』の技を、ここまで巧みに()()()か……!!)

 

 その洗練された剣技に、翠剣は敵ながら感嘆する。

 

 (ジン)とは、動作と呼吸と意念の高度な合一によってのみ生じる、()()()のことだ。

 勁が物体へ伝わる速度は、単純に振るって叩きつける力よりも遥かに()()

 たとえ防御していても、その防御をまるでガンマ線のように突き抜けて肉体へ刺さり、その内部をズタズタに損傷させるだろう。

 数ある中華武術の中でも特に強大な勁を誇る『鴻家拳』と、それを幼少期から長年にわたって練ってきた翠剣ならばなおのこと。

 刀で防いだところで、その防御を容易く貫いて人体内部を確実に破壊し殺傷する。翠剣が打ち殺したという証拠すら残らない。 

 

 そのはずなのに、村正はそんな翠剣の拳法を、完璧にさばいている。

 勁を我が身に届かせることないよう受け流している。

 豪快な振りの中に、計算され尽くした緻密さを宿した太刀筋。

 

 なんという剣。

 

 驚きや賞賛を通り越して、恐怖さえ覚えた。三十代という若さであの老人じみた痩せ方をした果てに得たものが、この人の域を超えた剣だというのか。

 

(——恐怖、だと? ふざけるな。何を恐怖することがある?)

 

 確かに日本刀とその刀法の恐ろしさは、明代の大陸沿岸部で海賊として暴れ回っていた倭寇(わこう)によって証明されている。将軍の戚継光(せきけいこう)の活躍があるまで、明軍(みんぐん)は倭寇にやりたい放題されていたのだ。

 

 しかし、中国人は実利主義だ。役に立たないモノは即座に捨てて、より優れた要素を取り入れる。『鴻家拳』も列強相手の地下工作のために役に立たない技術は全て捨てている。

 

 対して、この村正の使う至剣流は、およそ四百年前から全く姿を変えていない。進化していない。

 それどころか、家元制度の名のもとに、技法の改変を阻んですらいる。

 

 ——そんな古典的刀術に、『鴻家拳』が負けるものか。

 

 鋭く放った右の竪拳(たてけん)を、またも刀で受け流される。

 だが、その瞬間、翠剣は右の鉄グローブの()()()()を入れた。

 手の甲を覆う金属プレートの小指側……つまり竪拳の真下から、前へ先端が向いた虎爪のような刃がシャリッと飛び出す。

 その刃で引っ掻くように、村正の手を狙った。

 

 村正は手を体ごと後方へ逃す。後退と同時に放たれた一太刀を、翠剣は左手のグローブで防ぐ。

 

 再び、距離ができた。

 

 双方構えながら、互いの一挙手一投足を注視する。

 

 『鴻家拳』は軽身功(けいしんこう)も学ぶ。

 羽毛が風に吹かれるような、軽やかで素早い動きが出来るようになる功法だ。

 幼い頃からソレも叩き込まれてきた翠剣は、十メートル弱の距離を(まばた)き一度の時間で走破できる。

 ……その気になれば、いつでも一瞬で距離を詰められる。

 

 剣を構えたまま、村正は一笑した。

 

「そんな玩具(オモチャ)に頼りだしてきたところを見るに、貴様の中華武術はもうネタ切れを起こしたのか?」

 

 ぼこっ。

 翠剣の輪郭が、熊のように()()した。

 長年の鍛錬で異常発達した広背筋と僧帽筋が憤怒で膨張し、首が埋まったせいだ。

 

 次の瞬間——村正の()()()、翠剣の巨体が躍り出た。

 村正が右にしていたビルの外壁を()()()()()、村正の後方まで移動。そこから壁を蹴って迫ったのだ。

 常人を超えた離れ業な上に、その過程が恐ろしく速かったため、村正であっても予想も視認もできなかった。

 

 頭蓋骨を削り取るほどの威力を秘めた蹴りを、ほぼ勘だけで回避する村正。

 同時に斬りかかってくるが、翠剣は肘で硬く防ぐ。服の下に鉄の防具を隠しているのだ。

 

 翠剣は着地するや、再び喰いかかる虎のように距離を詰める。

 

 村正も、また。

 

()ァ!!」

「トォォァ!!」

 

 激甚な勁を込めた必殺の双掌『悪虎(あっこ)撲食(ぼくしょく)』。

 毒蛇を踏み殺す仏典の霊鳥を模した強大な縦一閃『迦楼羅(かるら)(けん)』。

 二つの絶技が衝突し——分かたれた。

 

 双方、大きく後方へ吹っ飛んだ。

 同じようにゴロゴロとコンクリートの地面を転がり、受け身を取り、立ち上がる。

 構える。

 

 ——なんという威力。私の絶招(ぜっしょう)と互角の威力とは。

 

 その枯れ枝のような有り様からは不釣り合いな、村正の先ほどの剛剣に、翠剣は驚きと悔しさの混ざった感情を覚える。

 

 構えた前の拳の向こうには、自然体にゆったり刀を構えた村正の佇まい。

 

 その村正は、警戒を強めているような低まった声で問うた。

 

「一つ聞きたい。……貴様、なぜ俺の名を知っている? 俺を追ってきたのか?」

 

 ……そういえば、出てくる時に、この男の名を言ったか。

 

 翠剣は己の不注意を実感したが、すぐに些事と切り捨てる。

 

 どうせ今殺すのだ。理由を言っても構わないだろう。時間稼ぎや、隙を作るのにも役立つ。

 

「まさかとは思うが、よもや嘉戸(かど)宗家に頼まれたわけではあるまい?」

 

「——()()()()()()()

 

「何っ?」

 

 落ち窪んだような影のある村正の目が、初めて見開かれた。

 

 翠剣は続ける。

 

「嘉戸一族、内務省、陸軍、そして私です。だから私、お前を探してました。そして、見つけました」

 

 あまり細かく日本語に出来なかったが、それでも村正はそこに含蓄された意味を正確に読み取ったようだ。鋭く目を細めて、

 

「……なるほど。嘉戸宗家は、内務省と軍部にもチャンネルがあったわけか。そして、厄介な『至剣』を得た俺の監視をしていたのだな。貴様らという手駒まで使って」

 

「そうです。お前の『呪剣(じゅけん)』、法律じゃ勝てない。だから別の罪、見つける。見つけるの、私の役目です。見つけて、法律で勝てるようにするます」

 

 村正が怪訝な声で言った。

 

「『呪剣』だと? なんだそれは」

 

「お前の持ってる至剣の名前です。内務省の奴、その名前使ってたです」

 

「…………嘉戸宗家め。勝手に名前など付けよって」

 

 吐き捨てられた村正の発言を無視して、翠剣は告げた。

 

「でも——その名前も、もう必要なくなります。だって、これから、お前死にます」

 

「ほう……?」

 

「お前が死ねば、それでぜんぶ解決ます。私がやったという証拠も、私は残しませんです。()()()()()、私は使いますです」

 

 翠剣は気を充実させ、

 

「だから、お前、死んでくださいです——!!」

 

 砲弾のごとく、猛然と村正へ急迫した。

 

 眼前で同じ高さ、同じ位置に構えられた両拳。

 間合いへ入るギリギリまで、どちら側からの攻撃から来るか分からなくして……入った瞬間に左掌を発した。

 

 刃での受け流しが間に合う村正だが、翠剣の掌は今度は刀身を掴もうとした。刀を奪うか破壊すれば、日本の剣客など恐るるに足らず。

 

 だが直前に、村正の剣が妙な()()()を見せたため、翠剣は直感で掴みを中断して左掌を引っ込めようとする。

 だが、微かに遅かった。

 逃げ遅れた左の中指が、村正の剣の「うねり」に巻き込まれ、()()()()()()、体ごと強く引きずり込まれた。 

 

「うっ……!?」

 

 危険を覚えた翠剣は、即座に左の中指を()()()決断を下した。

 関節が捻じれ、骨が折れる感触と痛み。

 だがそのおかげで、不気味な「吸引力」を持った村正の剣に巻き込まれて倒れずに済んだ。寝転がった姿勢は中華武術にとって最大の隙。

 

 距離を一度取る。

 

「……お前、今何したですか」

 

「『(みずち)ノ太刀(のたち)』という、至剣流の剣技だ。螺旋を巻くように刀を引いて相手の太刀を受け流してから反撃するという、ありふれた技だったのだがな。修行をしているうちに、先ほどのように螺旋の受け流しに強力な「吸引力」が宿ってしまったんだよ。……どうやら至剣流には、俺のうかがい知れぬ「秘密」があるようだな。糞宗家ならば何か知っているかもしれんが」

 

 村正は言ってから、剣尖を翠剣の左手に向けた。

 

「……その指では、左手はまともに使えまい。()が一つ開いたな?」

 

 吐かせ——翠剣は聞く耳を持たず、距離を一気に詰めて爆発的な右拳を放つ。

 

 村正はそれを避けて、そのまま翠剣の右側へ入ってくる。

 そう来ることはお見通しだ。

 翠剣はつむじ風のように村正の背後へ回り込み、回し蹴りを放った。

 だが腰を落として避けられた。代わりに蹴りはコンクリートの外壁をバキャン!! と深く削ぎ落とした。

 

 軸足を刀で狙ってくる村正。

 翠剣は軸足をジャンプさせてそれを避けつつ刀のリーチから飛び退き、着地した瞬間に蹴り足を踏み換え、村正の頭部めがけて鉄槌のごとく蹴り出す。当たれば頭部の粉砕は必至。

 

 村正はその蹴りを横切りながら、稲妻のように近寄る。

 それと同等の速さで迫る刀身は横一文字。狙いは首。

 翠剣は首を反らす。

 鼻先の上を刃がスレスレで通過——する前に軌道が変化。切っ尖が真横へ進み、翠剣の左頬を()()()()

 斬撃から真横突きへ即座に移行する直角軌道のその剣技は、至剣流の『麒麟(きりん)』の型である。

 

 かすかだが斬られた。

 一度距離を取り、体勢を立て直——

 

 

 

 ————どくん。

 

 

 

 心臓が、大きく鼓動を響かせた。嫌な鼓動。

 

 いや、違う。心臓は普通に動いている。

 心だ。

 心の中に、()()が入り込んだ感覚。

 それに対する心の拒否反応。

 

 モヤモヤと、黒々と心中で急速に渦巻いていく「()()()()」。

 

 まだ戦いの最中だというのに、翠剣はその心の気持ち悪い異変に耐えかね、片膝を付いてしまった。

 

 それに対し、村正は憐れむように見下ろしながら近づき、「ソレ」を翠剣の手元へ投げた。

 

 短刀。

 

「——()()()使()()

 

 言うや、村正は端っこに置いておいた鞘に刀を納め、路地裏の薄闇の奥へ立ち去っていった。

 

 それを追いかける気力は、すでに翠剣には無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(嘉戸宗家の糞虫共め……まさか陸軍まで使って俺を睨んでいるとは……)

 

 路地裏の闇の中を歩く鴨井村正は、今の自分の身の回りで行われている小細工の数々についての考察に集中していた。

 

 至剣流は国内最大規模を誇る流派で、その門人は国内だけで百万人を下らない。

 日本におけるありとあらゆる場所に「至剣流門人」はいる。

 家元制度によってその百万人を統括している嘉戸宗家は、流派という超巨大なネットワークを利用して、この国におけるありとあらゆる情報を知ることが出来る——

 

 以前は半信半疑なその噂であったが、今となっては真実であるだろうと考えている。

 

 あの中国人は、「嘉戸宗家から内務省、内務省から陸軍、陸軍から自分達へ」と言っていた。

 それはつまり、村正の監視の依頼は、内務省から始まっているということだ。

 おそらく、内務省にいる至剣流門人が宗家の依頼を引き受けたのだ。

 

 宗家の決まり文句など分かっている。

 「鴨井村正を放置すると帝都に危害が及ぶ。国家を守るために協力して欲しい」である。

 

 貴殿の至剣は人を殺すどころか、使い方によってはこの社会を大きく揺るがしかねない——現家元の嘉戸唯明(ただあき)は、自分にそう言い放ったのだから。

 

 さらに、あの中国人はこうも言っていた。

 

『お前の『呪剣』、法律じゃ勝てない。だから別の罪、見つける。見つけるの、私の役目です。見つけて、法律で勝てるようにするます』

 

 これはおそらく、こちらの持つ『至剣』が、法律で裁けないということを言っているのだろう。

 

 『至剣』は科学的根拠を証明しきれない、謎多き奥義だ。

 

 まして、村正の『至剣』は、「呪い」を生み出すというもの。

 呪いというのは科学では証明できない。

 証明できない事象は法律で裁けない。

 (うし)刻参(こくまい)りを裁けぬのと同じように。

 

 そう——「『至剣』を悪用した罪」を裁くことはできない。

 

 だからこそ、その他の罪を見繕い、その罪で合法的に裁こうという魂胆なのだろう。

 

 陸軍があの見るからに一般市民であろう中国人を使う理由がいまいち分からないが、全ての元凶が嘉戸宗家であるということだけは確かだ。それで十分だ。

 

 なんと陰湿で狡猾で迂遠(うえん)なやり口だろうか。

 

 嘉戸宗家への恨みがまたしても募った。

 

(いっそ、嘉戸宗家の誰かに「呪い」をかけて、暴れさせて、それによって宗家の名に傷をつけてやろうか……いや、それは難しいし危険だ。連中はいずれも腕が立つ)

 

 これからどう動こうかを考えていた、その時だった。

 

 

 

「————やっと見つけたぜ。『呪剣』の旦那」

 

 

 

 『呪剣』——嘉戸宗家による村正の『至剣』への呼称。

 

 突如自分を呼びかけたその声に、その単語が含まれていたため、刀の柄に手をかけながら振り向く。

 

 一人の男が、壁に背を預けてこちらを見ていた。

 

 年齢は三十前後か。

 精悍(せいかん)だが男性的過ぎない、角の取れたパーツで構成された顔つき。さっぱりと切られた短い黒髪。

 ポロシャツとジーンズに身を包んだその身は一見すると細いが、露出している腕や首筋は血色がとても良く、絞り込まれた筋肉の含蓄も感じさせる。

 

 上品でもなければ見臭くもない、驚くほど普通に見える男。

 

 この薄暗い路地裏には相応しくない、人懐っこく陽気な熊を思わせる青年。

 

 だが、それでも、その男を見る村正の目は、厳しいままだった。

 

 『呪剣』という単語を使ったから? それもある。

 

 立ち方一つ見れば分かる。

 この男は、普通じゃない。かなり()()()

 そして——濃厚な死の気配がする。

 

「……貴様、何者だ?」

 

 強い警戒心を帯びた村正の誰何に、その男はニッと口角を吊り上げて、言った。

 

「——さっきの中国人、()()()()()()()()()()()()()()

 

 見ていたのか。村正は思った。

 

 あの中国人には「自害」の呪縛を与えた。ゆえに、村正が投げて寄越した短刀で自刃したのだ。

 

「やったのはお前だろう? 『呪剣』」

 

 またもその呼称を使ってきた男に、村正は臨戦体勢をとった。

 

「そう怖い顔するなよ。警察にチクろうってつもりはねぇんだから」

 

 男は苦笑しながら両手を前へ出す。

 

「というか……警察じゃお前をどうこうできねぇだろ。あいつらは科学的根拠しか重要視しねぇし、できねぇ。お前がさっき使った技は、科学で証明できるのか?」

 

「……貴様、内務省か? それとも陸軍か?」

 

「どっちでもねぇよ」

 

 男は鷹揚に答えた。

 

「俺はトーシャという(もん)だ。()()()()()木崎圭介(きざきけいすけ)」という名で通ってる。——話し合いがしたい。この後時間あるか?」

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