帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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一学期最終日、そして夏休み

 七月二十三日。火曜日。

 

 一学期最後の登校日である。

 

 明日からは晴れて一ヶ月以上の長期休暇、夏休みへと移行する。

 

 帰りのホームルームを終えた後の級友達の盛り上がりようといったらなかった。まるで鉢から海原に解き放たれた金魚のような開放感が感じられた。

 

 ただし、誰も彼もがそんなムードであるわけではない。例外もいる。

 今年から大学附属高校や士官学校への受験、就職活動などを行なっている三年生。

 あと、今年の夏に大会を控えている運動部。

 

 僕ら撃剣部は、後者だった。

 

 夏に大きな大会、それも天覧比剣という帝国剣士の誉ともいえる大会への切符を勝ち得た僕ら撃剣部の熱は、夏の暑さにも負けぬものであった。

 

 その夢の舞台に足を乗っけるだけで満足せず、ここまで来たなら優勝を目指す。

 

 だからこそ、たとえ一学期最後の登校日であったとしても、普段通りの気持ちで稽古を行った。

 

 とはいえ、流石に夏本番。

 窓を全開にしていても、やはり室内である体育館の稽古場は暑いの一言に尽きる。

 熱中症で倒れたら目も当てられないので、定期的に休憩を挟み、こまめに水分補給を行いながら稽古していた。

 飲み物を買うお金に余裕が無いなら、稽古場の外の蛇口で水を飲めばいい。水道水を飲むという選択肢を与えてくれる帝国の高度な浄水技術には感謝の言葉も無い。

 

 その休憩時間中。

 

 面と小手を取り、汗を拭いてから、ぬるくなったペットボトルのお茶を煽る。

 

 壁にある針時計を見ると、午後三時半であった。あと一時間ほど稽古時間が残っている。

 

 疲れている僕ら部員一同とは真逆に、ずっと僕らの相手を一人で引き受けている(ほたる)さんは息切れ一つせず、いつもの無表情で足を所作無げにぶらぶらさせていた。

 

 暑いせいか多少額に汗を浮かべてはいるものの、疲れた様子を全く見せていない彼女に、一同は呆然としていた。

 

 女の子で、それもあんな小さい体なのに、どうしてこうも僕らと体力差があるのだろう?

 

 いや、多分、螢さんの体力が桁外れというわけではない。

 普通よりは体力はある方だろうが、それでも女性の身である以上、どうしたって体力面ではハンデがある。

 まして、あんなに小さくて可愛い見た目なのだ。

 

 螢さんがあれほど余裕を残している理由はおそらく、無駄な動きが無いからだろう。

 

 優れた剣士の動きは、人体の構造上無茶の無いものだ。望月先生という極上の剣士の動きを毎週よく観察している僕だからこそ分かる。

 

 足底から勢いが湧出し、それが逸脱する事なく剣へ伝わる。まるで骨格の中を滑るような力の伝達。最小限の力で最大限の威力を発する振り方。

 

 その源泉は足。足が動けば体も、剣も、全てが動く。人は足で地球に立っているからだ。

 

 僕もその動きを観察しては、それを寸分違わず真似しようと日々精進している。まるで自分の体という白いキャンバスに、理想の絵を描こうとするように。

 

 だが、なかなか理想の絵は描けない。

 

 望月先生は「驚嘆に値する上達速度だ」と褒めてくださるが、まだまだ及ばない。

 

 やはり、絵画と剣術は勝手が違う。

 

「あの、望月さん、少しいいですか?」

 

 そこでふと、男子部員の牛久保(うしくぼ)くんがそう螢さんに声をかけた。

 

 「何か」と短く応じた螢さんに、牛久保くんはやや躊躇(ためら)いがちに質問した。

 

「望月さんって……至剣流を皆伝しているんです、よね?」

 

「ん。それが何か」

 

「その……『至剣』を……一度見せていただけたら、嬉しいな、なんて……」

 

 おぉ。その質問はなかなか勇敢だ。

 

 だけど、それに対して螢さんがどう答えるのかは、僕は分かっている。

 

「無理」

 

 ほら、あっさり断った。

 

 そうですか……と、しょんぼりする牛久保くん。断られたからというより、断り方のあっさり具合にややショックを受けたのかも。

 

「至剣というのは、切り札。その全貌をみだりに晒すことは、相手に付け入る隙を与え、攻略の余地を自ら提供することを意味する。それは兵法者にとっての最たる愚行」

 

 いや、『伊都之尾羽張(あの至剣)』は攻略のしようがないのでは…………恐ろしく速いし、木刀でも人が斬れちゃうし。

 

 そんな僕の思った事を代弁するように、牛久保くんは食い下がった。

 

「で、でも……至剣って、凄い技なんですよね? だったら、見られた程度で破られるなんて事は……」

 

「十分にあり得る。極めて強力な技はあっても、完全無欠な技は存在しない。驕り高ぶった者の振るう奥義は、冷静さを保った者の振るう基本技に簡単に敗れる。剣の世界はそういうもの」

 

 帝国でも数少ない至剣流皆伝者である螢さんの言葉は、とてつもない説得力がある。

 

 それに、僕も経験がある。

 

 一見すると攻略不可能かと思われたミーチャの『径剣流(けいけんりゅう)』。

 だけど僕はその大きな欠点を看破し、最終的には『劣化(れっか)蜻蛉剣(せいれいけん)』を使う必要なく攻略することができたのだから。

 

「みんなも、忘れないで欲しい。至剣のような奥義よりも、それ以外の普通の剣技の方がはるかに大切だということを。至剣も、それらの技の延長線上に存在する。だから一つの最強の技術に固執するのではなく、色んな技を知って体に通して、剣士としての自分の糧にして欲しい」

 

 部員一同が「はい!」と頷いた。

 

 ただ一人、僕を除いて。

 

 僕は螢さんの姿をじっと見つめ、ごくりと喉を鳴らす。

 

 ——()()()()。今日の帰り、絶対に言おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部活が終わった途端、最速でシャワーを浴びて着替えを済ませ、防具袋と竹刀袋と鞄を持ってダッシュ。

 

 螢さんには前もって「大事なお話があるので、部室棟の入口前で待っていてください」とお願いしておいた。極力待たせたくはないので可及的速やかに向かう。

 

 そして、プレハブ部室棟の入口前にある、葉を茂らせた小さな楓の木の前に、象牙色(アイボリー)のセーラー服を着た一人の美少女が佇んでいるのを発見。

 

「螢さんっ」

 

 僕は走るペースをさらに早め、彼女に近づいた。

 

 螢さんも僕の姿を認め、大きな漆黒の瞳をぱちぱちさせる。可愛い。

 

 青々と茂る(こずえ)の作り出す日陰の中に、僕も入る。

 

 キョロキョロと、我ながら挙動不審に周囲を見回す。

 

 ……よし、誰もいない。言うチャンスは今だ。

 

 電話という手もある。

 だけど、僕の男としての意地と礼儀が、そんな安易な選択を許さない。

 ()()()()()を言うのなら、直接面と向かって言うべきだ。

 

「それで、大事な話って?」

 

 螢さんは無表情で小首をかしげてそう問うてくる。

 

 その可愛らしい仕草に僕の胸は甘くときめく。

 

 息苦しくなる。

 

 心音がうるさいくらい早鐘を打っている。

 

(……なんで今更ドキドキしてるんだ、僕は)

 

 螢さんを()()()()()なんて、今まで何度もやってきたはずなのに。

 

 でも、もっともかもしれない。

 

 今日、僕が誘おうとしているのは、みんなと一緒に行く遊びではなく、二人きりでの()()()なのだから。

 

 僕は緊張を押し殺し、螢さんをまっすぐ見つめて、言った。

 

 

 

「——今月の二十八日! 神田平川(かんだひらかわ)神社(じんじゃ)の夏祭り、僕と二人で行きませんかっ!?」

 

 

 

 螢さんはそれを聞いて、目を瞬かせた。

 

「……二人で? 他の人と一緒ではなく?」

 

「はい! 僕と螢さんの二人きりでお願いしたいです!」

 

「それは……つまり、デートのお誘いということ?」

 

「そうです! 僕と夏祭りに、デートしてください!」

 

 顔が熱い。暑気以外の理由で。

 

 今まで散々螢さん好き好きアピールしてきたというのに、こんなふうに恥ずかしがっているのが、我ながら馬鹿みたいだ。

 

 でも仕方ない。こうして面と向かって、二人きりのデートに誘うことは、初めてだったから。

 

 どうして今まで、一度も誘わなかったんだと我ながら思う。

 

 ——きっと、僕が螢さんに対して、無意識に一線を引いていたからだろう。

 

 自分の剣は、まだ螢さんには遠く及ばない。

 だから、どれだけデートやアプローチを重ねようとも、彼女の心が僕に動くことは無い。

 普通の青春じみたアプローチをする暇があるなら、ひたすら剣を磨いた方がよほど恋の成就への近道だ——

 そう思い、僕は螢さんに好意を示しつつも、それ以上踏み込むことはしなかった。

 

 それなのに、僕はなぜ今更、螢さんをデートに誘いたいなどと思ったのだろう?

 

 夏祭りという、デート向きのイベントが差し迫ったから? ——それもある。

 

 螢さんの浴衣姿と、結い上げた後ろ髪の下に伸びる白いうなじを見たいから? ——それもある。

 

 夜に二人っきりという魅惑のシチュエーションを味わいたいから? ——それもある。

 

 でも……それだけじゃない。

 

 ——もうすぐ、僕と螢さんが出会って、一年になる。

 

 去年の八月一日。偶然通りがかった螢さんに一目惚れしてしまったことが、全ての始まりだった。

 それから今日まで、長いようであっという間だった。

 楽しいこともあった。悲しいこともあった。危なかったこともあった。

 それでもなお、螢さんへの想いを捨てることなく、剣を握り続け、ここまでやってきたのだ。

 

 僕の剣はまだまだだ。だからまだ螢さんの恋人とかにはなれていない。

 

 だから「二人の記念日」みたいな日を僕が勝手に作るのは気が引ける。

 

 それでも、この一年間を乗り越えた記念に、螢さんと二人きりの時間を過ごしたい。

 

 毎年七月の最終日曜日に行われる、神田平川神社の夏祭りは、渡りに船といえた。

 

 あとは、螢さんが頷いてくれるか否かだ。

 

「……だめ、でしょうか?」

 

 なかなか答えが返ってこないことに不安を覚え、僕はやや弱った声でそう問いかける。

 

 もし断られたら、その時点で諦めよう。それが男が持ち合わせるべき(いさぎよ)さだ。

 

 だけど、

 

「——いいよ」

 

 螢さんは、頷いてくれた。

 

「二十八日の夏祭り、デートする。わたしと、コウ君の、二人きりで」

 

 しかも、いつもの無表情ではなく、ほんの少しだけど、口元が上向きに弧を描いていた。

 

 僕は二重の意味で嬉しかった。

 

 デートのお誘いに乗ってくれたこと。

 

 それと、かすかながら、はっきりと微笑みを見せてくれたこと。

 

 ばっく、ばっく、ばっく、と心音の高鳴りが上昇する。気分が高揚する。

 

「い……」

 

 いょっしゃぁぁああ————っ!!

 

 と叫びたいのを、僕は必死で堪えたのだった。

 

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