帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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夏祭り、そして初デート《上》

 

 千代田区神田の神社といえば、多くの人が神田明神(かんだみょうじん)を思い浮かべるかもしれないが、実際に住んでいる僕が真っ先に思い浮かべる場所は、家の一番近くにある『神田(かんだ)平川神社(ひらかわじんじゃ)』である。

 

 その名前が示す通り、神田平川神社は宮城(きゅうじょう)の平川門と平川橋の近くに存在する。平河天満宮と並んで、宮城に最も近い神社である。

 

 ちなみにこの神田平川神社、最初から平川門付近にあったわけではない。

 以前はもっと別の場所にあったらしいのだが、大正時代に今の場所へ遷座(せんざ)されたのだ。

 遷座の理由は、社家(しゃけ)である平川家が司る平川神社を、同じ漢字を持つ平川門の近くに置いておきたいから……という、なんだか語呂合わせみたいな理由らしい。

 

 神田平川神社付近では、毎年七月末の日曜日、夏祭りが行われる。今年は七月二十八日だ。

 

 そして——その二十八日当日。夕方。

 

 僕はビルに半分隠れた夕日を眺めながら、最寄り駅の前に立っていた。

 いつものような半袖短パンみたいな簡素な装いではなく、浴衣姿だった。

 緑黄色の青海波(せいがいは)模様で、帯は水色。左手には財布の入った巾着。

 

 神田平川神社の方角からは、絶えることなくお囃子(はやし)の音が聞こえてくる。その響きに誘われるように、まばらな人々がその一路へ向かい、集まり、人の川を成していく。

 

 僕も祭りの気配に誘われたくなるが、そうはいかない。

 

 ここで()()()()()をしている約束なのだから。

 

 もうしばらく待って……やがて。

 

「——お待たせ」

 

 待ち人が現れ、横から声をかけてきた。

 

 (ほたる)さんである。

 

「ほた」

 

 挨拶という人間社会の基本すら忘却してしまうほどに、僕は彼女の姿に目を奪われた。

 

 ——夏の精が、そこにはいた。

 

 白い生地に桃色の花水木(はなみずき)の模様が無数に描かれた、高そうな浴衣を整然と纏っていた。

 腰帯は控えめな光沢を持つ赤紅色。

 その裾から出た足が漆塗りの朱い下駄をぴったり履いており、色白な両手が白い巾着袋を持っている。

 

 襟元から上へ伸びた白い首の上に、小さい頭。愛らしくも感情が薄い人形めいた美貌。

 いつもは下ろされている長く綺麗な黒髪は、今は後頭部で花のように丸く整然と束ねられており、そこへ牡丹(ぼたん)のガラス細工で飾られた(かんざし)が横に貫いている。

 

 美しく、触れがたい。そんな考えを抱くことすらおこがましく感じるような、夏の花の精。

 

「いい……」

 

 ため息とともに、そんな言葉が出る。

 

 かつかつと控えめな足音を響かせ、惚けた僕に近寄る螢さん。いいにおいする。いつものミルクっぽい匂いに、なんか甘酸っぱい香りがほのかに付与されている。香油か何かかな。

 

「待った?」

 

 そう短く問うてきた螢さんに、僕はハッと我に返り、慌てて返答した。

 

「い、いいえっ。僕もちょうど今来たところです」

 

 嘘。本当は三十分くらい前に来ていた。

 

 初デートなのだ、万が一に備えて時間に余裕を持って行動しておいた。

 

 ああ、でもいいな、この会話。まるで恋愛漫画のデート編みたいだ。

 

 そしてデートであるなら、まず男は女性の装いを誉めておくべきだろう。

 

「その、お似合いですね。浴衣」

 

「ありがとう。コウ君もその浴衣、似合ってる」

 

 ありがとうございます、と返しつつ、少し物足りなさを感じる僕。まぁ、いつも冷静沈着な螢さんなので、服装を褒められて恥じらう所なんて見せてはくれないだろうけど、反応が淡々とし過ぎていた。言われ慣れているのかも。螢さん、美人だし。モテるし。

 

「それじゃあ、コウ君、行こ? お祭り」

 

「あ、はい」

 

 歩き出した螢さんに慌てて付いて行き、そこで早速減点イチだと気がつく。デートに誘ったのは僕なのだから、僕がエスコート? というのをすべきだと思ったからだ。

 

 なので僕は歩道の道路側を歩く。こうして車からさりげなく守ることで、優しさ男らしさをそこはかとなく見せるのだと漫画に書いてあった。

 

 僕の隣を歩く螢さん。

 

 その両手は、財布が入っているのであろう巾着袋の紐を持っている。

 

 ああっ……どうか片手で持ってはくれないだろうか。そうすればもう片方の手を繋げるのに。

 

 「手を繋ぎたいから片手を空けてください」って言うのも、なんかなぁ……

 

 いや、片手が空いてても、それを繋ぐ度胸が今の僕にはあるかどうか。

 

 普段螢さんに好き好きビーム出しまくっているのに、なんでこういう所で奥手になっているのだろう。意味不明だ。

 

 僕は何度も螢さんをチラチラ見て、そして気づく。

 

(うなじ、綺麗……)

 

 男子の平均より小柄な僕だけど、螢さんはさらに背丈が低く、必然的に僕が少し見下ろすような身長差になる。

 なので否応無く、螢さんの白いうなじと、浴衣の奥にうっすら覗く背中が見えてしまい、思わず生唾を飲んだ。

 

「いて!?」

 

 そんな僕の浅ましいスケベ根性に神様がお叱りを与えたのか、前方不注意で道路標識に額をゴッチンする。

 大した衝撃ではなかったが、予期せぬ衝撃にひるんで思わず尻餅をつく。

 

「大丈夫?」

 

 しゃがんで身を案じてくれる螢さんの優しさを、僕は直視できなかった。

 

 な、なんてカッコ悪い……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神田平川神社付近には、すでにたくさんの出店がずらりと並んでおり、目にしただけで心が躍った。

 

 祭りのムードに乗せられて突っ走りたくなるが、今日はそんな子供っぽい真似は慎み、冷静にいかなければならない。

 

 今日は螢さんとのデートでここへ来たのだ。楽しむなら一緒に、だ。

 

 螢さんと足並みを合わせ、僕はいろんな出店へ足を運んだ。

 

 まず、螢さんの希望に沿って、金魚掬い。

 金魚をお碗に掬うための紙ポイは薄くて破れやすく、オタマの要領で掬おうものならすぐ破れて金魚は逃げてしまう。ポイの和紙膜にかかる水の抵抗をいかに少なくするのかがコツだ。

 だがそこは螢さん。凄腕を通り越して曲芸じみた巧みなポイさばきで次々と金魚を掬い上げていき、あっという間にお碗が金魚だらけになった。露天のおじさんや周囲の客はそろって口をあんぐり開けていた。

 流石にそれらを飼うわけにはいかなかったようで、螢さんはプールの中に金魚達をリリースし、次のお店へ関心を移していた。

 

 次に螢さんが興味を持った店は、型抜き屋さん。

 絵が刻まれたお菓子の薄板から、針を使ってチクチクと絵の部分だけを切り取る遊び。見事型抜きに成功させれば、その絵の難易度に応じた景品がもらえる。

 この薄板は非常にデリケートで、力加減を誤ると全体にヒビが走って失敗してしまう。型抜き難易度の優しい板でも成功率は低い。

 僕も二回挑戦して、二回失敗した。割れた型抜き菓子を悔しまぎれに食べた。敗北の味は甘かった。

 しかしやはり螢さん。一回は失敗したが、その時点ですぐにコツを掴んだようで、次に挑戦した最高難易度の型抜きを見事成功させてしまった。

 景品である新型ゲーム機を手にする権利を得てしまった螢さんだが、それを「いらない」と一蹴し、選んだのはなんと棒状ケミカルライト。安物も安物だ。

 それをパキッと折って光らせてから左手首に巻き、次のお店へ目を向けていた。

 

 たこ焼き屋さん。

 よく焼けたたこ焼きは中が非常に熱く、口に入れて噛んだらしたらその秘めたる熱が一気に襲いかかり、涙目になりながら咀嚼(そしゃく)し、どうにか飲み込んだ。

 これは味わう余裕は無さそうだなぁと思ってから、僕は気づく。

 螢さんも熱くてハフハフしながら食べるんじゃないだろうか、と。

 普段あんまり表情を変えない螢さんのハフハフ顔は是非拝みたいと思って見ていたが、螢さんは驚くほど冷静にたこ焼きを食べていた。

 僕は残念に思いつつ、残ったたこ焼きもハフハフ食べたのであった。

 

 さらに、チョコバナナ屋さん。

 チョコの味を楽しめたのは最初の一瞬だけで、あとはバナナの味だった。まあバナナをチョコでコーティングしただけだから当然だが。

 だけど、同じくチョコバナナを咥えて食べている螢さんのお姿が……その…………なんだか異様にエッチく見えてドキドキした。思わぬ収穫であった。

 いつかまたチョコバナナを一緒に食べようと静かに心に誓ったのであった。

 

 ひととおり出店を楽しんでいき、やがていったん休憩ということで神社の拝殿の横へ訪れた。

 

 夜を陽気に照らす祭りの灯りから少し離れたその場所で、螢さんと二人で空を見上げる。

 

 地上に比べ、空は墨を大量にこぼしたように真っ暗だった。都市部だからまだ夏には星が見えず、あるのは満月のみ。……もっと空気の澄んだ田舎なら、満点の星空が見れたのだろうか。

 

「ここで打ち上げ花火でもあれば、また最高でしたよね」

 

 僕がそう言うと、螢さんは銀の鈴が静かに鳴るようないつもの声で、

 

「仕方がない。ここは宮城(きゅうじょう)に近いから、打ち上げ花火は禁止されている」

 

「そうなんですか?」

 

「ん。花火だけじゃなくて、色んな物の無許可飛行が禁止されている。UAV(ユーエーブイ)など飛ばそうものなら近衛師団(このえしだん)が問答無用で墜落させる。そのためのあらゆる対空装備が、この宮城周辺の至るところに隠されている。お義父(とう)さんから聞いた」

 

「そういうのって、教えちゃっても大丈夫なんでしょうか? 極秘とかじゃなく?」

 

「軍機ではない。一般的に知られていること。それに、教えることで宮城への害意と危険の抑止にも繋がる。それでもなお宮城に対する破壊工作を働こうとする勢力がいるとするなら、対空装備をまずは狙ってくる。そうして敵の狙う場所が前もってある程度予想できていれば対応がしやすいし、異なった思想を持った敵でも自分達と同じ戦いの土俵に引きずり込むことができる」

 

「弱点や欠点をあえて晒すことで敵を誘い込む……まるで剣術みたいですね」

 

「わたしも、初めてそれをお義父さんから聞いた時、同じ事を思った」

 

 僕は微笑む。螢さんも僕と同じ考えに至ったことが、なんだか心が通じ合ったみたいで嬉しかったからだ。 

 

 それから、再び空を見上げる。満月だけが鮮明に輝く、真っ暗な夜空を。

 

「…………行っちゃいましたね、望月先生」

 

 ん、と螢さんが頷く。

 

 望月先生は昨日、朝早くから飛行機で日本を飛び立った。

 確かハワイは、日本よりも十九時間遅れているそうだ。時差というやつである。

 あちらの先生は、今の僕らとは違う空を見上げているのだろうか。

 

「——もうすぐ、わたしとコウ君が出会って、一年になる」

 

 そんな螢さんの発言に、僕は胸が高鳴った。

 

「……覚えていて、くれたんですね」

 

 気持ちが甘酸っぱくなる。僕だけが勝手にそのことを特別視していると思っていたから、螢さんまでそれを承知していたことが、とても嬉しかった。彼氏が交際記念日を覚えていた事を喜ぶ女の子の気持ちが分かった気がした。交際してないけど。

 

 二〇〇一年八月二日——忘れもしない。螢さんに初めて出会い、そして一目惚れした日だ。

 

 初恋だった。

 

 まるで入院先の看護師に恋をした若き日の宮沢賢治(みやざわけんじ)のように、不意打ちのような、燃えるような、初恋だった。

 

 それ以前の自分に、自分が一人の女性にこんなにも入れ込んでいる事を説明したら、果たして信じるだろうか。

 

「去年の八月二日……わたしは、この神社で奉納演武を行った。()()()()()()()()()()、わたしはあなたと出会った。そして、あなたに告白された」

 

 なるほど、だからあの日、稽古着と木刀を身につけていたのか。僕は一年越しに納得した。

 

「それを考えると……今日、この神社でコウ君とデートしている事に、とても運命的なモノを感じる。この神社が無かったら……わたしとあなたは出会っていなかったかもしれないから」

 

 運命。

 

 その甘やかで神秘的な言葉に、僕はさらにときめいた。

 

「螢さん」

 

 呼びかけに応じてこちらを向いた螢さん。

 

 祭りの陽気な灯りにほんのり照らされる彼女は、とても綺麗で、異様に儚げに見えた。

 

 まるで花火のように、すぐ消えてしまいそうな。

 

 言うべきことを、言いたいことを、慌てて言わされてしまいそうな。

 

「——僕は今でも、あなたの事が好きです、螢さん。世界中の誰よりも」

 

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