帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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天覧比剣——三回戦第一試合 次鋒戦《中》

 勝ち星を一つ稼いだ一満(かずみつ)は、しかしそれに微塵も高揚を起こさず、開始位置へ戻った。「星眼の構え」で待つ。

 

 光一郎(こういちろう)も、一本を取られたにもかかわらず、少しも気負う素振りを見せることなく開始位置へ移動し、「正眼の構え」。

 

 ——胸騒ぎを覚えた。

 

 何故だろうか。一勝して、今のところ僅かながら余裕があるのは自分であるはずなのに。

 

 なのに、なぜこれほどまでに、嫌な予感がするのだろう。

 

 一満は気持ちを落ち着ける。……一本取ったからって気が抜けないのは、当たり前のことだろう。二本取るまで、集中を途切れさせるな。

 

「二本目——始めっ!!」

 

 そう宣言されても、光一郎は動かなかった。

 

 一本目の最初のように、一満が隙を作らなかったから、というのもあるだろう。

 

 だが、おそらく、それだけではない。

 

(()られてる——)

 

 面金の奥にある、光一郎の瞳。

 

 心なしか、そこに映る自分の姿が、先ほどよりも鮮明になっていた。

 

 稽古着の細かい(しわ)だけでなく、眼鏡を隔てた一満の瞳の中に映る、光一郎の「正眼の構え」すらも。

 

 ……先ほど以上の怖気を感じた。

 

 生物の眼球は、目前の光を瞳孔(どうこう)から受け入れ、さらに虹彩(こうさい)水晶体(すいしょうたい)硝子体(しょうしたい)で調節・屈折させ、それを受け取った網膜から電気信号として視神経を介して脳へ伝達する。そういうプロセスで人は世界を視認する。

 

 すなわち、眼は光を吸う。

 

 だが光一郎の眼は、一満の姿を形作る光だけでなく、一満の存在そのものすら吸い取ろうとしているように感じた。

 

 そんな非科学的なことを考えてしまうほどの、胸騒ぎ。

 

 ——早く勝たないと、とんでもない事が起こる。

 

 根拠が無い、しかしそんな予感があった。

 

 その予感は焦りへと転化し、一満を前へ進めた。

 

 中段となった双方の竹刀が触れ合った瞬間、一満は光一郎の竹刀を横へ押し退けて斬りかかろうと考えた。

 

 だがそれよりも早く、光一郎の竹刀が(まる)く動き、一満の竹刀を左へ退けた。同時に剣尖が手前へ向く。

 

 一満はそんな光一郎の『綿中針(めんちゅうしん)』が、「防」から「攻」へ変じるわずかな瞬間を見計らい、身と剣を鋭く引っ込める。光一郎の刺突を摩擦で右へ逸らしつつ、前へ伸び出た光一郎の小手を打とうと切っ尖を近づける。

 

 対し、光一郎の剣は引っ込みながら上向きの弧を描く。それによって一満の密かな攻めは柔らかく受け流され、同時に「稲魂の構え」から発せられた『電光(でんこう)』の太刀で反撃に出た。

 

「っ……!」

 

 一満はどうにか防ぐ。しかしその打撃力の重さに数歩後方へたたらを踏む。

 

 だがそんな一満に、光一郎は追い討ちをかけることはしなかった。

 

 ただ、じっと、こちらを観ていた。

 

 光一郎の瞳の中の、一満。

 その瞳の中の一満の、さらに瞳の中に映る、光一郎。

 それが徐々に鮮明化していき、やがて一満の瞳に光一郎の姿が()()()宿()()()時。

 

 ——つ か ん だ

 

 光一郎の口が、確かにそう動いた。

 

 途端、光一郎はおもむろに、しかし迷いなくこちらへ歩んできた。

 

 中段に構えられた竹刀が一満の間合いに入っても、なおも歩調を乱さない。

 

 一満が退いても、なお、同じように入ってくる。

 

(何のつもりだ……!?)

 

 打たれるのが怖くないのか。

 

 それとも、何か考えついたのか。

 

 ……いずれにせよ、仕掛けてみなければ、分かるまい。どのみち、攻めなければ勝てないのだから。

 

 一満は退がるのをやめ、小手調べに光一郎の竹刀を弾こうと試みた。

 

 だが、光一郎は軽く剣尖を下げ、それを避けた。

 

 同時に、彼の剣尖は、一満の小手の真下を取っていた。

 

「っ」

 

 一満は小手を上へ掲げながら距離を取る。

 

 だが、光一郎はそんな一満を追いかけて距離感を保ちながら、剣尖を鋭く突き上げた。

 

 垂直に小手へ迫るその突き上げを、一満は後退と同時に竹刀を大きく後頭部まで振りかぶることで逃れてから、即座に前へ振り下ろした。

 背後の段階でトップスピードに振り、頭頂部から引力の勢いを加えて縦一閃に発せられたその一太刀は、光一郎の竹刀と触れ合い、擦れ合い、力の芯を溶かし、()()()()()()。北辰一刀流『一ツ勝(ひとつがち)』。

 

 振り下ろしからスムーズに刺突へ変化する一満の剣。

 

 視認してからではすでに遅い。そんな太刀筋だった。

 

 だが、光一郎は軽く時計回りに身を捻り、右へズレてその突きを回避。

 

 驚くが、止まらない。刺突は当たらなかったが、竹刀は光一郎のすぐ目の前を横切る位置にある。その位置関係を利用した、面への横薙ぎ。

 

 避けられる状況じゃない——にもかかわらず、光一郎はまたも回避した。大きく仰ぐように体を反らし、顔面と平行に横薙ぎを通過させる形で。

 同時に、光一郎は己の竹刀を左脇に引っ込めるようにして振り、それによって一満の竹刀の半ばを弾いて()()()()()()()、無理やり左から右へ振り抜かせた。横薙ぎをやり過ごした光一郎は、退がりながら体勢を取り直す。

 

(今のを躱すのか——)

 

 避けただけじゃない。竹刀を右へ弾くことで、太刀筋をすぐに変化出来ないように()()()()()()。こちらの攻撃の手を無理やり止め、自分が体勢を整えつつ逃げられる時間を稼ぐために。

 

 遠間になる二人。

 

 こちらを()()光一郎の眼は変わらない。

 服の繊維の細かいほつれ単位まで、鮮明にこちらの姿を映している。

 その瞳の中の一満の瞳に、さらに光一郎の姿が宿っている。

 

 ——その瞳の中の光一郎が、向かい合う本体に、一満の次の動きを(ささや)きかけているかのよう。

 

「……っ」

 

 薄ら寒さを覚えると同時に、一満は光一郎の身に起きた「何か」の正体を確信する。

 

 ——光一郎は、こちらの動きを、正確に「先読み」している。

 

 熟練の剣客は、剣の腕の巧みさだけでなく、優れた「先読み」の技術も持つ。

 

 一を聞いて十を知るように、相手のほんの微かな動きや仕草から、これから起こそうとしている行動を瞬時に読み、相対的に相手よりも速く動くことができるという。

 

 光一郎も、そんな熟練の技術の持ち主だったということだ。

 

 ——だが、もしもそんな能力があるのなら、最初から使っているはず。

 

 なぜ使わなかった? 思い当たる理由を答えよ。

 

 ——すぐには使えなかったから。何らかの「準備」が必要だったから。

 

 その「準備」とは? 思い当たる要素を答えよ。

 

 ——こちらを、じっくりと「観る」こと。

 

 「観る」とは、何の為に? 「眼」という感覚器官の機能と役割を前提に答えよ。

 

 ——「酒井一満」という人間の「動き方」を、緻密に観察し、そこに含まれた「法則」を()()()()為に。それを「先読み」の材料とする為に。

 

 

 

 つ か ん だ

 

 

 

 あの言葉の意味を、一満はようやく確信した。

 

(まさかこの人は、「量子もつれ」と似た理屈で、僕の次の動きを読んでいるのか——!!)

 

 片方の電子のスピンの向きが分かれば、もう片方の電子のソレが逆向きであるということが解る、量子もつれの関係のように。

 

 体のほんの一箇所が動くことで、そこから体全体が行う「次の動き」を観測できるということ。

 

 まともじゃない——率直にそう思った。

 

 先読みの技術ではなく、そこへ至るアプローチの方法に対して。

 

 いかような生き方をしたら、そんな離れ業が可能になるのか。人間の可能性の深奥を感じさせる芸当である。学術的興味から今すぐにでも話を伺いたいと思った。

 

 しかし、今は剣の勝負の最中である。

 

 考えるべきは、この恐るべき剣士を斬る方法だ。

 

 その剣士、秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)は「正眼の構え」のまま、ゆっくり歩み寄ってくる。さっきと同じだ。

 

 どうすればいいのか分からないが、何もしないわけにはいかない。一満はゆっくり向かってくる光一郎へあえて自分から突っ込み、竹刀を横へ弾こうとする。

 

 やはり竹刀を引っ込めて避けられる。同時に右耳隣で剣を垂直にした「陰の構え」へ移行し、次の瞬間には前の左足へ右足を勢いよく揃え、切っ尖を鞭のごとく発してきた。至剣流『石火(せっか)』。

 

 一満は退がりながらそれを防ぐ。後退した分、竹刀越しに受けた衝撃は軽く、勢いで足下を崩される心配は無い。

 

 光一郎は中段のまま再び寄ってくる。

 

 このまま近づき続けるのは危険と判断した一満は、一度距離を取るべく全力で右へ逃げた。

 

 だが——逃げた先に、時計回りの太刀筋を刻んだ光一郎の竹刀が()()()していた。

 

 互いが互いへ向かった結果、光一郎の竹刀は一満の反応よりも速く小手へ到達。

 

「——小手あり!! 一本!!」

 

 審判の言葉が、手へ受けた衝撃をじんわりと実感させた。……打たれた、と。

 

 これで互いに一本ずつ取り合った。

 

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