【漫画化】帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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灯火

 村正(むらまさ)の剣で斬られた。

 

 これは、『呪剣(じゅけん)』で斬られたことを意味する。

 

 『呪剣』で斬られたということは、その呪いを受けたということを意味する。

 

 ——どくん

 

 僕の心の中に、突如として、その「黒いモノ」は生まれた。

 

 視覚的な姿があるわけではない。「黒い」とは、あくまで感覚だ。

 

 太陽が沈んで押し寄せる暗闇のように。

 

 あらゆる色を塗りつぶす墨のように。

 

 僕の心に広がっていき、全てを覆い尽くそうとしていく「黒いモノ」。

 

 先ほど、村正は「己の剣で死ね」と僕に告げた。

 

 その言葉の意味するところは、すなわち。

 

 

 

 ——何、間抜けに頑張っちゃってるんだよ。らしくない。

 

 

 

 そんな声が、「黒いモノ」の奥底から聞こえてきた。

 

 紛れもなく、僕の声だった。

 

 ——これで村正をやっつけて、螢(ほたる)さんが元に戻ったところでどうなる? 

 

 僕のモノではない、しかし僕の声。

 

 ——また元(・)通(・)り(・)になるだけだ。

 

 ——圧倒的な螢さんを追いかけるだけの、惨めで、無力感に苛まれる日々に、戻るだけだ。

 

 僕自身、これまで聞いたことのないような、ひどく意地悪な響きを持った僕の声。

 

 ——だいいち、螢さんを助けたところで、螢さんが何(・)を(・)し(・)て(・)く(・)れ(・)る(・)ん(・)だ(・)?

 

 ——命を賭けて助けてあげた僕の想いに心を打たれて、僕に惚れてくれるのか?

 

 ——結婚してくれるのか? 身も心も僕に捧げてくれるのか?

 

 聞いていて嫌な気分になるその声に、僕は思わず耳を塞ぐ。

 

 ——そんなわけがないだろう? 夢を見るなよ。

 

 だけど、聞こえてくる。

 

 だってこれは、音ではなく、心の中からの訴えなのだから。

 

(ミーチャは、コ(・)レ(・)を味わっていたのか……)

 

 僕は今になって初めて、彼の苦しみを理解できた。

 耳を塞いでも、聞こえてくる。

 嫌な事を、次々とささやきかけてくる。

 

 ——螢さんは何一つ僕には与えない。

 ——身も心もどころか、キスの一つだってしてくれやしない。

 ——いつもみたいに無表情の「ありがとう」で済ませるだけだ。

 ——そんなもののために命を賭けるとか、馬鹿じゃないの?

 

 うるさい。

 僕は、螢さんに生きていて欲しいから、戦うんだ。

 それが叶うことが、僕にとって何よりの見返りなんだ。

 

 ——本(・)当(・)に(・)?

 

 まるで見透かしたような口調で、「黒いモノ」は言う。やはり僕と同じ声で。

 

「どういう……意味だよ」

 

 思わず、口から心の呟きが漏れ出てしまう。

 

 ——螢さんが生き続けることは、僕にとって、デメリットしか無いんじゃないのか?

 

 そんなわけない。

 

 好きな人に生きていてもらいたいと思うのは、当たり前のことだ。

 

 ——好きな人だ(・)か(・)ら(・)こ(・)そ(・)、だろ。

 

 え……?

 

 ——螢さんと一緒になるには、螢さんに剣で勝つしかない。

 ——だけど僕の剣は、まだまだ螢さんには及ばない。

 ——『蜻蛉剣(せいれいけん)』っていう至剣が僕の中にはあるけど、それを完全にモノにできるのは一体いつだ?

 ——それまでの間、螢さんは待っていてくれるのか?

 

 待っていて……くれるはずだ。

 

 ——どうしてそう思う?

 

 だって……螢さんは、最強から。

 

 誰にも、負けないくらい、強いから。

 

 ——じ(・)ゃ(・)あ(・)何(・)で(・)今(・)、病(・)院(・)の(・)ベ(・)ッ(・)ド(・)で(・)寝(・)て(・)る(・)ん(・)だ(・)よ(・)?

 

 あざけるようなその言葉を聞いた瞬間、僕は急所を突かれた気分になった。

 

 ——村正も大怪我をしたみたいだけど、螢さんだってあいつの至剣に倒れたんだ。

 ——これはつまり、螢さんはあいつに負けたんだよ。

 ——これで最強? 笑わせないでよ。

 ——村正が螢さんに惚れてたら、螢さんは今頃あいつの腕の中だぞ。

 

「うるさいっ!!」

 

 聞くに堪えない言葉に、僕は悲鳴のように叫ぶ。

 

 ——ね? 

 ——待っててくれる保証なんか、どこにも無いだろ?

 ——僕がちんたらちんたら稽古しているうちに、螢さんを倒す剣士が現れるかもしれない。

 ——その人が、螢さんに言い寄って、受け入れられたらどうする?

 ——もしそうなったら、僕は堪えられるのか?

 

「それ……は……」

 

 ——堪えられないだろう?

 ——考えただけで、死にたくなるだろう?

 ——それは、今まで剣に費やしてきた時間が、全て無駄に終わることを意味するんだから。

 ——おまけに、螢さんとは兄弟弟子という、中途半端に親しい仲になってしまった。

 ——螢さんの「お相手」との進(・)展(・)も、僕の耳に嫌でも届くはずだ。

 ——キスしました、デートしました、祝言を挙げました、赤ちゃんが産まれました、もう一人妊娠しました……そんな進展を聞かされ続けるんだ。

 

「やめろぉっ!! これ以上聞かせるなっ!!」

 

 もう嫌だ! ききたくない! 早く僕の中からいなくなってくれ!

 

 ——だけど僕は、僕(お前)を救う方法を知っている。

 

 だけど、「黒いモノ」はいなくなるどころか、どんどん、どんどん、大きくなっていく。

 

 ——簡単なことだ。今、手元にある刀を使えば、今すぐにでも出来る。

 

 僕の心を、飲み込もうとする。

 

 

 

 

 

 ————今(・)こ(・)こ(・)で(・)、自(・)刃(・)し(・)ろ(・)。

 

 

 

 

 

 僕の刀が、動く。

 

 ——僕がここで死ねば、螢さんが助かる術は無くなる。

 ——螢さんは死ぬ。

 ——だけど、誰(・)の(・)モ(・)ノ(・)に(・)も(・)な(・)ら(・)ず(・)に(・)済(・)む(・)。

 ——誰かにかっさらわれるのを見て、惨めな思いをしなくて良くなる。

 ——むしろ、あの世で一緒になれる。独り占めできる。だってあの世には、螢さんの恐れる「喪失」は無いのだから。

 ——どうだ? 一石二鳥な方法だとは思わないか?

 ——さぁ、自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 

 僕の心が、真っ暗になった。

 

 完全に僕の心を埋め尽くした「黒いモノ」の命じるがまま、ゆっくりと、刃を首へ近づけていく。

 

 刃が、首の皮に食い込んだ。その食い込んだ場所から、何かが一滴流れるのを感じる。血だ。

 

 あとは、刀を持ったこの両手を、前へ思いっきり引けばいい。

 

 そうすれば、僕の首など簡単に斬り裂ける。

 

 僕は死んで救われる。

 

 螢さんも誰にも奪われずに済む。

 

 僕が、両手を一気に前へ引こうとした、その時。

 

 

 

 

 

 

 ——「金の蜻蛉(トンボ)」が、僕の目の前に現れた。

 

 

 

 

 

 まるで、暗闇に光る、唯一の灯火のように。

 

 「金の蜻蛉」は、僕の目前を、一定の高さと位置で滞空していた。

 

(一瞬だけじゃない……ずっと、そ(・)の(・)場(・)に(・)と(・)ど(・)ま(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)……)

 

 つまり、一瞬だけ姿を見せる『劣化・蜻蛉剣』ではないということ。

 

 「金の蜻蛉」が翔ぶその位置は、僕の剣が届く位置だった。

 

 ——まるで「お前が剣を向ける場所はそこではない」と、僕に告げているように。

 

(…………無理だよ。『蜻蛉剣(君)』がこうやって現れてるのだって、きっと前から時々見てきた一時の奇跡に過ぎないんだ。これが終わったら、また使えなくなる。君を本当に使いこなせるようになるまで、あと何年かかるか分からない。それまでに……螢さんが、僕を待っていてくれる保証は無い。ここで剣を取ることに、いったい何の意味があるっていうんだ)

 

 「金の蜻蛉」は、何も言わない。

 

 ただ、そこで、羽を震わせて浮遊し続けているだけ。

 

 しかし、そ(・)れ(・)ゆ(・)え(・)に(・)、雄弁に語っていた。

 

 考えるな、と。

 

 剣を取れ、と。

 

 剣尖を自分に合わせろ、と。

 

 後のことはそれからでいい、と。

 

 ……僕が生み出した至剣らしい、単純明快な、無言の答えだった。

 

 僕の刃が、震えながら、首筋から離れ始める。

 

 ——何をちんたらしている! 早く自刃しろ!

 

 だが、それを「黒いモノ」が止める。

 

 ——夢見るなって言ったはずだぞ! 

 ——どうせ勝ったって、螢さんは何もしてくれない!

 ——結婚も交際もしてくれない! キスだってしてくれない!

 ——安っぽい「ありがとう」の一言で済ませるだけだ!

 ——それが奴隷といったい何が違う!?

 ——僕は奴隷になりたいんじゃない! 恋人になりたいんだ! そ(・)の(・)先(・)にだって行きたい!

 

 ……確かに、その通りだね。

 

 ——だろう!?

 ——だったら今! 早く死んでしまえ!

 ——螢さんを道連れにしろ!

 ——誰にも渡すな! 独占しろ!

 

 ……だけど、お前は、間違ってるよ。

 

 ——何がだよ!? 僕は僕(お前)だ! 

 ——僕(お前)が思っていることと、僕が思っていることは、一致しているはずだ!

 

 嘘だよ。

 

 だって、お前が言っているのは、恋情でも愛情でもない…………所有欲だからだ。

 

 ——同じだろ!?

 ——螢さんに勝って、螢さんを手にいれる!

 ——僕(お前)はそのために剣を取ったんだろ!?

 ——恋愛ってそういうものだろ!? 紙一重なんだよ、所有欲と!

 

 紙一重、か。確かにそうかもしれない。

 でも、紙(・)一(・)重(・)の(・)差(・)は(・)あ(・)る(・)。

 決して同じじゃない。

 

 僕は、螢さんを遠巻きから見て、一方的に憧れていたわけじゃない。

 自分からあの人に近づいて、話しかけて、弟弟子になって、その後もよく一緒に過ごした。

 その過程で、螢さんの「違う顔」を知った。

 綺麗で強い、というだけじゃない。

 彼女の強さの源でもあり、そして弱さでもある、心の傷を。

 ときどき、その傷が原因で激情的になったり、怖くなったりするところ。

 螢さんという、一人の人間を知った。

 それをひっくるめて、僕は、望月螢を愛している。

 あの人の傷を、埋められるだけの人になりたい。

 

 

 

 だから、お(・)前(・)は(・)僕(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)。

 

 僕の命どころか、螢さん自身の命まで「喪失」させようとしているお前なんかが——僕であるはずがない!!

 

 

 

 僕の剣が、再び動き始めた。

 

 ——やかましい!! とっとと死ね!! 

 ——自刃しろ!! 首を斬れ!!

 ——無駄な希望なんて持つな!!

 

 「黒いモノ」は依然、僕の声で絶望を煽り続ける。

 

 ——他人に期待なんかするな!!

 ——自分以外の他人は、みんなままならないんだ!!

 ——それに期待するだけ無駄だってことをいい加減理解しろ!!

 

 だけど、今度は何を言われても、止まらなかった。

 

 ——僕(お前)だって、見たくないだろ!? 

 ——自分以外の男にしなだれかかる螢さんなんか!!

 ——自分以外の男の子供を宿してお腹を大きくした螢さんなんか!!

 

 剣尖が、「金の蜻蛉」の滞空している位置を目指す。

 

 ——ここで死ねば、そんな嫌なモノを見なくて済むんだ!!

 ——死は僕(お前)にとっての救済なんだよ!!

 ——だから早く死んでしまえ!!

 ——自刃だ!!

 ——自刃しろ!!

 

 ゆっくりと、しかし確実に。

 

 ——自刃しろ!!

 ——自刃しろ!!

 ——自刃しろ!!

 ——自刃しろ!!

 

 松明に、火を灯そうとするように。

 

 

 

 

 

 灯(・)っ(・)た(・)。

 

 

 

 

 

 僕の剣尖を、止まり木にした。

 

 心の中に渦巻く闇よりも強く輝く、「金の蜻蛉」が。

 

 この剣を「必勝」に導く、勝ち虫が。

 

 

 

 

 

 

 そして————秋津(トンボ)は勝利へ向けて飛翔した。

 

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