帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
『散々俺達を煽って、暴れさせておいて、いざ飽きたらあっさり俺達を捨てて、その居場所まで破壊しやがった』
『これが無責任でなくて何だ? 恨まずにいられると思うのか?』
そう思われるのも、無理はない。
完全に、自分の都合しか考えていなかった。
お前らとつるむのも今日で最後だ。俺が旗揚げした『雑草連合』なんだから、解散させるかさせないかも俺の自由だ。異論は許さない——伊織はそのような感じで、半ば強引に『雑草連合』を破壊した。
二天一流を学ぶことにばかり目がいっていて、それ以外何も見えていなかったのだ。
残された……捨てられた連中が、その後にいったい何をしでかすのかなんて、あの時は想像すらしていなかった。
——『雑草連合』は、雪玉が転がるようにして膨れ上がった集団だった。
帝都東京にある剣術道場のうち、至剣流は八割か九割を占めるという。
しかし人口密度の高い都市だ。二割か一割といっても、至剣流以外の剣術もそれなりの数が伝わっている。
だがそのほとんどが、伝承拠点を他の県に持っている流派か、あるいは滅びかけで虫の息な流派である。
そんな虫の息同然な零細流派の剣を身につけた若者が、至剣流剣士との喧嘩で連戦連勝していた伊織の元へ次々と集まっていき、やがて一つの集団となった。
それが『雑草連合』である。
至剣流という綺麗な花壇で咲いた花々に比べて、アスファルトの隙間から小さく顔を出した雑草のようなその他の剣技。しかし雑草には雑草なりの意地と強さがある。大切に飼い慣らされた至剣流という花々にそれを思い知らせてやろう——そうして剣を取り、至剣流剣士との喧嘩に明け暮れるようになった。
連合の誰もが、自分を慕い、頼りにしてくれていた。
——辰之進は、その中でもとりわけ自分のことを慕ってくれていた。
やや話が変わるが、この帝都では十二年前、ある猟奇殺人事件が起こった。
人間の動脈を一太刀で深々と斬り、殺害するという手口だった。
同じ手口で、老若男女を問わず、およそ三十人以上が斬り殺された。
犯人の名は
のちに「人斬り錦蔵」という異名で呼ばれるようになった男だ。
犯行動機は「人間の体に咲く
「人斬り錦蔵」は逮捕、起訴ののちに死刑を言い渡され、現在は
——その「人斬り錦蔵」の使う剣術は、
帝都を震撼させた殺人鬼の剣。
それは、まだ生まれたての零細流派に過ぎなかった道枢一刀流の看板に、消えない
さらに被害者遺族の中には、至剣流の中伝目録を持つ有名な剣士もいた。その人物は、溺愛していた孫娘を斬り殺された事によるやり場のない怒りのまま、錦蔵だけでなく、その学んでいた道枢一刀流をも「邪剣」と吐き捨てた。……その「邪剣」という認識もまた、流派という巨大なネットワークを通じて
結果——人斬り事件以降、
おじいちゃんっ子な孫であった辰之進だけはその剣を好んで学んだが……全てを学び終える前に、一玄斎は
鈴代一玄斎の遺した遺産は、たった一代で途絶えてしまったのだ。
残されたのは、少ない型と、「邪剣」という汚名のみ。
——だからこそ、そんな風評でしか祖父の遺産を見ない剣術界に思い知らせてやろうと、剣を取った。
——だからこそ、そんな道枢一刀流の哲理と、それを創始した一玄斎という剣豪の凄さを手放しに賞賛した伊織を、強く慕った。
——だからこそ、自分の都合で『雑草連合』を捨てた伊織を、一転して強く恨んだ。
他の連中だって、同じような気持ちなはずだ。
そんな状況を作り出してしまった自分に、今の『雑草連合』を批判する資格があるのか?
そもそも、自分が『雑草連合』なんて作らなければ、こんなことにはならなかったのだ。
いや……自分が、この帝都で、喧嘩なんか始めなければ。
これまで積み重ねてきた業が、今、全て自分に返ってきている。まさに因果応報。
どうすればいいのか分からず、伊織はぼんやりと日曜日を過ごした。学生寮の自室からほとんど出なかった。
そうして、月曜日になった。十二月十日だ。
億劫だったが、学生という身の上である以上、学校には行かなければならない。伊織は機械的にブレザー制服に着替え、重い両足を引っ張られるような気持ちで電車に乗った。
駅を降りたあたりからようやく足取りが多少軽くなった。人はどういう気分であれ、動き出せば否応なくやる気を出す。行動が気分を作り出す。
校門をくぐり、昇降口で上履きに履き替え、校内の床へ踏み出したところで……ちょうど同じタイミングで別の下駄箱から出てきたその女子の存在に気づく。
「……委員長」
「……香坂君」
「な、何よ?」
「別に。あんたのお陰で、少しだけ元気が出たわ。ありがとさん」
「……意味わからないわね」
怪訝な顔をする喜恵だが、すぐに何か言い
「その……香坂君。
「一昨日って……土曜日か?」
「あ、うん…………あのね、あのときは、その……助けてくれて、ありが——」
「——
伊織は機先を制する形で、深々と頭を垂れて謝罪した。
今の伊織の視線の中にある喜恵の両足は、戸惑っているような動きを見せていた。
「ど、どうして、香坂君が謝るのよ……?」
「あいつらは、俺の昔の仲間なんだ。そいつらが、あんたに迷惑をかけた」
厳密には違う。一昨日に喜恵に絡んだあの連中は、伊織が去った後に新しく『雑草連合』入りした連中だ。伊織とは面識も無い。
だが、そいつらが集まる『雑草連合』を作ったのは、他ならぬ伊織だ。
だからこそ、自分は感謝などされるべきではない。伊織はそう思った。
「だから……すまなかった。委員長。どうか勘弁してくれ」
周囲がすこしざわつき出す。クラスどころか学校で浮いた存在である伊織が、典型的優等生である喜恵に頭を深く下げている光景が、異様に思えたからだろう。
「……あなた、本当に変わったわよね。香坂君」
喜恵は、クスリと一笑してからそう言った。柔らかく、優しい口調。
顔を上げると、そこには子供の悪戯を許すような微笑を浮かべた喜恵の顔。
今まで見たことの無い彼女のそんな表情に、胸に妙なこそばゆさが一瞬走った。
「許してあげるから、そろそろ教室に行かない?」
そのように言われ、伊織は頭を上げて教室へ歩き始めた。
その隣を、喜恵が並んで歩く。
「……一緒に行く、って意味だったんか?」
「嫌ならいいけど……」
「嫌じゃねぇよ。一緒に行こうぜ、いいんちょ」
ん……と、頷くように唸る喜恵。
そのまま並行しながら、まず階段へ向かう。二年生の教室は四階だ。少し距離がある。
「ねぇ、あなたって……いつも、
「あんな事」とは、喧嘩のことだろう。
「つい最近までな。色々あって、もう引退したけどな」
——もっとも、そのつもりだったのは、自分だけだったようだが。
喜恵は不満げに唇を尖らせ、
「……不公平だわ。喧嘩しながら、あの成績だなんて」
「委員長だって成績クソ良いじゃねぇか。学年二位の何が不満か」
「私はもっと上を目指したいのよ」
「別に学年二位でも、帝都大には問題無く進学できるぜ?」
「進学できる、だけじゃ駄目なのよ。きちんと結果を出して優秀でいなきゃ、周りは手を貸してくれないから」
その口ぶりから、伊織は何を言いたいのか察した。
「……金が無ぇのか」
そう。と喜恵は肯定した。
「私のお家、貧乏なの。お父さん、いわゆる『北方帰り』の
「だから、親父さん方に、楽させてやろうと?」
「うん。片手を失くしてまでこの国を守ってくれたお父さんのために、今度は私が頑張るの。奨学金をもらいながら大学に通って、官庁に入って出世して、高給取りになるの。そうしてお父さん達を楽させてあげて、弟達にも道を開いてあげるの」
……それを聞いて、伊織はあらゆる意味でショックを受けた。
「偉いな。委員長は」
「な、何よ。褒めても何も出ないわよ」
「マジに言ってんだよ」
自分が良い成績を取っているのは、父親への反発ゆえであるから。
父親のためにと頑張る彼女に比べて、そんな自分がひどく卑小に思えたのだ。……文学部史学科に進むことなどやめて、医学部を志望した方が良いのではないのかと、一瞬だけでも思ってしまうほどに。
この堅物生真面目の委員長が、そんな重い家庭事情を抱えていたという事実も衝撃的だった。
何より——自分の
自分の手前勝手な決断が、辰之進を始めとする『雑草連合』のメンバーや、喜恵のことを振り回してしまっていた。
全て、自分のせいだ。
同時に、この状況をどうにかすることが出来るのもまた、自分だけだ。
……『雑草連合』の総長であった、自分だけだ。
「—--委員長」
ちょうど四階に上がる手前の階段の踊り場で立ち止まり、喜恵にそう呼びかける。
「な、なに」
喜恵はやや戸惑い気味に反応し、同じように立ち止まる。
見上げてくる彼女の目も、戸惑いで揺れている。やや傾斜した
そんな喜恵の瞳をまっすぐ見つめ、伊織は宣言する。
「安心しろ。——あんたのことは、俺が守るから」
「へ……!?」
「俺のこの名とこの身に替えてでも、一昨日と同じ状況は絶対に作らせねぇ。何人たりとも……もうあんたには指一本たりとも触れさせやしねぇから」
「あ、あ、あなた、い、いったい、なに言って……!?」
顔を火照らせる喜恵と、ざわつきながら二人を見る周囲の生徒を余所に、伊織は覚悟を決めていた。
——そう。
ケジメを、つけてみせる。
†
その日の放課後。
伊織はすぐに学校を出て、寮へ戻った。
そこで着替えと身支度をすぐに済ませた。
黒い長袖シャツに、黒い袴という、なんとも噛み合わない装い。……かつて『雑草連合』として暴れていた頃と同じ格好だ。
けどそれだけだとやっぱり寒いので、その上にコートを羽織る。
さらに右腰に短木刀、左腰に長木刀をそれぞれ差した。
寮を出て電車へ乗る。
下車して駅を降り、少し歩いた末に……望月家の門前に立った。
ごくり、と喉が鳴る。
黄昏の陽光に染まる、古めかしい木の正門。それがいつもより巨大に見える。……まだ約束を守れていない現段階で、源悟郎ともし会ってしまったら、何て言えば良いのだろうか。
だが、すぐに覚悟を決め、門の端の表札の下に付いたインターホンのボタンを押す。
ぴん、ぽーん……という、家主の令嬢を連想させるそっけない電子音が鳴り、しばらくして。
『どちらさまでしょうか』
電子化された銀鈴めいた声が、インターホンから聞こえてきた。……
よし、師範じゃなかった。伊織は心中でガッツポーズしてから、インターホンに呼びかけた。
「お嬢。俺だ。
『……香坂さん』
「ああ。今回は師範じゃなく、あんたに用がある。話がしたいから、出てきてくれないか」
『……待ってて』
それを最後に電子音声が切れる。
すぐに正門の向こうから引き戸の開閉音が聞こえ、そして正門が開いた。……
伊織はたじろぎそうになる。玄関からこの門へ向かうまでの足音が無かったせいで、まるで門がいきなり開いたように感じたのだ。
「話とは」
相変わらずの無表情で、言葉少なに要件を問うてくる。
伊織はすぐに告げた。
「——今から、俺と一緒に来てくれ。