帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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「エカっぺ」という証《四》

 そんな、腹を割ったやり取りをしたからだろうか。

 

 あたしと秋津(あきつ)は、学校で一緒にいることがさらに多くなった。

 

 朝の挨拶と昼飯に限らず、一緒に下校したり、放課後の教室に少し残って話をしたりもするようになった。

 

 その中で、あたしは秋津のいろんな面を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————絵が、ものすごく上手いところ。

 

「うっわ! すっご! うっま! これ、マジに秋津が書いたの!?」

 

 茜色の夕日が差し込む放課後の教室。あたしと秋津は二人きりで、あたしの机を共有していた。そこで渡されたスケッチブックをめくった瞬間、あたしは仰天した。

 

 白い紙面には、鉛筆で描かれた昆虫……トンボの姿があった。しかも恐ろしくリアル。羽の模様や六本足のケバケバ感まで細部まで緻密に描写されている。

 

「そ。イトトンボだよ。去年の夏に描いたの」

 

「あたしトンボはオニヤンマしか知らなーい。あいつ確かスズメバチ食うんだよね?」

 

「オニヤンマもいるよ。ほら」

 

「うおっ、ほんまや」

 

 秋津がページを何枚かめくると、そこにはオニヤンマの鉛筆画。やはり巧い。

 

 あたしはさらにページをめくっていく。

 

「これはタマムシね」

 

「そ。靖国神社の境内にいたんだよ。これも去年の夏休みに描いたの」

 

 すごい。タマムシのつやつや感までしっかり描写できてる。パッと見でタマムシって判る。黒一色なのに。

 

 カブトムシ、ミヤマクワガタ、ノコギリクワガタ、蝶々、蟻……開くたびにさまざまな昆虫が緻密に描かれている様は、まるで昆虫博物館だ。

 

 「ミヤマクワガタって全然動かないから、生きてるのか死んでるのか分かりにくいんだよねー」ってしみじみ言ってる秋津をよそに、あたしはただただ圧倒されていた。ページをめくる手が止まらない。

 

 ……ちなみに秋津は、被写体ごとにスケッチブックを分けているらしい。ジャンル分けってやつだ。今あたしが読んでるのは「昆虫」のスケッチである。

 

「んで、次のページは……ひっ!?」

 

 あたしは慌ててスケッチブックを閉じた。そこに描かれていた()を潰すように。

 

「あ、あ、あんた、いま、今の虫って……!」

 

「うん、今年の冬、初めてウチの台所に出たゴ——」

 

「キャァァァァァァ!?」

 

 あたしはその虫の名前を聞こえないように叫びながら、スケッチブックを押し返す。

 

「な、なんてもん描いてんのよばかぁ!? あんたばかぁ!?」

 

「に、二回もばかって言わないでよ……それに、そいつは何もしないよ。いきなりトップスピードで床を移動するのはちょっと不気味だし、上手くスケッチできなくて面倒ではあるけど……」

 

「言うな! 鳥肌立つ!」

 

「あ、でも小学五年生の頃、その虫を虫籠いっぱいに集めてスケッチしようとしたら流石にお母さんにすごく怒られて、家族会議に——」

 

「当たり前だあほ————っ!!」

 

 サブイボが立つのを実感しながらグイグイとスケブを押し付けるあたし。やっぱりこいつは変な奴だ。あたしに構ってくるだけある。

 

「あ、そうだ。記念に一枚、伊藤さんにあげようか」

 

 秋津の弁解めいたその提案に、あたしは目をぱちぱちさせた。「一枚、って、その中の絵を?」

 

「そうだよ。一枚あげる」

 

「……さっきの虫のはイヤよ?」

 

「ち、ちがうよ。さっき伊藤さんが言ってたやつだよ。オニヤンマ。それならいいでしょ?」

 

「……くれるんなら、もらおうかしら」

 

 聞くや早いや、秋津は「虫」のスケブからそのオニヤンマの一枚を破り取り、あたしに「はい」と差し出してきた。

 

「あ、ありがと」

 

 それをあたしはおずおず受け取った。……男の子から、何かを貰うって、初めてだ。

 

 秋津は得意げに言った。

 

「知ってる? 蜻蛉(トンボ)はね、「勝ち虫」って言われてるんだよ」

 

「勝ち虫?」

 

「そ。トンボは前にしか進まない。どういう状況が目の前に広がっていたとしても、ただひたすら前に飛び続ける……だから「勝ち虫」なの。戦国武将の間じゃ、このトンボの装飾を甲冑とか刀に施すのが流行ってたんだって。だからそれを持ってたら、何かに「勝てる」かもよ?」

 

 そういえば、パパが前にそんなことを言ってた気がする。

 

(もしかして、こいつ、あたしに「負けるな」って言ってくれてるのかな……?)

 

 あたしを取り巻く環境や、人の偏見、それらがもたらす嫌がらせの数々に「負けるな」と。「勝て」と。

 

 ……いや、んなわけない。あたしが最初に「オニヤンマ」に言及したからだ。だからオニヤンマの絵をくれたのだ。あとは気まぐれか。

 

 だけど、この絵をくれた真意を、秋津本人に聞こうとは思わなかった。

 

 いや、聞きたくなかったのかもしれない。

 

 理由を聞かなければ、謎というカーテンに包まれるから。

 

 ……そのカーテンの中にあるモノを、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————理数系が苦手なところ。

 

「うわっ、なんだこの点数」

 

 またも放課後の教室。秋津から数学の抜き打ちテストの答案用紙を見せられたあたしは、思わずそう唸った。……見るに忍びない点数であった。

 

 秋津は泣きつくように頼んできた。

 

「お願い伊藤さん! ココとココとココとココとココが分かんないんの! 教えて!」

 

「ほとんど全部じゃない!?」

 

 どうやら秋津は、数学が苦手のようだ。

 

 ちなみにあたしは満点に近い高得点だった。答案用紙を返されて間も無い頃に秋津にそれを教えたので、それを見込んでこうして泣きついてきたのだろう。

 

 そのあたしは、目頭を揉みながら大きなため息をつき、

 

「……んじゃ、一つずつやっていきましょっか。まずは自分で解いてみて。違う場所はあたしが指摘して補うから」

 

「は、はい。伊藤先生」

 

 かしこまる秋津に、あたしは一笑して、教え始めた。

 

 ……確かに酷い点数ではあるし、各公式に対する理解度も低い。

 

 だけど、そんなのは後でいくらでも底上げできる。

 

 そして秋津は素直で、覚えが早い奴だった。教えてやれば、すぐに理解し、出来るようになった。

 

 だからあたしも、最初は億劫だったが、すぐに楽しくなってきた。

 

 また数学で酷い点数を取ったら、こうやってまた教えてやろう。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————あたしが買った週間漫画雑誌を、朝のホームルーム前に一緒に読んだりもした。

 

「秋津ってばさ、まだ落ち込んでんのぉ? 「未来(みらい)救世主(きゅうせいしゅ)松田(まつだ)」が先週打ち切りになったことにさぁ」

 

 人気のない屋上目前の階段に座って週間少年ジャムプを読んでいるあたしは、意気消沈気味に紙面を覗いている隣の秋津に呆れながら言った。

 

「そりゃショックだよぉ……あんな面白いのに打ち切りだなんて…………あれは拝火教(はいかきょう)の伝承を、終末系SFというジャンルと美麗な画風で表現した傑作で——」

 

「はいストップやめなさい。あんたその漫画のことになると口が止まらなくなるんだから」

 

 あたしは秋津を止めつつ、紙面に目を向ける。

 

「過ぎた事は仕方ねーって。「未来救世主松田」の作者さんだって、きっともう次の連載について考えてるわよ。んな事より、今のジャムプに目ぇ向けなさいって。新しい出会いがあるかもよ。……おっ? 刀持って(はかま)履いた死神だって。死神と言えばグリムリーパーってのが漫画のお約束なのに、斬新ね。これは()()かも」

 

 「未来救世主松田」に関する愚痴をブツブツ呟く秋津がウザかった。漫画くらい集中して読ませろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————一人の子と、それも男の子とこんな風にたびたび連むなんて、あたしには新鮮な経験だった。

 

 だからあたしは楽しく思いつつも、今なお戸惑いが消えなかった。

 

 夢を見ているような気分だった。まだ現実感が薄い。

 

 それでも、楽しいと思っていた。

 

 学校に行くのが、初めて楽しみになりつつあった。

 

 そしてあたしがこの国で唯一心の鎧を紐解ける場所は、家族だ。

 

 パパとママ。この二人の前でだけは、その楽しい気持ちがポロポロと出てくる。……しかも、無自覚に。

 

「——カチューシャってば、最近、秋津君って子のお話ばっかりね」

 

 リビングで夕飯を食べている最中、あたしの話を聞いていた向かい側の席のママはそう言った。どこか嬉しそうな気持ちの混じった苦笑とともに。

 

 肩に届くくらいの黒髪は、あたしと似てふんわりとした質感。人好きする感じの童顔は、純然たる日本人のソレだった。

 

 伊藤(いとう)雪菜(ゆきな)。あたしの実の母親で、大好きなママだ。

 

 そんなママの言葉に、あたしは虚を衝かれた気分になり、思わず目をぱちぱちさせた。ママに()()()()

 

「そうだっけ? あたしそんなに秋津の事話してた?」

 

「というより、秋津君の事しか話してなかったわよ」

 

 ママは浮かべた笑みを、悪戯っけのあるソレに変えた。

 

「もしかして…………好きになっちゃったとか? 秋津君のこと」

 

「へ……い、いやいや! そんなことないから!」

 

「別に恥ずかしがることないわよ? カチューシャくらいの子なら普通よ」

 

「ちがうってば!」

 

 あたしが必死に否定すると、今度はパパが話しかけてきた。太い声の()()()()()

 

「パパも興味あるな、その秋津君という子の事。カチューシャと初めて仲良くなった男の子という点でも気になるけど、なんでもサムライの末裔だそうじゃないか。そういう意味でも、一度話してみたいな」

 

 生来の金髪を短く切った、四角い感じの頭部。そこにあるのはあたしと同じ碧眼と、静かな精悍さの感じる顔立ち。作務衣(さむえ)を纏う骨太でがっしりした巨体と頭部とを繋ぐのは、切り株のように太い首。素肌は全体的に色白だった。

 

 純然たるスラブ人の容姿をしたその巨漢は、ルドルフ・ゲオルギエヴィチ・伊藤。あたしの大好きなパパだ。

 

 そんなパパも、ママ同様に冗談めかした笑みと口調で、

 

「それに、将来パパの義理の息子になるかもしれない子だからね」

 

「もーー!! パパまで!! というかこういう時、娘の男親なら顔をしかめるところじゃないのっ?」

 

「エカテリーナが選んだ相手なら、歓迎するよ。お前は苦労してきた分、人を見る目は確かだろうしね。お前にとってよほど素敵な少年なんだろうさ、秋津君という子は」

 

「違うから!! 秋津はそういうんじゃねーから!!」

 

 あたしはロシア語でそうダメ押しにまくし立てた。今あたしの顔が赤いのは、秋津を意識してるからじゃなくて、弁解に必死だからだ。さらにパパ譲りの白い肌がその赤みをいっそう目立たせているからだ。そうに決まってる。

 

 そしてまた()()()()()()()()()、ママに話しかける。

 

「とにかく、違うんだからね!?」

 

「はーい。ふふふ」

 

 ママはころころと笑う。本当に分かってるんでしょうね……

 

 あたしは話題を逸らす意味も込めて、ママに尋ねた。

 

「それより、ママ、学校の婦人会はどうだった? 今日、総会だったんでしょ?」

 

「ああ、うん……今年、会長になった人がね、『北方帰(ほっぽうがえ)り』の軍人の奥さんだったの。それで、ママの事が気に入らないみたいで…………上手くやっていけるか少し不安ではあるかな」

 

 エカテリーナは舌打ちしたくなった。『北方帰り』の妻であれば、ママを嫌う理由は明白だ。

 

 イワンと()()女——小学校の頃、保護者の間でささやかれていたママの陰口を思い出す。

 

 その意味を明確に知った時、それを言い腐ったクソ大人どもを全員闇討ちしてやろうかと思うくらい腹が立ったけど、それをやるとママの悪評にも繋がるため我慢したものだ。

 

 ……ママの気苦労を知らず、秋津と楽しくやっていた自分が、少し後ろめたくなった。

 

「でもね、ママはそれ以上に、最近嬉しいの」

 

 ママがあたしを、優しい目で見つめてくる。

 

 あたしは目をしばたたかせ、

 

「嬉しい?」

 

「ええ。だって……学校のことをこんなに楽しそうに話してくれるカチューシャ、初めてだもの」

 

 あたしは目を見開いた。

 

 ママは、複雑そうに微笑む。まるであたしに、要らぬ苦労を強いていることに心を痛めているように。

 

「カチューシャ、あなたには、ママとは日本語で、パパとはロシア語で会話させている。……これがどうしてか分かるわよね?」

 

「……うん。将来、日本かロシアか、()()()()()()余地をあたしに与えるためでしょ?」

 

 そうよ、とママは頷く。

 

 ——あたしのこの身には、スラブと日本、二つの血が流れている。

 

 片や、十年前の侵略国家の民の血。

 片や、社会主義という名の安寧を粉砕した東洋人の血。

 どちらの国も、相手の国の民を(うと)んじている。

 その両方の血を宿すあたしは、どちらの国で生きていくにもそれらが足枷になる。

 

 だからせめて、そのどちらか自分の好きな方を自分で選べるようにと、二人はあたしを二言語話者(バイリンガル)に育てた。

 

「あなたの今の時期は、将来の選択を考えるための()()()()。だけど、その「今」が、ただ耐え忍んで考えるばかりに費やされるのは、とても寂しいことだわ。……それがあなたの年頃ならなおさら」

 

「ママ……」

 

「だから、嬉しいのよ。あなたが「今」を楽しそうにしているのを見れているのが。……その秋津君には、感謝しなきゃね」

 

 あたしは、胸に優しいものを感じながら「……うん」と素直に頷く。思わず笑みが浮かぶ。

 

 秋津に感謝していた。

 

 こんなあたしに構ってくれたことにだけではない。

 

 ママを喜ばせてくれたことにだ。

 

 本当に、変な奴だよ。あんた。

 

 でも、ありがとう。

 

 だがママはすぐにさっきみたいな茶目っ気たっぷりな笑みとなり、

 

「まぁ、カチューシャがその秋津君と結婚しちゃえば、選択の余地はなくなるんだけどね」

 

「け、結婚って……だからあいつとはそういうんじゃ!」

 

「大丈夫よぉ。カチューシャは可愛いし、良い子だもの。いい奥さんになれると思うわ」

 

「もぉ————っ!!」

 

 ……こんな風にからかわれるのは、勘弁してほしいけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋津と一緒に過ごし、その事をパパとママに話して聞かせる。

 

 そんな中学校生活が、これからも続いていくのだと思っていた。

 

 ——それを見た周囲の連中がどういう感情を抱くのか、微塵も想像できないくらいに、あたしは秋津との日々を楽しんでいたのだ。

 

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