帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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「エカっぺ」という証《九》

 軍刀を没収して「誰かの忘れ物」として職員室に押し付けてから、あたしと秋津(あきつ)は下校した。

 

 夕日の朱に染まる神田(かんだ)の街中を、あたし達二人、並んで歩く。鞄を片手にぶらぶらさせた長い影を引き連れて。

 

「それにしても、怖かったなぁー」

 

 秋津が、しみじみそんな事を言う。

 

 あたしは「そりゃそうよ」と前置した上で、

 

「一人で五人にタカられて、おまけに最終的に軍刀まで持ち出しやがってさ。怖がるなって方が酷なもんでしょ」

 

「あ、ううん……それもあるんだけど」

 

「あによ?」

 

 秋津は遠慮がちに「……さっきの伊藤さんも、ちょっと怖かったから」と呟いた。

 

 あたしは少し心がちくりとした。……今のよりずっと酷い言葉を周りから何度もぶつけられてきたのに、どうして秋津の今の発言に、こんなに胸が痛むんだろう。

 

「軽蔑……した?」

 

 思わず、あたしはそう問うていた。どこか、恐れたような口調で。

 

 秋津がふるふると激しくかぶりを振った。

 

「そんなことないよ。ただ、怖かったってだけ。……本当に、刺しそうな気配だったから」

 

 それから、申し訳なさそうに言った。

 

「僕のせいでそうなったら、ヤだなって」

 

「秋津……」

 

 胸が締め付けられる感じがした。

 

 彼の人間的を、あらためて思い知らされた。

 

 本当に、こいつは……

 

「あんたのせいじゃ、ないよ。全部あたしのせい」

 

 あたしが、ロシア人だから。

 

 あたしが、彼と友達になってしまったから。

 

 あたしが——彼のこんな性格をよく理解せず、乱暴に突き放したから。

 

 秋津の事を尊重していたつもりが、心のどこかで、彼の意思を軽んじていたのかもしれない。

 

「ごめんね、秋津。それと……ありがとうね」

 

「え……」

 

「聞いてたよ。あんたが、あいつらに言ってた事。——すごく、嬉しかった」

 

「伊藤さん……」

 

 ——仲良くできる奴だけ、仲良くすればいい。

 

 確かに、秋津の言う通りだ。

 

 嫌いなのを無理に好きにさせる事も、その逆にするのも、不自然だ。

 

 嫌いなら距離を置き、好きなら近づく。

 

 たったそれだけなのだ。

 

 そして秋津は、安い同情心や義務感であたしに接しているわけではない。

 

 ただ、あたしと仲良くしたいし、出来るから、そうしている。

 

 それに、あたしも同じだ。

 

 ……もっと、ずっと、彼と一緒にいたい。

 

 あたしより十センチ近く低い位置にある秋津の頭へ手を置き、あたしはニカッと笑った。

 

「もしまたいじめられたら、あたしに言いなさいよ。守ってやるからさ」

 

「あ、ありがとう……でもなんか複雑かも。普通、僕が伊藤さんにそう言うところじゃないかな。僕、男だし」

 

「だったらもうちょい鍛えなさいよ。なんなら、あたしが剣の稽古相手になってやろっか?」

 

「そういえばさっきも見てたけど、伊藤さんってやっぱり強かったよね。まぁ、考えておこうかな……」

 

 秋津が「伊藤さん」って呼ぶたびに、なんだかちょっとムッとした。

 

 なんか、仲良くなれるとか言ってた割に、随分他人行儀に思えたから。

 

 あたしは秋津の頭から手を離し、その手で自分の前髪を弄る。……胸中の恥じらいを誤魔化すための、無意識の行動だ。

 

 足を止めた。

 

 それに合わせて秋津も立ち止まり、あたしを見つめてくる。

 

「……ね、秋津」

 

「ん?」

 

「あんたのことさ…………これからさ……「コウ」って呼んでいい?」

 

「コウ?」

 

「う、うんっ。……名前で呼びたいけど、「光一郎(こういちろう)」だと、なんか長いし。だから縮めて「コウ」。だめ?」

 

 よく見ると、金一色のあたしの前髪に、黒い髪の毛が一本からまっている。それがさっき触ってた秋津の頭から抜けた髪の毛だと分かった瞬間、顔がかぁっと熱くなるのを実感した。

 

 どうしてだろう。走り出したいくらい、恥ずかしい。全身が熱くてむずむずする。

 

 だけど、この瞬間が、ずっと続いてほしい。この甘い緊張に、いつまでも浸り続けたい。

 

 矛盾した思いを抱えて懊悩しているあたしに、秋津は、

 

「いいよ。好きに呼んで」

 

 いや——()()は、快くそう頷いてくれた。

 

「ん。ありがと、コウ。……コウ」

 

 思わずあたしは、二回呼んだ。

 

 そう呼ぶたびに、まるで口の中で飴玉を転がしているみたいに、甘い気持ちになれたからだ。

 

「コウ、あんたもあたしの事「カチューシャ」って呼んでいいよ」

 

「かちゅーしゃ?」

 

「エカテリーナだから「カチューシャ」。そういう愛称なの。そっちの方が呼びやすいでしょ? 光栄に思いなさい、パパとママにしか呼ばせてないんだから」

 

 あたしは得意げにうそぶくが、内心ではすごいドキドキしていた。

 

 ただ愛称を呼ばせるだけなのに、なんでこんなに恥ずいんだろう。

 

 パパとママ以外だから?

 

 それとも……相手がコウだから?

 

 対して、コウはいまだに答えを出さない。

 

 なんか、妙に考え込んでいる顔をして、唸っていた。

 

 もしかして……呼びたくないとか?

 

 そう考えて不安になってきたあたしに、コウはようやく答えを出した。

 

「じゃあ——「エカっぺ」って、呼ばせて欲しいな」

 

「…………っぺ?」

 

 あたしは拍子抜けした。頭の中身が空気だけになったような感じがする。

 

 ——エカっぺ。

 なんだそれは。

 「っぺ」ってなんだ「っぺ」って。どこから出てきた?

 「カチューシャ」でいいじゃないの。

 「エカっぺ」って何だっぺか。

 

 なんか(いも)い田舎娘みたいだから却下、と言おうとする前に、コウが言った。

 

 いつもより芯のしっかり通った語気で。

 

 

 

「その方が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 あたしは、息を呑んだ。

 

「僕は……無責任なことは言わないし、言えない。

 この国には、君を恨めしく、いとわしく思う人たちがたくさんいる。

 しんどいこともたくさんあると思う。後ろ指をさしてくる人も少なくないと思う。今日みたいに、君を孤立させようとしてくる人だって、また出てくると思う。

 君がどう思おうと、周りは君を「ロシア人」って、後ろ指をさしてくる。とても残念だけど……それが現実みたいだ」

 

 コウの目が、あたしを真っ直ぐ見つめてくる。

 

 目の前のモノを補正無く映す、鏡みたいな瞳。

 

「だけど、周りの人達が君を「ロシア人」って呼んだ分だけ——僕が「エカっぺ」って呼ぶから。君は異物なんかじゃない、君として、君らしくこの国で生きてるんだって、肯定するから」

 

 その瞳に、あたしの顔が、はっきり浮かんでいた。

 

 自分が今にも泣きそうな顔をしているのを、彼の瞳を見て自覚した。

 

 ……「エカっぺ」とは、いかにも日本的なあだ名である。

 

 コウは、ロシア的な「カチューシャ」ではなく、そんなあだ名で呼ぶことで、あたしがこの国に溶け込んで生きている「証」を作ろうとしている。

 

 その「証」の裏付けに自分がなると、そう言ってくれている。

 

 日本に生きるあたしを、「ロシア人」ではなく、「エカっぺ」にしようとしてくれている。

 

「だから…………だめ?」

 

 コウが、優しく、そう問いかけてくる。

 

 ……説明しにくい感情が、あたしの中で暴れていた。

 

 ひどく不快で、ひどく甘く、ひどく幸福で、ひどくもどかしい。

 

 だけど、その混沌とした感情から出てくる思いは、たった一つだけだった。

 

 ——身も心も、もっと彼に近づけたい。溶け合いたい。

 

 ああ、そっか。

 

 あたしは。

 

「……いいよ。許してあげる」

 

 あたしはそう答えを出すや、両手でコウの頭を優しく挟む。

 

 身を屈めて——コウの額に、軽くキスをした。

 

 ちゅっ、という軽い湿った音が響いた瞬間、コウのおでこが一気に朱くなった。

 

「エ……()()()()!?」

 

 コウはぴょいんっ、とあたしから離れる。真っ赤な顔で目を白黒させていた。

 

 あたしはわざと悪戯小僧みたいな微笑を浮かべ、

 

「あらあらぁ、コウったら何照れてんのよぉ? 顔真っ赤だぞぉ? にひひ、かわいー」

 

「だ、だ、だだだってだって、エカっぺが……!」

 

「照れんなよー。海外じゃこんなん挨拶代わりだぜ?」

 

「そ、そうなの……?」

 

「そなの。世界は広いのよぉ。覚えときなさい、コウ」

 

 それは、島国から出たことが無いであろう純真な男の子に対する、隠れ(みの)のような言葉だった。

 

 あたしは今、確信していた。

 

 ——この男の子に対して抱く、自分の想い。

 

 あたしはもう一度、コウのおでこにキスをした。

 夕日に染まった街路。

 そこに差し込む二人の影。

 それらの頭は、まるで、口付けをしているように接し、一つになっていた。

 そう考えるだけで、とてつもない多幸感が押し寄せてくる。

 今すぐ抱き寄せて、本当に唇を重ねたい。

 二つの影を、一つにしたい。

 そう思うほどに。

 

(あたしは————この人のことが、好きなんだ)

 

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