帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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日常、そして非日常

 四月十二日、土曜日。

 

 僕とエカっぺは、住宅街に張り巡らされた細めの路地を、並んで歩いていた。

 

 朝日によって、二人の影がアスファルトの地面に浮かんでいる。敷かれたアスファルトのうち、つい最近替えられたばかりの部分が強く黒光りしていた。ほのかに匂いもする。

 

 性別も背丈も人種も異なる僕ら二人だが、稽古着姿で、木刀と、着替え等が詰まった鞄を所持しているという点では共通していた。

 

 この日本社会における立ち位置と、抱える課題も、また。

 

「——そういやさコウ、あんたって進路どうするの?」

 

 エカっぺが歩きながら、不意に、そんなことを尋ねてきた。

 

 僕も歩きながら答えた。

 

「僕は、功隆(こうりゅう)学院(がくいん)を目指すかなぁ」

 

 何気ないその答えに、エカっぺはひどく驚愕する。木刀を取り落とさんばかりに。

 

「え……マジ? 功隆目指すの? あんたが?」

 

「なにさぁ。僕じゃ無理って言いたいのぉ? 手前味噌(てまえみそ)だけど、こう見えて僕成績良いんだから。苦手だった数学だって、エカっぺが教えてくれたお陰で良い線きてるし」

 

 僕がことさらに不満の表情を見せると、エカっぺは「あー、いや」と弁解するように声を出し、

 

「あんたが成績良いのは知ってるけどさ……あの功隆よ? クッソ難関よ? ていうかちょっと待って……そもそもあんた、家業継ぐんじゃなかったの?」

 

「継ぐよ。だけどお母さんは「本を仕入れて売るだけが『秋津書肆』じゃない」って。つまり大学行って、それなりの学をつけてから継げっていう話なんだよね。何せ、歴史に関わる書物を扱うわけだから」

 

 僕はその時のお母さんの厳しめな顔を真似しながら、そう言った。

 

 エカっぺはそれに一笑してから、気遣わしそうな顔で、

 

「でもさ、それなら功隆じゃなくて、他の附属高でも良くない? 流石にハードル高すぎじゃね?」

 

「うん。そうなんだけど、でもまぁ……どうせ行くんなら、上を目指してみたいな、ってさ」

 

 少し照れ臭さを覚えながらそう口にすると、エカっぺは口元に弧を描き、身長差にモノを言わせて僕の頭を撫でた。

 

「さすが、天覧比剣優勝者様は言う事が違うわねぇ。いいじゃん、頑張んなさい。あたし応援してるからさ」

 

「……ありがとう、エカっぺ」

 

 僕はくすぐったく笑いながら、甘んじて撫でられ続ける。

 

 そこで、ふと、僕も思った。

 

「そういえばさ、エカっぺはどうするの? 進路」

 

 それをそのまま質問として投げかけた途端、僕の頭を撫でるエカっぺの手が止まる。

 

 思わず僕は彼女の顔を見上げる。……何だか、恥ずかしそうというか、困惑してるというか、そんな表情で黙っていた。

 

「エカっぺ?」

 

「あ、あたしは……その……卒業後は…………」

 

 エカっぺの言葉は、それ以降続かなかった。

 

 彼女がなにやら恥ずかしがって続きを言えずにいたというのも理由の一つだ。

 

 そしてもう一つの理由は——()()()に着いたことだ。

 

 もう見慣れた古めかしい木の正門と、その左右から伸びて敷地を四角く囲っている(さわら)生垣(いけがき)。正門の軒の上部の輪郭からはみ出している、二階建て木造家屋の片鱗。

 

 僕の想い人と、僕ら二人の剣師の住まう家。

 

 正門の端にある表札には「望月」とある。

 

 その表札のすぐ下のインターホンを押そうとしたその時。

 

「——コウ君?」

 

 正門の中から、静かな女性の声が聞こえてきた。

 

 ……この声、間違えようはずもない。

 

(ほたる)さん、おはようございます!」

 

 僕がそう呼びかけると、木の正門がゆっくりと開かれた。

 

 その「望月家」の敷地の中が見えると同時に——我が麗しの想い人の姿も現れた。

 

 頭頂部から柔らかく流れた濡烏(ぬれがらす)の長い髪。

 人形めいた甘い端正さを誇る色白の美貌。

 稽古着を纏う体つきは女子であることを(かんが)みても小柄で細いが、大地の反力が足裏から頭頂部へ歪まず垂直に貫いているのがよく分かる、芯の強い整然とした姿勢。あの体から放たれる剣には地面の力が余す事なく乗り、男であっても剣ごと弾き転がされてしまうだろう。……しかし今手に持っているのは竹箒。庭の掃き掃除中だったようだ。

 

 その麗しの想い人——望月(もちづき)(ほたる)さんは、銀の鈴音みたいな声で言った。

 

「おはよう、コウ君、エカテリーナさん。——三年生に進級おめでとう」

 

「ありがとうございます。螢さんも、今年から葦野女学院(ヨシ女)の高等部三年生ですよね。おめでとうございます」

 

 ん、と小さく頷く螢さん。箒の柄をおとがいの辺りにきゅっと引き寄せる。……その口元は、小さく微笑んでいるように見えた。

 

 うん。可愛い。毎週彼女の姿を見ているが、全然飽きない。可愛い。何度見ても、何気ない日常から新たな彼女の振る舞いやポーズを発見できる。きっと一生探せる。可愛い。味の無くならないガムみたいだ。可愛い。

 

 いつもほぼ無表情な螢さんだが、最近は僕に柔らかい表情を時々見せてくれるようになった。それはよぉーく見ないと分からないほど微妙な変化だが、趣味のスケッチによって鍛えられた僕の眼力をもってすれば判る。

 

「準備するから、先に稽古場で待ってて欲しい。お義父(とう)さんはもういるから」

 

 螢さんにそう言われて、僕は素晴らしい妄想の世界から現実に引き戻された。「は、はい!」と慌てて返事。

 

 僕ら二人は、望月家の敷地内にある、小さな稽古場へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣術は、神道(しんとう)と非常によく似ている。

 

 両方とも「場」を重んじるからだ。

 

 神社にある鳥居や注連(しめ)(なわ)は、神域という「場」とその他の空間を区切るためのものだ。

 さらに昔は神社を作る場所も、木々が豊かに生い茂った「鎮守(ちんじゅ)の森」の中を重んじた。そこが地霊の住まう「場」であるからだ。

 お祓いの時に切麻(きりぬさ)を撒くのも、「場」を清めるためだ。

 ……そうして「場」を定めなければ、そこに神様は現れない。そんな考え方が神道にはある。

 

 剣術も同じだ。

 刀を人に向かって振って当たれば、その人はほぼ確実に死ぬ。殺してしまう。日本刀にはそれだけの斬れ味がある。……僕は去年、()()を実際に目にしている。

 それを操る術である剣術の修行も、普通の精神では出来ない。

 斬り合いというのは、日常から隔絶された非日常だからだ。狂人の世界だからだ。

 

 なればこそ——日常の中に、非日常という「場」を設ける。

 その「場」にあたるものこそが、剣術の「型」だ。

 斬り合いの一場面を切り抜いて「型」とし、それを何度も繰り返して学ぶことによって、斬り合いのノウハウを己の骨身と心に刻み込むのである。

 

 無論、それは「型を繰り返せば強くなれる」という意味にはならない。

 実際の斬り合いでは、相手は「型」通りに動いてはくれないからだ。

 しかし、それでも「型」の動きを徹底的に学んでいれば、その動きの中の一部、ほんの一部でも斬り合いで重宝できる部分が必ず生まれる。

 そしてそれは斬り合いという非日常を生き抜く上で大きな助けになる。

 そのために「型」を学ぶのだ。 

 ……非日常を経験しなければ、非日常は学べない。

 「型」というのは、()()()()()()()()()()()()()()ための「場」なのだ。

 

 ——僕は今、そんな「切り抜かれた非日常()」の中にいた。

 

 十人くらいまでなら満足に木刀を振り回せるであろう、小さな稽古場。

 横の引き戸は全て閉じられ、上部の窓のみが光源となっており、やや薄暗い。

 長年の間、幾度も足捌きが行われてきたためか、光沢を持った無垢材の床。

 

 ……その稽古場で、僕は螢さんと木刀を構えて対していた。

 

 距離は遠間(とおま)

 構えは双方、剣を中段に置いて前に伸ばした「正眼(せいがん)の構え」。

 剣尖、視線、意念……それらをブレる事なく双方一致させる。相手のほんの微細な変化すらも視認できるように。

 打太刀(螢さん)の前足が動こうとするのを目にした瞬間、仕太刀()の前足もまた前に進む。

 一、二、三、四、五歩目で止まる。互いの剣尖が、触れ合う寸前で止まる。

 なおも剣と気の直線一致を保つ双方。

 動かぬ双方。

 動く打太刀(螢さん)の足と剣。

 静かに、短く、しかし鋭く直進してきた打太刀(螢さん)の剣尖に——仕太刀()()()()()()()()()()()

 剣尖が噛み合う。

 打太刀(螢さん)の刀身が、仕太刀()()()()()()沿()()()()()

 結果——打太刀(螢さん)の剣尖が斜め下へ流れ、仕太刀()の剣尖は彼女の胴体をなおも向いたままとなる。

 

 そこで、「切り抜かれた非日常()」は、終わった。

 

 ——至剣流の型の一つ『浮船(うきぶね)』。

 

 所作を和らげた螢さんは、いつもの銀鈴めいた綺麗で淡々とした声で注意を述べた。

 

「——最初に比べて、かなり良くなった。だけどまだ筋力で強引に押し退けている感じがする」

 

「そう、でしょうか……」

 

「ん。剣を触れ合わせた瞬間、不自然な力の向きを触覚で感じた。余分な力が入っている証拠。……もっと自分の骨格の形と、剣の形を意識して。()()()を使うの」

 

 結構良い出来だと思ったが、駄目だったようだ。少し落胆するが、それでもちゃんと聞き入れる。

 

「形の力を使うことは、()()()()()()()()()()()()ということ。

 重たくて大きな岩であっても、その岩が真球だったとすれば、人の力だけでも前へ押し転がすことができる。

 巨大な石材も、丸太を何本も下に敷いてから引っ張れば、丸太の転がりを利用して人の力でも運搬することができる。

 この『浮船』は、そういう力を限界まで使う。

 筋力で刀を固めたのでは、自分より筋力に優る相手には押し負けてしまう。

 だからこそ、力が逃げない姿勢の形を使って刀をブレさせず突き放ち、さらにその刀の()()()の丸い形を使って相手の剣を丸く受け流し、そのまま突く。

 一つの刺突が攻と防を宿している。一刀流にも似たような技がある」

 

 何度も聞かされてきた『浮船』の情報を、再び聞かされる。

 

 螢さんは、近くにいるエカっぺを一瞥する。

 ……彼女は現在、日本刀で「正眼の構え」を取ったまま、ジッとしていた。

 僕が十何分間『浮船』を稽古している間、彼女はずっとあの構えを維持している。

 あの「構えの稽古」はそれなりにキツいということは、自分の経験と彼女の額の汗で分かる。

 

「コウ君は、構えの稽古を積み重ねたことで、体と地面を一体化させる感覚を身に付けている。足で踏みしめている地面から、前に突き出した剣尖へ……そこまでに働く力を、途切れさせることなく真っ直ぐに()()()()()。そうすれば、剣と体がつっかえ棒のように硬さを得て、剣の位置を固定できる。その状態で相手の剣にぶつかれば、自分の剣の形に沿って相手の太刀が外れて、しかし自分の剣尖は進み続けることができる。……だけど、そこへ無駄な力を入れれば、全て台無しになる」

 

「力を入れちゃいけないっていうのは、分かってはいるんですが……」

 

「仕方が無い。この『浮船』は、至剣流の()()()の型の中で、最も難易度が高い。すぐには出来ない」

 

 とりあえず、僕の『浮船』はまだまだ未完成ということだ。

 

 鴨井村正(かもいむらまさ)との戦いの最後では使えた『浮船』だが、あれは僕の至剣『蜻蛉剣(せいれいけん)』の助けがあったからこそだ。『蜻蛉剣』無しの今の僕では、まだ『浮船』は下手くそである。

 

「——『浮船』は、『綿中針(めんちゅうしん)』の太刀筋を極限まで小さくした技だ」

 

 そこへ、横から入ってきた大きな人影が、補足してきた。

 

 稽古着を纏う、見上げるほどの巨体。

 その頂点にあるのは、ほぼ坊主頭に近い白んだ髪と、同じく白んだカイゼル髭が特徴的ないかめしい老夫の顔つき。

 その目つきは修羅場をくぐり抜けてきたことを思わせる鋭さだが、瞳に宿る光は決して剣呑ではなく、自分の子をおもんばかるような穏やかで理性的なものだった。

 まるで硬さの中に柔らかさを宿した日本刀のような人物。

 

 望月(もちづき)源悟郎(げんごろう)

 僕はこの人の持つ()を、いくつも知っている。

 先の日ソ戦において、日本軍を勝利に導いた、英雄的大将の一人。

 戦災孤児であった螢さんを引き取った、義理の父。

 この帝国で最大規模の剣術流派である至剣流の、非常に数少ない免許皆伝者。

 同時に、二天一流の免許皆伝でもあり、その伝承者。

 そして……螢さん、僕、エカっぺの至剣流の剣師である。

 

 その望月先生は、穏やかな太い声で言う。

 

「コウ坊、お前さんも心身ともに理解しているはずだ。『四宝剣(しほうけん)』こそが、()()()至剣流にとっての至宝であると。

 『石火(せっか)』『旋風(つむじ)』『波濤(はとう)』『綿中針(めんちゅうしん)』……これら『四宝剣』を抜いても、至剣流の型はまだ二十残っている。

 だが、その二十全てが、『四宝剣』という樹幹から枝分かれした(こずえ)のようなものだ。全ての型は『四宝剣』の法則で成り立っている。『四宝剣』を練れば練るほど、その他の型も習熟が早くなるだろう。

 ……もう一度言うが、『浮船』の太刀筋は、『綿中針』の太刀筋を極限まで小さくしたものだ。『綿中針』は()の太刀筋で受け流すが、『浮船』は刀の()()()()()形だけで受け流す。見た目は違っても本質的には同じなのだ」

 

 それを言われて、僕はハッとする。

 

 どうすれば『浮船』が上手くなるのか、少しだけ分かったからだ。

 

 僕は螢さんに向き直り、告げた。

 

「螢さん、これから『綿中針』の稽古をお願い出来ませんか?」

 

 『浮船』が『綿中針』と同じであるのなら、一度『綿中針』に戻る。

 

 型の稽古で行き詰まった時は、一度『四宝剣』に戻り、それを練りながら上達法を考える。

 

 それは断じてレベルの低下を意味しない。原点回帰だ。

 

 『四宝剣』は、こういう形でも、上達の手がかりとなる。

 

 だからこそ、至剣流の至宝なのだ。

 

「——ん。いいよ」

 

 螢さんは頷いてくれた。……その口元が、微かにだが緩んでいた。

 

 望月先生も、愉快そうににっこり笑った。

 

「高きは低きを(もっ)(もとい)()す——老子(ろうし)の言葉だ。剣において、初歩的な修行に立ち帰ることは、後退を意味しない。なぜなら初歩にこそ全てが詰まっているからだ。先に進むのもいいが、行き詰まったら戻ることも忘れてはいかんよ」

 

 そう言って、望月先生は背を向けて僕らから離れていった。

 

 螢さんはその後ろ姿を見つめていた。一見するといつも通り無表情だが、その漆黒の瞳は心配そうに微かに揺れていた。

 

 ……望月先生の歩き方が、去年に比べて、少し()()()()だったからだろう。

 

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