帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
そこで、しばらく沈黙を保っていたギーゼラさんが、とうとう口を開いた。
「その
「あぁ……斗南藩が消滅した後、
「なるほどねぇ……アタシが日本に移住しても、ドイツを心の故郷だと思ってるのと似たようなモンかしらね」
ギーゼラさんは妙に納得したように頷いた。
……会津藩も、そして斗南藩も消えた。しかし、生き残った人達の人生は、その後も続いていく。
その斎藤一の妻の義父であり、会津藩の上級武士だった
会津の猛将
二十六という若さで斗南藩大参事を務めた
上記のように新たな日本で生きていくことを選んだ者もいれば、過去の憎悪を忘れられずに反政府運動に走った者もいた。
……そして、秋津家は。
「ちなみに、
陽司さんの質問に、お母さんは気を改めるように一息置いてから、語りはじめた。
「まず……
それからお母さんは、深くもう一息吐き出してから、残念そうに言った。
「……失望のようなものを、覚えたそうです。そこには、自分達の歩んだ歴史から切り離されて遠くへ流れようとしている、異形の日本の姿があったと。自分達の文明を「先進」、その他文明を「未開」と見下す当時の西洋人の価値観に沿うように、幕府の時代を「
……会津藩校である日新館は、西洋文明の脅威が近づいていた幕末においてもなお、中国の学問に偏っていた。外国語や数学、理科といった学問はあまり重要視されていなかった。
そのためか、光慧も東右衛門も、己が東洋人であるということに強いアイデンティティを持っていた。
だからこそ、自分達の藩を滅ぼしてまで、近代化の名の下に変貌していく祖国の姿に、さぞ消沈したことだろう。帝国の体制に生まれた頃から甘んじている僕では、彼らの気持ちは察するに余り有る。
先進的か時代遅れか、そういう尺度の問題ではない。
これは、アイデンティティの問題だ。
「東京へ来て程なくして、東右衛門は
「出来る事……ですか」
陽司さんが、聞く姿勢を神妙に作る。
お母さんは、告げた。
ご先祖様と、そして
「——たとえ、世間が古いモノを「陋習」と断じ、捨てようとも、それを拾い続けると。
古いモノを捨て去り続けた果てにあるものは、自分達の歴史と積み重ねの「喪失」だと。
自分達の歩んだ長い歴史を「喪失」すれば、外界の変化にどう対応すれば良いのか分からず、ただ圧倒され、
だからこそ、この国が捨てたモノを、拾い、それを尊ぶと。
そうすることで、「喪失」から、この国を守ると。
侍でなくなった今の自分に出来る、精一杯の護国であると。
——それこそが、この古書店『
刀を失い、代わりに書を取った、秋津光慧の新たな生き様を。
「幸いにして、治安が悪化していた会津でも、秋津家の生家からは書物の類だけはほとんど盗まれておりませんでした。野盗にとっては価値の判らぬものだったからでしょう。光慧はその大量の書物を東京へ持ち出し、それを売る商売を始めました。……最初は誰も見向きもせず、うまくいきませんでしたが、続けるにつれて光慧の考えに賛同してくれる者も増え、『秋津書肆』はこの東京に根強く存在し続けました。関東大震災で一度倒壊してからも、多くの得意客からの助力のおかげで建て直しができ、今日まで続けることができております」
秋津家の道程を語り終え、最後にお母さんは微笑む。これまでの重みのあったソレは違う、いつもの主婦めいた笑み。
「まぁ、そんなところですわ」
聞き終えた陽司さんは、拍手を交え、少し震えた声で述べた。
「——素晴らしい。感動いたしました。侍でなくなったですと? とんでもない。あなた方は今なお侍だ。自分に出来ることを見つけ、それを活かして国や社会に尽くしたのです。刀や富や権威を振りかざすことだけが武士ではありません」
いたく感じ入った表情で、瞳も少しうるんでいた。嘘やお世辞では無さそうだ。
ご先祖様に対する手放しの称賛を貰って、僕は秋津に名を連ねる者として、嬉しくなった。
……さっきの「映像」を思い出した時の気持ち悪さも、引っ込んでいた。
「お茶、また入れましょうか?」
僕が全員にそう尋ねると、今度はみんなが頷いた。
お茶を入れている間も、お母さん達は話を続けていた。
全員分の湯呑みにお茶を入れ、各人の手元に置いたところで、僕は再びその会話の中に入った。
「——それにしても、東右衛門殿が失踪なさっていたとは…………つまり、牧瀬隆之助が彼に譲った刀も、この家にはすでに無い、ということですか」
「譲った刀、ですって?」
お母さんは目をぱっちり見開き、そう聞き返した。初耳です、と言わんばかりに。
かく言う僕も同じ気持ちだった。
隆之助が、東右衛門に刀を譲った? そんなことは、光慧の手記には書かれていなかった。
そんな僕らの反応に、陽司さんもまた目を瞬かせた。
「もしや……ご存知でないと?」
「ええ。聞いた事がありませんわ。よろしければ、お話を聞かせて頂いても?」
もちろん、と陽司さんは頷き、説明した。
「鳥羽伏見の戦いが始まる直前、隆之助は家にあった刀の一振りを、東右衛門に譲ったのです。無銘ですが、悪いモノではなく、何より
「鳥羽伏見の頃、ですか……だとするなら、光慧が確認していなかったのかもしれませんね。あの頃はそのような余裕は無かったでしょうし、戦闘の都合上、東右衛門と離れることもあったと思いますから。……どのような刀であったのでしょうか? 秋津の名に相応しいとは?」
お母さんがそう問うと、陽司さんは小ぶりの革の鞄から、一冊の本を取り出した。
紐綴じのされた、随分と古い本だ。それをテーブルの上に置き、慣れた手つきで
やがて、その手が止まる。
「隆之助の弟の秀継は、絵が得意でした。その刀を描いたのが、こちらです」
「こちら」と呼んで指し示したモノを見て、僕と、そしてお母さんも息を呑んだ。
「……うそ。
百年以上におよぶであろう経年によって黄ばみ、くすんだ紙面。
しかしそこには一つの絵が、黒くしっかりと残っていた。
抜き身となった、一振りの刀の絵。
その刀身に描かれた——
そう。
その刀は、まぎれもなく。
「光一郎…………これって、あなたの刀にそっくりじゃない?」
そっくりなんてもんじゃない。
同じだ。
——「
僕の中に眠る、至剣。
それと同じ名前をつけた、僕の愛刀。
望月先生から譲っていただいた一振り。
その刀身に刻み込まれた
「やはり、この家に、あるのですかっ?」
陽司さんが身を乗り出した。興奮気味なのか少し勢いがあり、テーブルの湯呑みのお茶が波打つ。
僕はお母さんと顔を合わせる。
「……光一郎」
「うん……」
短く、意思疎通が出来た。
僕は立ち上がり、自分の部屋へ入る。
陽司さんの隣に座して、両手で平行に「蜻蛉剣」を差し出した。
「どうぞ、ご覧になってください」
「拝見させていただく」
陽司さんが謹んだ様子で刀を受け取るのを確認した僕は、正座したまま少し離れた。刀を抜いて鑑賞出来るスペースを確保するためだ。
では、と一礼した彼は、右手で柄を握り、左手で鞘をそっと持つ。そのままゆっくりと、手前へ引いて抜いていく。
抜ききってから、両手持ちにし、切っ尖を真上へ向けた。刀身の全容を見つめる。
厳かな光沢を放つ刀身は、光に少しでも当たれば太陽のごとく輝き、影に落ちれば夜のように輝きを鎮める。刃の端から端にまっすぐ浮かび上がった直刃は、まるで雪原の地平線を思わせる。
——先ほどの古書の絵と全く同じ、枝に留まる
「おぉっ……!」
陽司さんの口から、
刀身を見つめたまま動かなくなる。言葉も出なくなる。
「ほぇー……いい刀じゃないの。それにイカした彫刻だわ」
そんな彼の隣に寄って刀身を覗いたギーゼラさんもまた、そのように呟く。
彼女の声で我に返ったのか、陽司さんは僕にか、お母さんにか、あるいは両方に言った。やや興奮した口調で。
「間違いありませんっ。これこそ……これこそが我が先祖の兄、牧瀬隆之助が、東右衛門殿に譲った刀です。東右衛門殿は居なくなっても、秋津家にはやはりこの刀が残っていたのですねっ?」
「いいえ。違いますわ」
お母さんの否定の言葉に、陽司さんはきょとんとする。
そこから先は、僕が説明を引き継いだ。
「その刀は、僕の剣の師である
「な——」
陽司さんが驚愕のあまり絶句する。……申し訳ないが、さっきから百面相で面白い。
「なぜっ? なぜ望月閣下が、この刀をっ!?」
僕へお母さんへキョロキョロしながら、そのように問う。
……まぁ、普通はそう思うよね。会津藩士の刀がどうして先生のところに、って。
かく言う僕も、この刀の素性が気になって、先生に尋ねたことがある。
返ってきた答えは、
「最初の剣の師から、十五の頃に授かったそうです。その師匠も、帝都の刀剣屋で錆だらけになっていた安物の刀を気まぐれで買ってから研ぎを依頼したそうで、具体的な素性を知らないらしくて…………戦場に落ちていた刀を、誰かが拾って売ったモノじゃないかというのが、望月先生の推測ですが」
「……なる、ほど」
今なお混乱している様子だが、とりあえず呑み込んだようだ。
呼吸と気持ちを整え、再び僕とお母さんを交互に見て、感謝を告げた。
「いずれにせよ、祖先の生きた証である刀をこの目にできただけでも、
陽司さんはゆっくりと納刀し、両手で平行に持って僕へ差し出す。
僕もそれを受け取ろうと両手で持ち、引っ込めようとしたが……出来なかった。陽司さんが、がっちり握ったまま離さないからだ。
僕はおずおずと問いかける。
「あ、あのー……?」
「え…………あ、あぁっ。すまないね。その……名残惜しくて」
陽司さんが苦笑して謝ると、お母さんがくすくすと笑った。ギーゼラさんも「親父子どもかよー」と可笑しそうに笑声を発していた。
和やかな雰囲気を感じながら、僕は今度こそ「蜻蛉剣」を受け取った。
なおも笑う女性陣と、恥ずかしそうにする陽司さんをよそに、僕は「蜻蛉剣」をじっと見つめていた。
————東右衛門の刀、か。