帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
六月二日、月曜日。
今日が六月最初の登校日だ。
制服の衣替えは六月から。つまり今日から十月まで、半袖ワイシャツとスラックスという夏服となる。……ベルトの左腰に木刀が差してあるのはこれまで通りだが。
早くも外気の熱が増してきて学ランじゃ少し暑かったので助かったと思う一方で、感慨深いものも感じる。
……学生としてこの夏服を体に通すのも、あと四ヶ月程度なのだ。
十月からはまた学ランに戻り、もう以降は着ることはない。
それを考えると、この夏服を着ている一日一日を大切に過ごそうと思えた。
とはいえ、早朝の登校時間にすることは変わらない。一人なら黙々と歩き、途中でエカっぺと出会ったら話しながら歩くのみだ。
変わることがあるとすれば、エカっぺと話す内容くらいだ。
「——最近、多いわよね。
僕と隣合わせに歩道を歩くエカっぺが、今日の話題を出してきた。……ちなみに彼女も半袖セーラー服という夏仕様だ。もともと百六十センチ弱の僕より十センチ近く背がある彼女だったが、一昨年の頃に比べて、その姿はさらに大人びて見える。女性として「可愛い」から「綺麗」に移ろいつつある。
しかし、その口から出てきた話題は物騒で、しかも
「昨日のアレも、同一犯だったりするのかな……」
「分かんないわよ」
『昨日のアレ』とは、言うまでもなく、秋葉原で発見された死体のことを指す。——この遺体の事は、昨日の夜、テレビのニュースでやっていた。
……首を鋭利な刃物で深く斬られた遺体。
昨日の秋葉原に限らず、このような遺体が見つかることが、最近の帝都では多い。
同一犯なのか、組織犯なのか、警察側もまだ断定ができていない。どの首斬り遺体も、その容疑者が見つかっていないからだ。事件がいまだに解決せず、犠牲者が出続けていることについて、報道は警察の不手際を否定的に述べていた。
しかし、断定ができていないだけで、予想は出来ている。
主にニュースのコメンテーターが、その予想に言及していた。
「——やっぱり、『人斬り
去年の九月に起こった、
それによって、今まで収監されていた多くの囚人が野に放たれた。その脱走囚はいまだ捕らえきれていない。
豊島拘置所は、あらゆる重罪人を収監する監獄施設だ。なのでそこから逃げ出した者もまた、悪人の中で「札付き」といえる存在ばかりである。そして、そんな逃げ出した彼らを、警察はまだ捕まえきれていない。
そのことに関しても、世間では警察の不手際を責める声が大きくなってきていた。……「内務省が外国と癒着していて、犯罪者をわざと野放しにして帝都を混乱させている」という無茶苦茶な陰謀論も生まれている始末。
かつて帝都を震撼させたという連続殺人犯。
首などの動脈を一太刀で深くまで斬り裂き、勢いよく湧き出す鮮血を「
三十人以上もの犠牲者を出したのちに逮捕となり、死刑判決が下り、豊島拘置所にて十三階段を待つ身となった。
そんな危険人物は、今なお野に放たれたまま、捕まっていない。
秋葉原の遺体を含む、ここしばらくの殺人事件が、その『人斬り錦蔵』の犯行であったとしたら……
「知らね。オマワリすら、まだご存知無いみたいだしね。はっきりしてるのは、斬られた死体が出始めたのが、先月の半ばあたりからってことくらいだわね」
「そうなの?」
「うん。……
手口は同じ、しかもヤクザも平然と
「……だとすると、どうして去年じゃなくて、今になって人を斬り始めたんだろう?」
「さぁ? シリアルキラーの気持ちなんて分かんないわよ。とにかく、あんたも戸締りだけはしっかりしときなさいね」
「エカっぺもね」
「当たり前だし。あたしはロシア人って理由だけで家に石投げ込まれた事のある女よ?」
エカっぺはふふんと不敵に笑うが、僕はあんまり笑えなかった。自虐が酷かったというのもあるが、あまりにも物騒な事件だからだ。
今回の事件もそうだが、ここ最近の帝都の治安はよろしくない。昨日の秋葉原での一件に立ち会ったこともあり、今は余計にそう思っていた。
……なんだか、どんどん世の中が、悪い方向に進んでいるような気がする。
ふと脳裏にチラついたのは、ある人物。
去年の『
初対面なのに、しかも
『あの男には……気を、つけろ』
『また、必ず、この国と、お前の、愛する者達、に……厄災を、もたら、そうと、する、かも、しれん』
村正の死に際の言葉だ。
彼は、人間を信頼できないと言っていた。人間は尽くしたとて、必ずしも報いてはくれないからと。
磨けば必ず報いてくれる剣をこそ信頼した。
そんな孤独だった彼が、唯一行動を共にしていた人物こそが、僕の知る限り「あの男」だけだった。
そして、僕が「あの男」と接触していることを、村正は知っていたはずだ。村正はライブハウス地下二階にいた。そこへ辿り着くためには、「あの男」のいた地下一階を通らないと無理だからだ。
……その上で、死に際に警告したのだとしたら。
……村正の言う「あの男」と、僕が今思い浮かべている「あの男」が、同一であるとするなら。
……ここ最近の帝都の治安悪化が、脱獄した「あの男」の暗躍によるものだとしたら。
(——考え過ぎだ)
理屈を超え始めた僕の思考に、僕自身で歯止めをかける。
だけど、仮に、もし本当に「そう」だとしたら。
『お前の、剣は、きっと……それを、防ぎ……止める…………ため、の……』
僕は、どうするんだろうか。
というか、そも僕みたいなただの中学生に、どうこうできる問題なのだろうか——
「いてっ」
不意に背中にやってきた平たい衝撃に、思考が中断させられた。
エカっぺの張り手だった。
「エ、エカっぺ?」
「さっきから重い顔して無言で歩いてるけど、いったいどうしたのよ? 調子悪い?」
「いや、なんでもないよ。ちょっと考えごと」
「ふぅん?」
興味があるような無いような、曖昧な相槌を打つエカっぺ。
やがて、
証拠口で上履きに履き替えて校舎へ入り、三階まで登ったところでそれぞれの教室へ別れた。……二年間ずっとエカっぺと一緒に同じ教室まで歩いていたので、二ヶ月経った今なお少し寂しい気分だった。
そんな気持ちを引きずりながら教室へ向かうと、何やら級友らが騒がしかった。しかも、少し穏やかならざる感じに。
誰かが喧嘩でもしたのかと思いながら教室へ入る。
級友の視線は、みな一様に、ある方向を向いていた。
……誰も座っていない、机ひとつ。
確かあの席って、
「——栗山の奴、今日、
級友の群れの一箇所から聞こえてきたその言葉に、僕は息を呑んだ。
「可哀想になぁ。昨日、父ちゃんが死んだんだってよ」「なんでも、殺されたって聞いたぜ。
——秋葉原の、路地裏。
(なんてことだ……)
お父さんを失った栗山くんの心中を察し、心苦しく思う。
だけど、それと同じくらいに、胸騒ぎを覚える。
……「非日常」の魔手の、爪の尖端が、僕らの「日常」に届いている。
指で触れられ、掌中に収められるまで、もはや
僕はそう思わずにはいられなかった。
†
——今日も「彼岸花」が咲いた。
今日の昼、その男を路地裏に呼び寄せ、筋肉の鎧に覆われた太い首を愛刀で裂き、そこから盛大に「彼岸花」を咲かせた。
形はやや歪だったが、力一杯大きく咲き誇ってくれた。……体格的に優れた男によくある咲き方だった。
人が死に際に咲かせる「彼岸花」にも、個性がある。
性別、年齢、体格、健康状態、斬った時間帯……
似た「彼岸花」はあれど、一つとして同一の「彼岸花」は存在しない。
みんな違う。みんな美しい。
それでも。
「……大人を斬るのは、そろそろ飽きそうだ」
いくら一人一人違う「彼岸花」であるとしても、
いかに「彼岸花」を愛していようと、同じような傾向のモノを何度も見せられ続ければ、流石に飽きが来る。
最初は不安要素の除去もかねて、黒森会系組織を斬りまくってきたが、すぐにそれにも飽きの気配を感じ、一般人の「彼岸花」を求めた。そして、それにすら飽きが来ようとしている。
それは自分にとって許されざる感情だ。「彼岸花」は、
——たまにはもっと、若い
十代半ばほどの少年少女が望ましい。一度だけその「彼岸花」を見たことがあるが、小さいながらも、とても瑞々しい輝きと艶やかさを誇る鮮血の花弁。
その懐かしい花を、再び見たいと思った。
しかし一方で、警察も最近では過敏になっている。人斬り事件が横行している以上、いくら刀の所持に寛容な社会といえども、刀袋無しで持ち歩いていると流石に声をかけられかねない。なるべく長く「彼岸花」を見る日々を長続きさせるため、接触は避けたい。
普通ならば、一度犯行を中止し、世間のほとぼりが冷めるまで大人しくしているのが賢い選択だろう。
だがしかし……内心の「美」への渇望は、まるで呪いのように消えてくれない。
もっと「彼岸花」が見たい。
人が死に際に咲かせる、美しくも儚い徒花を。
咲き誇り、そして散らしていく、一瞬の
——身を隠す前に、一度見ておきたい。小さくも瑞々しい「彼岸花」の花畑を。