帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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人斬り錦蔵《一》

 ——僕は、階段で一階まで来たのではない。

 

 階段には、一階から逃げ上がってきた生徒でごった返すであろうことは、容易に予想出来た。そんな生徒らに逆行するとなるとどうしたって時間がかかる。今は一分一秒でも惜しかった。

 

 だから僕は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 三階なら無理だが、二階からなら無理じゃない。怪我をするリスクはあるが、鍛えられた今の僕ならそれも多少薄いだろうし、何より、今はそんな事を気にしていられない。峰子の身が危ないのだ。

 

 だがその前に、校長室に飾ってあった刀を半ば強奪同然に持ち出した。校長室には何度か訪れたことがあり、飾ってある刀の存在も覚えていた。相手は刀を持っている。無手で行くのは危険過ぎた。

 

 二階から飛び降り、そしてどうにか無事に着地成功した僕は、己の運動能力の向上に感動する間も惜しみ走り出した。目指すは昇降口。走りながら左腰のベルトに差してあった木刀を壁に立て掛け、校長室の刀を代わりに腰に()く。

 

 そうして訪れた昇降口は、一枚の扉を除いて全て固く閉ざされていた。開かれた扉から、なんだか変な匂いが漂ってきていた。

 

 扉の向こうには、ピンク色っぽい粉が散乱した昇降口と——件の黒い不審者と対峙する峰子の姿。

 

 不審者の放った一太刀を、峰子は手元の消火器——あの中身をぶっかけたのだろう。不審者にもピンクの粉が付いている——で防ぐ。しかしすぐに蹴り転がされて、そして近づかれ、斬られそうになる。

 

 ——だが、間一髪、駆けつけた僕の剣がそれを受け止めた。

 

 それから、僕は峰子を逃した。

 

 彼女が立ち去ったことで、いよいよ昇降口には僕と不審者、そして一人の大人を除いて無人となる。

 

秋津(あきつ)、何やってる!? 一緒に逃げるぞ! いや、そもそもその刀はどうした!?」

 

 国語の山根(やまね)先生だ。

 

 こんな異常な状況でも、彼は僕が逃げるのを待っている。……その足を震わせながら、なおも教師たらんと努めている。

 

 生徒の一人として感服だが、状況がそれを許さない。

 

 僕は目の前の不審者に剣を構えながら告げた。

 

「山根先生、無理ですよ。だって——」

 

 不審者が鋭い運足を伴い、鋭く太刀を放ってくる。

 

 僕はそれを一度、二度、三度と防いで距離をとってから、続く言葉をまた告げた。

 

「——どうやらこの人、僕を逃す気が無いみたいですから」

 

「し、しかし……」

 

「教師としての面目を潰してしまうようなことを言うようですが……ここはどうか、先生が先に逃げてください。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは、極めて柔らかく、しかし迂遠(うえん)に「邪魔」と訴えた言葉だった。

 

 山根先生は忸怩(じくじ)で顔を歪ませ、

 

「……役に立たない教師で、申し訳ない」

 

「いいんです。状況が状況ですから。先生は、警察が来るまで、体育館の生徒を守ってあげてください。僕も、なんとか隙を見つけて逃げますから」

 

「すまない……!」

 

 軋むような声でそう告げると、山根先生は階段へと向かった。

 

 僕は対峙する不審者へと剣と気を向けながら、遠ざかる足音を聞いた。

 

 不審者は一笑する。

 

「心外だな、少年。私は人質を取るなどというつまらん真似はしないぞ? ——強きも弱きも平等に斬り、死に際の命の徒花(あだばな)を咲かせるだけだからな」

 

 白骨めいた色白の肌と、陰険に整った造作をした細い顔だった。左目が前髪に隠れて唯一さらけ出された右目と、血塗れの剣尖が、僕を捉えている。

 

 緊張で喉の渇きを覚えながら、僕はその男を睨み据える。

 

 いろいろ言ってやりたいことはあるが、僕がまずこの男に尋ねたいのは。

 

「……あなたは、『人斬り錦蔵(きんぞう)』か」

 

 男は右目をパチリと瞬かせ、鷹揚に両腕を左右に広げた。

 

「よく分かったじゃないか。君くらいの年代の子は赤ん坊かまだ生まれてすらいない頃の出来事だろうに。……そう、正解だ。私は久原(くはら)錦蔵(きんぞう)。世間では『人斬り錦蔵』などと呼ばれている男さ」

 

 それから、顎でクイッとある方向を示した。

 

 僕は不審者——久原錦蔵から目を離さないように視野を広く使ってその方向、つまり学校の掲示板を見る。そこに貼られていたのは、一枚の手配書。

 

 「あの男」……木崎(きざき)圭介(けいすけ)の顔写真が入った。

 

「私は、あの男に逃がされたのだ。分厚い独居房(どっきょぼう)の扉を、まるで豆腐のごとく斬り裂いてな。見事な太刀筋だった」

 

 ——独居房の扉を、豆腐のように。

 

 僕は刑務所に入ったことがないから、独居房の扉がどれほど硬いのかは分からない。だけど、凶悪な犯罪者ばかり集められたその刑務所の独居房が、貧弱な作りをしているとは考えにくい。

 

 それを文字通り、一刀両断する剣。

 

 去年、バーカウンターで見た「あの男」の技を思い出す。刀から遠く離れた場所まで届く、飛ぶ斬撃。あれもまた、人智を超えた剣技だ。

 

 そして、そんな剣技は、僕は『至剣』以外、寡聞(かぶん)にして知らない。

 

 まさか、「あの男」も至剣流を皆伝して……?

 

「最初は大人しく過ごそうと思わなくもなかったが、極道の用心棒として人を斬った時、またしても「彼岸花」への渇望が蘇った。だから私は『人斬り錦蔵』に戻った。剣を鞘に納めたまま腐らせていくよりも、存分に解き放ち、死するまで存分に「彼岸花」を愛でようとな」

 

 ——彼岸花。

 

 『人斬り錦蔵』は、人間の首筋などを斬って噴き出した血流をそのように呼び、それを鑑賞するという異常な趣味を持っていたという。そのために、大勢の人が刃にかけられた。

 

 そんな殺人鬼がまた、この帝都で凶刃を振るっている。

 

 僕は震えた声で問うた。

 

「……この学校を襲ったのも、その「彼岸花」のためか」

 

「愚問。大人ばかり斬ってきたからな、たまには子供の「彼岸花」も見たくなった」

 

 刀を握る手元が震える。

 

 身勝手な殺戮に対する憤りと……そして、刃を向けられていることへの恐怖。

 

 今、僕が戦おうとしている相手は、かつて帝都を震撼させた人斬りだ。伝説の殺人鬼だ。

 

 怖くないわけがない。

 

 だけど、もう逃げられないし、逃げるわけにはいかない。

 

 それに……この人斬りが、「あの男」がもたらした厄災だというのなら。

 

『お前の、剣は、きっと……それを、防ぎ……止める…………ため、の……』

 

 いつぞやの遺言が脳裏をよぎった時、僕は手元の震えを強い握りで打ち消した。

 

「——これ以上、この学校の誰一人も斬らせはしない」

 

「そうか。なら——まずは君の「彼岸花」を拝むとしよう」

 

 錦蔵が動く。

 

 動きの前兆を見せたかと思えば、すでにその刃がこちらへ急迫していた。僕から見て左斜め上から。

 

 僕は飛び退いて回避。少し退がっただけですぐ避けられるくらいに、入りの浅い一太刀だった。おそらく、僕が馬鹿正直に剣で受けていたら、即座に剣を引っ込めて刺突なりなんなりに繋げていたことだろう。

 

 近づく錦蔵。僕は剣を大きく左上へ振って接近を阻む。だが錦蔵は止まりも退きもせず、僕の刃が触れるか否かというギリギリの距離を保って、刃が振り切られるや即座に加速しようとして、すぐにやめて後退。

 

 読まれたか——僕は振り上げと同時に、右こめかみ付近で剣を前へ並行に伸ばした「稲魂(いなだま)の構え」へ移行していた。この構えは前方広範囲を瞬時に「く」の字に斬る『電光(でんこう)』という剣技へ繋げることができる。もしもあの男が間合いへ入ってきたら、その稲妻めいた一太刀を走らせるつもりだった。そしてそれは確実に当たっただろう。

 

 やはり場数を踏んでいる。

 

 僕は「稲魂の構え」のまま、遠間にいる錦蔵を伺う。

 

 錦蔵は前髪の分け目から覗くその右目で僕を見た。僕の視線を吸い寄せそうな、深い黒々とした瞳。そして、蛇のような微笑を浮かべる。

 

「さっきも幾度か剣を交えて思ったが、その若さで大した剣腕だ。名前はなんという?」

 

「……人斬りに名乗る名など無い」

 

「酷いなぁ。私は君に訊かれて名乗ったというのに。……ならばこちらで勝手に分析させてもらおう。あの女子は「コウイチロウ」、そしてあの教師は「アキツ」と君を呼んでいた。コウイチロウアキツ、ではないな……アキツコウイチロウ。これが君の名だね。覚えておくとしよう」

 

 斬り合いへの恐怖を乗りこなそうと必死な僕に対し、余裕綽々とした態度を崩さぬ錦蔵に、僕は苛立ちを覚える。しかしそれも乗りこなそうと己を律する。

 

 ほどなくして、錦蔵が再び攻め寄ってきた。剣を下段後方に置いた状態のまま、顔と体を先んじて、瞬時に僕の間合いの中深くへ入ってきた。速い!

 

 僕はまたも飛び退きながら中段に剣を立て、同じタイミングで放たれた錦蔵の右脇からの一太刀を刃で受ける。間に合いはしたが、まさに間一髪であり、あとほんの少しでも動作が遅れていたら斬られていたに違いないため、自ずと肌が粟立つ。

 

 錦蔵の刀身が小刻みに動く。双方の()()()が重なり合うや、己の刀を一気に時計回りに捻り、それによって刃を左へ()()()()。その勢いで、僕の刀が視界の右へブリンッ、と弾き出された。ガラ空きとなった僕の喉元へ、剣尖と刃が喰らいつかんと即座に疾走。

 

 命に刃が届かんとする極限の感覚を覚えつつも、身に刻まれた技はほぼ自然に発露された。身を反時計回りに捻りながら刺突から首を逃し、同時にその回転に乗せて右から一太刀を発する。『颶風(ぐふう)』の動きを小さく縮めて応用したその一太刀を、しかし錦蔵は瞬時に己の剣を左耳隣へ引いて受けてみせた。

 

 錦蔵は愉快げに一笑したかと思えば、再び攻勢を見せてきた。

 矢継ぎ早に迫る刃の数々。それを僕は懸命に受けていく。

 錦蔵の一太刀一太刀に、純度の高い殺意が込められていた。

 子供だからと手心を加えている感じは一切しない。血まみれの刀身が刻む太刀筋の隅から隅まで、僕を死なしめるための意味が込められている。

 まさに、剥き出しの殺人剣。

 

 一方で僕の剣は「後の先」、つまり守勢から反撃するという性質が強い。

 なので防御や回避はもともと得意だ。さらには向上した「読み」の技術を合わせることで、的確に錦蔵の殺人剣を受け、いなしていく。

 そうしながら相手を伺い、隙を見つけたらそこへ刃を振り放つ。

 

「素晴らしい! その若さでその剣腕! 大したものだ!」

 

 己の身を裂こうとする刃から寸前で逃れながら、錦蔵は嬉しくもない称賛を送ってくる。

 

 なおも攻防は続く。

 殺意を込めた攻め手を休めない錦蔵。

 僕はそれを受け続け、時に太刀を発する。

 

 ……防御の時は軽やかに動くはずの刀が、攻めを行おうとすると途端に重く感じる。

 

 僕が今握っているのは、木刀でも竹刀でもない。少しでも肌を滑れば斬れる、最高峰の刃を誇る日本刀。その一太刀は容易に命を刈り取る。それが分かっているからこそ重い。

 百載(ひゃくさい)無窮(むきゅう)の防御は無い。受けるだけでは、いずれその守勢は削られ、崩される。斬られるまでの寿命が伸びるだけだ。

 

 だからこそ——斬らなければならない。

 

 自分の命と、その後ろにあるモノの未来を守るために。

 刀を持って戦うというのは、そういうことなのだ。

 それを僕は、村正との戦いで知ったはずだ。

 ……それでもなお、僕の刀は重たかった。

 

「感じるぞ、君の剣から、君の抱えるいろいろなモノを! 己が身を刃へ晒すことへの抵抗の薄さ! それに対する後ろめたさ! それらが相剋し、(はや)ってもいなければ戦慄(わなな)いてもいない、中庸に近い太刀筋を作り出している! 素晴らしい!」

 

 その重い刀を受けた錦蔵は、僕の剣をさらにそのように評した。

 

 切り結んだまま、錦蔵はその異様に黒い右目で僕を見つめ、見透かしたように(わら)う。

 

「秋津少年。君は——()()()()()()()()()()()?」

 

「——っ!!」

 

 思わぬ形で図星を突かれ、僕は思わず身をすくませた。

 

 しかし、そんな心理状態を見抜いてなお、錦蔵はそれを隙として利用しようとはせず、嬉しそうに言う。

 

「分かるぞ、私には。なにせ私も、数多の人間を斬ってきた身だ。同類は太刀筋で解せるさ」

 

 言われた瞬間、かぁっと熱と激情が競り上がってくるの実感した。怒りか、屈辱か、両方か。その混沌とした感情をそのまま吐き出す。

 

「——いっしょにするなっ!! 僕はあなたとは違う! 殺した相手からなにも受け取らない、捨て置くだけのあなたとは!!」

 

「私とて受け取るさ!」

 

 瞬時に左へ立ち位置を転じ、太刀を発する錦蔵。それもまた即座に剣で受ける僕。

 

「私は全て覚えている! 私がこれまで咲かせてきた「彼岸花」の数を! その形を! その()()を! 私は一輪たりとも忘却したことはない!」

 

 錦蔵はそこからさらに数珠繋ぎに連続で斬りかかる。

 

 考えて動いてからでは間に合わないため、体に刻み込まれた剣理の赴くまま、ほぼ反射的に対応していく。

 

「君がこれから咲かせる「彼岸花」も、今際の際まで忘れはしないだろう! 君はどうだ!? 私をここで斬ることで、君は私の(かばね)から何を受け取る!?」

 

 刺突を外側へ捌き、

 再び剣を引っ込めてからの刺突を回避しながら横へ移動し斬りかかり、

 それを防がれてから即座にやってきた小手斬りを、「稲魂の構え」へ転じながら後退して回避し、

 返す刀でやってきたもう一太刀を『電光』の太刀で打撃する。

 

 だが——僕の発した『電光』の太刀は、剣尖を右下へ向けた上段構えによって、滑り台のごとく右下へと受け流された。

 

「それが分かっていなければ、君に私を斬ることはできない!!」

 

 錦蔵の刀は急激に軌道を変じ、僕の右肩を狙った袈裟斬りと化して急迫した。

 

 だが、その刀が振り下ろされるよりも速く——僕は錦蔵の胴体へ右肩から突進した。

 

「ぐっ——」

 

 錦蔵の体が、仰向けに放り出される。体の位置が仰け反ったことで剣の位置も動き、僕は事なきを得た。

 

 仰臥(ぎょうが)した錦蔵を、遠間から見下ろす僕。

 

 僕の口が、自然と動いた。

 

「————()()()()

 

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