帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

246 / 295
人斬り錦蔵《三》

 僕は、今まであんなとんでもない相手と戦っていたのか——光一郎(こういちろう)が、伊織(いおり)錦蔵(きんぞう)の剣戟を側から見て、最初に思ったのが、それだった。

 

 身のこなしも、太刀筋も、凄まじく速く、おまけに容赦がいっさい含まれていない。

 一太刀受けられても、瞬時に太刀筋を変じて再び命を刈り取らんとしてくる。それを繰り返して、じわじわと相手の命に刃を近づけてくる。電撃的な速度と変化を持った剣。

 よくあんな相手と今までやり合えていたものだと、改めて思わずにはいられなかった。

 

 ——しかし、伊織の剣もまた、負けてはいなかった。

 

 蛇のごとき俊敏さで、伊織の左手首へ切っ尖を走らせる錦蔵。

 

 伊織は握っている小太刀ごと左手を引く。小太刀の刀身で錦蔵の切っ尖を受けながら、右手の刀で錦蔵を突きかかる。

 

 錦蔵は(おぼろ)のような残像を置き去りにして、上段構えになりながら伊織の左側へ立ち位置を移動。そこから発せられた袈裟斬りは、しかしまたしても伊織の小太刀と接した瞬間、右へ弾かれた。……小太刀に捻りを加えながら当てたことで、刀身の反りに弾かれたのだ。

 

 小太刀の弾きと並行して放たれた右剣の刺突を、錦蔵は後退して回避。右剣の刺突が錦蔵のすぐ右側面を通過し——今度は横へ動いて首筋に近づいた。錦蔵はさらに後退して右剣の刃から外れる。

 

 後退した錦蔵へ、伊織は近づく。二刀の切っ尖を眼前で付かず離れずにした円相の構え。そこから分厚く発せられた剣気が、錦蔵に再度の後退を強いた。しかし——背中が壁にぶつかる。

 

 円相の構えが錦蔵の首元へ喰らいつくか——と思いきや、錦蔵は瞬時に体を伏せた。伊織もまた同じように腰を落とし、錦蔵が右から放った一太刀を、二刀の()(はさみ)のように受け止めた。

 

 ぎりぎりと力比べで震える互いの剣。そのままお互いの腰が持ち上がり、最初に力比べから解放された錦蔵の剣が伊織へ疾駆。伊織は後ろへ飛び退きながらそれを二刀で払う。

 

 双方に遠間が出来上がり、剣戟が一度止まる。

 

「すごい……」

 

 光一郎は、我知らずそうこぼしていた。

 

 錦蔵のような、電撃的な素早さも急変も無い。

 片手で持てはするが、自在に操るにはやや重い、そんな真剣での二刀流であるがゆえだろう。小さく控えめで、流動性と躍動感に欠ける太刀捌き。

 しかし——非常に緻密に、研ぎ澄まされている。

 刀の形、それに宿る物理的な法則、そして日本刀の誇る最高峰の斬れ味。これらを最大限に活かした剣技。

 さらに、その場その場における刀と相手との位置関係を把握し、最小限かつ有効な太刀を放っている。()()()()()()()()。最短ゆえに最速。

 何より——あの錦蔵が気圧されて後退するほどの、重厚な「気攻め」。

 

 中学一年生の頃、光一郎が戦った時の伊織とは、次元違いの強さがそこにはあった。

 

「……今日は若く優秀な剣士と、よく出会う日だ」

 

 錦蔵が、やや感慨深げに言う。

 

「しかし、君はどう見ても、この学校の生徒ではないな。まして、職員にも見えん。それに……私を探していた、と言っていたが?」

 

「そうだ」

 

 伊織は二刀を下段に垂らしたまま、しかし鋭い気迫を崩さずに、敵意の滲んだ口調で言った。

 

久原(くはら)錦蔵(きんぞう)——テメェは道枢(どうすう)一刀流(いっとうりゅう)の門人だ。にもかかわらず、テメェはくだらねぇ殺しに手を染め、道枢一刀流の看板と、その流祖である鈴代(すずしろ)一玄斎(いちげんさい)の顔に泥を塗りやがった。道枢一刀流が絶伝させたのは、他ならぬテメェだ」

 

「……私が斬った人間の肉親かと思ったが、どうやら違う感じだな」

 

 うるせぇ、と伊織は吐き捨てる。

 

「俺のダチは……一玄斎の孫は今、テメェが潰した道枢一刀流を再び作り直そうって頑張ってる。俺はそれを応援している。だから——そんな道枢一刀流の剣で行うテメェの人斬りを、これ以上許すわけにはいかねぇんだよ。テメェは俺が止める。たとえここでぶっ殺してでもな」

 

「それはそれは……見上げた友情だな。嫌いではないぞ、そういうのは」

 

 伊織がゆっくりと足を進める。

 

 錦蔵は間隔を保つ形で、ゆっくりと後退する。

 

「だが私とて……獄中でただ飯を食って寝ていただけではない。そう簡単に望みが叶うとは思わないことだな」

 

 錦蔵の足が止まる。伊織もそれに合わせて止まった。

 

 かと思えば、錦蔵はおもむろに剣を右足ごと後方へ引く。

 

 ひどく悠然とした、こわばりの見られない、右下段後方の構え。

 

 それから……その「引力」は生じた。

 

「……っ?」

 

 まるで、体の輪郭が崩れて、錦蔵のいる位置へと引っ張られているような感覚。

 

 心が体から剥離(はくり)し、錦蔵の間合いの奥へと吸い寄せられそうな感覚。

 

 足元が浮いている感じがするが、靴越しに足指で地面を噛み、地上の存在を認識する。

 

 しかし、この謎の「引力」は、そんな理屈をお構いなしに働き続けている。

 

(……なんだ、これは)

 

 伊織の心はなおも静まっているが、それでも疑問は浮かぶ。

 

(いや、ちょっとまて。体が吸い込まれるような感覚? それってまさか——)

 

 錦蔵が動いたことで、その対応に心身を割かざるを得なくなる。

 

 右後方から放たれた振り下ろし。この動きは道枢一刀流の『大盈(たいえい)』だが、自分の友人のソレより速さも鋭さも大きく上回っている。

 

 対し、伊織は右へ動く。

 

 『大盈』が宙空を斬ると同時に、伊織が錦蔵の左後方を取る。

 

 このような隙のできやすい大技を放っておいて、その後は何も考えていないなんてことはあり得ない。迂闊に攻め込むのは危険だ——伊織の脳裏には、瞬時にそのような考えが浮かぶ。

 

 ()()()()()()()、伊織の足と右剣が動く。

 まるで、錦蔵の背中に、吸い寄せられるように。

 磁石と磁石が引かれ合うように。

 錦蔵の手繰り寄せた糸に繋がれた人形のように。

 

「————(たぁん)!!」

 

 言うことを聞かぬ四肢と剣の代わりに、伊織は声と気迫を用いた。

 

 振り向きざまに剣を勢いよく発して伊織の右剣を弾こうとしていた錦蔵は、それによって出鼻をくじかれた。間近の落雷に反応せずにはいられないのと同じように、理性を超えた本能の域にまで訴えかけるその強烈な剣気に当てられ、体が自ずから後退の姿勢を取った。——伊織に生じていた「引力」が消えたのも、それと同時だった。

 

 伊織が立ち止まり、錦蔵が離れ、再び遠間が生じた。

 

「……驚いたな。まさか、あんな方法で「この技」から逃れるとは。背後に雷でも落ちたみたいだったよ。その強い気勢を伴う緻密な二刀勢法……十中八九、二天一流だな」

 

 錦蔵は陰のある微笑を浮かべる。前髪の分け目から覗く額には、汗のひとしずく。

 

 伊織は鼻を鳴らし、面白くなさそうに言った。

 

「こっちも驚いたぜ。今の技……『谷神剣(こくしんけん)』だろ?」

 

 錦蔵は右目を一瞬大きく見開いてから、くつくつと潜んだ笑声をもらす。

 

「そうだ。己に宿る「欠落」に、相手の意と気と剣を引きずり込み、それを迎え打つ……道枢一刀流の奥義にして、かの鈴代一玄斎が得意とした剣技だよ」

 

 完璧な人間というのは存在しない。

 人は大なり小なり、しかし必ず「欠落」を抱えている。

 苦手なモノ、上手でない動き、動作的・心理的な悪癖……そういったモノを抱えていない人間はいない。

 そしてその内容も、人によって千差万別。

 それこそが「欠落」。

 剣の修行とは、その「欠落」を意識し、それを埋めていく作業である。

 ゆえに、常に己の「欠落」を意識し、己を不完全と思い続けなければならない。

 己を完璧と思い込んだ時、己の剣はそこで止まる。

 

 ——『谷神剣』とは、己の「欠落」を常に意識し、それを埋めるために精進するための、道枢一刀流の思想である。

 

 そしてこの思想は、同時に()()()()()()

 己の「欠落」を知るということは、己の弱みを知ることである。

 実際に斬り合う相手は、型稽古のように優しくない。己の弱みを嬉々として攻めてくる。

 ……ゆえにその「欠落(弱み)」は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 巨大な谷へたくさんの水が流れ、飲み込まれていくように。

 「欠落」という穴に、相手の気と剣と身を吸い寄せ、己の随意に動かし、そこを斬る。

 それを剣技として発展させたものが、奥義としての『谷神剣』である。

 

 道枢一刀流の流祖である鈴代一玄斎の『谷神剣』は、まさしく心身が彼の剣に吸い寄せられるかのような、凄まじい「引力」を持っていたという。

 

 ——錦蔵の『谷神剣』にも、確かに強い「引力」があった。

 

 冷静な思考とは裏腹に、体が勝手に(はや)って動いてしまうほどに。

 

 伊織は唾を吐きたい衝動に駆られる。

 

「……けったくそ悪い話だぜ。道枢一刀流どころか、剣客の風上にすら置けない貴様が、『谷神剣』をここまで高めるとはな」

 

「だが現実だ。刑務官の目を盗んでの独居房での練剣だけが、あの退屈極まる獄中生活における最大の癒しだった。そこで十年を超える修練の末に、私は『谷神剣』をここまで高めたのだよ。そう……一玄斎にも届き得るほどにね!」

 

 喜のにじんだ声で錦蔵がそううそぶく。

 

 それに対し、伊織はひどく底冷えした声で、冷厳に告げた。

 

「——口を慎め、人斬り風情が」

 

 限界を超えた怒りに、伊織は逆に頭が冷えて冴え渡っていた。

 身勝手な殺戮でその剣を血に染め、師とその剣の面目を叩き潰し、脱獄してなお不要な殺戮を繰り返し、そのくせ己の師の境地に達しただと?

 厚顔無恥という言葉ですら役不足。

 無恥を超えた邪悪。

 ……こんな邪悪のために、貴重な剣術流派が一つ消え、友人が狂ったのだと考えるだけで、憤懣(ふんまん)やるかたない。

 

 だが、そんな怒りを覚えると同時に、分かったこともある。

 

 この人斬りが『谷神剣』と称する——ひどく巧妙な()()のタネが。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。