帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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感謝状、そして号外

 六月十日火曜日、午前十時——東京都港区新橋某公道。

 

 あらゆる形や大きさや色をした乗用車が、何台も往来を繰り返している。

 

 日本最大の人口密度を誇る帝都東京ではありふれた光景だが、まだ午前であるため、車両の数は控えめだった。

 

 車両通行帯が左右ともに二本ある広い公道。その両端の歩道を繋ぐ一基の古い歩道橋が、行き交う車を物言わず俯瞰(ふかん)していた。

 

 すでに造られて何十年と経過している歩道橋だった。

 ところどころめくれ上がった塗装、そこから覗く地金の細かい錆びつき具合が、それらを雄弁に語っている。

 しかしそんな経年など感じさせないほど、その場にしっかりと鎮座している。

 

 そんな歩道橋に——突如として「(みぞ)」が生じた。

 

 左右の歩道から続く階段を登り切ってすぐの部分。車道から歩道橋を見ると、大きく間を広げた「ハ」の字のように見える「溝」。その「溝」が刻まれた場所は一辺だけではない。橋の周囲をぐるりと周回しても、どこからでも「溝」は視認することができる。

 

 次の瞬間、「ハ」の字状に区切られた場所と、両端の階段との()()()()()()()()

 

 ぽろり、と、歩道橋の()()()()()()は驚くほどあっけなく落下軌道を取る。

 

 そして——ちょうど真下まで来ていた一台の黒塗りの車を、その圧倒的重量で圧壊(あっかい)した。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 臨時休校明けの火曜日。

 

 一週間ぶりに富武(とみたけ)中学校へやってきた僕を待っていたのは、称賛と喝采の嵐だった。

 

 体育館にて行われた朝の全校集会。

 あのような凄惨な事件が起こった後であるため、いつもの全校集会とは雰囲気も内容も違っていた。

 先の人斬り事件で犠牲になった人々への哀悼、この頃悪化する治安に関する生徒への注意喚起、そして——この学校の生徒の犠牲を出さぬためにと勇姿を見せた、一人の男子生徒への感謝状の授与。

 

 今日この学校に訪れていた神田警察署の署長が、壇上へ僕を呼び出し、感謝状を手渡してくれた。

 

 僕がそれを受け取った途端、全校生徒からは拍手の音が大きく膨れ上がった。

 

 それらに対して、僕はどう返していいか分からず、思わず感謝状の匂いを嗅いだ。局紙(きょくし)の匂いがした。……それをエカっぺが指差してけらけら笑っているのが見えた。

 

 とはいえ、秋津(あきつ)君のやったことは極めて危険なことであり、彼が無傷で生きているのも幸運と言って良いことでしょう。なので、多少剣の腕に自信があったとしても、それを過信したりはしないように——校長先生のその勧告ののち、全校集会はすぐに終わった。

 

 体育館から解放される生徒達の中、僕だけは先生方に呼び出されてその場に残った。

 

 感謝状を入れておくための鰐柄(わにがら)の書状筒をもらった。

 

 それから署長さんから「君の事はよく知っているよ。去年の天覧比剣(てんらんひけん)での君の活躍ぶりは拝見させていただいたからね。中学校とは思えん素晴らしい剣の腕だ。だけど、それを過信してはいけないよ。今後また先週のような事態に遭遇したら、無理に闘おうなどとは思わず、我々を頼りなさい」と、やんわりと言われた。

 

 ……言われなくたって、斬り合いなんて危険な真似はこちらから願い下げである。

 

 それから教室に戻った僕を待っていたのは、級友による二度目の拍手の嵐だった。狭い教室で二十ウン名も一斉に拍手するもんだから、膨大な音が反響して耳が少し痛かった。

 

 きょとんとして立ち尽くす僕に、級友らが津波のように寄ってきて口々に言ってくる。「お前すげぇな!」「大したもんだよ!」「感謝状見せて!」「匂い嗅いでたよね? 良い匂いする?」「警察からの感謝状ってどんな感じなの?」……感謝状を見たいという声が多数だったので、とりあえず筒から出してその紙面を見せる。

 

 彼らからの称賛は授業の合間の休み時間になっても続き、各々ご飯を食べなければならないお昼休みになってようやく落ち着いた……かと思いきや、一人の男子に声をかけられた。

 

「——やぁ、秋津くん」

 

 彼と話すのは初めてだが、顔と名前は知っていた。何より……ここ最近、忌引(きびき)で学校を休んでいたという人だったので、余計に印象的だった。

 

栗山(くりやま)、くん……?」

 

「うん。こうして直接話すのは、初めて……だったね」

 

 その男子——栗山くんはややバツが悪そうに言った。背丈は僕より少し高い程度で、別段派手な部分も無い、いたって普遍的な容貌の男子だった。

 

 僕は思わず問う。

 

「えっと、僕に何か用かな?」

 

「うん……その、お礼が言いたくてさ」

 

 お礼? と小首をかしげる僕に、栗山くんは晴れやかな笑みを浮かべて感謝を告げてきた。

 

「ありがとう、秋津くん。——俺の父さんの仇を、捕まえてくれて」

 

 その発言に、僕は同情心を覚え、思わず目を伏せた。

 

「やっぱり……君のお父さんを殺したのは」

 

「……そうだよ。あの『人斬り錦蔵(きんぞう)』だって、警察は教えてくれた。なんでも、本人がそう証言してるって」 

 

 ——私は全て覚えている! 私がこれまで咲かせてきた「彼岸花」の数を! その形を! その花壇(・・)を! 私は一輪たりとも忘却したことはない!

 

 錦蔵の言ったあの言葉は、嘘ではなかった。

 

 報道によると、あの人斬りは警察の取り調べに対して素直に応じている。さらに警察が見せた死体の写真と、その殺した日時、そしてそこから咲いた「彼岸花」の形を全てはっきりと覚えていたそうだ。……その中に、栗山くんのお父さんも存在していたようだ。

 

 しかし、栗山くんの語気は皮肉に尖っていた。

 

「警察が役に立ったのは、()()()()だったよ。それ以外はてんで無能だ。俺の父さんを殺した『人斬り錦蔵』を捕まえられないだけじゃなくて、犯人が『人斬り錦蔵』だってことにすら気づけなかったんだ。……警察は、自分達が事件解決の主体みたいに語ってるけど、あの事件を解決してくれたのは、まぎれもなく、秋津くん達だよ」

 

「栗山くん……」

 

「秋津くんが剣を振るってくれなかったら、もっと多くの人が殺されてたはずだよ。大人達は自分達の役立たずを棚に上げて君を叱りつけたみたいだけど……俺は、君が英雄だって分かってるから」

 

 栗山くんは、そっと手を差し出してきた。

 

「何度でも言うよ。……ありがとう、秋津くん。犯人を捕まえて、真相を明らかにしてくれて」

 

「……う、うん」

 

 僕は少し顔が熱くなるのを実感しながら、彼との握手に応じた。

 

 ……自分のことを、英雄だとか、そんなふうには思わない。そもそも僕だって、香坂(こうさか)さんが来ていなかったら絶対に殺されていたのだ。

 

 それに、僕があの時剣を取ったのだって、峰子(みねこ)の安否が心配だったからの一言に尽きる。もし峰子が一階に残っていなかったら、僕も他の生徒の流れに乗って体育館に避難していただろう。

 

 僕のやったことは、どこまでも自分本位だった。公共への奉仕の気持ちみたいなモノは無かった、はずだ。

 

 それでも……目の前にいるたった一人の心が救われたのなら、やはりそれは嬉しいと思った。

 

 繋がれた僕の手をぎゅっと強く握り、栗山くんはとても晴れやかな笑みを浮かべて言った。

 

「やっぱり——世の中を正すのは、いつの時代も剣だよね」

 

 まるで憑き物が落ちたような様子で口にした、その言葉。

 

 平和を脅かす者を、剣で止めた——今回の事件の結末と、それを為した僕らへの称賛。

 

 普通に聞けば、そう受け取ることができるだろう。

 

 なのに。

 

 ……僕はどういうわけか、栗山くんのその言葉に、強い違和感を覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽の光がオレンジ色となった、放課後。

 

 全校集会で、しばらくの間は極力単独での帰宅は避け、複数人で下校するよう勧告された。

 

 別にその勧告に従ってのことではないが、僕とエカっぺと峰子は、三人一組で下校する流れとなった。その帰り道。

 

「すっかり富武のヒーローねぇ、あなた」

 

 峰子が呆れたような笑みとともに言う。

 

 僕は疲れた顔で応じた。

 

「いや、何度も言ってるけど、僕だけじゃなくて香坂さんも一緒だったんだからね。僕だけじゃ絶対今生きてなかったんだからね」

 

「らしいわね。だけど富武の生徒はその香坂さんと縁もゆかりもない。あなた達二人とあの人斬りの戦いも見ていない。極めつけに警察署長直々の感謝状授与を見せられれば、あなたに称賛を集中させるのは無理からぬことじゃないかしら」

 

 そんな僕を、エカっぺがお尻で体当たりしてくる。

 

「これからあんたの下駄箱が、恋文(ラブレター)でいっぱいになるかもしれないわねっ」

 

 なんだか面白くなさそうな彼女の顔と口調に、僕は言い返す言葉が思いつかない。

 

 エカっぺには、あの事件で随分と心配をかけてしまった。その弱みがあるからだ。

 

「まぁでも……そんなに長く続かないでしょ。みんなすぐ忘れるよ」

 

 僕がため息みたいに言ったその言葉を「号外! 号外です!」という妙に盛んな声が潰す。

 

「何だろう?」

 

 声のした方向へ目を向ける。

 

 若い男の人が、片手に紙束を持ち、その一枚一枚を道ゆく人へ配っている。左上腕には某新聞社の腕章。

 

「号外新聞みたいね。何かあったのかしら?」

 

 峰子の呟きに従うように、僕ら三人は号外配りの人へ歩み寄る。

 

 三人を代表する形で、峰子が新聞を受け取る。

 

 それから紙面に視線を移し……その目を大きく開いた。

 

「…………うそ」

 

 心なしか、その顔は青ざめているように見える。

 

 エカっぺも峰子の持つ号外新聞を覗き込み……同じように青い驚愕を顔に表した。

 

 僕も最後に覗き込み、そして我が目を疑った。

 

『蔵川首相 新橋で事故死』

 

 新聞の見出しには、大きくそう記載されていた。

 

「マズイわよ……これ…………」

 

 峰子の震えた呟き。

 

 エカっぺも、それに同意するように頷いた。

 

 ——僕はこの時、この凶報の持つ「本当の意味」を、まるで理解していなかった。

 




少なめで申し訳ないですが、今回の連投はここまで。
また書き溜めてから投稿します。


次回こそ、本当に世の中が変化します。
悪い意味で。
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