帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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柔術、そして訪問者

 

 六月二十八日。土曜日。

 

 夏が刻々(こくこく)と近づいていることを、日に日に高まりつつある外気温から感じられる。

 

 もうじき今みたいに稽古場を閉め切ったままの稽古がしんどくなるだろうし、アイスもさぞ美味しくなることだろうな——そんなことをふと思いながら、僕は今日も望月家で稽古に励む。

 

 しかし、今日は剣の稽古ではない。

 

 古びた稽古場の床に「どうんっ」と重たいモノが落ちる音が響く。……人間が倒れる音。

 

「っと……」

 

 エカっぺが一段落ついたような声を漏らすと、稽古着の(はかま)をパッと叩いて(すそ)を引き、それから素早く立ち上がった。

 

「——もう一度。今度はエカテリーナさんが()()()()

 

 螢さんが、そう命じた。

 

 指示に従い、僕ら二人は再び向かい合う。

 

 エカっぺが、左手で僕の右手首を掴みながら、右手で僕の喉元を押しかかる。

 彼女に体重をかけられた僕の体は仰向けに傾くが、僕は足腰を踏ん張らせて前へと力をかけ、体勢を戻しにかかる。

 だが、今度は僕の体は前へ吸い込まれるように流された。……前へ体を戻そうとした僕の力を、エカっぺが急激に身を翻すことで()()()()()からである。

 そうして僕の「力の流れ」を掴んだエカっぺは、背を向けたままさらに僕の懐深くへ入った。 

 先んじて引っ張られた僕の右腕。その上腕をエカっぺが自分の右肩へ乗せると、腰を勢いよく前へ折った。

 

 瞬間——僕の体が、()()()()()()()

 

 背中から倒れる前に、両足裏から床に「どうんっ」と着地する形で受身を取る。

 

 それから僕は立ち上がる。

 

「一度やめ」

 

 螢さんがそう静かに告げる。

 

「エカテリーナさん、さっきコウ君を()()()()()()瞬間、力の流れが急加速していた。余計な筋力が使われている証拠」

 

 う、と唸るエカっぺ。……僕も確かに、あの時のエカっぺの動きからは強引さを一瞬ながら感じた。

 

「コウ君は、随分と良くなった。身のこなしのぎこちなさは無くなったし、投げる時もスムーズに力が流れていた。()()として機能している」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 僕は少し嬉しくなりながらも、それを表に出さずそう返した。

 

 ——そう、柔術。

 

 今日、僕らがやっている稽古は、剣ではなく柔術である。

 

 『帝国制定(ていこくせいてい)柔術(じゅうじゅつ)』。

 明治時代、多くの柔術諸派の皆伝者が意見を出し合い、考案したという近代柔術だ。

 従来の柔術より比較的簡単で、なおかつ型の数も少なめ。それでいて安全に学びやすく、実戦ですぐに使える。

 他の武芸のように目録制度が無いということもあり、この柔術は警察や軍人を始めとした多くの人に学ばれてきた。

 海外でも人気があり、学ぶ層は軍隊からテロリストまでと幅広い。この柔術から派生した軍隊格闘術なんかもあるらしい。

 

 僕とエカっぺは現在、その帝国制定柔術を螢さんより教わっている。

 

 ちなみに、今やっていた技は「五番」という型だ。相手の力を利用した背負い投げである。

 

「……「七番」もそうでしたけど、なんであたしよりコウの方が柔術上手いんですかねぇ。あたしは学校の撃剣で散々崩し技を成功させてきたのに。我流だけど」

 

 エカっぺが納得いかないとばかりに唇を尖らせ、螢さんに問う。

 

 螢さんはどこまでも平坦な口調で返答。

 

「エカテリーナさんは、女子にしても、中学生にしても、体が大きい方。力もそこそこある。それが我流であっても投げ技や崩し技を成功させるための大きな優位点になっていた。けど、それがかえって、体系化された柔術を学ぶ上で足枷になっている。単純な力と体格にモノを言わせて投げる癖が付いてしまっている」

 

「う……」

 

「一方、コウ君は中学生男子にしてはやや小柄な方。必然的に自分より大きい相手と対することが多く、それが不利になる。だからこそ、由緒ある柔術の術理を身につける必要性が生まれ、柔術の未経験も相まって上達を早めることができた。……中途半端な成功体験は、逆に新しいモノを身につけにくくさせてしまう。コウ君にはそれが無く、なおかつきちんとした技術を磨く必要性があった」

 

「あ……ありがとうございます……?」

 

 褒められてるんだかそうでないんだかよく分からない想い人からの評価に、僕はぎこちない笑みでそう返す。……エカっぺから軽い肘打ちをもらう。

 

 そんな僕に釘を刺すように、螢さんはさらに言う。

 

「でも、出来るようになってそこで終わりじゃない。その出来るモノを何度も繰り返して練習する。そうすることで、技の術理を完全に自分の体に覚え込ませる。実際に技を使う時になった場合、敵はまず型通りの展開に動いてはくれない。だからこそ「技の流れ」ではなく「技の術理」そのものを体に覚え込ませて、意識せずとも自然に使えるまでにならないといけない」

 

「剣術と同じ……ですね」

 

「そう。そして柔術の稽古は、剣術の上達にも大きな助けとなる。柔術は人体の構造や生理反応などを利用する武術だから、それを学ぶことは人体そのものの理解度を高めることに繋がる。剣術は刀を使った武術だけど、その刀を振るのは人体だから、人体の構造や動き方を熟知することで、使える技の幅や応用が大きく広がる。中華大陸の武術が武器より先に拳法を学ぶのも、そこに理由がある」

 

 そういえば、氷山(ひやま)先輩や玄堀村(くろほりむら)の人達が使う柳生(やぎゅう)心眼流(しんがんりゅう)は、素手の拳法が流派の主軸になっていると聞いた。拳法の動きで、そのまま刀などの武器が使えると。

 

「だから、もう少し「五番」の型を繰り返し練習する。異論は?」

 

「ありません!」

 

 僕は元気良く否定した。

 

 だが、エカっぺは挙手した。

 

 螢さんが「なに」と短く問われ、エカっぺは答えた。

 

「今やってる技って「(おもて)」ですよね? ……「(うら)」は、いつ教えてもらえます?」

 

 彼女が言う「表」だか「裏」というのは、帝国制定柔術の技術の種類を指す言葉だ。

 

 ——帝国制定柔術には、人を殺さず制圧する術である「表」と、人を殺す術である「裏」、それら二通りの技が存在する。

 

 とはいっても、「表」の型、「裏」の型、みたいに型が二種類に分かれているわけではない。

 

 一つの型に、「表」の用法と、「裏」の用法、それら二つが同居している(・・・・・・)のだ。

 

 今やっている「五番」は背負い投げの型だが、この技には人を殺せる「裏」の使い方が存在する。……螢さんが言うには、この「五番」は柔術の世界では「岩石落(がんせきおとし)」と呼ばれていた技だそうで、その名の通り石を落とすように頭から地面に叩きつけるのだそうだ。怖い。

 

 螢さんはエカっぺの問いに対し、怒るでも笑うでもなく、ただただいつも通り抑揚に乏しい口調で答えた。

 

「今練習している「表」の技を、それなりに体で覚えてからでないと、「裏」は教えられない。……「裏」は、「表」の動きを少し変えただけですぐに使えるようになる。だけど逆に言うと、まずはその「表」をしっかりと身につけて技の基礎を作り上げないと、「裏」は使えないということ。そもそも「裏」は殺し技だから、危険過ぎて「表」のように反復練習できない。だから安全に稽古できる「表」だけを練習する。「表」が出来るようになれば、それはもう「裏」が出来るのと同じ。……それが帝国制定柔術の優れた点。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。とても効率的」

 

 今度はエカっぺだけでなく、僕も視野に納めた上で、螢さんは続けた。

 

「柔術というのは、日本武芸の思想の一つである「神武不殺(しんぶふさつ)」を強く表したもの。他の国の武術が殺しを第一目標とするのとは逆で、柔術は殺さず制することを基礎としている。警察や軍隊のための実用性を重視した帝国制定柔術にも、その「神武不殺」の思想は消えずに残っている。「表」を学ぶことが「裏」に繋がるという技の仕組みが、それを物語っている。……だから、忘れないで。相手を尊重することが、柔術を身につけるための第一歩だということを」

 

 僕とエカっぺは顔を見合わせ、明るく微笑み、その笑みを螢さんへ向けて、

 

「「はい!」」

 

 そう返事をした。

 

 その時……螢さんの口元が、かすかに微笑を作るのが見えた。

 

「ん。じゃあ、改めて「五番」をもう少し練習——」

 

 ——ぴん、ぽぉーん。

 

 螢さんの続く言葉を断つような形で聞こえてきたその電子音は、望月家のインターホンである。インターホンとその音声対応用室内機は稽古場の壁にもあり、稽古中でも客人に対応できる。

 

 螢さんが音も無くその室内機へ近づいてスイッチを押し、「どちらさまでしょうか」と尋ねる。すると、

 

『——陸軍の者です。僭越(せんえつ)ながら、望月源悟郎(げんごろう)閣下に喫緊(きっきん)の要件があり参りました』

 

 男の声が返ってきた。電子音声なので、年齢はよく分からない。

 

 螢さんは一瞬黙ってから「少々お待ちください」と告げてスイッチをOFFにした。

 

「少し出てくる。しばらくの間、ここで「五番」の稽古を続けていて」

 

 僕らにそう言い残し、螢さんは稽古場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 螢が門を開くと、そこには三人の男が立っていた。

 

 全員、三十代に達していないであろう若さだった。

 

 服装も一致している。白いワイシャツに国防色のスラックスという、陸軍夏用常服。左腰には陸軍式太刀型軍刀をホルスターで()()いている。……それぞれの軍帽を見て、全員が尉官(いかん)であると判断。

 

「義父の、知り合いでしょうか」

 

 「軍人」ということからそのように予想した螢がそう問うと、三人は軍帽を外し、一様に深く頭を下げた。軍人らしく、寸も乱れぬ一致ぶりだった。

 

「——望月閣下の御息女、望月螢どのとお見受けします。初めまして。自分は白鳥(しらとり)九郎(くろう)陸軍中尉であります。以後、お見知り置きを」

 

 三人のうち、前に立つ一人の青年将校が、顔を上げてそう告げた。

 

 他の二人はいかにも軍人らしく体格が大きくて精悍(せいかん)な顔つきだが、その白鳥という青年将校は打って変わって細身で、どこか知識人めいた面長の顔つきだった。しかしその目には小さく凝縮されたような生気が宿っている。……さらに細かい所作を見て、この三人の中で最も()()()と判る。

 

前川善二(まえかわぜんじ)陸軍少尉です」「紀井(きい)(おさむ)陸軍少尉であります」と、残りの二人も自己紹介してくる。

 

「はじめまして。望月螢です。……それで、用件は?」

 

 螢がそう問うと、またも白鳥中尉が答えた。階級もあってか、どうやらこの人物が三人の代表的存在のようだ。

 

「望月源悟郎閣下とお話したいことがあり、ここへ参った次第です」

 

「……義父からは、何も聞いておりませんが」

 

「失礼致しました。なにぶん急を要したがゆえ、事前の断りを省いてしまいました。全ては当方の不手際です。どうか平にご容赦を」

 

 白鳥中尉はそう言って、再び深く頭を下げる。

 

 ……螢は考える。この予定外の客人を、どう扱おうかと。

 

 予定をあらかじめ作らずの来訪は正直少し困るが、かといって歓迎せざる客人かというとそうとは思えない。

 

 けれど、あまり源悟郎を軍関係者と話をさせると、戦時のトラウマを誘発してしまう可能性もある。悪化した心臓のことをおもんばかると、職業差別のようで嫌だが会わせるのは気が引ける。

 

 どうしたものかと黙考していると、

 

「——構わないよ」

 

 いつの間にやら螢の隣に来ていた甚兵衛(じんべえ)姿の源悟郎が、そう静かに答えた。

 

 かつての名将が現れた途端、三人の青年将校は条件反射のように、俊敏に敬礼姿勢を取った。

 

「やめたまえ。わしはもう君らの上官ではないよ。市井(しせい)の片隅にいるガタガタの(じじい)だ」

 

 源悟郎は苦笑しながら言う。

 

「立ち話もあれだ。せっかく来たのだから、まずは上がりたまえ」

 

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