帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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一殺多生

 

 少し時を(さかのぼ)り——六月二十八日、午前八時半。東京都港区赤坂。

 

 

 

 

 名倉(なくら)惟正(これまさ)の両足は、一切の迷い無く、一つの目的地へと向かっていた。

 

 この赤坂は、あらゆる国の大使館の集まる場所だ。その分、警察による見回りも厳しい。外国の大使館に何か起これば、下手をすると国際問題だからだ。

 

 法に触れる意思の無い一般人が歩き回る分には多少居心地の悪さを感じる程度であろうが、()()()()()者にとってはまさしく蜂の巣へ飛び込むに等しい。……名倉のような全国規模の()()()()にとってはなおのこと。

 

 警察に捕まる危険を犯してまで、名倉が向かっている場所はただ一つ——在日アメリカ大使館。

 

 ……去年九月、豊島(としま)拘置所(こうちしょ)を抜け出した死刑囚の一人である名倉は、それ以降ずっと身を隠して暮らしていた。

 

 最初は無辜(むこ)の同志らに(かくま)われていたが、五月初旬ごろに特別高等警察の者が同志らの周囲を嗅ぎ回るようになった。国家主義者らによる反軍縮のデモ活動が増え始めたからだ。発見される危険と、同志らに(とが)が与えられる可能性を配慮し、名倉は出ていった。

 

 その後——すぐに「彼女」に出会った。

 

 神威のごとき「彼女」の気風と、その思想、さらには()()()()()()()()()()()()に、名倉は強く心惹かれた。自分は出会ったその日に「彼女」へ(ひざまづ)いた。

 

 さらに「彼女」は隠れ家も提供してくれ、衣食も補ってくれた。……こちらが何者であるのかを知った上で、慈悲をくれた。

 

 素性が素性なので、他の()()の前に出すことは出来ないらしかったが、それでも名倉は「彼女」の慈悲に深く感謝した。

 

 その上で、考えた。——自分はこれから、何をすべきであるのかを。

 

 老い果てるまで隠れ続けることも「彼女」から許されているが、名倉はそれを良しとは出来なかった。

 

 それは、名倉が死刑囚となった理由に起因している。

 

 ——アメリカという貪欲(どんよく)禿鷹(ハゲタカ)の魔手から、この国を救わなければならない。

 

 日本は確かに日ソ戦にて勝利を収め、共産主義の超大国を崩壊させた。

 

 しかし、次なる脅威はすぐにやってきた。アメリカである。

 

 戦勝後、疲弊した日本は、アメリカと軍事同盟を結んだ。

 

 それは、名倉にとって極めて許し難い試みだった。

 

 西洋人を信じ過ぎるのはあまりにも危険だ。名倉は歴史的事実からそれを痛感していた。

 

 幕藩体制を真に崩壊へ導いたのは、薩長ではない。強大な軍事力に酔いしれるまま、東洋に対して横暴な振る舞いをした西洋人だ。

 連中に負けまいと近代化を拙速に進め、わずか四十年ほどで列強の一国に食い込んでも、西洋人は非白人国家である日本を対等には扱わなかった。アメリカの排日移民法や、パリ講和会議における人種差別撤廃案の否決がそれを如実に物語っている。

 第二次欧州大戦中、ほぼ無関係に等しかった日本は大戦景気で大儲けして経済成長を果たしたが、それを妬んだ欧米諸国が一方的に軍事的関係を切り離した。

 名倉や、それと志を同じくする者達にとって、欧米諸国や白人は、野蛮かつ陰湿な洋夷(ようい)でしかなかった。

 

 そういった歴史から何一つ学ばず、今なお洋夷どもにおもねる政権に名倉は義憤を覚え、その赴くまま斬奸状を書き送り、当時の総理の邸宅に斬り込んだ。……総理にその刃は届かず、女中や護衛ばかり殺してしまったが。

 

 奸臣(かんしん)を斬り損じ、獄につながれ、十三階段の順番待ちとなってしまった名倉は、悔恨(かいこん)を噛みしめながら獄中で過ごした。命乞いなどせず、死するその瞬間まで粛々としていることが、現体制に対するせめてもの抵抗だった。

 

 ——しかし、そんな死刑の未来は、突然断たれた。

 

 このような形で再び娑婆(しゃば)へ出れたことには、きっと天命のようなものがあるのだと、名倉は思った。……「彼女」のような超常的な存在に会えたため、なおのこと。

 

 しかし、何をすれば良いのか迷っていた名倉に対し、「彼女」はまたも神託めいた助言をくれた。

 

一殺多生(いっせつたしょう)——貴方がかつて訴えていた言葉です。手にある「剣」で一人を斬り、万人を救う。貴方の持つその「剣」で何を為すかは、貴方自身がすでにご存知のはずです。答えはすでに、貴方の中にある』

 

 そうだった。

 一殺多生。そう叫びながら、かつての首相も斬ろうとした。

 暴米(ぼうべい)に帝国を売り渡さんと欲する奸臣を斬り伏せ、数多の帝国臣民を救わんとした、かつての自分。

 一振りの「剣」で、世界を変えようとした自分。

 ——自分は長い獄中生活で、そんな信念も忘れてしまっていた。

 「彼女」は、それを思い出させてくれた。

 やはり「彼女」と出会うことこそが、監獄から解き放たれた自分の天命だったのだ。

 

 ——もはや、迷いは無かった。

 

 生まれ出たその時からある我が足は、今、アメリカ大使館へ向けてひたすら歩を進めていた。

 

 「一殺多生」を果たすために。

 

 そして、到着した。

 

 アメリカ大使館前。洋夷の魔城。

 

 案の定、大使館前で警備していた警官が、立ち止まった自分を不審がって近寄ってきた。

 

 それよりも早く、名倉は懐から短刀を出し、鞘から抜き、その切っ尖を()()()()()

 

 ——警官を殺した程度では、誰の心にも響かない。

 ——自分一人では、アメリカの要人のところまで近づく力も無い。

 ——ならば、()()()()()()()()()()

 

 命を賭して、己が信念を大衆に訴えるのだ。 

 

 さすればその声は雷鳴のごとく耳朶(じだ)と心を震わせ、人々を動かす。

 

 もとより死するはずだった身だ。この命一つで、洋夷を排し、この大和を平らげられるというのならば安いものだ。

 

 上着を全てめくって腹をさらけ出し、そこへ冷たく輝く切っ尖を向ける。

 

 警官が慌てた様子で止めようとするが、何もかもが遅い。

 

 (はら)。そこに宿るとされている魂から生まれし願いを吶喊(とっかん)し、

 

「洋夷に国を売り渡させたもうなぁぁ————————!!」

 

 名倉は、己を斬った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『名倉惟正 米大使館前で自刃』——この一件は、日本中に大きく報じられた。

 

 本来ならば、首相殺害未遂を行なった「テロリスト」による奇行であると、大衆から認識されるはずだった。

 

 しかし、名倉は死刑囚としてだけでなく、国家主義者としても有名だった。

 

 何より、死ぬ直前まで、しきりに叫び続けた「洋夷に国を売り渡させたもうな」という言葉。

 

 反米、反軍縮の気風が強い昨今の世情において、名倉の命懸けの訴えは、多くの日本人の心を大きく震わせた。

 

 彼に対する認識を「テロリスト」ではなく、「国士」にしてしまった。

 

 ——結果、反米、反軍縮の気風はさらに強まった。

 

 名倉は、国家主義団体らが資金を出し合って葬儀される形となった。安置された名倉の遺体の前に線香や花を添える者が大勢現れた。

 

 街宣して「軍縮反対」「日米同盟解消」「驕り高ぶった暴米を膺懲(ようちょう)せよ」を訴える団体が増えた。

 

 帝都東京の各公民館にて、反米集会が盛んに行われた。

 

 ——そんな日本の世情の変化は、アメリカに対しても影響を与えた。

 

 アジア系不法移民の摘発が強化された。

 政府側が「アジア系」を集中的に取り締まると明言したわけではないが、当局によって摘発される不法移民の人種の割合において、日系、中国系、韓国系の割合がいきなり急増したため、「そのような」意図が絡んでいることは明白であった。

 

 白人種を中心とした市民団体による反日デモが多発。

 

 これまで親日的であったはずの白人種の著名人までもが掌を返し、人種差別と受け取られないワードを巧みに操って日本と日本人を非難した。

 

 ——日米双方とも、互いの顔面に球をぶつけ合うように心証が悪化していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらに、荒れた世情は、その世情に応じた形の「陰謀論」も醸成させた。

 

 曰く——アメリカとロシアは繋がっていて、共謀して日本を弱国化させ、後に侵略しようと画策している。

 

 『米露(べいろ)共謀説(きょうぼうせつ)』と呼ばれるようになるこの陰謀論が、どこからともなく生じた。

 

 ——日本が弱国化して、一番喜ぶのはロシアである。

 ——アメリカもロシアも、ともに白人種が多数派の大国。どれだけ対立していたとしても、黄色人種だらけな日本よりは互いに共感しやすい。

 ——事実、日ソ戦にて日本が勝利したことに、アメリカでは喝采よりも落胆が優っていた。それどころか「日本脅威論」が再び騒がれた。かつての日露戦争後とまるで同じだ。黄色人種の国が戦勝したことが気に食わないのだ。

 ——共産主義というイデオロギーから脱した今のロシアは、人種的多数派、民主主義という点ではアメリカと共通している。

 ——だからこそ、その似通った二大国が共感しあい、共に気に入らない相手……日本を攻め落とさんと汚い謀略を巡らせている。「日米高度戦略連携協定」もその一つだ。

 

 理屈と膏薬(こうやく)はどこへでも付く、という言葉がある。なまじ説得力はあるが、やはりそれらしく取り繕った感じが否めない。この『米露共謀説』はそんな説であった。

 

 しかし、昨今の日本で、それはすんなり受け入れられた。

 

 陰謀論拡大の要因は主に二つだ。

 「このままでは何かを失い、奪われるかもしれない」という恐怖や焦燥感と、「疑問と不安を早く解決したい」という欲求。

 そこへ元々あった強い反露感情と、最近の反米感情。

 受け入れられる土壌は、十分に出来上がってしまっていた。

 

 最初は、街角において(ささや)かれる噂話に過ぎなかった。

 

 しかしすぐにそれは、はっきりした形をとって顕在化(けんざいか)することとなる。

 

 排外主義という、現実的な脅威として。

 

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