帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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中学最後の夏、そして非難

 

 ——七月七日、月曜日。

 

 時が経つのは早いもので、もう七月になってしまった。

 

 最後の中学校生活も、折り返し地点に近づいている。

 

 今まで続いていたモノの終わりが近づくことへの、ある種の焦燥感というか、かすかな不安というか、そういうモノを僕は最近感じていた。

 

 小学生の頃は、そういうのは全く感じなかった。むしろ小学校が終わり、中学生になるのが楽しみですらあった。その中学生の終わりが近づく今を、小学生の頃みたいな「楽しみ」って感じで待っていられないのは、ひとえに……進路のせいだろう。

 

 義務教育は中学で終わりだ。その後の進路は、自分で考えて決めなければならない。進学したり、就職したり、軍に入ったり、人によって進路は異なる。

 

 高校進学を選んだ僕は、それに向けて現在受験勉強中であった。

 

 日々勉強の積み重ねを怠らなかったこと、苦手科目の理数系をエカっぺに補ってもらってきたこと……そのおかげで、手前味噌だが僕の成績はかなり良い。

 

 ——しかし、流石は帝都大学付属高校の功隆(こうりゅう)学院。一筋縄ではいかない。

 

 先月に功隆学院の模擬試験を学校で受けて、先週末にその結果を返されたのだが、結果はC判定。

 

 悪くは無いのだが、功隆に確実に入りたいのなら、BとかAは欲しいそうだ。

 

 僕的には結構良い感じに答案できたつもりだったので、ハードルの高さを覚えた。もう少し頑張らないといけない。

 

 ——人斬り事件とか無かったら、もっと勉強もはかどったかもなぁ。

 

 そんな過ぎた事を考えながら、僕は朝の通学路を歩いていた。

 

 帝都の外気温は、照りつける太陽光に焼かれるのをはっきり感じられるくらいにまで高まっていて、完全に夏入りしたって感じだった。朝である今はまだ落ち着いているが、昼になると普通に歩いているだけでも汗が額に浮かぶ。

 

 隣には、夏用セーラー服姿のエカっぺが歩いていた。半袖とスカートから伸びる手足の肌は日本人離れした白さで、まばゆい太陽光を受けてさらに明るさが増して、見ていて目が少し痛いくらいだった。一方、生え際まで金色なふんわりショートの髪は、それほど光を反射していない。染色めいた光沢の無い、ホンモノのブロンドって感じ。

 

 僕より十センチくらい高い彼女の顔を見上げて問う。

 

「そういえばエカっぺ、前に陸士(りくし)の模試受けたんだよね? どうだった?」

 

 エカっぺは進学希望者だ。しかし僕みたいに大学付属高校ではなく、陸軍士官学校を受験する予定だ。ちなみにその陸士の学科試験も、功隆と同じくらい、下手をするとそれ以上に難易度が高い。賢くて成績も良いエカっぺでも至難だろう。

 

 僕はそう思って話しかけたのだが……エカっぺは前をぼんやり見つめているだけで、答えない。

 

 ——まさか。

 

「あ、あのー……もしかして、模試の結果良くなかった……?」

 

 薮蛇(やぶへび)をつついてしまったのではと感じた僕は、おそるおそる問うた。

 

 だがエカっぺは、僕の予想とは異なる反応を見せた。

 

「……え、えっ? な、なにコウっ?」

 

 僕の二度目の問いかけに、エカっぺは数秒遅れで慌てて反応し、そのように尋ねてきた。

 

 質問したのは僕なんだけど……そう言いたい気持ちを抑え、僕はもう一度訊く。

 

「陸士の模試、結果どうだったのかなって」

 

「あ、あぁそれね。えっと……C、だった」

 

「そっかぁ。やっぱり陸士も、Cじゃ心許ない感じ?」

 

「う、うん……そうみたい」

 

 エカっぺはそこまで言うと、また黙ってしまった。

 

 沈黙が続き、僕ら二人の靴が地を踏む音がやけに大きく聞こえる。

 

 普段なら、彼女からすすんで話題を振ったりするのだが、今日はなんだかやけに大人しい。

 

 僕はエカっぺの横顔を見る。肌同様に異人の血が現れた彼女の青い瞳は、またも目の前を見るともなく見ていた。心ここにあらずな感じだった。

 

 明らかに様子がおかしい。

 

「……エカっぺ、何かあった?」

 

 僕はそう問うと、またもビクッと震えて反応した。大げさな反応。

 

「べ、別に何も無いわよ」

 

「本当に?」

 

「う、うん。ちょっと、今日は寝不足なだけ」

 

「そっか……困ってたら遠慮なく相談してね。力になるよ」

 

 そう告げてから、僕はふと思った。

 

 何かあったら、力になる——僕はこの言葉をあと何回言えるのだろうか、と。

 

 エカっぺが「陸士へ行く」と志した以上、僕とは卒業後は確実に別々になる。

 

 そして、こうやって二人で日々を過ごせる時間は、もう一年も残っていない。

 

 その残りわずかな時間の中で、僕は何度、エカっぺに今の言葉を言うことができるのだろうか。

 

「……うん。だいじょぶ。ありがとコウ」

 

 そして——僕はあと何回、彼女の()()()()笑顔を目にすることができるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 登校してきた僕とエカっぺを待っていたのは、そこかしこからの周囲の視線と、ひそひそとした(ささや)き声だった。

 

 視線は二種類あった。好奇の視線と、軽蔑の視線。

 

 ……前者は、僕に向けられたモノだった。

 人斬り事件を解決して以来、僕はすっかりこの学校で英雄みたいな扱いを受けるようになってしまった。

 エカっぺの予見していた通り、僕の下駄箱には恋文が何通か届いた。当然、僕には想い人がいるため、全て謹んでお断りしたが。

 

 ……後者は、エカっぺに対するモノだった。

 理由は、今更考えるまでも無い。

 

 だが、どのような視線を向けられていても、僕らは構わず教室を目指して歩くのみだ。それを阻むものも何も無い。

 

 三年生の教室の集まる三階にたどり着くと、僕らは別々の教室に別れた。

 

 教室に入った途端、僕は級友らの視線を一斉に頂戴した。

 

「あ、おはよう、秋津(あきつ)くん」

 

 真っ先に声をかけてくれたのは、同じクラスの男子である栗山(くりやま)くんだった。

 

 僕もそれに応じる。

 

「おはよう、栗山くん」

 

「うん。そうそう、もうすぐ期末試験が始まるよね。秋津くんは勉強どう?」

 

「まぁ、それなりに進んでるかな」

 

「秋津くん、確か功隆を受験するんだっけ? すごいなぁ、僕は普通に就職だからなぁ」

 

「ウチはお母さんがうるさいから……それに、就職でもいいじゃない。お金稼げるんだし」

 

 人斬り事件以来、栗山くんは僕にたびたび話しかけてくれるようになった。

 

 懐かれた……とでも言えばいいのだろうか。

 

 彼のお父さんを殺害した犯人を、僕が捕まえたからというのが理由だろう。

 

 お父さんが亡くなってから、まだ一ヶ月程度。栗山くんもその心の傷がまだ癒えていないようで、その話題になるとときどき凹んだ様子を見せる。

 

 そんな彼の気持ちを紛らせるために、僕が一役買うことができればいいなと密かに思っていた。

 

「ところでさ、秋津くん……ちょっと、話があるんだけど」

 

「話?」

 

 栗山くんは頷くと、やや深刻そうな表情で尋ねてきた。

 

「秋津くんはさ…………()()()と付き合ってるの?」

 

 その問いに、僕は目を数度しばたたかせ「あの女?」と思わず聞き返す。

 

「あいつだよ。……あのロシア人の女」

 

「エカっぺのこと? 別に付き合ってないけど」

 

「そっか……()()()()

 

 ——よかった?

 

 なんだか含みのある言い方に、僕の気持ちが少し重みを帯びるのを実感した。

 

 栗山くんは、まるで悪い仲間との交際をたしなめる教師みたいな態度と口調で僕に告げた。

 

「——秋津くん、悪いことは言わないから、今すぐあの女とは縁を切った方が良いよ」

 

 一瞬、栗山くんが何を言ったのか、分からなかった。

 

 呆然とした僕の感情を表したような、かすれた声が出た。

 

「……なんで、そんなこというの」

 

「だって、あの女はロシア人だよ? 十二年前にこの国に侵略してきた連中の血を引いてるんだよ?」

 

 感情が、凍りつくのを感じる。

 

「あいつらを信用しちゃ駄目だ。知ってるだろ? 日ソ戦前に起きたバレリーナ事件。バレリーナのフリしたロシアの女スパイに、北海道の駐屯地の将校がたぶらかされて利用された事件だよ。あの女も一緒さ。見た目が良かったとしても、中身は何考えてるか分かったもんじゃない。油断してると、秋津くんも利用されちゃうよ。秋津くんは優しいから、そこが心配だな」

 

 狂ってもいない、愉悦(ゆえつ)嗜虐(しぎゃく)もない、ただただ日常会話のごとき調子で紡がれる彼のあんまりな言説を、僕の脳が、まともに取り合うことを拒む。

 

「ソ連からロシアに変わったとしても、中身は何も変わっちゃいないんだ。あいつらは今でもこの国を狙ってる。また侵略してくるかもしれない。そのためにあいつらは今、アメリカすら利用してるんだ。中学生を尖兵にするくらいわけないはずだよ。そもそも、毛虫みたいに嫌われてるはずなのに、今なお日本にしがみついてるロシア人って時点で怪しいんだよ。絶対に何か裏があるはずだ。だから秋津くん、あの女のことは——」

 

「——やめてくれ」

 

 やっと、言葉を返す余裕が生まれた。

 

 心中に渦巻く、この(いきどお)りもまた。

 

「あ、秋津くん……?」

 

 栗山くんが、引きつった表情で一歩退がる。……そんなに怖い顔をしているのだろうか、僕は。

 

「お願いだ、栗山くん。それ以上言わないで欲しい。もしそれ以上口にされたら……僕は君を嫌いになりそうだ」

 

「ど、どうしてさ……?」

 

「君がエカっぺを何も知らないくせに、エカっぺを語ってるからだ」

 

 僕の左手が、左腰の木刀の柄を握っていることを、今自覚した。

 

 そして、天覧比剣に優勝した僕のその行動が、周りに「剣を握った」以上の威嚇とみなされてしまうことにも気づいた。 

 

 恐れたような、悲しんでいるような、そんな表情で数歩退がった栗山くん。

 

「もう二度と、エカっぺのことを悪く言わないで欲しい。あの子は、君が言っているような人間じゃない」

 

 揺れる彼の目をまっすぐ見据え、僕は言った。……そこに映る僕の顔は、確かに怖かった。

 

 言うべき事は全て言った。後ずさりに失敗して尻餅をついた栗山くんから無言で離れ、僕は自分の席を目指す。

 

「——なんで、そんなことお前に分かるんだよ」

 

 だが途中、どこからかそんな声が聞こえてきた。

 

 誰が発したのかは分からないが、教室の中の誰かが言ったことは確かだ。

 

「お前だって、あのロシア女の心が読めるのかよ? 読めないだろ?」

 

 その「誰か」は、教室の()()()()にいた。

 

「そうだよ。分かった風に言ってるのはお前の方じゃないのか」

 

 級友たちの、無数の非難がましい眼差しが、僕一人に集中していた。

 

「栗山はお前を心配して言ってくれたんだぞ? それをお前はなんだよ? 脅してさ」

 

 その口々から、僕を(そし)る言葉だけが発せられる。

 

「ちょっと剣が出来るからって、良い気になってんじゃねぇぞ」

「俺らが持て囃してるからって、調子乗りやがって」

「ソ連のせいで、俺の父さんは死んだんだ。そんな畜生どもの味方しやがって」

「前から気に入らなかったんだ。ロシア人の犬が」

 

 みんな、違う顔と性別のはずなのに、言葉と表情が恐ろしいくらい同じだった。

 

 ……こういう風に扱われるのは、慣れている。エカっぺと友達になった一年生の頃から。

 

 だけど、今回の()()は、今までとは違い、どこか異質な不気味さがあった。

 

 僕は、どう返していいか分からず、相手にしていない風を装って自分の席についたのだった。

 

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